3-上層部-

1

「これは……」

『酷いですね』

 ニーナに見せないように彼女の頭を撫でて、エレベーターから降りる。時間が経っているため血は乾いているし、死体も白骨化しているのだが、それでも酷い有様だ。

「下はここまで酷くなかったのに、一体何があったんだ」

『不明……ですが、この状況は一花の言う通り異常です』

「んな事はわかってる……」

 見渡す限りの血、血、血……。天井にまでべったりとへばりつき、白かったであろう地面をとことんまで赤黒く汚している。あまりの状況に足がすくむが、進まねばならないとその惨状に一歩踏み込んだ時だ――

「ぐあっ!?」

『一花?』

「いち!」

 頭が割れるような痛みが唐突に走った。思わずふらつきそうになるが、ニーナを抱きかかえているので、落とすものかとどうにか踏ん張って耐える。近くにいるはずの二人の声がやけに遠く、やかましいくらいの耳鳴りがわんわんと響いた。涙が勝手に溢れ、はあはあと息が上がる。鈍い痛みの中で顔を上げると、あり得ない光景が広がっていた。


 突如として暴走したロボットと、なす術なく殺されていく人間。

 人を殺したロボットも、また別のロボットが押しつぶし、破壊していく。

 生きているものがいれば、動くものがあれば、その場で壊し、潰し、殺して――

 そこにはどろりとした血の海が広がった。

「あ……?」

 やがて耳鳴りが怨嗟の声になり、誰かに助けを求める声になり、緊急事態を告げるアラートになる。感じないはずの熱量が俺に襲い掛かり、身体を焼くような幻影が、絶望という二文字が、痛覚を支配する。脂汗が滲み、息ができなくなり視界が徐々に狭まって


「いちっ!」


 ――ぱんっ!!


「いでっ!」

 いい音と共に、本物の痛みが俺に襲い掛かり視界がぶれた。脳が揺れる感覚がして、今度こそ膝をつく。俺を殴ったであろう張本人は、俺の崩れたバランスなど関係ないとばかりに華麗に着地して、こちらをのぞき込んできた。

「いち、だいじょう、ぶ、です?」

 鈴を転がすような声。けれど、心配しているのか少し戸惑ったような声色で、大丈夫だと頭を振って片手を上げる。

『バイタルが急激に低下しています』

「あー……うん……」

 未だに耳鳴りはしているし頭も痛いが、先ほどの状態よりも幾分かマシだ。ふう、と一つ息をついて立ち上がる。

 恐らくあれは、この『身体』が覚えている事だ。幻影なんかではない、本当に起きた事を見たから理解できた鮮明な惨状。せり上がってくる気持ち悪さに吐き気がするが、リュックサックから取り出した飲料水で無理やり押し込んだ。

『一花、先ほどの戦闘でのダメージがある可能性を考慮し、場所を移動し休憩することを推奨します』

「ん……いや、大丈夫だ」

『ですが……』

「大丈夫だって、とにかく進むぞ」

 少し考えてから、エイトの提案に断りをいれる。

 確かに疲労はあるけど、それよりも確かめたい事がある。エイトの咎める声が後ろで聞こえるが、何よりも俺の中で焦燥感のようなものがぐるぐると渦巻いているのだ。


「いち」

「ん?」

 ふらふらと覚束ない足取りで歩き始めようとすれば、ニーナから声をかけられる。一体どうしたのだろうと屈みこめば、彼女の両手が左右に大きく開かれた。嫌な予感がする、と思った時にはもう遅かった。


 ――ばちーんっ!!


「いっでええええっ!!」

 ニーナが俺の両頬を、思い切り引っ叩いたのである。

 先ほどよりも強い衝撃が脳を揺さぶり、頬に走る刺すような痛みに思わず叫んだ。

「何するの! ニーナ!」

 いきなり人を叩くんじゃありません! と怒ろうとしたのだが、彼女の顔はいたって真剣だった。それどころか、金色の瞳がうるんでいて、今にも泣きそうなのである。

「あ……」

 そこで自分が今何をしでかそうとしていたのか、ようやく理解できた。

「いち……」

「…………ごめん」

 ニーナの言葉に謝罪をすると、彼女は俺の頬に触れる。

「たたいて、ごめん、なさ、い」

「大丈夫……俺のためにやったんだろ?」

 このくらいの痛みは受けるべきだ。ふわふわと浮いているエイトに視線を合わせると、淡い光が数回点滅した。

「エイトも、ごめんな」

『当個体の警告を無視するとはいい度胸ですね

 今の一花は判断力が鈍っています。自分ひとりであればいざ知らず、他者を巻き込む可能性があったのですよ』

「あー……うん……」

 エイトの言葉がぐさりと刺さる。

 危うく二人を危険に晒すかもしれなかった、と思うとぞっとする。ニーナを抱きしめて、再び立ち上がった。

「いち、やすも……」

「そうだな、ちょっとだけ休もうか」

 上層部に行くという目的はひとまずクリアできたのだ。そこからまた考えればいい。

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