にいさま、もーっと怖い話をしましょう⑭


「――と、ここまでが僕の考えなんだけど、どうかな?」


 僕が問いかけたとき、妹は思い詰めたような面持ちで顔を伏せていた。

 が、程なくゆっくりと視線を上げてこちらを見る。

 しかし、いざ僕と目が合うと気まずそうにまた視線をそらしてしまう。

 そんなことを数回繰り返したのち、ボソリと、


「……だから、どうでもよいと言ったのです」


 不満そうな声でそう言った。


「真実が分かったからなんだと言うのです。何が真実で何が現実かなんて、どうでもいいことだったのに……」


 そして、しばらく恨めしげな目でジットリと僕を睨んでいた妹だったが、すぐに諦めたのか「まあいいです」と短くつぶやいて嘆息した。






「ところで、にいさま」

「な、何だ」

「にいさまは、『ふるやのもり』という昔話をご存じでしょうか?」

「いや……、知らないな」


 なんだ唐突に。

 戸惑う僕を見て妹はやれやれと肩をすくめる。


「はあ。にいさまは本当に何も知らないのですね」

「そう言われても、昔話とか詳しくないし……」

「詳しくないからと言って知らないでいい理由にはなりませんよ、にいさま」

「まあ、そうかもしれんけど」

「まったくにいさまは仕方のない人ですね」

「……なんか急に辛辣になってない?」


 この妹はあれだ。

 怪談とは何かを僕に講義するときのスパルタ教師モードの妹だ。

 いつかのぶっ続け怪談講義のことを思い出し、僕は超常的な恐怖とは別の意味で寒気を覚えた。






「いいですか、にいさま。『ふるやのもり』とは全国に広く伝わる昔話です」


 スパルタモードの妹曰く、『ふるやのもり』とは以下のような話だという――。


 ある雨降る夜。お爺さんとお婆さんが「この世で一番おそろしいものは何か」という話をしている。二人はどんな怪物よりも「ふるやのもり」がおそろしいと話す。

 すると、それを家の外で話を聞いていた泥棒やオオカミなどが、「そんなおそろしいものがいるのか」と思って逃げていく。

 しかし、「ふるやのもり」とは「古屋ふるやり」のことで、つまりは、古くなった家の雨漏りが何よりおそろしいと話していただけ、というオチがつく――――……。


「その『ふるやのもり』の話がどうかしたのか」

「にいさまはこのお話を聞いてどのように感じますか?」

「どうと言われても……」


 なんか落語っぽいというか、怖い話ホラーにみせかけた笑い話ギャグというか……。


「私はこのお話を聞くと、私自身のことを考えずにはいられません」


 妹はしみじみと語る。






「私はこのお屋敷で怖い話を集め続けてきました。ですが、集めても集めても私が満たされることはありませんでした。当たり前ですよね。私を満たし、完成させてくれるであろう人は、もうここにはいないのですから」


 かつてこの土地で地主の地位を得て繁栄したという旧家の屋敷。

 通称『怪談屋敷』。

 しかし、その繁栄は遠く過去のものとなってしまった。

 語られた怪談は忘れ去られ、かつての住人たちがどうなったのかも分からない。


「それでも、私は書きかけの物語としてここにあり続けました。ここで待っていれば、いつか誰かが私を見つけ出してくれるような気がして……そんなはずはないんですけどね」


 彼女はいったいどれだけの時間をここで過ごしてきたのだろうか。

 なまじ、まじないが不完全に効果を発揮して、中途半端に自我が芽生えてしまったがために、彼女は半永久的にここで怪談を集め続けることになってしまったのだ。

 決して完成することのない、『書きかけの怪談集』として……。


「そう、たとえるならば……、私は『ふるやのもり』なのです。ここにはこんなに怖いものがあるぞと家の中から威嚇する。そうすることで外の怖いものから家を守る。でもその実態は何もない空虚な存在――そういうものが、私なのです」


 そう語る妹の顔はひどく哀しげで、寂しそうに見えた。

 すべてを見透かしたように超然と僕の前に立ちはだかる、いつもの妹の姿はそこにはなかった。






 こんな妹を見るのは初めてだった。たまにふと意味深な表情を見せることはあったが、ここまで悲壮感を露わにすることはなかった。


 見たことのない表情をする妹を前にして、僕はどうすればいいかまるで分からなくなってしまっていた。

 だが、このまま無視することも到底出来そうになかった。


「……何もないなんてことは、ないんじゃないか」


 僕は立ち上がり、妹にそっと近づいた。


「少なくとも、僕はきみがここにいることを知っている」

「にいさま……」

「だから、どうかそんな顔をしないでほしい」


 僕は知っている。

 あやしげに微笑んで僕を怖い話に誘う妹のことを。

 僕が他のことに気を取られていると、ムキになって怒る妹のことを。

 わざとらしく僕を褒めそやし、キャッキャと笑う妹のことを。


 したり顔で僕をからかう妹のことを。

 怪談に対する理解が足りないと僕に説教する妹のことを。

 僕とならいくらでも怖い話が出来るとドヤ顔で胸を張る妹のことを。



 この屋敷でずっと僕のことを待っていた彼女のことを。



 ――にいさま、怖い話をしましょう?

 

 僕は知っている。

 彼女はいつも自信に満ちあふれていて、僕に謎めいた笑みを向けていた。


「きみは僕の前ではいつだってあんなに笑っていたじゃないか」

「そうだったでしょうか……」

「そうだよ」

「私……、いまどんな顔をしていますか……?」

「僕がいままでに見たことのない顔をしてるよ」


 僕がそう言って笑いかけると、彼女はばつが悪そうに顔をそらしてしまう。


「……今日のにいさまはなんだか意地悪です」

「えっ、そうかな」


 むしろ必死に慰めようとしてたつもりなんだけど。

 やはり声のかけ方を間違えたか。


 ここは僕渾身の怪談でも披露したほうがよかったか?

 でも、この妹を喜ばせられるような怪談って何だ??


 などと、僕が挙動不審気味にオロオロとしていると、機嫌を損ねていたと思った妹がふと口元をゆるめた。


「ふふっ、にいさまは本当に仕方のない人ですね」


 ……その妹の顔は、僕がいままでに見たことのないやわらかな微笑みだった。





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