先輩、楽しい話をしましょう⑨


「ところで地元の案内って話だったけど、まだ歩くのか? もう学校から結構来たような気がするんだけど」

「だから、そう焦らないでくださいって。ホントせっかちですね、先輩は」


 そう言いながら、後輩は田園風景の中心をずんずんと歩いていく。

 学校を出た頃には明るかった空も、そろそろ夜の闇に落ちようとしていた。

 くらい。ほんの数メートル先を歩いている後輩の顔もよく見えない。近辺に明かりらしい明かりが乏しいのだから当然だ。

 昔の人はこういう時間帯を黄昏たそがれ逢魔時おうまがときと呼んで恐れたという。


 では、魔物に出遭うのがなぜ怖いのか。


 それは魔物に遭ってしまうことそのものよりも、何も見えない夜の道で、いつのまにか人でないものがすぐ隣を歩いているかもしれない……という、自分の感覚を頼りに出来なくなるその状況こそが怖いのではないか――――、


 ……などと考えているあいだにも、日の光はあっという間に山の向こう側へと消え去り、辺りは急速に暗さを増す。街灯もろくにない道は裏淋しいばかりで、沈殿する闇がぬるりと手足にまとわりつくようだ。

 暗がりの沼底を泳ぐようにして、僕は後輩と歩いた。








「ほら、先輩。見えてきましたよ」


 後輩が示したほうを見ると、道の先に巨大な赤い門のようなものが建っていた。

 朱色の太い柱が二本、道を挟んでそびえている。


「あれは……鳥居か?」


 柱の上のほうを仰ぐも、相当高さがあるのか、先端を見ることは叶わなかった。

 後輩に導かれ、僕は鳥居のような門(?)を通り抜ける。

 門を過ぎると程なく田畑は途切れ、景色はこんもりとした森に変わった。

 深い森だ。

 目に入る樹木はどれも大きく、見渡す限り枝葉が濃く生い茂っている。道は後輩が進んでいくただ一本だけ。歩いても歩いても脇道どころか標識のひとつにも行き当たらない。それでもかろうじて道筋が分かるのは、進行方向にいくつもの赤い提灯が点々と掲げられているからだった。


 どうも奇妙だ。


 次第に、夜の木々の間からはざわざわと得体の知れない何かの気配が漂ってくる。

 おまけに、どこからか祭囃子のような音も聞こえてくるようだ。

 その軽い音色に身を任せていると、妙に気分が高揚してくる。森を進むにしたがって、ざわざわした気配はひとつまたひとつと数を増やしていき、やがて大勢となって僕を取り囲んでいた。

 後輩が僕の手を取って語りかける。


「どうですか先輩?」

「どうって……」

「ここは楽しいところなんです。私は先輩といられて、とっても楽しいですよ」

「楽しい……」


 僕の意識はぐるぐると乱れてきていた。

 後輩が僕の手を引っ張って笑う。


「先輩も楽しくなってきたんじゃないですか?」

「だからほら」

「先輩」

「ねえ先輩?」

「先輩、楽しい話をしましょうよ、ねっ?」


 後輩の声があちこちから聞こえる。

 一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人……もっといるだろうか。






「先輩はこの土地に必要とされているんです」

「だから先輩は何も難しく考えることはないんです」

「ただ求められるままに身を委ねていればそれでいいんです」

「ほら、だから」

「もっと」

「楽しい話を」

「だからほら」

「ねえ先輩」


「もっと――楽しい話をしましょう?」


 そうなのかもしれない。

 楽しい話。

 面白い話。

 僕に足りないのはそういうものだったのかもしれない。

 どんどん楽しくなってくる。

 どんどん愉快になってくる。

 たくさんの声に囲まれて、僕はゆるやかな幸福感に浸っていた。

 しかしそのとき、




「――まったく、仕方のないにいさまですね」




 その声は、後輩の声とも、他の大勢の気配とも違っていた。

 虚空から響くその声は、僕を叱責するような厳しい口調で続けた。


「――楽しい話? いいですね、私も楽しい話は好きです。でも」


 なんだろうか。

 楽しければそれでいいのではないか。


「――いまのにいさまに必要なのはです」

「怖い、話……」






 怖い話。恐ろしい話。

 外からやって来る恐怖。

 恐怖に対抗するための恐怖。

 妹と僕の二人だけの百物語。


「ねえ、にいさま」


 

 ――そうだ、妹だ。これは妹の声だ。

 僕は妹のために怖い話を集めていたのだ。


「そうです。怖い話ですよ、にいさま――ほら、だから」


 妹の声がはっきりしてくるのにつれて、さっきまで僕のまわりにいたざわざわとした気配は、蜘蛛の子を散らすようにサーッといなくなっていった。


「だから、にいさま――」


 ああ、そうか。

 そうだった。

 僕は――――……、




「――――








   

            ―― 虚妹怪談 第六夜 ――












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る