第41話

 正装するのは大変だ。ドレスに髪、化粧。一人では無理。二、三人がかり。

「私まで出ていいの」

 同じく着飾ったサーリチェとセリア。

「一人で部屋に置いておくよりは、ね」

 サーリチェのドレスはアンスリウムのドレス。サーリチェの年くらいに作ったもの。ずっと取っていたらしい。

「もう着られないから、好きなの持っていって~」とアンスリウムが昨夜持って来てくれた。

 ケット・シーとラベンダーは夕食時に帰ってきて、部屋で一緒に食事。町を一日中回っていたが収穫はなかったらしい。「疲れたにゃ~」と床に伸びていたケット・シーをサーリチェとセリアがマッサージと言って、あちこち揉んでいた。

 扉がノックされる。

「どうぞ」

 入って来たのは着替えたレウィシアとレネウィ。ラシーヴィ、ルセオはセレーネと一緒。幼い二人も正装。

「用意は」

「見ての通りです」

 セレーネは鏡の前から、レウィシアへと向く。セリア達四人はソファー。

「時間は」

「呼びに来ますよ。一斉に入っては混雑しますから。順番に」

 セレーネ達は後のほう。

 午前中に戴冠式。昼食にして、結婚式。夜は披露宴。

 レネウィがじっと見てくる。

「どこか変?」

「いえ、きれいです。でも、いつもより」

 なんと言っていいのかわからないのか、言葉を探しているのか。レウィシアは「息子ながら油断も隙もない」と。

「地味? 抑えている?」

 セレーネは笑う。グラナティスの建国祭やレウィシアの誕生日などはもっと飾る。それに比べれば。

「今日の主役は」

「アンスリウム王女です」

「その主役より目立っては、ね」

 サーリチェは目立っている。服というより元が。

 レネウィは納得したのか、小さく頷いていた。

「でも、母様はいつも着飾っていませんよね。着飾っている方はどんな時も」

 貴族のことか。アンスリウムも毎日華やかに着飾っている。兄は別。

「この姿でルセオやラシーヴィを追いかけられる? ご飯にできる?」

 レネウィ、セリアはこぼさず食べられるようになったがラシーヴィ、ルセオは手づかみし、その手を伸ばしてくることも。動き回る二人を追いかけるのに、着飾った姿では。ペンダントやイヤリングを引っ張られては。

「できませんね。でも、父様は」

「お父様は謁見があるから。シャツ一枚では出られないでしょう」

 書類仕事だけの日は楽な格好。臣下、貴族、他国から来た者の前でシャツ一枚は。

「私としては動きやすいほうが」

「俺は着飾っていてほしい」

「ぼくも父様に賛成です」

 親子揃  そろって。

「はいはい。お昼まで何も食べたり飲んだりできないから、食べるなら今のうちですよ」

「はい」

 食べ過ぎて席をはずすのも困るが。レネウィはセリア達のいるソファーヘ。

「大勢の人が集まるから」

 セレーネはレウィシアを見た。

「セリア、か」

 昨日はセリアの話していた人物に会っていない。陰から見られていたかもしれないが。

「ケット・シーやラベンダーもどこかで見ていると話していました」

 もし、サーリチェに変更されたら。……考えるだけで恐ろしい。

 セリアの足下には白猫。持ってきた装飾品の中からリボンを選び、おしゃれとしてセリアが白猫の首に巻いていた。

 レウィシアはセレーネの右肩を軽く叩き、大丈夫だと微笑んでいた。


 国内の貴族、他国の王族に見守られ、おごそかにおこなわれる戴冠式。わかっているレネウィ、セリアは大人しくできるが、わからないラシーヴィ、ルセオにとっては退屈そのもの。うるさくなるようなら、結界でも張って音を遮断しようと考えていた。

 何事もなく進む戴冠式。女王からアンスリウムに王冠が渡されると、集っていた者達は拍手と歓声。ラシーヴィとルセオは突然の大きな音に驚き、ルセオはセレーネに、ラシーヴィはレウィシアに抱きついてきた。レウィシアはラシーヴィを抱き上げ、

「大丈夫だ。ラシーヴィも新しい王様におめでとう、と拍手を送ればいい」

 笑顔で。

「ほら、父様の代わりに」

 ラシーヴィを片腕で抱いている。拍手できなくはないが。ラシーヴィは言われた通り、ぱちぱちと手を叩きだした。


 休憩と昼食後は結婚式。戴冠式をおこなった場所で結婚式も。招待客が昼食にしている間に会場を結婚式場に整える。

 昼食は立食。何も乗せられていないテーブルと椅子もあるので、座っても食べられる。庭に面している部屋で、大きな窓は開けられており、料理が置かれているのは部屋の中だが庭に出て食べられるようにもなっていた。

