2
ニーナと手を繋ぎ、血に濡れたエレベーターホールを抜ける。先ほどの惨状よりは幾分かましだが、白い廊下には時折風化した死体やロボットの残骸が転がっていて、あまり気分のいいものではない。
そうして、どの階層とも違う異様な空気の中で、一つのドアを見つけた。プレートのような物がついている。エイト曰く『執務室』らしい。扉に手を添えてみると開いたので、中に入る。外の惨状とは異なっていて、足元には毛並みのよい絨毯が敷き詰められていて、奥には執務机が設置してある。その手前に応接用のソファが置いてあった。壁にはエンブレムのようなものがおいてあり、それがタカマガハラを表すものだと見て取れる。ロボットアニメの司令官とかが居そうな部屋という印象である。
『休憩するには丁度いいスペースですね』
「うん」
緊張からか安堵の声が漏れ、思わずソファに座り込んだ。溜まっていた埃が舞うが、今までの状況よりかずっとずっとマシだと感じる。ぼすんと勢いよく隣に座り込んだニーナの丸い頭を撫でて、ため息を吐く。やはり、というか……あの異様な状況に飲み込まれていたのだろう。
だが、考えれば考えるほど、この身体の記憶と自分の記憶が分からなくなる。何故、身体の持ち主の記憶……自己や性格が消えて、あの惨劇だけが繰り返し見えるのか。何故俺の記憶が抜けているのか。
「エイト」
『何でしょうか』
「例えばだけどさ、機械って今の記憶を全部削除して、別の人格を入れた場合どうなるの?」
なんとなく、気になって投げかけた質問だが、エイトは律儀に答えてくれた。
『基本的に、新しい人格データが優先されます。削除した記憶に関しては、バックアップがあれば復元可能ですが、それすら無ければ修復は難しいでしょう』
「そうか……」
普通に考えれば古いデータよりも、新しいデータの方が優先されるだろう。アプリのバージョンアップと同じ仕組みになる。そこまで考えたところで、エイトがこちらに近づいてきた。
『一花』
「なによ」
『一花に何が起きたのか、当個体は知りません。一花の心情をくみ取ることも、この機械の身体では無理だと判断しています
ですが、発言しなければ相互理解を得る事はできません』
「そ、れは…………」
先ほどの状況についてだろう、思わず言葉が詰まる。
それに、言わなければわからないなんて、エイトの言う通りだからだ。
あの場で俺の中で起きた事は、俺以外知らない。何度か口を開いては閉じてを繰り返す。俺が今どんな顔をしているのか分からない。恐らく自分が思っている以上に酷い顔をしているのだろう。瞼を閉じて詰まったような息を吐くと、隣にいるニーナが俺の手を握った。
「あのさ……」
だから、俺は語り始める。
信じてもらえないかもしれない、なんて諦観を無理やり抑え込み、怖いという感情を飲み込んで二人を見た。
「知らないものが見えたんだ」
フラッシュバックとかではない、過去に自分が経験したような感覚。眠っているときにも見えたそれは、一体なんなのかわからない。この身体に残る残響とも呼べる地獄は、俺を着実に蝕んでいる。そう伝えて困ったように笑えば、ニーナが俺に飛びついてきた。
「ニーナ?」
「……うー……」
駄々っ子よろしく引っ付いたままの彼女に声をかけるが、唸り声をあげるだけ。心配してくれているのだろう。と、彼女の細い身体をそっと抱きしめると、首筋に顔を埋められた。そのままにしていると、平坦な男性の声が聞こえる。
『知らないものが見えた……ですか』
「だいたいやべえ惨劇ばっかりだけどな」
そう伝えると、エイトは少し考えるように数回カメラ部分を点滅させる。
『一花……』
「どしたの」
『ポッドでの他の意識との【混ざりあい】の可能性がある……と当個体は考えておりました』
エイトの含みのある物言いに、思わず身体がこわばる。奴は初めに長期間の休眠による記憶の抜け落ちがあると言っていた。だからどこかしらで誰かの意識と混じってしまった。と、その線で疑ったのだろう。
