遠出

期末最終日。やっと終わった期末テスト期間にほっと息をつきついた。やっとこれで、夜遅くまで、又は徹夜を続けることはなくなる。今日はぐっっすり寝ることができる。それを思うと、わくわくしてくる。今日は特にすることもないし、どうせなら家帰って昼寝するか…。そんなことを考えると、もうすでに眠気が襲ってきた。終礼に担任が来るまで、と机に突っ伏す。

 「今日空いてる?」

何者かが一生の机をバシバシと叩いてきた。何者か、というのは大体想像がつく。逃げるのは面倒だ。無視して寝たい。しかし、これでは寝ることができない。

「やめろ…日比。」

「せっかく、期末が終わったんだぜ?どっかに行こう。」

さらに、興奮したように机を叩く音量が大きくなる。人の話を聞けよ。俺は寝たいんだよ…。

「他の人と勝手に行けば?」

「そういや、名前呼んでくれたの初めてじゃね?超嬉しい。」

どうでもいい。というのは大嘘だ。それだけで喜んでくれるのはこっちも「超嬉しい」。いつのまにか吹き飛んでしまった眠気に、仕方なく、一生は机上から体を起こした。

「俺となんかといても、つまんねーよ。」

「それより、どこ行く?そうだ、映画館に寄って行こう。ちょうど、公開してる映画…。」

スマホを取り出して調べ始める。どうしようも無いと悟った一生は、映画館で寝るか。と心の中でつぶやいた。


 公開していたのは、ホラー映画だった。大の苦手で「それじゃあ、俺は帰ってるから。」と一生なりに猛反対すると、わかったよ〜。とあっさりと他の映画を探し始めた。終礼後、掃除当番だった一生は、バッグをロッカーの上に置き、掃除ロッカーからモップを取り出した。途端に箒や雑巾を持ちながら、話し始める同じ掃除当番のグループを横目に黙々とモップを床に押し付ける。掃除は好きだ。頑張れば頑張った分だけ、綺麗になるのが、達成感を感じることができる。何より、何も考えずに、ひたすらにゴミを集める行為が、一生にとっては心地よかった。

「そろそろ終わりにしよう、もうこれでいいよね?」

床を見つめていた一生の耳に入ってきた言葉に、床のゴミから目を離せずに、かがめていた体を元に戻した。適当にゴミを端に寄せる。顔を上げると、すでに皆は机の上に上げていた椅子を元に戻す作業に移っていた。

「土倉くん、最後までありがとう」

「大したことないじゃない」

モップを教室の壁に立てかけた。


 掃除をし終え、廊下に出ると、日比が手を上げた。頷くと、ロッカーからバッグを取り、ま回れ右、しかけた足を慌てて、日比の方へ向ける。歩み寄ってくる日比の隣に着く、そして後方についた。

「〇〇駅の映画館で大丈夫そ?」

「うん。」

「なんで後ろ歩くん?」

「別に。」

誰かと横に並んで歩くのは苦手だ。そちらの方が落ち着くし、相手と目を合わさなくて済むのも、安心する。誰かについて行く形が「間違っていない」ことを示している。あくまでも、自分が、だ。

「…そういえば、最近、日比はハブられてるのか?」

「ん、、なんで?」

「俺といるなんて、よっぽどだから。」

「特に仲違いはしてないけど。」

“けど”のフレーズに引っかかったが、深掘りするのも面倒なことが起きそうで、一生は口をつぐんだ。

「…その質問を答える代わりに、俺からの質問を答えてくれないか。」

「なんの話。」

一応先程の質問の答えは、受け取った。この取引は矛盾している。けれど、日比が何かを隠しているのか、嘘をついているのだとしたら、話は別だ。随分と話していた、日比の声が止まった。後方に歩いている一生には日比の表情は全く見えない。不安だからといっ

て、日比の顔を覗き見る勇気も一生は持っていなかった。しみじみ、他人と付き合うのは怖いことだと思った。


 最寄りの隣駅にある映画館に到着すると、ずっと無言だった日比は、「俺が奢ってやる!」と張り切って飛んでいった。あまりの急変ぶりに呆気に取られつつも、端の方で、日比が帰ってくるのを待つことにした。一歩足を踏み出し、固まってから、また一歩後退した。全て日比に任せるのも、迷惑な話だが、考えてみれば、無理に誘ってきたのはあいつだ。それに、一回も誰かと映画館に来たことがない一生が、手出しして、足を引っ張ってしまうのも迷惑になってしまう。

