もうどうでもいいのですよ、にいさま⑩
「おーい、おーい、おおーい」
――――どんどんどんっ!
――――どんどんどんどんどんっ!
「おーい、おーい、おーい、おーい、入れてくれよー」
なんだ。
これはいったい何の冗談だ。
いや。待て。慌てるな。まだ格子戸の向こう側にいるのが、本当に
たとえばそう、僕と才吾の関係を知る何者かが、才吾を装って訪ねてきているという可能性もなくはない。確かに、声は僕の記憶にある才吾の声と相違ないが、才吾が死んですでに一年近くが経過しようとしている。僕の記憶に間違いがあってもおかしくはないだろう。
…………さすがに苦しいか。
それにもし万が一、相手が才吾を装った何者かだったとして、いずれにせよ深夜二時に町外れの屋敷を訪ねてくる人物がヤバい奴であることに変わりはない。
――――どんどんどんどんどんっ!
「おーい、おおぉぉーいぃ! 入れてくれよおーっ!」
――――どんどんどんどんどんどんどんっっ!
僕が迷っているあいだにも、声と音は次第に大きく、乱暴になってくる。
全身に汗が滲む。
スマホを握る片手にも、ぎゅっと力がこもる。
と、そのとき。
ルルルルルルッ!
握っていたスマホが着信のベルを鳴らした。
「えっ!?」
見ると、メールやSNSではなく電話の着信だった。
このタイミングでかかってくる電話というのは、もしかして……、
『もしもーし! 先輩、夜遅くにすみません。ちょっといいですかあー?』
画面をタッチしてもいないのに、勝手に通話が開始される。
聞こえてくるのは、少女の甲高いアニメ声だ。
『もしもしぃ? せんぱーい、聞こえてます? 聞こえてますよね?』
電話は応答を催促してくるが、僕は答えることが出来なかった。
いまこの声に答えてしまったらどうなるのかと想像すると、とてもではないが通話に応じる気にはなれなかった。
――――どんどんどんっ!
「おーい、おおおーい! おおおおお――い! 入れてくれよぉぉー!」
才吾は諦めることなく、繰り返し呼びかけてくる。
僕の身体は完全に硬直していた。
真っ暗な板張りの玄関で、ただただ棒立ちになる。
――――どんどんどんっ!
「おーい、おーい、おおおぉぉ――――いぃぃ!」
『せんぱぁーい! ねえ、先輩ってばー!』
僕はパニックに陥りかけていた。
心なしか、先ほどよりも、格子戸のガラスに映る才吾の影がずんぐりと大きくなってきているようだ。そのうちこの格子戸も力づくで破られてしまうんじゃ……そう考えると、玄関のほうを見つめたまま、目をそらすことも出来なかった。
のだが。
フッと、冷たい空気が流れたかと思うと、
「――――にいさま」
背後の声に振り返ると、妹が立っていた。
廊下の暗闇に妹の着物の赤色が、ぼうっと浮かぶ。
「お前……」
僕はぶるりと身を震わせる。
美しい日本人形のような姿の妹が、ニィッと口元を歪ませるのが見えた。
「認めてしまいましょう、にいさま。怖いものはいるんです」
妹がささやく。
「怖いものはいます。ですが、恐れることはありません。なぜなら、本当に怖いものは家の中にこそいるのですから」
「家の、中に……」
「そうですにいさま。本当に怖いものは家の中にいるのです。本当に怖いもの。本当の恐怖。強大で、絶対的な、真なる恐怖……」
――――どんどんどんどんっ!
――――おーい、おーい! 入れてくれよぉー!
――――もしもし、せんぱーい! 聞いてくださいよー!
「このお屋敷にはいままでにいさまが集めた、たくさんの恐怖が蓄積されています。それらの恐怖に比べれば、外からやって来る恐怖など何ということはないのです」
――――どんどんどんどんどんっ! どんどんっ!
――――おーい、おーい、おおーい! おおおぉぉ――――いぃ!
――――先輩! ねえ、せんぱぁあーい!! 何か言ったらどうなんですかー?
「本当に怖いものは家の中にいるのです。一度そう認めてしまえば、外から来るものにいちいち怖がることはありません」
――――どんどんどんどん! どおん! どぉぉんっ!
――――おーいっ! おおおおおおおおおぉぉぉ――――いいいいぃぃ!
――――せんぱぁあーい! ザザッ、せんぱぱせせ、ザザザッ、せんぱ――――!
「怖い話をしましょう、にいさま。もっともっと怖い話をしましょう。そのためには……家の中にいるものの正体がなんなのかだとか、どうしてそれがこの家にいるのかなんて、些細で、ちっぽけで、どうでもいいことなんですよ」
妹はしずしずとこちらへ近づいてくる。
怖い。ここ最近の妹で一番怖い。
具体的に何が起こっているのかはまったく分からないが、このままここにいると、とてつもなくマズいような気がしてならない。
どうする。どうするどうする。逃げたほうがいいのか。しかし逃げてどうする。あるいは、完全に妹に捕まってしまう前に玄関を飛び出せば、妹からはかろうじて逃げることは出来るかもしれない。
だが、家の外には才吾がいる。
なら助けを呼ぶか。しかしスマホは持ってきていたが、依然として後輩の通話が途切れる様子はなく、連絡手段としては機能していないも同然だ。
とすれば玄関以外からなら逃げられるのか?
いや、それも駄目だ。
たとえ庭から外へ出られたとしても、屋敷の周囲は外塀に拒まれている。
そのうえ、この屋敷の近くに民家はなく、あるのは森と山道ばかり。逃げ込める場所もなければ、無事に山を抜けて逃げおおせる保証もない……。
そんなことを考えているうちにも、妹は一歩、また一歩と距離を縮めてくる。
――――どんどんどんどんっ! どんどんっ! どおん! どおおんっっ!
――――おーい、おおおおオオオ――――――――い! おおおおおおおおおおうううぅぅーいぃぃぃ……!
――――せんぱーい、ザザザザザザザザッ、せせンせんぱーい!! ザザッ、ねえェえー、せっ、ザザザザザッ、ンぱあーい!
「さあにいさま、私と怖い話をしましょう?」
もう駄目なのか。
何もかも受け入れて、恐怖に身を委ねる他に道はないのか……。
前方には、にたにたと笑う妹。
後方には、閉ざされた格子戸。
呼びかけてくる才吾は地鳴りのような声を漏らしながら黒い巨大な影のかたまりとなっている。スマホから響く後輩の声は、もはやノイズ混じりになってよく聞き取れない。
八方塞がり。
万事休す。
僕にはどうすることも…………、
「……いいや、まだだああぁっ!」
僕は声を上げると、真正面に迫っていた妹の脇をすり抜けて、スマホを廊下に放り投げ、玄関とは反対方向――つまり屋敷の中へ向かって走り出した。
「ええっ!? にいさま……!?」
妹はめずらしく虚を衝かれていたようだが、構ってはいられない。
まっすぐに伸びる廊下の暗闇の奥へ奥へと、僕は駆けていった。
―― 虚妹怪談 第九夜 ――
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