やっと思い出してくれましたね、にいさま⑧


「そうだ。。私が普段から小説を書いている人間だから、今回はたまたま小説という形で出力されただけだったんだ。

 でも、それはただ私の側から見た問題で、物語にとっては作品がどういう形になるかは重要じゃないんだ。現に、小説の形にしようとした途端に誰にも読めないものが出来上がってしまうんだからね」

「ま、待ってくださいよ。その理屈じゃまるで、先輩のほうが物語にとっての道具で、物語のほうが作者? ていうんですか、物語自体に自我があるみたいな言い方になるじゃないですか」


「自我――か。ふふっ、なるほど言い得て妙だね。さすが私の弟子」

「弟子ではありませんが……」

「でも、私の考えはちょっと違う」

「どう違うって言うんですか」

「それは……いまの私では上手く説明することが出来ないな」


 先輩はその言葉に反して笑いをこらえきれないといった様子で、くつくつとこぼれる笑い声を抑え、妙に嬉しそうに口元を手で覆っていた。

 そのさまが異様で、僕はじりっと一歩後ずさった。






「もう僕には何が何だか分かりませんよ……」

「私にもよく分からない。それで、ここからはあくまで私の実感の話なんだけど……実感というか感覚かな?

 そう、これはとても感覚的な話なんだ。この原稿を書いているときの、あの手の止まらない感覚。何者かに体を乗っ取られたかのような喩えがたい情動。あれは、実際にその状態になってみた者にしか分からないだろうね」

「じゃあ何ですか、先輩は何かに操られてこの原稿を書いたとでも言いたいんですか?」

「それも少し違うかな」

「なら、何なんですか」

「そうだね、ふふっ。どういうふうに言えばいいかな……ああ、そうだ。だっけ」


 先輩の語りはますます熱を帯びていく。


「そう、自我。きみはそう言ったね。でも、だけどね、この物語に特に固有の自我や意識が宿っているみたいなことではないんだ――これも感覚的な話になってしまうけど」

「つまり……自我があるのはまた別の何かだと?」

「うーん、それは、うん……何というのかな……」


 先輩はあごをさすり、ぶつぶつとつぶやきを漏らした。

 それは、適切な説明を探して、言葉の断片を口の中で転がしている――そういうふうに見えた。






「そう、うん。そうだな。きみの言う通り、自我を持つ者はおそらく別にいる。この物語の作者は別にいるんだ。姿は見えないがどこかにいるんだよ、物語を拡散させようとしている不可思議な〝何か〟が――」


 僕はもうこの場から立ち去りたいという気持ちが強くなっていた。

 しかしここで先輩を一人にしてしまったら、もう僕の知る先輩は帰ってこないのではないか――そういう予感に襲われ、どうにか話を続けた。


「な、なんか壮大な話になってきましたね……。ですけど、そんな神様みたいな存在が仮にいるとしても、それで出力されるのが、このテンプレラノベみたいな原稿っていうのは腑に落ちないと言うか……」

「だからそれは、私を通して出力されているからなんだって。私というフィルターを通してしまうと、こういうテンプレラノベの形になってしまうってだけのことなんだよ」

「それはそれで何か悲しいですが……」

「なんだよ、私をそんな憐れむような目で見るんじゃないよ。それともなんだい、きみは人を見下すのが好きなドエス趣味の人間なのかい?」


 直前の真剣な態度から一転して、先輩は急におどけた口ぶりで言った。


「……そういうところじゃないかと思うんですけどねぇ」


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