“正しい”証明の行方

 夏休みが明けた。それからよく日比と嶽野と昼食をとるようになっていた。時々それに花巻が加わる。苦手意識は変わらないものの日比と話している会話を聞きながら、割といい奴だったりして。とも思ったことがある。

 昔は、誰かと話していたら勉強する暇がないと焦っていたが、日比や嶽野が勉強教えて!!と言ってくるので、より教えられるよう、勉強できるようになった。モチベーションも上がった。つい昨年の中学校生活の記憶は薄ぼけているが。この調子だと今年の記憶はしっかり残りそうだ。

 「嶽野は?」

「部活のミーティングあるから教室で早く食って、ダッシュで英語教室いくんだってさ。」

「大変だな。」

「今日は後片付けの当番決めがあるから全力でジャンケン勝ちに行くって言ってたぜ。」

「弱いのに大丈夫か?」

「ダメだろ。」

また、負けたと言ってしょんぼり返ってくる嶽野が目に浮かぶ。いつものベンチに到着すると、二人揃って腰かけた。

「まだ、後ろに歩くんだな。自信がないのか?」

「まあな。」

「理想高すぎだって。俺なら成績いいだけで自信満々だぜ?できるからそうなるんだよ。『俺は何もできない。にしてはこれできるってすごくない?』って思えばいい。」

「俺はネガティブの塊だからな。」

「前向けよ〜。」

前ならえ!!と言って前に手を突き出す。

「落ち着け。」

「誰だよ話降ったのは。」

「お前だな。」

「うわ、まじか。」

悔し紛れに土倉の背をバシバシ叩く。

「土倉、俺ら似てるな!」

「どこが。俺は仮面主義者、お前は本音主義者だから、正反対だ。」

「そういうところだよ。みんなそういうところー。つまり、仮面と本音の使い分けをうまくやってるんだよ。それなのに俺らはそれができないから悩んでるんだよ。」

「つまり言いたいのは、どっちもありってことか?」

「そゆこと。」

親指と人差し指を立てて俺に向けてくる。

「だから、俺たちはどっちも負け!」

使い分けが極端すぎるのかもしれない。それを無意識に感じて、苦しんで馬鹿みたいに悩んで。どちらも、本当の自分を、周りの人々と繋がるために。

「俺たちはどこが似ている。お前の話を聞いてそう思ったんだ。」

日比が弁当袋から弁当を取り出しながら、いう。最初の河岸の日常の失敗した切れ端。それが、こんな結末に導くなんて。

「無意味に見えるけど、有意義だった。」

「??つまり?」

「俺は、日比に会えて嬉しかった。」

未だに一生は日比の中身、仮面すらみえてないかもしれない。でも、言葉にできないけれど、日常を共に過ごすうちに、何かを感じ取っている気がする。日比はよくどういう仕草をするのか、どの表情をする時は何を感じているのか、その一つ一つが積み重なって、それらが全部日比に会えたと思う。なんか、照れるな。再び背を叩く日々の手が痛い。

 今日も風が強く吹いている。けれど、一生は今は一人ではない。「友達」の定義がなくとも、友達の「」が抜けたことに気づいたのだ。

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「友達」の定義 捩花 @hana1013

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