 主役のアンスリウムは結婚式の準備のためいない。話せるのは夕方からおこなわれる披露宴。披露宴もこの場所。結婚式がおこなわれている間に披露宴の会場へと整えられる。

 レグホーンは来ている王族、貴族と話し。傍には下手なことを言わないよう、見張りの臣下。前女王も部屋に戻っているのか、姿は見えない。結婚式用に着替える、化粧直しする貴族王族もこの時間に。そのため長く時間が取られていた。

 レウィシアはイルヤの貴族、他国の王族と話しながら食事。セレーネは子供達の傍。子供達はそれぞれ好きなものを手に取り、庭に出て食べていた。

 食べている者、話している者、行きかっている。

「母さま」

 セリアが右足に抱きついてきた。

「どうしたの?」

 服を摑んでいる手には力が入っている。傍にいる白猫は毛を逆立て、威嚇。

 威嚇している先にはヴェールをかぶった女性。ゆっくり近づいてくる。

 セレーネ達の前まで歩いてきて、止まった。

「何かご用ですか?」

 尋ねるも返事はない。

 セレーネは女性へと手を伸ばし、ヴェールをそっと持ち上げる。二十代半ば、青白い顔。赤茶の長い髪、紫の瞳。

「セリアの言っていた人?」

「うん」

 どこも見ていない瞳。無表情。頬に触れ、首筋、心臓へ。女性はなんの反応もない。普通なら、ヴェールを取った時点で声を上げている。

「母さま!」

 女性の胸に触れ、セリアはぎょっとしている。女性はセリアの声を聞いて、セリアを見て、手を伸ばす。

「セシリア!」

 叫び声がしたかと思えば、女性の背後から男が。こちらも二十代半ばの細い男。緑の髪、緑の瞳。メガネをかけており、学者といっても通る容姿。

「セシリア。ここにいたのか」

 男は女性の両肩に手を置き、大きく安堵の息を吐いている。女性はそんな男にも無反応。

 セシリア。セリアに似た名前。

「なぜ勝手に」

 男はそこで見回す。見回し、セレーネ、セリアに目を留めた。セリアは隠れるように。

「あ、ああ。もしかして妻が何かご迷惑を。すいません」

 男はセレーネに向かい、頭を下げる。

「……いえ、奥様ですか」

「ええ。僕はマダハル・メッシュ。こっちは妻のセシリア」

 男、マダハルは女性、セシリアの肩を抱く。よく見ると二人の左薬指にはお揃いの指輪が。

「あなたは」

 人の良さそうな笑み。

「セレーネ・グラナティスです。初めまして」

「グラナティス。あの大国の」

 マダハルは驚いたように。

 セレーネは何かしたらわかっているだろうな、と牽制の意味も込めて。

「その子は」

 再びマダハルに見られ、セリアはセレーネの服を強く握る。

「娘です」

「そうですか。妻が迷惑をかけたのなら」

「何をしても奥様は反応しませんよ」

「どういう意味です」

 とぼけているのか、マダハルは首を傾げている。

「わかっているのでしょう。あなたの奥様は、もう」

「なんの、ことです」

 引きつった笑みに。

「はっきり言わなくてもわかるのでは。それとも言ったほうがいいですか。奥様の魂」

「っ、黙れ!」

 怒声が響く。セリアは大きく震え、周りもセレーネ達に注目。

「セレーネ。何かあったのか」

 レウィシアが駆け寄ってくる。

「あなたがグラナティス国王、ですか」

 マダハルは傍に来たレウィシアを睨む。

「ああ」

「あなたの奥様が僕の妻に」

「事実を言っただけです。あなたの奥様は、そこにはいない」

「黙れ! 妻はここにいる。僕の傍に」

「身体だけ。温かさも、感情もない。言葉すら発さず、誰だろうと何の反応もしない」

「セレーネ?」

「母さま?」

「蘇生の魔法を使いましたね。しかも禁呪を」

 セレーネはまっすぐマダハルを見る。レウィシアは表情を変え、かばうように前へ。

「行方不明の犯人はあなたですね。彼女を」

「なんのことだ」

「彼女を生き返らせようと、他人の命を」

「なんのことだ。勝手なことを言わないでもらおうか」

「彼女に触れましたが、鼓動の音がしませんでした」

「おいおい、なんの騒ぎだ」

 レグホーンの呑気のんきな声。

「レグホーン様、この方が失礼なことを」

「この方の邸を調べればわかるでしょう。行方不明者のなんらかの物が残されているはず。結界を張る、魔法をかけて隠されているでしょうから、魔法使いも連れて」

「なんのことだ?」

「行方不明の原因はこいつにゃ。気づけまにゃけ」

 ケット・シーがレグホーンの足を前脚で叩く。

「は?」

 レグホーンはまだわかっていない様子。アンスリウム、女王なら気づき、兵を呼んでいる。

 ケット・シーはセリアの傍にいる白猫の傍に。ラベンダーはサーリチェの肩に。

「これだけの騒ぎに彼女はなんの反応もしていません。違うと言うのなら、彼女が反論するのでは。それとも、あなたが何も話すな、と脅しているのですか。それならそれで」

 マダハルは歯がみ。妻の肩を抱く手に力を込めたのか、服にしわが。しかし、妻の表情は変わらない。無表情。

「反応、しましたよ」

 見たのは隠れるようにしがみついているセリア。

 視線に気づき、レネウィまでセレーネの前へ。下がっていなさい、と背後へ押す。

「そう、その子に反応した。今まで何にも、誰にも反応しなかったのに。その子には反応した」

 ぎらぎらとした目でセリアを見ている。

「認めるのですか」

「何を」

「奥様のこ」

「妻は、セシリアは生きている! こうして僕の傍に」

 認めたくないのか。

「大事、なんですね」

 マダハルとは反対にセレーネは静かに。

「ええ。誰よりも」

「あなたが犠牲にした人達の中にも同じ気持ちの方がいたかもしれませんよ」

 マダハルは一瞬、顔を歪ませるが。

「だったら。僕は後悔していない。妻とこうしていられるのなら、どれだけの犠牲を払おうと」

「どれだけ払おうと、そのままです。何の反応も返しません。犠牲を出し続けるのですか」

「幸せなあなたに何がわかる! 失う者の辛さ、悲しさなど知らない、あなたに」

「勝手なことを言うな」

 レウィシアは静かに怒りをにじませ。

「何も知らないのに、勝手なことを言うな」

 レウィシアも、セレーネも大切な家族を。レウィシアの迫力に圧されたのか、マダハルはたじろぐ。

 しかし。

「戴冠式の会場にいた全員を、とも考えていましたが、その子に反応した。何も反応しない者より、その子を使えば今度こそ、見てくれる、話してくれるかもしれない」

 見ているのはセリア。

「いいえ。あなたの命でないと同じです。そして、させません」

 強い口調ではっきり。マダハルを睨む。

「僕はただ、妻と穏やかに過ごしたい、一緒にいたい。それだけ」

 マダハルは服の中から本を取り出す。分厚く、古い装丁。

「彼を止めて!」

 セリアの叫び声。しかしセリアはなぜそんなことを叫んだのかわかっていない様子。

「セシリア?」

 マダハルは手を止め、セリアを見ている。

「やっぱり、その子を使えば」

 本を開き、詠唱。止めようとセレーネも魔法を使うも、結界で防がれ、止められず。

「出て来い! 出てきて力を貸せ!」

「召喚魔法?」

 セレーネは身構える。ラベンダーも「気をつけな」とサーリチェに声をかけていた。

 マダハルとセレーネ達の中間の地面に小さな丸いあな。穴は徐々に大きく。セレーネ達は下がり、距離をとる。

 何が出てくるのか。

 周りの者達は黙って見る、逃げ出す、とそれぞれ。

 穴から、二本のつの。いや顔が出てくると四本の角だと判明。顔が出た時点でラベンダーは「馬鹿な」と呟いている。聞いた覚えのない、驚愕と怯えをにじませ。

 顔、長い首、翼、とその全容が。

 竜。見上げるほどの巨体。漆黒の鱗に金の瞳。翼にも鋭い爪のような角のようなものが。禍々しい気配、とでもいうのか。声も出せず、動けず棒立ち。悲鳴も上げられないのか静か。誰かの手から落ちたのか、何かが割れる音が響く。その音に反応して、竜はゆっくりとそちらを向いた。

