おととい、君の横顔は

日出詩歌

おととい、君の横顔は

 今日、鎌田が死んだらしい。

 とりわけ仲が良い訳でも無かった彼が亡くなった。その噂は風のようにふわりと澪の耳にも入ってきた。

 なんでも、高校の門が開く前から外で待っていて、皆が来る前に教室の窓から飛び降りたのだとか。 

『このどうでもいい地獄が自分の死に場所だ』

 きっとそういう事なんだろう。

「ただの憶測に過ぎないけどね」

 人がまばらになった朝の教室で、澪はぽつりと呟く。

 先程3年生の担当教諭が焦り気味にやって来て、登校したばかりの学生達に早く帰るよう促した。

 その事が、数多の噂が廊下に流れども鎌田が死んだ事だけは確実だと物語っている。

 午前9時。本来なら1時間目が始まっている時間。

 けれど教室にはもう、誰もいない。


 その日の夜、澪が自宅のリビングでニュースを観ていると、テレビに自分の学校が映った。

 今朝の話なのにもうニュースにしているなんて、マスコミというものは全く耳聡い。

 やがて画面が切り替わり、手元だけ映された少女が加工音声で話しだす。彼女の話し方には加工音声ながらも何となく馴染みがある気がした。

『おとなしい子でした。いつも練習を頑張っていて』

 そこに背後から澪の母が声を掛ける。

「亡くなった男の子、あんたと同じ吹奏楽部だったんでしょう?」

「うん」

「どんな子だったの?」

「わかんない」

 それしか答えようが無かった。

 無口で、俯いたまま言われた事を淡々とこなし、誰とも関わらず音楽室の隅で1人じっとしている。

 ただ、音楽自体は好きだったのだろうと思う。だって音楽室で死ななかったのだから。

 その割には彼のトランペットはあまり上手とは言えなかった。

 だから朝練が始まる前、誰よりも彼が1番最初に来ていた。正確に言うなら彼だけでは無い。3年生のパートリーダーも一緒だ。その事は音楽室から漏れる怒号で分かる。そうしてピリピリしたパートリーダーは、毎朝不機嫌に部活全体の朝練を始めるのだ。

 彼らの様子を、澪は遠くから眺めていた。

 川の対岸の様な触れてはいけない壁を感じながら。

 テレビのインタビューは淡々と続く。

『最近変わった様子はありませんでした。いつもと同じで』

 最近、か。澪はふうと息を吐く。そんなに様子が分かるほど、自分達は鎌田と接していただろうか。昨日だって、鎌田はほとんど口を利かず誰とも話さなかった。澪達も澪達で、誰も彼に興味を示さなかった。

 それがいつもだったから。

 それなのに死ぬ直前になって予兆なんて、どうして気づくことができよう。

 予兆は昨日よりもっと前から、いつもの中にあったのに。

 おととい部活が終わった時、部室を出て行く彼の横顔が一瞬ふっと暗くなったのをどうしてか澪は覚えている。

 けれどその時澪は思った。

 ああ、いつもと同じなんだろうな。

 鎌田が死ぬ事を頭の中に入れている、そんな事も知らずに。

 その時、澪の携帯に部活メンバー宛てのメールが来た。

『部屋を借りたので明後日から練習を再開します。参加する人は回答してください。悲しい事もあるけど、コンクール頑張ろう!』

 部活のパートリーダーからだった。

 この人は早く日常に帰りたがってるのだろうか。

 このままうじうじ停滞しているよりも、悲しみを乗り越えて練習を重ねた方が美徳なのかもしれない。

 そうしたらコンクールの時に、この曲を彼に捧げますとか言っちゃうんだろうな、と澪は携帯の画面に冷たい目を向けた。

 3ヶ月後のコンクール。その頃になれば私の知らない人達は皆、彼が死んだ事なんて忘れるだろうか。

 人生は回っていく。例え君が居ても居なくても。

世間が騒いでる時だってトランペットは吹くし、ほとぼりが覚めたら学校いつもに戻る。

 でも君の悲鳴に気付かなかった事を、自分は関係ないと言って見ないふりなんて出来ない。

『すみません、体調が悪いので今回は参加できません』

 きっと先輩はいつも通りカンカンになって怒って、連帯責任だの、練習が足りないだの言うのだろう。そうなったら平謝りのポーズでもしてやろうか。

 そんな事を思いつつ、澪は返信のボタンを押した。

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