復仇(五)

 その瞬間、橘三郎様のが、私を捕えました。そして、一歩も引かぬ私の気概に、僅かに微笑まれたのです。

 次の瞬間、刀を落とし首を押さえ、膝から崩れ落ちました。私は正気に返り刀を捨て、橘三郎様を抱き起こします。噴き出す血が、私の死装束を見る間に染めていきました。名を呼び揺すると、橘三郎様は僅かに目を開け、申されました。

──これで、よし。

 そして、事切れたのです。

 御庭は、水を打ったように静まり返っております。私は橘三郎様の名を叫び続け、亡骸にしがみついておりました。


 こうして、私は親の仇を討ち果たしました。

 しかし、勝ってはならぬ勝負に、勝ってしまったのです。

 後に、あれは両家を救う苦肉の策だったと知りました。喧嘩両成敗──東照神君以来の御定を曲げることはできません。しかも衆道絡みの人情沙汰とあっては、厳正に対処せねば殿様のお名を汚すことに、引いては要らない疑いを江戸表より引き込むことにもなりましょう。

 仇討の場で討手である私が討たれていれば、すべてが丸く納まり、両家の名目も立つはずだったのです。

 すぐさま、私は江戸詰を命じられました。

 反対に、伊藤家には厳しいご沙汰が下りました。ご当主は要職を解かれ隠居。お家は減封の上、養嗣子を縁戚から迎えることになりました。そうしてご存知のように、寡婦となった六郎殿の姉上は、早々に里へ返されたのです。


 私はというと、逃げるように国許を出立し、江戸表へと向かいました。しかし、藩邸での状況も変わりません。朋輩の皆様はよそよそしく、日々、針の筵に座る心地でした。

 伊藤家は、代々藩政の屋台骨を支えてきた忠義の臣でございました。それを衆道絡みの喧嘩沙汰で、追いやったのです。元凶であった私は、不忠の臣として、皆様から憎まれておりました。伺候しても座るばかり。役務を離れて歓談する相手もおりません。致し方ないことと耐え、一年、二年と経つうちに、私はやがて悪処に出入りするようになりました。酒に溺れ、借金を作り、半ば自暴自棄に身を持ち崩していきました。


 そののちの仕儀は、六郎殿もご存知でございましょう。お聞きになりたいか。はい。勿論構いませんとも。


 やがて、酒に溺れる私の心中に、二つのものが居座るようになりました。

 一つは、橘三郎様の断末の様でございます。この手が喉元を突き、噴き出した血潮を全身に浴びた様でございます。そしていま一つは、橘三郎様が春様へ向けた、あの。今思い返しても、後悔と羨望とで、心中穏やかではおられません。あのほんの数瞬交わされたお二人の眼差しに、私は酒精で朦朧となった頭を何処ぞに打ち付けたくなるような、激しい妬心を募らせ、燻らせていったのです。愚かとしか申せません。

 そうして、江戸で五度目を迎えた、あれは夏のことでございました。





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