「は、はは。これは、ずいぶんな大物が」

 マダハルは引きつった笑い。

「ニーズヘッグ」

「ニーズヘッグ。あれが」

 ラベンダーの言葉を繰り返す。

 体は動かない。見られてもいないのに。ケット・シーは無言で毛を逆立てている。いつの間にかウンディーネまで現れ、サーリチェの傍で緊張した面持ち。

「その子供、赤い髪の少女を僕の元へ連れて来い! 魔力ならくれてやる」

 マダハルの手には三つの宝石。黒い竜、ニーズヘッグに見えるように。ニーズヘッグはマダハルを見て、セリアを。

 渡すわけにはいかない。腹に力を入れ、ニーズヘッグを見る。レウィシアも気力で、だろう。セレーネと並び。背後には子供達。服を摑んでいるセリアの手は大きく震えている。

 こちらへ向かってくると思っていたが、ニーズヘッグはマダハルへと足を進めた。巨体のためか、ゆっくりとした歩み。しかし一歩は大きい。

 近づくごとにマダハルは一歩下がる。

「ま、魔力を先に渡せばいいのか」

 声は震え。

 ニーズヘッグは首を伸ばし、マダハルの顔へと顔を近づける。

「くれてやるから、あの少女を。足りなければ、傍にいる女と竜、精霊も」

 勝手なことを。舌打ちしたいが、上手くできない。力の違いがわかる。ラベンダーに子供達を連れて逃げるよう頼むか。

 しかし、ニーズヘッグはセレーネ達に見向きもせず、マダハルをじっと見ている。マダハルはニーズヘッグから視線をらせない。そのためか、異変に気づいていない。

「ラベンダー」

「ああ。大人しくかえってくれればいいけど」

 ニーズヘッグの足下には現れた時のように小さな穴。制限時間か、ニーズヘッグの意思か。

 穴は広がり、マダハルの足下にも。「えっ」と気づいた時には、共に穴へと沈んでいく。

「なぜ! 何をしている。呼び出したのは僕だ。代償も用意している。あの子供を!」

 叫んでいる、抜け出そうと動いている間も沈んでいく。傍にいる妻は沈まず、その場に立って。

「っセシリア!」

 胴まで沈んだところで、妻の名を呼び、手を伸ばす。手を伸ばしても彼女は反応しない。助けるために手を伸ばす、周りに助けを求めることもしない。ただ、どこも見ず、立っているだけ。彼女の意思、魂はあの体にない。反応しなくて当たり前。

「セシリア」

 悲しそうな怒っているような、様々な感情の込められた声。手は彼女に向かい伸ばし続けている。

 意思はないのに、無表情のまま、伸ばされた手を取った。

 マダハルは目を見開き、泣きそうな嬉しそうな笑みへと表情を変える。ニーズヘッグはそんな彼女を一瞥いちべつ。瞳にもなんらかの感情が一瞬見えた、ような。

 先に穴に消えたのはマダハル。体の大きなニーズヘッグもゆっくりとその姿を消していく。そして、しっかり手を握られている彼女も。

 姿が消え、穴が消えてからもしばらく固まっていた。

 一歩、足を踏み出すと、

「かあ、さま」

 小さく震えたセリアの声。

「もう大丈夫。還ったから」

 セリアの震えている体を安心させるようにぎこちなく撫で、抱きしめた。セレーネもいまだ緊張はけず、体が強張こわばっていた。セリアの体温に徐々に強張りがほぐれていく。

 サーリチェはその場に呆然と座り込み、あちこちから悲鳴があがる。ラシーヴィ、ルセオは泣き出し、他の子供達も。

 セリアが落ち着いたのを確認し、セレーネは一歩、一歩とマダハルが消えた場所に。

 落ちていた本と宝石を拾う。騒ぎに乗じて宝石はともかく、本を持っていかれては。

「母さま?」

 セリアは服を握り続けていたらしい。ついてきて、不思議そうに見上げている。セレーネは安心させるように微笑み、レウィシアの元へ。

 レウィシアはラシーヴィ、ルセオをあやしている。レネウィはサーリチェの傍、ケット・シーはへろへろと地面へ。悲鳴、騒ぎを聞きつけ、兵が駆けてきた。



「そんなに心配するな。セレーネは事情を説明しに行っているだけ。話が終われば戻って来る」

 セリアは白猫を抱いて部屋の中をうろうろ。ラシーヴィはそんな姉の後ろをついて回り、ルセオは泣き疲れて眠っている。レネウィはサーリチェに服を握られ、並んでソファーに。セレーネが心配なのか、セリア同様落ち着かない様子。

 あの後、騒ぎを聞きつけ、兵はまずレグホーンに。しかしレグホーンはほうけて「ああ」と返すだけ。そこでセレーネとケット・シーが説明のため女王の元へ。レウィシア達は部屋で待機。