正確には『疑っていた』だが……。
『通常、なんらかの要因で他者と意識が混ざりあった場合は、その者の意識が表層に現れる場合があります。防衛本能として、意図せずに混ざった他者という解離性同一症――多重人格者を作るようなものです』
ですが、とエイトは続ける。
『一花にはそれがない。先ほど説明いただいた内容を鑑みても、貴方の意識を守るために、その光景を見たという他者が現れてもおかしくないのです』
エイトは俺がその状況に陥らなかったのに対し、疑問を抱いたのだろう。確かにあんな内容を見たのなら発狂して、別の人格になってもおかしくはない。
『そのため、仮説を立てました』
「仮説……」
その言葉を最後にしん、と静寂が訪れる。言うのを躊躇っているように、エイトは暫く浮遊を繰り返してから、何処か苦しそうに告げる。
『一花、貴方の身体は……貴方自身のものですか?』
判決を告げる裁判官のように、十三階段から突き落とす処刑人のように、エイトはその言葉を紡いだ。この球体に仮に表情があったのなら、きっと困った顔をしていたのだろう。そんな現実逃避にも似た考えに苦笑して、大きく息を吐く。自然と身体に力が入り、ニーナがそっと俺の頭を撫でた。
「…………たぶん、違うと思う」
ニーナの抱きしめる力が強くなる。
『たぶん、ですか』
「うん……」
物理的になのか、心情的になのか少しだけ苦しいと思ってしまう。ニーナの背中を軽くたたけば、潤んだ金色の瞳と目があう。そのまま頭を撫でれば小さい悲鳴が上がった。それが少しだけ面白くて、彼女の頭を撫でつつ口を開いた。
「俺、うっすらとした記憶しかないんだけどさ、起きる前は風呂に入ってた気がするんだ」
『風呂? ですか?』
思わぬ言葉にエイトが聞いたことない声で聞き返してきた。
「そう……んで、俺の記憶というか、知識の中では世界はもっと平和で、オニなんて居なくて、働いて家に帰ってきて好きな動画とか見て、寝るみたいな生活だったんだ」
それこそ他人の死なんて、画面の向こうでしか感じないような世界だ。ニーナのような子供が戦うなんて、それこそ物語か何処か遠い話のように感じるような……。
俺が自分の知っている事を訥々と語ると、エイトから機械音が流れる。
「エイト?」
『……いえ、まるで旧世界のようだと』
「大戦っていうのがある前の?」
『ええ、一花の話を聞くに、もっと前の時代のようですが……戦争のために作られた生命体がいない世界だったのですね』
エイトの話に「そうかもしれない」と返す。奴の言う通り、誰もが不幸になるような世界ではなかったはずだ。
「こういうのってさ、俺の世界じゃ『異世界転生』って言って、ネットにそういった類の小説がたくさんあるんだ」
『異世界転生ですか……確かに、過去と今では世界そのものが異なっているでしょう
一花の世界から、こちらに来たのであれば概ね納得できるかもしれません』
「うん」
相槌を打ってから、再び沈黙が訪れる。
どれくらい経ったのかわからない。一瞬かもしれないし、数分かもしれない。何処か重たい空気の中で、口を開いたのはエイトのほうだった。
『一花』
「なあに?」
『貴方の言う通り、一花という個体は【異世界転生】したのかもしれません……ですが……』
エイトの言葉が詰まる。奴が言いたい事は何となく理解していた。
「わかっている」
『本当の真実を知って、貴方は現実を受け止められなくなるかもしれません』
「わかっているよ……」
だから、気を使ってばかりの優しい球体のボディを撫でる。
「でもさ、俺は真実を知りたいんだ。自分が何者なのか、何故ここにいるのか」
だから前に進むことは止めない。
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