図書委員

あっつい。うんざりしながら、心の中でうめく一生の横で、同じく暑さに耐えかけて、日比も必死にうちわを仰いでいる。そのうちわは、先程、道端でもらったものだ。色とりどりにアピールする広告たちも、この暑さでは何も頭に入ってこない。持ち歩いていた小型ファンも、ついに暑い空気を送ってくるのみになったので、二人とも諦めて、先ほどからうちわに頼っているのだ。いつもなら、気まずく感じる沈黙も、何も感じない。最後の力を振り絞り、校舎に駆け込むと、お互い息をついた。やはり蒸し暑いものの、押しつぶしてくるようなあの日差しの有無ではかなり、体感温度も変わってくる。

「靴脱がないで教室にダッシュしたい!!」

「叫ぶな。」うるさい。近所迷惑も大概にしろ。と心のうちで付け加える。

「もしかしてだけどさ、隠してるとか置いといて、それがお前の本性とか?」

「委員、あと2分だから。」

「え〜ズルくね?その返答。」

と言っている本人も、もうすぐ夏期講習が始まるはずだ。こちらは図書室の司書さんに謝れば済むが、夏期講習に遅れるとなると、先生に怒られるだけでなく、クラスメイトにまで恥を晒すことになる。むしろ靴は脱いで教室にダッシュしてもらいたいくらいだ。…まあ、あいつにとってはどれも大したことじゃないのか。

「帰りに一緒に帰ろーなー」という日比の叫びを背後に、図書室へと歩く。窓の外に目を向けると、あの暑い中、野球部が校庭のトラックの周りを走っていた。自習をしに来たか、部活かで数人のグループと行き違う。一生がまるで見えていないかのように騒ぎながら廊下を歩いて行った。同時に、手持ち無沙汰だ。と言わんばかりの先生が歩いてきた。浅く会釈し、喉の奥で、こんにちは。とつぶやく。先生はそんな様子の一生に一切気づくことなく通りすがった。

(――誇り高くあれ。)

ボソリと意地をはって心中でつぶやいた言葉は安っぽかった。


 図書室のカウンターに到着すると、やはり、一生と同じ当番の図書委員が先に椅子に座っていた。時計を見れば、当番のスタート時間より1分ほど遅れている。おそらく相手はスタート時間より早めに図書室に到着していたのだろう。日比がいなかったら、一生もそうしていたはずなのだが。

「遅れてごめん。」

「ん、大丈夫だよ。こんなの遅れに入んないっしょ。」

「ありがとう。」

顔をあげずに答える嶽野の隣に座る。嶽野の言葉に甘えて、汗で濡れたシャツや、額が冷房の冷気でどんどん冷やされていく至福を満喫する。暑さにやられた体をもふもふの椅子が受け止めている。「嶽野」は確か、同じクラスにいたはずだ。ちなみに、今日の当番のプレートに目を走らせてようやく名前がわかった。カウンター横の返却された本を入れるカートの中は空だ。どうやら、嶽野が終わらせてくれたらしい。何も言わずに自宅から持参したらしい漫画をめくる嶽野の横で、大人しくバックから、夏休みの宿題の冊子を取り出す。

「あ。」

嶽野はふと顔をかあげて漫画の世界から帰ってきました、という表情で呆けていた。椅子をくるりくるりと回しながら、「あ」の字に小さく開けた口を動かす。

「お前、土倉って言ったっけ。」

「…うん。」

「最近日比と仲良くしてるよな。何話してんの?」

「別に…あっちから話しかけてくるだけだ。」

「ふうん。まあ、どうでもいいけど。普段何の曲聞いてる?」

「J POP」

「俺も!仲間だな。で、お気に入りとかある?」

曲名を答えると、嶽野の顔がギュむと顰められた。わからないらしい。まあ、一生が適当に選んで気に入っているだけなので、知名度は低い。

「じゃあさ…。」

次々と投げかけられる質問に答えていると、流石にカウンターに貸し出す本を片手に生徒が歩いてきた。クラス、学年、名前を聞き、ファイルを取り出して生徒のバーコードを探し出す。また、本のバーコードも読み込む。ピッという高い音を確認し、パソコンに表示されたデータを保存する。貸出期限を告げると、貸出用の袋に入れて、渡した。

「手つきが様になってるねぇ。」

「中学三年間ずっと図書委員だったから。」

「へぇ。そりゃ、手早いわけだ。」

図書室の扉が開く音。と同時に図書室には似つかわしくない大声が聞こえてきた。

「日比だな。」

「らしい。」

「話したいと思ってたんだ。よかった、話せて。また今度勉強法教えてくれ。」

「わかった。」

嶽野は、再び漫画の世界に入っていく。時計を見るとそろそろ当番も終わりだ。次の図書委員がくるはずなのだが‥。結局一問も解けずにいた宿題を閉じ、カバンに入れる。もう、あと一、二分の間でも解こうとする気力は失われていた。

「…先上がる。なんかごめん。」

「俺も、友達待ってるから。そろそろ次の当番くるっしょ。お疲れー。」

「お疲れ。」

甘い言葉を腹に力を込めていうと、バックを肩にかけた。図書室扉付近に歩いていくと、日比は迷子のような顔をして、首を伸ばしてキョロキョロしていた。一生に気づき、パッと満面の笑みを浮かべた。

「土倉!かえろーぜー」

「お前はいいから静かにしろ。」

「わかった。わかった。仰せのままに。」

わかった、とか言っておきながら、声量はそのままだ。図書室の扉を開ける。「夏期講習さー、意味わからんのに、アイツ当てたんだ。」とぶつぶつと文句を言っているのを聞きながら、バッグの中を指で探り、水筒を取り出す。笑顔の切れ端がまだ顔に張り付いている。中途半端に歪んだ顔をほぐすと、どっと疲れが押し寄せてきた。嶽野、ごめん。心のうちで、ため息と共につぶやいた言葉は、誰にも聞かれずに、暗闇に落ちた。

「どした?」

「いや…なんでもない。」

「そうか?連れないな。」

喉の奥の塊を水で押し流そうとした。



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