「ケット・シーも見ていた。言っては悪いが、レグホーン殿より上手く説明している。他にも見ていた者もいる」

 レウィシア達だけが見ていたのではない。

「父さまは母さまが心配じゃないの」

 セリアは恨めしそうに。

「あの黒い竜が現れた時よりは」

 あの時は恐怖で体が動かなかった。叔父、バルログと対峙した時より。だがセレーネを戦わせるわけには、と気力を振り絞り、おのれ叱咤しったして。

 部屋には温かいお茶。セレーネが手配してくれたのだろう。レウィシア達だけでなく、招待客全員に出されているだろう。

「ねえ、ラベンダー。あの竜、ニーズ」

「そこまで。軽々しく名を呼ぶんじゃないよ」

 ラベンダーの鋭い声。

 サーリチェの膝には小さな精霊が三体。マダハルの持っていた宝石に封じられていた、行方不明になっていた精霊。セレーネが封印を解き、自由に。

「名前を呼んじゃいけないの」

 セリアは不安そうに。

「ああ、サーリチェは、ね。お嬢ちゃんは大丈夫」

 二人の違いは。

「魔力の大きさ、ですか」

「そう、呼んでもこないけど、万が一ということもある。呼び出したらかえすのも一苦労だよ。スカビオサでも手こずるだろう」

「父さんでも」

「スカビオサでさえ見た、ってはいないからね」

「そんなものが」

 サーリチェも不安そうに。強く握ったのか、レネウィは服を握ったサーリチェの手に手を重ねていた。

 ラベンダーは息を吐き、

「現れたのはニーズヘッグ。地獄竜と呼ばれている」

「じごくりゅう」

 セリアは繰り返し。

「どうしてそんなものが」

 全員聞きたかったことを口に。ラベンダーはすぐには答えない。

「あたしにもはっきりとは。予想はセレーネと同じだと思う。同じ話をしているだろうね」

 ラベンダーはテーブル上のカップを手に取り、お茶を飲む。

「禁呪を、使い過ぎたんだろう」

「禁呪?」

 呟いたのはサーリチェだが、レネウィ、セリアも首を傾げている。

「本を持っていただろう」

「私達が固まっている間にセレーネ母さんが燃やしていた本?」

「ああ。あたしは中身を見ていないけど、燃やしたってことは禁呪が書かれていたんだろう。だから燃やした。あそこでぐずぐずして、人が騒ぎ、動き出し、どさくさにまぎれて持っていかれたら」

