にいさま、もーっと怖い話をしましょう⑩
(六)
「どうして、どうしてこんな……!」
僕はひたすらに廊下を走った。
どこまで走っても、屋敷は真っ暗だった。
出口がどこにあるのか、自分がどこに向かって走っているのかも分からなかった。
夏だというのに屋敷の中は深い水底のようにひんやりと冷たかった。
もう何度、角を曲がっただろうか。ギシギシと足元の板が鳴る。無限にも思える長い廊下を走っていると、ようやく行き止まりが見えてきて――廊下の突き当たりに、子供が立っていた。
子供。小学生くらいの子供だ。
子供だということは分かるのに、その子供が男の子か女の子か、服装や髪型の細かいところを見ようとすると、なぜか途端にその姿は判然としなくなってしまう。
『ダメだよ、ちゃんと怖い話をしないと』
影のような子供が、幼い声で僕に話しかけてくる。
おそるおそる懐中電灯で照らしてみるも、そこだけ光が吸い込まれたようになって、どうしても子供の容姿は分からなかった。しかし、一瞬だけ視界に映ったその口元は――ニタニタと微笑みを湛えているように見えた。
『怖い話をしようよ』
「こ、怖い話って言われても……」
僕はそれだけ答えるので精いっぱいだった。
『みんなで集まったらねえ、怖い話をしないと』
くつくつと、笑いを堪えきれないといった声で、子供は続けた。
『怖い話をしないとねえ――――みんな、死んじゃうんだよ』
刹那、心臓を摑まれたような悪寒が沸き起こった。
駄目だ。
ここにいては駄目だ。
僕は子供に背を向けて、再び廊下を走り出した。
(七)
走っても走っても廊下が終わらない。
普通に考えて、ひとつの屋敷がこんなに広いわけがない。
僕はいまいったいどこを走っているのだろうか。
足がふらつき、意識が朦朧としてくる。
いっそのこと、もう何もかも諦めてここでぶっ倒れてしまおうかと、そう思った矢先だった。
「ぎゃああああああああああああああああ――――――ッッ!」
屋敷に絶叫が響いた。
「いまの声って……、
友人の声に思考が現実へと引き戻されかけたのも束の間、立て続けに聞き覚えのある叫び声が邸内に響き渡った。
「うわああっ、な、なんだこれ!」
「や、やめ、ぎゃっ」
「あ、ああっ、ああああああ……っ!」
どれも一緒に肝試しに来たメンバーの声だった。
それらの声は、すぐ近くから聞こえているようでもあり、同時に遥か遠くから響いてくるかのようでもあった。しかし、肝心の彼ら本人の姿はどこにも見つけられなかった。
「みんなどこに行ったんだ! どこに……!」
離れ離れになってしまった仲間たちを求めて闇雲に廊下を駆けていると、さっきの子供の声が虚空から語りかけてくる。
『ほらね』
『だから言ったのに』
『怖い話をしないとね』
『怖い話が出来なくなっちゃったからね、みんな死んじゃうしかないよね』
ぞくりと全身の肌が粟立つ。
「才吾、どこだ! おおいっ、才吾っ!!」
せめて親友だけでも見つけられないかと才吾の名前を呼ぶが、廊下の暗闇は何も答えてはくれない。
「誰でもいい、誰かいないのか!」
必死になって呼びかけていると、しばらく経って、進行方向のほうからドタドタと足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
仲間の誰かが逃げてきたのかと思い、僕は足音に向かって走っていった。
しかし。
走った先にいたのは――、見たことのない和服の男だった。
見知らぬ和服の男が、闇の中からふらふらとこちらに近づいてくる。
僕がギョッとして硬直していると、
「き、きみは……」
男のほうから僕に話しかけてきた。その男は二十代くらいの痩せ身の男だった。衣服は濃緑色の着流し、髪はボサボサで顔には無精髭が目立った。なんだかちょっと時代錯誤な格好だなと僕は思った。
が、それ以上に血走った両目とおぼつかない足運びが、男がただならぬ状況にあることを窺わせた。
「……し、しらないぞ俺は」
「え……?」
「……知らないんだ。俺は何も知らないんだ!」
男は僕に向かって叫んだ。
な、なんだ……?