「土倉!全然空いてたぜ!平日だからな。」

「よかったな。何見ることにしたんだ?」

「勿論」

差し出してきたのは、見覚えのあるデザインのチケット2枚分。真っ黒に塗りつぶされた背景に、薄ぼんやりと、中央に何者かの影がある。至る所に飛び散った血が描かれている。

「おまっ」

と言ったきり、絶句した一生に、楽しみだな!と日比が言う。日比からチケットを受け取った一生の手は汗で湿っていた。


 あのまま、緊張しっぱなしで日比と共にポップコーンとジュースを買い、上映室へ向かう。

「怖がりだなー。」

「俺は、絶対に見ないって言ったよな!?」

「まあ、まあ、新しいものに挑戦するのは大切だ。」

「そんなものは必要ない!」

「先生にもそういえよな。」

一生の話を全く聞こうとせず、ズンズンと指定席へ向かう日比に、慌てて追う。一人にされるのは困る。見ないとか言っておきながら、お金がもったいないと思った一生も一生だ。いつもなら、「そのチケット、他のクラスの人にあげれば。」と冷静に言うはずだが、何しろ今の一生は動揺していた。


 映画を見終えた、二人は沈黙して上映室を出た。「またのお越しをお待ちしております。」の声に、小さく頭を下げただけだ。映画館をで、外の眩しさに目を細めた。映画館で、なんとなくもらってきた、真っ白のパンフレットがもはや光って見える。車が走り去る音や、横を通り過ぎる自転車、通りすがりに聞こえてくる店内の音楽や冷房の冷気に次第に、普段の調子を取り戻してきた時、日比が爆笑し始めた。

「どうしたんだ。」

「お前、怖がりすぎだよ!最初、ポップコーン凝視して食べようとしなかったじゃんか。そのうち映画館なのに、必死に目を閉じて、耳塞いじゃったし。」

「っそれは。」

恥ずかしさで耳いや、体全体が熱くなる。先ほどまで感じていた、高揚感と楽しさは消え、それと同時に、どろどろとした後悔が湧き出てきた。自分が、怖いものが苦手だからと言って、失敗した…。あまりにも不用意だった。あんなに、注意人物だとして避けてきたのに、何故。なぜ、自分はこんな失態を。

(だめだ…。これで、また、バカにされる。)

日比はきっと、他のクラスメイトに話すのだろう。あの時の失望にも似た、恐怖が突き上げてくる。

「挙句には、俺の腕ずっと離さないし。」

いつの間にか、一生は口びるを強く噛み締めていた。

「土倉って可愛いとこ、あるんだな。」

「…。」

「土倉って、つまんないどころか、すげぇ面白いよ。今度、また、どっかに行こうな。」

「…!うん。」

ほっとして、頷くと、日比が驚いたように、嬉しそうにつぶやいた。

「拒否られると思ってた。」

喋りまくる日比に相槌をうち、所々に訪れる長い沈黙に耐えていると、間も無く学校に到着した。帰路が反対のため、初めから、学校で別れようと決めていたのだ。すでに当たりは夕焼け色に染まっている。

「さっきの答え、お前に言うよ。」

「…何が。」

いつも、ヘラヘラしている日比が一ミリも笑顔も見せず、もはや強ばった顔を一生に向けた。

「疲れたんだ。グループでいるのが疲れた。言ったろ、俺は本当の俺を隠してる。…だから、お前といると安心したんだ。」

本当のことを言うのは怖いことだ。と日比は、強ばった笑みを浮かべようとした。

「誰でも、本当の自分を取り戻したいものだろ。」

「そんなのどうでもいい。」

「!」

「そう努力して辛いくらいなら、仮面をつけてお互いに安全の方がいい。」

ちょっとした苛立ちに、思わず漏れた本音。ぞっとした。こんなことを言ったら、平和な交友関係が崩れ去ってしまう。何よりも、相手を傷つけてしまったら俺にはどうしようもできないのだから。心から驚いたような顔をする日比。その後、自分の主張が否定されたのにも関わらず、日比は、笑顔を浮かべた。夕日に照らされて、一生に十分なほど強烈な印象を残して。

「試してみよう。俺とお前、本当はどっちが“正しい”ことを言っているのか。」


 俺は知っている。一生は家路についていた。今日が魔法のような1日で、例え、どんなに日比と仲良く話せたとしても、明日になって仕舞えば振り出しに戻ってしまう。今まで何度もその経験を重ねてきた。ゆるく握った握り拳には、映画館にいた時と違った意味で、汗をかいていた。

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