 その誰かが同じことをするかもしれない。

「あの本には強力な精霊を呼び出す方法が書かれていた。蘇生や他の魔法も書かれていたかもしれない。あの本自体に魔力があって、あの男と相性がよかったのかもしれないね」

「本に、魔力があるの?」

「あるものもある。古ければ古いほど。精霊が封じられているものも」

 へぇ~とセリアとサーリチェは揃って。

「禁呪本を見つければすぐ燃やす、処分するようにしている。スカビオサ、ネージュも、ね」

「あの、男の人は、どうなったの」

 セリアは猫を抱き、不安そうに。猫は嫌がりもせず、大人しい。鼻先をセリアの頬にすりよせ。

「ニーズヘッグの世界にいるよ。もう二度とこちらには戻って来れない。あそこにいることが禁呪を使いすぎた罰、なのかもね」

「ばつ」

「禁呪は使えば使うほど罪となる。目には見えなくとも」

 再びカップを傾け、お茶を飲んでいる。

「禁呪を使って蘇らせた、動かし続けた。その罰さ。本当なら、あの男だけを連れていくはずだった。それが」

 大事だと、誰よりも。どれだけ犠牲を払おうと。それだけ想っていた。あの竜と穴へ吸い込まれている最中も名前を呼び、手を伸ばしていた。そして、その手を取った。

「あの竜がセリアに見向きもせず、男の人をつれていったのは、禁呪を使い過ぎたから?」

「おそらく、ね」

 サーリチェに頷くラベンダー。

「使いすぎると、つれていかれるの? 母さまも知っているって」

「自衛、自分を護るためにね。わからなければ対処の仕様しようもないからね。セレーネなら使わな……い、こともないか」

「「えっ」」

 セリアとレネウィは驚いたように。

「正規の方法で」

 二人はレウィシアを見る。

「ああ」

 頷くラベンダー。セリアはレウィシアの傍へ。

「使っちゃいけないのに、正しい方法があるの」

「ああ」

「父さまは魔法使いじゃないのに、知っているの?」

「知っているだけ。父様は使えない」

「魔力がないから」

「そうだ。だが、セレーネを失うくらいなら」

 レウィシアが代わりになったほうが。

「……使うと、母さまがいなくなっちゃうの?」

「それが正規の方法。術者の命と引き換え。あの男も自分と引き換えていたら。だが選んだのは」

 他人を犠牲にして一緒にいること。

「だから、あの時、父様は怒るような、悲しむような、なんともいえない声で母様を呼んでいたのですね」

 レネウィ達に何かあれば、と呟いていたセレーネ。

「お前達に何かあれば、セレーネは躊躇ちゅうちょなく使う」

 レウィシアはセリアを撫でる。

「セレーネだけじゃない。ネージュも。あんたやカイに何かあれば躊躇しない。自分を犠牲にして、あんた達をとる。スカビオサに何を言われようと」

 静かな部屋。ルセオは眠っており、ラシーヴィは理解していない。

「あんた達はまだ親に護られている。だが、いずれ自分で考え、動かなければならない時がくる」 

 いずれ、レウィシアとセレーネの手を離れる。道を間違えず、育って欲しい。

 ラベンダーは長く、深い息を吐いていた。

「話を戻すけど、禁呪を使いすぎる、続ければ、毎回ニーズヘッグが現れるわけじゃない、が大きなしっぺ返しがくる。使わないほうがいい。たとえ正規の方法でも」

 残された者は。

 再び沈黙。扉が叩かれ、驚いたのか、セリアは肩を震わせていた。返事をする前に入ってきたのは、疲れた顔のセレーネ。

「母さま」

 セリアとラシーヴィは駆け寄っている。だがそれより先に。

「心配していなかったのでしょう。なのに、なぜ父さまがわたし達より先に母さまに抱きついているの」

 セリアの言葉通り、レウィシアがセリア、ラシーヴィを追い抜き。

大人気おとなげない」

 セレーネも呆れて。

 レネウィはソファーでほっとした顔。

「はいはい、大丈夫です。説明してきただけです。危ないことは一切ないです」

「だが揉めているところを見られてもいた。誰かがそう言えば」

 セレーネとマダハルが揉めているところを何人も見ている。

「言い訳ならいくらでもできます。というか。これで行方不明も解決です。戻ってはきませんが」

 暗い声。

「いい加減離してください」

 いつものように、軽く背を叩いている。レウィシアは力を込めて抱きしめ、離した。

 セレーネはかがみ、飛びついたラシーヴィを抱きしめ、セリアを撫でていた。レネウィには安心させるように笑みを向ける。

「こちらでも話していたのでしょう」

「ああ、そっちは」

「話しましたよ。彼が行方不明の原因だと」

 セレーネはラベンダーと話しながらソファーへ。

「あの本は」

