待っていましたよ、にいさま⑧
「妹の私にとってにいさまの言葉は非常に大切なものです。にいさまの
「……そういうものなのか?」
「そういうものです」
よく分からない。
「それににいさま――問題は私とにいさまの関係だけではありませんよ。これからこの家のことはすべて、にいさまのご判断に委ねられることになるのですから」
「えっ? 委ねられるって、どういうことだ?」
「申し上げた通りの意味ですが?」
全然分からない。
その言い方だとまるでこの家のことを僕が全部決めてオーケーみたいに聞こえるんだが……?
「むしろにいさまを差し置いて、いったい他の誰がこの家のあれこれを指図できると言うのでしょうか?」
「そう言われても、たったいまこの家に来たばかりの僕に発言権なんてないに等しいだろ。家の事情だって一ミリも理解してないのに、指図も何もない」
「いえいえにいさま。そのようにご自分を卑下なさることはありませんよ」
「卑下っていうか……。これだけ立派な家なんだしさ。もっと偉い人がいくらでもいるだろ? こう言っちゃあれだけど、それこそ地元の有力者レベルの人がいてもおかしくないって言うか……」
「あら。でも、この家にはいま、にいさまと私しかいませんよ?」
「え……?」
彼女はいまなんて言った?
この家には――この屋敷には僕と少女の二人しかいない?
「あー……うん。それは要するに、たまたま家の人はいま全員出かけていて、きみは一人で留守番をしてるって……そういうことだよね?」
「いえ、違いますけど?」
「じゃ、じゃあ、この家はもともと別荘みたいなもので、普段はみんなこことは違う場所に住んでいるとか?」
「何の話ですか?」
「えっと、それじゃあ……」
「これまでもこれからもこの先もずうぅーっと……、この家にはにいさまと私の二人だけですよ?」
少女はあたかもそれが当然のことのように言う。
キョトンとして小首を傾げるさまは……正直に言ってめちゃくちゃかわいい。
少し斜めに傾げられた小さな顔も。
透き通るようなぬばたまの髪も。
頭のてっぺんから指の先に至るまで、精緻に技巧を凝らして完成された造り物のようだ。
こんな美少女がこの世に存在していいのかと本気で思う。
しかしいまはそんなことを言っている場合ではない。
「いや。いやいやいや。そんな馬鹿な。だって僕は父親の親戚の人から呼ばれてこの家に来たんだよ? 手紙だってある! この家にきみと僕しかいないんだったら、僕はいったい誰に呼ばれてここまで来たっていうんだ?」
「そんな些細なことはどうでもいいではないですか」
「どうでもいいわけないだろ!」
思わず声が荒っぽくなってしまった。
微妙にずれた受け答えを繰り返す少女に、僕は苛立ちを覚えていた。
「誰でもいいからこの家の大人と会わせてくれよ。住まわせてもらうからには、きちんと挨拶しておかないと」
「ですから、この家にはにいさまと私しかいないんですってば」
「ああっ、もういいっ! 自分で確かめる!」
僕は少女を押しのけて屋敷に上がり込んだ。
まっすぐに廊下を突き進む。板張りの廊下がギシギシと音を立てる。
勝手が分からない屋敷の中を、僕はただ闇雲に歩き回った。
広い屋敷だった。
長い廊下を進むと、いくつもの部屋が並んでいた。
並んでいる部屋の大半は和室だったが、中には洋間のドアもあった。
僕はそれらを順番に開けていった。
居間。客間。仏間。食堂。書斎。寝室。台所。風呂場。トイレ。納戸……。
そのどこにも人の姿はなかった。
どこを探しても、人っ子一人見つからなかった。
数十分後。
僕は屋敷中の部屋という部屋を探し回った末に、廊下の奥を抜けた先の、一番広い座敷で茫然としていた。
「本当に誰もいないのか……?」
僕は
座敷は薄暗く、ひんやりとしていた。
畳の上に膝を突くと、ふわっと、まだ冷たさの混じる春風が肌を撫でた。
外の空気の感触。
見ると、部屋の雨戸はすべて開け放たれていた。
縁側の向こうには、遠くに山々が連なっているのが見える。
霞がかった山野の中に、まばらに咲く桜がぽつぽつと淡い薄紅を散らしていた。
しかし、人の気配はしない。
それだけではない。これだけたくさんの部屋があるにもかかわらず、この屋敷にはおよそ人が生活している痕跡――生活感とかそういうものが少しも感じられなかった。
何がどうなっているのか。
この家の人々はどこへ消えてしまったのか。
考えても答えは出なかった。
孤独。
僕は自分の境遇を反芻した。
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