にいさま、もーっと怖い話をしましょう⑦



 ぞっとして傍らを見ると、いつのまに現れたのか、赤い着物姿の妹が僕を見上げてにっと微笑んだ。細められた黒い真珠のような瞳にどのような感情が隠されているのか、僕に窺い知ることは出来ない。

 というか、妹がここに来たということは……、


「あいつらは……後輩と才吾さいごはどうしたんだ」

「ご友人の方々にはお帰りいただきました。だって……にいさまをドキドキさせていいのは、妹のこの私だけなのですから」

「ドキドキって……。少なくともそれは恋愛とか親愛的な意味でのドキドキではない、よな?」

「あら、にいさまったら野暮なことをおっしゃいますね」

「野暮ってなんだよ」

「それを私に言わせるのですか?」

「むしろ言わせられたいんじゃないのか」

「うふふ。強気なにいさまも素敵ですよ」


 何が野暮になるかは分からないが、僕にも軽口を叩く余裕は出てきたらしい。

 ……もっとも両足はずっとガクガク震えっぱなしだったが。


「ねえ、にいさま」

「な、なんだ」

「私、にいさまにヒミツにしていたことがあるのです」

「ヒミツ?」


 逆にヒミツにしてないことってなんだよ。

 そうツッコミたくなるが、妹はキッと真剣な顔で僕を見つめてくる。


「はい。にいさま、実は、私――――、にいさまの本当の妹ではないのです」

「…………知ってるよ」

「あら、ご存じでしたか」

「知らないわけあるか」

「にいさまはなんでもお見通しですね。さすがにいさまです」


 そう言って妹はキャッキャと手を叩く。

 なんとも白々しい。

 しかし、本当の妹――か。

 じゃあ、僕はなんだ。

 この僕は――本当の僕なのか。

 僕は自分の名前を知らない。

 僕は自分の記憶がない。

 だから。

 僕は僕自身の正体を知らなければならない。

 それを知るためにも……、


「……悪いけどお前に付き合ってる暇はないんだ」


 それだけ言って、僕は妹に背を向ける。


「にいさま? どちらへ?」


 妹が問いかけてくるが、僕は黙って書斎の扉に手をかける。

 去り際にもなお後ろから妹が呼びかけてくる。


「にいさま」

「なんだ」

「どうせここからは逃げられませんよ?」

「そうかもな。追いかけてくるなら好きにしてくれ」


 僕は妹を置いて書斎を出た。

 ゆっくりと扉が閉まる。

 妹は追ってこなかった。

 暗い廊下を今度は走らずに歩いて進む。

 僕は考える。


 書斎には問題解決のヒントになりそうな情報はあったが、直接の答えはなかった。

 何かが分かりかけている。しかし、まだ何かが足りない。

 僕が無理に屋敷を出ようとしない限り、妹が僕の探索を特に妨害してこようとしないのは幸いだったが、だからと言ってそれが真実の解明に有利に働くわけでもない。


 これ以上いったいどうすれば……。


 悩みながら暗がりを歩き続けてたどり着いたのは、屋敷の一番奥にある、一番広い座敷だった。

 座敷を覗くと、雨戸は開いており外が少し見えた。縁側の向こうでは、白みかけた夜空が夏の早い夜明けを予感させていた。

 僕は当てどもなく座敷の中に入っていった。

 薄暗い座敷を、畳に足裏をこすりつけるようにして前進していく。

 と、がらんとした畳の間の真ん中に、低めの机が一台置かれているのが目に入った。机の上には原稿用紙が重なり合って散らばっていた。


「これは……、小説の原稿か……?」


 僕は何げなく原稿の一枚を手に取り、その文章を読んでみた。






 ――――――――――




 これから語られる物語の中に、わずかにでも真実が含まれているとは思わないでほしい。





                         ――――――――――





 小説はそのような一文から始まっていた。

 僕は机の前に座り込み、手元の小説を読み進めていく――――。






 ――――――――…………

 ――――――……

 ――――


 これから語られる物語の中に、わずかにでも真実が含まれているとは思わないでほしい。

 ましてや、どこかに現実の体験が反映されているなどと、ゆめゆめ考えてはいけない。

 それでも。

 もし万が一。

 あなたが、どこかに真実や現実を読み取ってしまったならば。

 そのときは――――……


 ――……

 ――――……

 ――――――…………





「そのときは……、どうなるんだ?」


 どうやらそこまでがプロローグ部分のようだった。

 机の上に二枚目の原稿を見つけて読み進めていくと、その小説は高校生の主人公が語り手として登場していた。

 主人公の一人称は「僕」。

 物語の舞台は現代。

 語り口も体験談を読んでいるようで、先ほどまで読んでいた手記の古風で堅めの文体と比べればなんてことはない文章だ。

 ――その物語は、主人公が友人たちと肝試しに行く話だった。



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