もうどうでもいいのですよ、にいさま⑤



 ――――これは、私がまだ子供だったの頃の話なんだが……。


 ある年の夏のことだったと思う。私と父と母の家族三人で、車で旅行に出かけたことがあった。

 どういう経緯だったかはよく覚えていないが、移動の途中で休憩に立ち寄ったパーキングエリアの近くで、私たちは一泊することになった。


 そこは市街地からも遠い山の中にあって、周囲にはホテルどころかコンビニすら見当たらなかった。当然のことだが、そんな場所で夜を明かす人などいるはずもなかった。

 だというのに、両親は今夜はそこで泊まるのだと言う。

 両親によると、そのパーキングエリアから少し行った先に古い旅館が一軒あるということだった。


 そして実際――――それはあった。


 それはどう見ても廃墟にしか見えない建物だった。

 日の暮れかかった薄暗い雑木林の奥にたたずむ、朽ちかけた武家屋敷のような大きな廃屋。門構えは立派だったが、少なくとも人が出入りしているような気配はない。しかし、入り口を見ると確かに看板らしきものが出ている。玄関口には破れた暖簾のれん。中からはわずかに明かりも漏れてきているようだった。


 私が不思議に思って両親に訊ねてみると、二人は顔を見合わせて苦笑した。







「いや、実はここ、前からずっと空き家になってるんだよ」

「そうなの?」

「ええ。なんでも昔は由緒のあるちゃんとした旅館だったらしいの。でも、経営が悪化して潰れてしまったらしくて」

「じゃあ、もう営業していないんだ?」

「そうなんだけど、いまも一応、こうして看板だけは出してあるの」

「へえ……?」

「だからときどき、こうやって泊まりに来る人がいるみたいなのよね」

「そう……なんだ」


 廃業した旅館に泊まりに来る客がいるというのもおかしな話だと思ったが、まだ幼かった私は、それ以上深くは考えなかった。


「最近はこういう宿も人気があるらしいじゃない? いわゆる隠れ家的な宿っていうのかしら。だから、私たちもここに泊まることにしたのよ。ちょうど部屋も空いているようだしね」


 そう言うと母は私の手を引いて歩き出した。


「ほらほら。さあ、行きましょう」


 両親は荷物の中から懐中電灯を取り出して足元を照らすと、ずんずんと旅館の中へと入っていった。

 仕方なく私もついていく。

 そうして連れられてやってきたのは、旅館の一番奥の広間のような座敷だった。







「あら、素敵じゃない!」


 室内を見て、母は嬉しそうに言った。父も喜んでいるようだった。


「広くていい部屋だな」

「これなら三人でも大丈夫そうね」

「よし、今夜はここでゆっくりさせてもらおうじゃないか」


 父が笑顔で言うと、母も同意するように微笑み返していた。

 私は二人の様子に疑問を感じながらも、とりあえずその場に荷物を下ろした。

 一息ついて部屋の暗がりを慎重に窺う。何畳もある座敷を見回していると、床の間に一体の人形が置かれているのに気づいた。


 赤い着物の日本人形。

 美しい人形だった。


 しかし、私はその人形にどこか底知れない不気味さを感じてしまい、少し気分が悪くなった。

 思わずうつむいていると、それを見た両親が心配そうに声をかけてくる。


「どうしたの? 具合でも悪いの?」

「ああ……、いや、何でもないよ……」


 私は慌てて否定した。

 しかし、内心ではこんなところすぐにでも出ていきたいと思っていた。






 両親はどうしてわざわざこんな廃墟同然の建物を選んで泊まろうだなんて言い出したのだろうか。

 普通に考えればありえない。何か理由があるはずだ。

 たとえばそう、二人して子供の私を怖がらせようとしている、とか……。

 そうだ。そうに違いない。

 他にそれらしい理由は思いつかない。

 私が納得しかけた――そのときだった。

 突然、どこからか誰かの声がした。


『……あなたも一緒に怖い話をしませんか?』


 そう言ったように聞こえた。

 しかし声がするだけで、誰の姿も見えない。

 もちろん両親の声でもない。

 私は恐ろしくなって、すぐにその部屋を出ようとした。

 だが、両親はまったく気づいていない様子だ。


『あなたも一緒に怖い話をしませんか』

『ほら、一緒に』

『さあ』


 声は私を追い詰めるように語りかけてきた。

 そのうち、声は一方的に何か物語のようなものを話し始めた。








『………………ところが次の瞬間、その男の首は胴体から切り離されてしまいました。そのまま血を吹き出しながら首のない体はゆっくりと前のめりに倒れていきました。残された体からは大量の血が流れ続け、辺り一面真っ赤に染まってしまいました。その光景を見ながら、私はふと思いました。……こんなことになって、百物語っていったいどういう意味があったんだろうか? そもそも百の物語を語る必要などなかったんじゃないか? だって、結果的にこうして人間が死んだだけなんですから……。そう考えると、今度は急におかしさがこみ上げてきます。これまであんな子供騙しの話を信じて震え上がっていた自分が滑稽に思えてきて、思わず吹き出してしまいました。アハハハハッ! アハハハッ! 馬鹿みたい! 全部馬鹿みたいだ! そして――私は笑いながら自分の首を切り落としたのです。こうして、私の物語は終わりを迎えました…………――』


 そこで話は終わったようだった。

 なんだ。いったい何の話をしているんだ?

 私はわけが分からなくなった。

 しかし、謎の声はまだ私に向かって語りかけてくる。


 ――ねえ、次はあなたの番よ。

 ――早く話してちょうだい。


 声は何度も繰り返し語りかけてくる。

 私は必死で声から耳を背けようとしたが、声は部屋のあらゆる方向から聞こえてくる。

 では部屋から離れればよいのだが、何も気づいていない両親を放って逃げることも私には出来なかった。


 そうしているうちに、声は次から次へと怪談を語り続け――しばらくして、また私に順番が回ってきたようだった。


 ――――今度こそきみの番だよ。


 声は私の耳元でささやいてきた。

 どうやら私が何か話をするまで、諦めてはくれないらしい。

 私は観念して思い付いた話を話し始めた――。


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