もうどうでもいいのですよ、にいさま⑨


「あ、あれ……?」


 一瞬、何が起こったのか分からなくなる。

 しかし、即座に別に何も起こってはいないと思い直す。

 いつもの家の、いつもの部屋。

 勉強机に、本棚、ベッド。そして、床に並べられた百本の蝋燭。

 僕は直接その床に座っていて、正面には赤い着物姿の妹が正座している。


 そうだ。いまは妹に付き合って百物語に興じていた最中だったのだ。夜も遅いというのに、わざわざ蝋燭まで用意して……。

 あらためて部屋を見回すと、壁の時計は深夜二時を指している。いつのまにか結構な時間が経っている。せっせと準備した蝋燭も、火が灯っているのは残すところ一本だけとなっていた。

 どうやら僕は妹の話にすっかり聞き入ってしまっていたようだ。


 ――――どんどんっ!


 再び音が響く。

 音がする方向から察するに、誰かが玄関の戸を叩いているらしい。


「こんな時間にいったい誰だ……?」


 怪談を中断されて妹は「むぅーっ!」と不満そうに頬を膨らませていたが、僕はむしろこれぞ好機とばかりに腰を上げ、一応スマホだけを持つと、部屋に妹を残してそそくさと玄関に向かった。








 ――――どんどんどんっ!


 近づくにつれて音は大きくなってくる。

 そして、くぐもっていて分かりづらいが、何か、戸を叩く音だけでなく人の声も音の中に混じっているようだった。


 いまは真夜中。この屋敷の周辺に他に家はなく、どれだけ騒いでも近所迷惑になることはない。だが、だからといってこのまま放っておくわけにもいかないだろう。

 いざ玄関まで来ると、やはり誰かが格子戸の向こうに立っている。


「おーい、おーい」


 若い男の声だ。

 若い男というか、僕と同じくらいの――高校生くらいの男子のように聞こえる。

 しかしなんだろう、この声、どこかで聞いたことがあるような……。


「おーい、おーい、おーい!」


 ――――どんどんどんっ!


 声とともに戸が強く叩かれる。


「おぉーい、俺だよ俺。入れてくれよー」


 ついに声がこちらに話しかけてくる。

 格子戸を挟んですぐそこにいるはずなのに、まるで遠くから呼びかけてくるような、そんな声だった。


「ど、どちら様ですか……?」


 こわごわながら答えると、相手の影がぴくっと反応するのが分かった。


「なんだ他人行儀だな。俺だよ、俺」

「だ、だから誰なんだ……?」

「ひどいなあ。親友の声も忘れちまったのか? 俺だよ、田中河内たなかごうちだよ」

「田中河内……って、もしかして、才吾さいごか……!?」


 僕は玄関で立ちすくみ、驚愕する。


「そうだよ俺だよ、才吾だよ」


 そんな。あり得ない。

 だって、才吾は……田中河内たなかごうち才吾さいごは、去年、僕がここに引っ越してくる前に死んだはずじゃ……。

 しかし、戸の向こう側で呼びかけてくる声は、確かに僕の知っている才吾の声に違いなかった。





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