「ぱらぱらとしか見ていませんが、大物の精霊召喚の方法が。はぁ、まさかニーズヘッグが出てくるとは。もうだめだ、と思いました。ラベンダーに子供達だけでも乗せて逃げてもらおうと考えましたよ」

 セレーネはカップを取り、お茶をれている。

「母さまは、呼んでも大丈夫なの?」

 セリアはセレーネの傍へ。ラシーヴィは抱きついたまま。

「ラシーヴィ」とレウィシアが声をかけても、手を伸ばしてもセレーネに抱きついている。

「大丈夫。サーリチェやカイが呼べばどうなるか」

「それはもう話した」

「そうですか」

 セレーネはお茶を一口飲み、ほぅ、と息を吐いた。

「本来なら色々用意して呼び出すのだけど、その準備をすっとばして、いきなり。あの本の力でしょう。時間があればじっくり見たかったですけど」

「準備?」

「召喚魔法というのは、こことは違う場所、空間にいるものを呼び出す魔法。まず召喚陣を描いて、頼みを聞いてもらうなら代償、契約するのなら、とまぁ、色々。呼び出すのにも魔力を使うから」

「でも、ウンディーネは名前を呼んだだけで」

「ウンディーネとは何度も会っているから。互いに知っているし。名前しか知らない精霊、魔獣を呼び出すなら、召喚、になるわね」

「使ったことあるの」

「いいえ。私から探しに、会いに行っていたから。呼び出しても頼みはない。魔力の無駄遣いもいいところ」

「行動力がありすぎる」

「若い頃、ですよ」

 レウィシアは苦い息を吐き、セレーネはそんなレウィシアを見る。

「今も十分に若い」

「ありがとうございます」

 セレーネは小さく笑っている。

「彼はニーズヘッグの世界から二度と出て来れない。自業自得なのでしょう。ですが、抜けがら、人形でも彼女といられるのなら、彼にとっては」

 どんな場所だろうが愛する者といられるのなら。

「人というのは、ときに思いもよらぬ行動をする」

 ラベンダーが言っているのはマダハルの妻のことか。意思もないのに手を取った。まるでどこまでも一緒だというように。

「なぜ、セリアが狙われたのです?」

 レネウィの言う通り。魔力だけならサーリチェが。

「ん~、はっきりとは」

 セレーネは人差し指を顎にあて、

「名前が似ていた、髪や瞳の色も、少し違うけど、似ていた。幼い頃の自分に重ねた、とか。さすがにセリアになんとかしてもらう、助けを求めるのは」

 むぅ、とセリアはむくれている。

「あとは初代と契約した精霊の何かを感じ取った、とか」

 それなら、まだ精霊の力は。

「助けを、求めたのかもしれないね」

 ラベンダーに視線が集中。

「子供は感覚が鋭い。言いたくても言えないことを感じ取ってもらおうと、体を借りて代弁しようとした、のかもね」

 サーリチェでなく、セリアに。彼女にしかわからないものをセリアに感じたのか。

「セリアはもう狙われない。別の意味で狙っている人はいるけど」

 セレーネはいたずらっぽく笑う。嫁に、という意味で。

 お茶を一口。

「ここに来る前に戴冠式、結婚式の会場を見てきましたが、床に魔法陣が描かれていました。床の模様と見分けがつかないような。ケット・シーに話して、今、魔法使いが大急ぎ、必死で消しています」

 セリアに目をつけなければ、あの場にいた全員を。

「結婚式は予定通りおこなうそうです。その前に今回の説明はするそうですけど、かなり話は省かれる、もしくは誤魔化ごまかされるでしょう」

「どういうこと?」

 セリアはソファーに座らず、セレーネの傍の床に。

「彼、マダハルは隣国の貴族だそうです。自国の者ならともかく、隣国、となると」

「問題になるな」

「こちらには別荘があるようで。自国より他国で事を起こせば。しかもここはワーウルフの話もある、と考えたのかもしれませんね。今となっては想像、ですけど」

 小さく肩をすくめている。

「自宅は使用人がいるでしょうから、何かあるとしたら別荘。今すぐ行きたいんですけど」

 セレーネはラベンダーを見る。ラベンダーはカップを傾けて話を聞いていた。

「結婚式に出ないといけない」

「ええ。私だけ出ないのは怪しまれます。なので、明日」

「どうして行くの。あの男の人はもういないのでしょう」

 セリアはセレーネのドレスを握っている。

「残りの精霊がそこにいるかもしれないから。彼はニーズヘッグを呼び出し、言うことを聞いてもらう代償として、精霊を捕らえ、封じていた」

 セレーネの視線はサーリチェの膝にいる小さな精霊に。一体は白銀の小さな鳥、一体も鳥、白い体に虹色の尾。一体は絵本に出てくるような小さな人の姿、背には透明な羽が。三体とも怯えているようにも見える。

