第10話 狂い
今日の荷物は多い。3日後の葵さんとの旅行に備えて服やお金を準備しているから。それらを竹山家具に置かせてもらう。その日になったらすぐに出られるように。
すっかり薄くなってしまったお財布を広げる。ほとんどは宿泊代と日々の食事代に消えていった。今あるのは元々溜めていたのが少しとおじさんからもらったそれなりのバイト代のみだった。正直、この旅で足りるかも怪しい。帰ってきたら間違いなくおじさんのところで泊めてもらう羽目になってしまうだろう。
竹山家具に着き、また開きが悪くなったらしい扉を両手で踏ん張って開け、重い荷物を中へと運ぶ。
その音を聞きつけたおじさんが来てくれた。
「その辺に置いとけ。どうせ誰の邪魔にもなんねえからな、ガハハ」
おじさんは持ってきた茶を啜り始める。猫舌の葵さんとは違って、勢いよく湯呑みを傾けていた。
「家具の方が邪魔かもしれませんね」
おじさんはカウンターを予期していなかったらしく、シャワーヘッドみたいに、盛大に吹き出した。
「けほっ、相変わらず容赦ねえな、凛ちゃんは...どうだ、このままだと暇だしアオちゃんが来るまで将棋やんねえか」
頷いておじさんについて行くと、机には待っていたかのように湯気が細くなったお茶と和菓子が用意されていた。
おじさんはその横に将棋盤を広げ、専攻は譲ってくれるらしい。
私が一手歩を進めると、おじさんは口を開いた。
「それで、どこまで聞いたんだ。アオちゃんのこと」
「え?葵さんのこと...?旅行に行こうって...」
おじさんはまた茶を吹く。が、そっぽを向いたまま机を拭き始める。
「あんにゃろ、ひよったな」
「それ以外だと...倒れる直前、おじさんにも色々聞いたんだって言ってました」
「...まあ、その様子だと大したことは聞いてねえな」
「大したことって一体なんです?どこまで私のこと喋ったんですか?教えてくださいよ」
「俺から言うことはねえさ。全て本人から聞くべきだ。それに凛ちゃんのことについてはヒントを与えただけだ。それで気づけたんならその分あいつが賢かったってことだな」
ある程度綺麗になったちゃぶ台をみたおじさんはタオルを端へと寄せ、
「そういや今日の朝、凛ちゃんのお母さんから電話があったぞ。大丈夫なのか」
おじさんの指すら見えない将棋盤に目を戻す。
「平気ですよ。また何か私がやらかさないか、それだけを心配しているような人ですから」
両親とは小さい頃からあまり仲が良くなかった。幼かった私が家に帰らずここに通うくらいには。そのくらい家の居心地は悪かった。双方ともいつも厳しく、寄り添ってくれるわけでもない。
でも、それだけで嫌いになったわけでもない。厳しく接するくせに、私が家に帰るのが遅くなったりすると、何度も電話をかけてくる。
そういう、縛り癖のようなものが気持ちが悪くて仕方なかった。
「それで?何か言ってましたか」
「俺は知らねえって答えといた。ここにいることも言ってねえから安心しな」今度こそお茶を啜って、「でも心配はしてると思うぜ。いくら凛ちゃんがそうじゃないと言ってもよほど狂わない限り親ってのはそういうもんだ」
狂っていると言ったら?とは到底言えなかった。それにおじさんの言っていることは正しい。もし私の周りの大人に私の親は狂っているか、と聞いても誰もイエスとは答えない。自分でもそれは分かっていた。
周りとは違っても、それは狂っているとは言わない。小さな感情や考え方の違いで、その行動や効果が大きく変わっただけ。つまりは、根本的な部分は皆同じ。悔しいことにこれら全て葵さんから勧められた読書で、自ら学んだことだった。
「では、行動が狂っていたらどうするんです?」
精一杯捻った質問だった。
おじさんは難しいな、と言わんばかりに頭を掻くと、全く将棋を指す気がないのか腕を組み始める。
「その時はお前、凛ちゃんの感情の内を言葉にしてぶつければいいだろ。表面的なもんじゃダメだ。ちゃんと冷静に、分かってもらうまで話し合ってみろ」
確かに真剣に話し合ったことはなかった。何を言っても、何をやっても否定されそうな気がして。
私がこうして家を離れたのも、ただ逃げてきただけなのかもしれない。
でも、今さらどんな顔をして帰ったらいいのか分からなかった。
遠くで扉が悲鳴をあげているのが耳に入る。
「おじさーん、鈴さん、いるー?」
「お、アオちゃんきたな」
そう言っておじさんは腕を解くと、
「ま、あとは二人だけの旅行に行ってからだな!」
私の心を読んでいたかのように笑うと、歩を進めた。
その後、おじさんが液体化するまでは秒刻みだった。
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