第九夜

もうどうでもいいのですよ、にいさま①



「――にいさま、怖い話をしましょう」


 七月も後半となった日の夜のこと。

 僕が自分の部屋で小説を書いていると、いつのまにか現れた妹が僕の背後に立ってささやきかけてきた。


「怖い話、か……」

「ええ。怖い話ですよ、にいさま」


 すぐ後ろに妹がいることを認めつつも、僕は机に向かったままぼーっとしていた。

 机の上には執筆途中の原稿用紙が散らばっている。

 もともと原稿はノートパソコンで執筆していたのだが、最近はどうも画面を開く気になれず、ここ数日はもっぱら手書きで執筆するようになっていた。


 しかし、その書きかけのはずの原稿用紙に目を落とすと、それらはどれも墨をこすりつけたようにどす黒くグシャグシャに染まっていて、とても文字が書けるような状態ではない。こんな状態の原稿で執筆をしていたのかと直前までの自分が信じられなくなるが、それももう、そのときの僕には些細なことのように思えた。



「……まあいいけど。それで、今夜は何の話をしたいんだ?」


 僕は机を離れて妹と向き直った。

 すると妹は妙にはしゃいだ声で、


「そうですねえ。では、百物語などはどうでしょうか?」


 百物語。複数人で一堂に集まって語る怪談の形式のことだ。

 あらかじめ百本の蝋燭を用意しておき、一人ずつ順番に怪談話を語り明かしていく。そしてすべて語り終えたとき、そこに真の怪異が現れる……らしい。


 というか、百物語って普通はもっと大勢でやるものなんじゃないのか?

 たった二人だけで百物語ってどうなんだ?

 というか、このくだり前にもやらなかったっけ?

 あれ、やってなかったっけ?

 しかし、妹のほうはすっかりやる気になっているようだ。






「僕は構わないけど、本当にいまからやるのか?」


 現在時刻は午後九時過ぎ。

 こんな時間から百物語なんて始めても、いつ頃終わるか分からない。

 それに、もし本格的にやるというのなら(この妹なら言い出しそうだ)百本もの蝋燭を用意するのも面倒だし、それに何より――眠かった。


「何をおっしゃいますか! こういうことは勢いと雰囲気が大事なのです!」


 妹は興奮したように言う。


「そこまで言うなら……」


 見れば、妹はすでに事前に用意していたらしい蝋燭を部屋に並べ始めている。

 仕方ない。僕は立ち上がって準備を手伝うことにした。

 それから。

 蝋燭を並べ終えると、部屋の電気を消して二人で床の上に座り込み、いよいよ百物語の手はずが整った。


「じゃあ、始めるとするか。僕から話せばいいのか?」

「はい。お願いしますね、にいさま」


 妹は期待に満ちたふうにニィッと微笑む。

 暗闇の中で、妹の白い肌だけが不思議と浮かび上がって見える。

 僕は一度深呼吸してから口を開いた。


「これは僕がまだ小学生の頃の話なんだけど――」



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