待っていましたよ、にいさま⑪


「怖い。恐ろしい。気味が悪い。落ち着かない。にいさまはいま、そういう気持ちなのですよね」

「そ、そりゃそうだろ。この状況で怖くないほうがおかしい。親戚に呼ばれて来てみれば、その親戚の誰も家にいないなんて」


 どうか冗談だと言ってほしかった。

 今日はたまたま僕のタイミングが悪かっただけで、ここでもう少し待っていればそのうち家の他の人々もみんな帰ってくる。そう思いたかった。

 だけど。

 眼前にいる少女の存在が、僕の希望を否定していた。


「大丈夫ですよにいさま。にいさまには私がいますから」





 少女がそっと僕の手を握る。

 祈るように。

 願うように。

 僕の手と少女の手が重なる。

 小さな手だ。

 冷たく白い肌。折れそうな細い指。着物の裾から伸びる華奢な手首――。

 どこまでも美しい人形みたいな少女だ。

 あたかも厳重にしまわれていたドールが、何かの間違いで偶然動き出してしまったような……。


 この手で直に触れてみて、僕はあらためて少女の美しさを実感する。

 赤い着物の少女。黒髪の少女。

 ひと気のない古い屋敷で、たった一人で僕を待っていたと言うこの少女は……。






「きみは――きみは誰なんだ。誰もいないこの屋敷に、どうしてきみは一人でいるんだ」


 僕は震える声で問いかけた。

 広い薄闇の中に、少女の白い肌だけが燐光のようにぼうっと浮かぶ。

 僕には、目の前の少女が、この世のものでない、恐ろしい怪物のように思えてならなかった。

 全身が恐怖に染まった僕を見据えて、少女はふふっと微笑した。


「私はにいさまの妹です」


 何度も聞いたフレーズを少女はまた繰り返した。

 まるで、そう答えることをあらかじめ決められているかのように……。


「だ、だからっ、僕に妹はいないと……っ」

「つれないですね、にいさま」


 少女はいじけた声を出した。

 僕の手に添えられていた彼女の指が、じりじり……と這うように腕を伝ってくる。





「これからこの家で暮らしていけば、にいさまも少しずつ知っていくことになると思います。ですから、いまは怖がることはありませんよ」

「知っていく? 何をだ?」

「焦らなくても大丈夫ですよ、にいさま」

「で、でも……」

「大丈夫ですよにいさま、いまは、まだ……」


 そう言われても、落ち着かない感覚は消えてくれない。

 僕の焦燥は増すばかりだった。

 そんなことを考えている間にも、さっきから僕の腕を伝っていた少女の指が腕から肩、さらには胸の辺りへとたどり着く。


 するすると僕の肌を這う少女の指。

 少女の顔が、僕の顔と接近する。

 少女の吐息が、僕の頬へと吹きかかる。

 少女の黒く輝く瞳が、僕の視線を絡め取る。

 少女の柔らかな手が。腕が。肩が。胸が。僕の身体と密着する。

 そして、いつのまにか。

 僕は少女と正面から間近に見つめ合う格好になっていた。


「うふふっ。にいさま、すごくドキドキしていますね。まだ怖いですか?」


 ぴっとりと僕に寄りかかった少女がくふっと笑う。


 ――くふっ。

 ――くふくふっ。


 それは口の中に空気を含んだような不自然な笑いだった。

 どくん。どくん。どくん。

 心臓の鼓動がいつもより速く大きくなるのが、自分でも分かる。






「怖い。怖いよ。はっきり言って、家に人がいないことよりも、僕はきみが一番怖い」

「あら、私がですか?」

「そうだよ。出来ることなら、いますぐにここから逃げ出したいくらいだ」

「それはつまり――にいさまは、この私でドキドキしているってことですよね?」

「……物は言いようだな」

「ふふっ。にいさまが私でドキドキしてる……! ふふふふ……っ!」


 何が嬉しいのか、少女はスリスリとその柔らかい頬を僕の胸にこすりつけてくる。

 ここだけ見ると、無邪気にじゃれてくる仔猫のようだ。

 だが正直、僕のほうはそれどころではない。

 恐怖に竦んだ僕の身体は、いまや少女一人振りほどく気力さえ失っていた。




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