「同じように封じられているのなら、解放しないと」

 納得したのか、セリアはセレーネのドレスから手を離す。

「あと、禁呪本があれば始末しないと。あれ一冊とは限らないでしょう。誰かに見つけられ、持ち逃げされて、悪用されたら」

 今回のような事態に。

「自宅に物騒なものは置かないでしょうから、別荘だけでも。サーリチェにも付き合ってもらおうと」

「私」

 サーリチェは自身を指している。

「ええ、本の中身はラベンダーがわかります。ラベンダーとサーリチェが組んで危ないものは始末。手早く始末しないと。いつ入ってこられるか」

 この国の兵も証拠探しを。

 セリアは再びセレーネのドレスを引いている。

「セリアはだめ。加減を間違えて邸ごと燃やされたら、証拠も残らない。サーリチェはセリアより制御できるでしょう。ウンディーネもついている」

 むぅ、とセリアは頬をふくらませている。

「本当はシアにも来てもらいたかったのですけど」

「禁呪本などわからないが」

「本だけとは限りません。道具もあるかもしれないので、その剣で壊してもらいたいんですけど、そうなると子供達が」

 アルーラ、ユーフォルはいるが二人同時にいなくなるのは不安だろう。ラベンダー、サーリチェがついていても。レネウィは不安顔。セリアも。ラシーヴィは相変わらずべったり張り付いている。

「ケット・シーを脅して誰も入れないよう、猫に見張ってもらっていますけど」

「……」

「知っているのも限られた者。この後、結婚式もあるので、兵、魔法使いは動かせません。ですが、いつまでもは無理なので」

「……なんと言って脅した」

「同じことが起こっても知らない、手は貸さない、と頼みました」

 修正しても遅い。

「大丈夫、なの」

 レウィシアもセリアと同じ気持ちだ。そこで何かあれば。

「後始末だけだから、大丈夫」

 セレーネは安心させるようにセリアに微笑む。

「近くに町はあるのか」

「別荘がある場所が小さな町ですよ。近隣やこの地の貴族の休養地のようで。自然が多く、美味しいパン屋さんも多いとか。早く終わらせて、そこで何か買うのも」

 よだれらしそうな顔に。何歳になってもこういうところは変わらない。

「それなら、俺達もその町へ行こう」

「へ?」

「待っているだけは俺も不安だ。子供達も、だろう。俺達もその町へ行って、セレーネの用が終わるのを待とう」

「……」

 セレーネはなんともいえない顔に。

「先に美味しいパン屋を探して、食べながら待っていよう」

 セリアは「うん」と不安顔から笑顔に。レネウィも、ほっとした顔。

「……なぜ、そうなるんです」

 ラベンダーは笑っていた。サーリチェも小さく笑い。

 いつまでも暗い、沈んだ顔はしてほしくない。笑顔や笑い声が聞けて、レウィシアもほっとしていた。



 化粧崩れもなく、ドレスは汚れても破れてもいない。そのまま結婚式場へ。

 中止になってもおかしくはない。だが準備は進められていた。また別の日に国内の貴族、国外の王族が集まれるか。それぞれ予定もある。一、二ヶ月後に結婚式だけおこなうのも。それなら、騒ぎはあったものの、落ち着いた、もう起こらないのなら、と強行したようなもの。時間は大幅に遅れ。

 落ち着いたのは表面だけで内面は動揺、落ち着かないだろう。話していれば気晴らし、落ち着くかも、とも。

 式場では出席者を前に前女王が昼の、マダハルが起こした騒ぎについて説明。彼は禁呪とは知らず余興よきょうで魔法を使おうと、その練習をしていて失敗。止めようとした者と揉め、あのような騒ぎに。偽りの説明。しかし真実を話すのも。

 納得できない者もいるだろうが、めでたい席で追及するのも。この場では黙る一同。式が終われば、明日になれば、あることないこと。一番近くで関わったセレーネとレウィシアに貴族、王族だけでなく、魔法使いまで来そうだ。それを考えると、どこか別の場所に

避難していれば、町を観光していれば。

 結婚式も戴冠式同様、何事もなく進んでいく。

 戴冠式とは違ったアンスリウムのドレス、雰囲気にセリア、サーリチェは目を輝かせ。披露宴では着替えるか、髪型だけでも変える、と言い出すかもしれない。白猫はセリアの傍に。

