第4話 勝負

 今日は早めに下校した。

 傘を閉じ、相変わらず開きの悪い戸を開ける。のそのそと出てくるおじさんに会釈を交わすと今日は始めに教科書を広げた。

 昨日、間違いを指摘されたところを徹底的に潰し、今までの範囲も復習する。そうすればきっと勝てるだろう。

「こんにちは」

 えっ。


 約束の時間までまだ1時間ほどあるのにも関わらず、彼女はやってきた。

「どうしてこんなに早く...?」

「その、ちょっと気分が乗ったというか、なんというか」

 なんとも曖昧な返事だ。こちらとしては遅刻して欲しかったくらいなのに。

 ふと、彼女の方を見ると不思議に思うことがあった。こんなに早く来たのに制服じゃない。少なくとも、この辺りには私服が許されている高校はないはずなのに。


 だめだ、と葵は自分の意識を逸らすように口を動かす。

「今日はもう始めてしまいますか」しまった。

「いいですけど、その。敬語やめませんか。いや、私は敬語が好きなので私自身はこのままにしますが、葵さんは普通に接してくれると助かります」

「えっと。そう言うことなら..じゃあ鈴島さん。始める?」

「はい」


 結局復習することすら叶わずに、実力を競い合う事になってしまった。

 お互い共通の問題を印刷したプリントを竹おじさんが配り、30分のタイマーを右手に握る。

「俺、実は夢だったんだよな〜。塾講師。きっとあいつらこんな気分なんだろうな、羨ましい」

「おじさんの場合闇塾でしょ」

「おい!!そこ!減点すんぞ」

「...あははっ」

 隣からの聞き慣れない笑い声に、思わず驚きの顔を向けてしまう。

 クールな印象からは到底想像のできない純粋な笑顔を、彼女は二人に向けていた。時間が止まったような気がした。その細くなった瞳からわずかに除く漆黒に、吸い込まれそうな気がして。

「ごめんなさい。二人の会話が面白くて、つい」

 ...悪い気はしなかった。

「うい。じゃあスタート!」

 竹おじさんの一声で、タイマーは動き出す。


...数学。悪くない出来だ。

...国語。まあこんなものだろう。

...英語。恐らく勝てただろう。


 そんな曖昧な自己評価が後2教科続いた。

 雨粒が街灯に照らされ始める頃、おじさんの採点が終わった。

「これって勝ち負けだけ言えばいいんだよな?どうせ教え合うんだし」

「はい。それで大丈夫です」

 心臓が高鳴る。考えてみれば、これで決まってしまうのだ。

「うい。じゃあ...」


「4-1で凛ちゃんの勝ちだな」


 ただ、唖然とした。それしかできなかった。

 なんとか約束を撤回できないかと鈴島さんの方へ振り返る。

 だが、それは彼女も同じだった。

「「今の勝負、無かったことに」」

 お互いの言葉が重なり、なんとも言えない時間が数秒続く。

「えっと」

 沈黙の中、目線を介しての譲り合いの結果、鈴島さんが口を開くこととなった。

「おじ...竹山さん。私が負けた教科って、なんですか」

「国語だな。無理もねえさ。こいつ読書しか脳がねえから。気ぃ落とすな凛ちゃん」

 それでも信じられないといった様子で、鈴島さんは採点表に目を通しはじめる。

「そんな...どうして」

 こっちの台詞だった。どれもそれなりに解けていたはずなのに。国語以外のどの教科もかなりの点差が開いている。

 それでも悔しさからか、鈴島さんは声を震わせる。

「葵さん...明後日、もう一度やりませんか」

「明後日?明日じゃなくて...?」

「明日は約束通り、勉強会です。私は4教科を、葵さんは国語を私に教えてください」

 僕がコクっと頷くと鈴島さんは荷物を片付け始める。

「では、私はもう帰りますね。また、明日」

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