第8話 それだけは

 僕は、なにをしているんだろう。

 確か。そうだ。鈴さんに謝って、それから。

 ゆっくりと目を開ける。直接入ってくる照明が眩しい。ここは、病院?

「大丈夫か、アオちゃん」

「竹おじさん?それに...」

 母さん。

「葵!あんた一体何をしているの!走ったりしない約束だったでしょ!その分...」

 母さんは、これでも十分声を抑えているつもりだったのだろう。拳を強く握った体は震え、目からは。

「その分、あんたの命が縮まるのよ!これ以上心配をかけないでって何度言ったら」

 また流させてしまった。嫌いな味を、感じさせてしまった。胸が急に狭く感じた。母さんに何度も、何度も謝った。これでも足りないくらいだった。


 その後、竹おじさんに頭を下げられた母さんはあなたのせいじゃない、と病室を出て行ってしまった。

 竹おじさんは二人になると、優しく、急に歳をとったみたいに歩幅を小さくして目の前まできた。

「申し訳ねえ、アオちゃん。知っていながらお前を行かせちまった」

「母さんにも言われたでしょ。竹おじさんのせいじゃないよ。そういえば、鈴さんは?」

「今日はもう帰ってもらったよ。大丈夫、お前の心臓のことは何も話してない」

 心臓のこと。それを言ってしまうと、僕の命が残り少ないことも伝えなければいけなかった。


 僕の心臓には、穴が空いてしまっている。

 過去には手術も受け、そのおかげか徐々に回復して走れるまでになった。

 でも、三ヶ月前のことだ。部活で走っていたら、急に目の前が暗くなっていった。


 穴が、開いていたのだ。


 再度の手術でも厳しいことが伝えられ、余命は7月か、持っても8月までとのことだった。

 その時の母さんの顔は今でもよく覚えている。口にハンカチを当て、目からは拭いきれないほどの涙が流れていた。そして、僕からも。

 あの味は、本当に嫌いだ。かつては好きだった運動も、全てできなくなることを実感させられたあの味が。


 このまま入院していても仕方がないと判断した僕は、母さんに高い入院費を返すために、たまに行くだけだった竹おじさんの所へバイトという形で毎日通うようになったのだ。

 

 一通りの検査が終わり、明日には帰れることになった。

 母さんにも、竹おじさんにも、鈴さんにも迷惑をかけてしまった。

 特に鈴さんには、このことを話さなくてはいけない日がいつかきてしまうかもしれない。それだけはと思っていたことがすぐ近くにあって、避けられないのだと痛感してしまう。

 薄暗くなった病院の天井を見つめながらそのことをずっと考えていた。頭から、離れなかった。

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