にいさま、もーっと怖い話をしましょう⑬




 妹がごくりと息を呑むのが分かった。

 僕は妹の姿を眺めて、いま僕がいる世界の構造について想いを馳せる。

 この世界は書きかけの怪談集の中の世界。

 僕は妹が描く物語の中の登場人物。

 

 


「この物語世界で、僕はきみという物語に選ばれた主人公なんだ。いわば、物語を導く名もなき語り手……と言うとちょっと格好つけすぎかな」


 怪談屋敷の奥で忘れ去られていた書きかけの怪談集。

 肝試しにやって来た僕は、屋敷の奥でその書きかけの怪談集を見つけてしまい、物語の世界に囚われてしまった。


 現実世界の僕は読み始めた怪談の本に魅入られ――、

 おそらくまだその本を読み続けている。


 あの、暗くて広い奥の座敷で。

 ひとり黙々と、いまだ書かれていない怪談を読んでいるのが僕なのではないか。


 存在しない怪談。

 存在しない妹。

 それを解釈する僕。

 読み手であり語り手。

 名前の設定されていない「僕」。

 それが、いまの僕だ。






「ここがきみの物語世界だから、きみの判断で何でも自由に書き換えられる。町の風習があったりなかったりする。町の人が当たり前に怖い話をしてるっていうのも、あくまでこの物語世界だけのことだったんだ」


 妹は何も言わない。

 微動だにせず、じっと僕の話に耳を傾けている。

 こんなに大人しい妹もめずらしいなと、僕は話を続けながら思う。


「これは僕の想像だけど――実際の現実では、怪談屋敷の影響力はそこまで大きくはなかったんじゃないか」


 昔がどうだったかまでは分からない。でも、少なくとも現代の怪談屋敷は往時の影響力を失っていて、せいぜい心霊スポットとしての知名度が残っている程度なのではないか……。


「つまり、転校初日のあの出来事は、きみが考え出した『怪談を語ることが当たり前の町の奇妙な習慣を主人公が体験する』というフィクションであって、それでひとつの創作怪談だったんだ。だから、きみの一存でなかったことにしても構わなかった。それが真相なんじゃないのか」

「――……」


 妹はまだ何も言わない。






「きみは言っていたね、なるべく多くの恐怖を集めよ、と。恐怖に関係していれば物でも話でもなんでもいい。自分が体験したことでなくてもいい。大切なのは僕自身の言葉でまとめること。そのために怪談小説を書くのだ、と」


 妹は僕に怪談とは何かと説き、恐怖の何たるかを語り、怖い話を集めることを求めた。


 ――にいさま、怖い話をしましょう。


 妹がそう言うたびに、僕は超常的な恐怖に遭遇した。ときに妹が仕掛けたと思しき怪現象が発動し、ときに本当に外部から恐怖存在が侵蝕してくる。

 しかし、毎回その体験はリセットされ、やがて何事もなかったかのように日常に戻される。そして、また別の恐怖が開始される――。


 それもこれも、僕になるべく多くの恐怖を体験させるためのものだったのではないか。


「恐怖に関係していればなんでもいいっていうあれは、もちろん怪談屋敷のコレクションを引き継いでいるというのもあったと思うけど……、ここが物語の中だと考えれば何も不都合はない。僕がこの世界で恐怖体験をすればするほど、この世界に新しい怪談が記録されていくことになるんだから」


 そのおかげで僕は散々な目に遭ってきたわけだが……。

 では、妹は悪意があって僕にそんなことをしたのか?


 僕にはそうは思えない。


 妹はこの屋敷の習わしに従って怖い話を集めていただけで、それ以上でも以下でもなかったというのが、ここ数か月、妹と生活をともにしてきた僕の実感だった。


 そしておそらく、妹を突き動かしていたのは、他でもない、怪談屋敷当主が実行しようとした魔除けのまじないだったのではないか。


 怪談屋敷の魔除けのまじない。

 初代当主が主張したという「おそろしきものを除くまじない」。

 怖いものを寄せ付けないためにより怖いものを集めるという呪術。


 それが本当に妥当な方法だったのかどうかは分からない。

 しかし、長い歴史を経て、結果的にまじないは機能したのだ。

 ただし、「この屋敷に怪談を集める」というシステムとして……。






「怪談屋敷に住む人がいなくなって、きみには怪談を集めるという使命だけが残された。きみは怪談を集め続けることしか出来なかった。当然だ。きみは〝怪談を集める〟という不完全なまじないが施されただけの、書きかけの怪談集だったんだから。それ以外のことはやろうとしても出来なかったんだ」


 少し話し疲れて、そこで僕は深く息を吐いた。

 目の前の妹を見ると、相変わらず不動の姿勢を保っている。


「どうだろう。何か間違ってるかな」

「それは……」


 ようやく口を開いた妹の声は震えていた。

 らしくもなく、その瞳の中には迷いの色が見て取れた。


「あとは、きみがと告白したのもそういう意味だったんだ」

「……そういう意味とはどういう意味か、一応お聞きしても?」


 僕はうなずく。


「きみは僕のことを『にいさま』と呼んだ。それは、そう呼ぶ他にきみに言葉の選択肢がなかっただけのことだったんだ」


 きみと僕は、書きかけの物語とその語り手。

 だから、どちらにも名前がない。


「きみが僕を『にいさま』と呼ぶのは、たまたま怪談屋敷に残された手記にそういう呼び方が残されていたから。きみは何もかもどうでもいいと言ったけど、僕が兄かどうかも、きみにはどうでもよかったんじゃないか」


 いままでの話を、時系列で並べるとこうだ。




 (現実世界)

  ・怪談屋敷で怪談会が開催され、怪談が集められる

    ↓

  ・怪談屋敷が衰退、書きかけの怪談集が残される

    ↓

  ・怪談屋敷が心霊スポットとして有名になる

    ↓

  ・僕が怪談屋敷を訪れ、書きかけの怪談集を見つける

    ↓

  ・僕が怪談集の物語の中に取り込まれる

    ↓


 (物語世界)

  ・僕が怪談屋敷に引っ越してくる、妹と出会う

    ↓

  ・物語世界の中で妹が僕を語り手に恐怖体験をさせ怪談蒐集を続けさせる

    ↓

  ・現実世界から《死んだはずの友人の幽霊》(=田中河内たなかごうち才吾さいご)や

   《神様モドキの噂》(=後輩)などが物語世界に干渉してくる

    ↓

  ・そして、現在――……




 つまり――、

 現実世界では僕ときみは出会ったばかり。

 僕たちの物語は、本当はまだ始まってもいないのではないか。







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