第3話 居場所

 急いで声の主を確認しにいく。

「いらっしゃいませ...」

 いよいよ驚いた。入ってきたのは近所のおばさんや年配のお客さん、郵便でもない。

 大きな瞳に、黒く伸びた髪が腰まで流れている。歳は僕と同じくらいで、端正な顔立ちからはクールな印象を受ける。

「お、何だ彼女か」

 竹おじさんの声をかき消して、「何をお探しですか?」

 その子は少し鋭くも透き通った声で返事をする。

「えっと、一人用の机を探していて」

「机、ですか」

「例えば、あの教科書が乗っている机とか...」

 その子は机の前まで歩いて吟味すると、使い古され凹凸ができた天板をサラッと撫でる。

「一応売り物ではあるんですが、その...」心臓が窮屈そうに胸を叩く。ここで買われてしまうわけにはいかない。この机は僕に残された最後の居場所だった。「あまり状態が良くなくて...」

 明らかに動揺した僕を見た彼女は冷静に、今度は開いたままのノートに目を移す。

「でも売り物ですよね?あと...ここ、間違えてますよ」

「そんなはずは...」

 勉学はそこらの人よりできる自信があった。というより、ここ数年でできるようになってしまった。

 そんな僕が間違えたこの問題を、彼女はこの一瞬で。

「具体的にどう間違っていると...?」

「割と初歩的なミスですね。使う公式を誤ってます。とはいえ、その後の計算は完璧ですが」

 とりあえず、公式を間違えたのは僕が悪い。ここは認めるとしよう。だがその後の計算があっていること、おそらく彼女の中ではすでに正解まで導いていること、こんなことができるというのは天才という他なかった。

 プライドを大きく傷つけられたような気分だった。

「確かに僕が間違っていたみたいです」


 このまま、負けたくない。これ以上、奪われたくない。

 そんないらないはずの感情が暴れる心臓の横で渦巻く。


 雨は、一層強みを増していて。

「...あの机が欲しかったんですよね。こう...しませんか?」

 僕が提案したのは数学以外の教科も入れ、どちらが多く解けるかを競い、負けた方は机を諦めるという単純な勝負だった。

 彼女の返答は、意外にも早かった。

「構いませんよ?あと一つルール追加で。負けた方は勝った方にその教科を教わる、というのはどうでしょう」

「いいですよ、やってやりますよ」ヤケクソだった。

「...ところで、全部今日やるんですか?」

.......。

.......。

「じゃあ明日は空いてますか?このくらいの時間」

「ええ。じゃあ明日来ますね。私は鈴島凛」

「浅川葵です。よろしく」

 なんだか変な関係を作ってしまった気がする。普通のバイトなら怒鳴られてすぐに辞めさせられそうだが、会話を盗み聞きしていた竹おじさんは奥でハッハと笑っていた。



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