「知らない! 妹なんて知らないんだ! なのに、あいつはずっと自分が俺の妹だって言うんだ! なんだ、なんなんだ!」
「えっ、い、妹……?」
何を言ってるんだ、この人は。
「頼む、助けてくれ! 俺は……俺は本当に知らないんだ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! いったい何があったんですか? というか、あなたは誰で、どうしてこんなところに……」
僕は自分のことを棚上げして男に問いただそうとした。
しかし、
「ああ、いけない。いけないいけないいけない。ここにいてはいけない! 誰もこの屋敷に来てはいけなかったんだ! うああああああぁぁぁ――――ッッ!」
男はそう叫ぶと、僕を振り切って再び廊下の闇の向こうへと走り去っていってしまった。
「な、なんだったんだ……?」
廊下には、深い暗闇だけが残っていた。
(八)
男を見送った僕は、再び当てどなく屋敷をさまようことになった。
以降は他の肝試しメンバーの声も、謎の子供の声も聞こえてくることはなくなり、僕は一人で無音の暗闇を進んだ。
どれだけ進んでも、相変わらず自分が屋敷のどこにいるのかは分からなかったが、不思議と少しずつ屋敷の最奥部へ近づいている――そんな感覚があった。
そして、すっかり闇に目が慣れてきた頃。僕は屋敷のもっとも奥まった部分と思われる地点へとたどり着いた。
廊下の突き当たりにあった
「お、おーい……?」
試しに呼びかけてみるが、誰の返答もない。
僕はおっかなびっくりといった足取りで座敷へと入っていった。
そこは屋敷の他の部屋と比べて、少し明るさがあるように感じられた。
見回すと、部屋の入り口から反対側の障子が開いていて、その向こうに縁側と、さらには外の山の風景が見えた。明るいと思ったのは、外から月明かりが差し込んでいるせいだった。
進んでいくと、座敷の中央辺りに低い机が一台置いてあった。机の上には、何十枚もの書きかけの原稿用紙と何冊もの分厚い本が積まれていた。周辺にはペンやインク瓶、辞典などが転がっている。
まるでついさっきまで誰かがここで原稿の執筆作業をしていたかのような――むしろそうとしか思えない状況だった。
しかし、この無人の屋敷でいったい誰が、何を書いていたというのだろうか。
その異様な状況に興味を抱いた僕は、机の上を物色し始めた。
散らばっていた原稿を拾い読むと、それはひとつらなりの文章ではなく――長編の物語だとか長大な歴史書などではなく――もっと短く断片的なエピソードを書き留めたものだった。
それはたとえば、幽霊に出遭った話だったり、呪われた家の話だったり、神隠しの話だったり、死んだ友人が訪ねてくる話だったりして……。原稿とともに積まれていた本や辞典にも、「百物語集」、「怪奇文学叢書」、「恐怖体験談」、「夏の幽霊特集」、「神話辞典」……そのような類の言葉が踊っていた。
「これは……どれも書きかけだけど、もしかして怪談の本を作ろうとしてたのか……?」
どうやらそこでは、怪談や奇談、怖い話……それらを集めて本を作る――そういう作業が進められていたらしい。
しかし、誰が?
なんのために?
残されていた原稿は、作業全体のほんの一部分であるように思えた。
では、最終的にはいったいどれほどの規模の本が構想されていたのだろうか?
ついそんなことを考えてしまう。
しかし、ここまで来たのも何かの縁だ。どうせこのままでは、無事に屋敷を出られるのかも、友人たちと再会できるかどうかも分からない。
僕はこの屋敷についてあまりに何も知らずにここまでやって来てしまった。
友人や肝試しグループの話に流されるままに、なんとなくで屋敷の一番奥にまでたどり着いてしまったのだ。
ならば。
せめてこの屋敷のことをもっと知ってから脱出の機会を探しても遅くはないだろう。
それに。
なんだかここにいると外の世界のことが、どんどんどうでもよく思えてくるのだった。
机の上に乱雑に置かれた書きかけの怪談本。
その中から僕はもっとも新しいと思われる一冊を手にする。
「さあ、いったい何が書かれているのか……」
広い座敷でひとり、僕はその本を読み始めた。
――……
――――……
――――――…………
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