 女王達に説明し終えると「沈められなくてよかったにゃ~」とケット・シーはぐったり。沈む前にニーズヘッグにより。ニーズヘッグがどういう存在か、力の持ち主か詳しく知らないが。

 ケット・シーはどこかでぐったりしているだろう。セレーネと一緒で質問責めだった。その後、魔法陣のことも伝えに走っていた。レグホーンはほうけており、アンスリウム、前女王は早々に見切り。

 セレーネは子供達に何もなくてよかったと、ほっとしていた。


 披露宴での話題は昼に起こった事件。セレーネとレウィシアは注目の的。しかしアンスリウムが睨みをきかせてくれて。大国、ということもあるのだろう。下手なことは言えず。子供を使い、同じ子供であるレネウィ、セリアから話を聞き出そうと。

 結局、行方不明の件も解決してしまった。庭のベンチで小さく息を吐く。

 空には星がまたたいている。庭のあちこちにはランプが置かれ、部屋の中ほど明るくはないが、人の顔は判別できる。その人はちらほら。部屋の中がにぎやか。猫はあちこちに。

「お疲れさま、と言うべきか」

 レウィシアが声をかけてくる。

「お疲れさまはレウィシアも、でしょう。ルセオは」

 レウィシアはルセオをレネウィ、セリア、サーリチェでラシーヴィを見ていた。レウィシアは手ぶら。

「アルーラに預けた。それに女王や、前女王のはからいで、それほど。レグホーン殿が囲まれていた」

 それも二人の計らいか。

「押し付けてきた、ですか。ということは、説教、ですか」

 今日のことか、明日のことか。

「無茶はするな。セレーネに何かあれば俺は。俺だけじゃない」

 レウィシアはセレーネの隣に腰を下ろす。

「した覚えは。手は出しませんでしたし」

 ニーズヘッグに関しては。

「それに我が子の危機。シアも黙っていないでしょう」

 にっこり笑ってレウィシアを見た。レウィシアは大きく息を吐き、

「守護妃は健在、か」

「自ら名乗った覚えはありませんけど。守護妃というより騒ぎに首をつっこんでいたような」

 レネウィ達が生まれてからも色々あったが、レウィシアが出るほどの戦はなかった。そのためセレーネの活躍する場も……なくはなかったが。守護というより、騒ぎを起こしていたような。騒ぎを呼び寄せる妃?

 レウィシアはセレーネの手を取る。

「シア?」

「ああなれば、俺も迷わずセレーネの手を取る」

 マダハルと妻のことか。

「取らなくていいですよ。私の罪です。罰されるのは私だけ。振り払います」

 大事な者まで罰されることはない。大事だからこそ、余計に。

「別の方を迎えて、幸せになってください」

 レウィシアは顔を歪めている。セレーネは小さく笑い。

「冗談ですよ。それに、レネウィとセリアが黙っていないでしょう」

 何を言い、するか。

「先ほど二人は一緒だと言いましたが、実際は彼一人。彼女の魂は身体にありません。真面目に生きて、人生を終えていれば、生まれ変わって会えたかもしれないのに。永遠に会えない。それも、罰なのでしょう」

 悲しさをにじませ。

 それにあの身体も。ニーズヘッグの世界でたもっていられるかどうか。

「ですから、同じことをしないでください。まっとうに生きて、生まれ変わって、また会いましょう」

 レウィシアを見て微笑む。

「セレーネも、だ」

「私は幸せですよ。きっとシアと結婚していなければ、一人であちこち行っていたでしょう」

「別の者と結婚していたんじゃないのか」

「ええ、国のため、義務だと結婚して。子供一人生んで、義務は果たした。もちろん子育てはしますし、子供は愛していますよ。でも、そこそこ育てば、あちこち好き勝手行っていたでしょう。ここへも一人で」

 祖父やバディドの手伝いをしながら。 

「シアといたから、退屈はしませんでした」

 それはこれからも。セレーネは笑い、レウィシアは小さく息を吐く。

「俺もセレーネでなければ。セレーネだったから」

「そんなことありません。相手が誰でも、シアは良い夫で、父親でしたよ。私と違って」

「そんなことはない。セレーネも良い妻で母親だ。それは、無茶もするが」

 再び笑うが、今度はレウィシアも笑う。

「母様」

 遠慮がちな小さな声。

「どうしたの? 質問責めで疲れた? 逃げてきた?」

 レネウィが。セレーネはもっと近くにおいで、と手招き。座れるよう場所をあけようとしたが、座らず、セレーネの前へと立つ。

「どうしたの?」

 再び尋ねた。

「強くなります。もっといっぱい勉強して、剣も練習して、強くなります。好き嫌いもしないように、なんでも食べて。早く大きくなって、セリアやラシーヴィ、ルセオ、母様をまもれるくらい強くなります。だから」

 レネウィは必死。黙って聞いていた。

「だから、無理はしないでください」

「子供にまで言われるようになったか」

 レウィシアは笑っている。

 ……無理、していただろうか。こういうところまで父親に似てきて。

「母様」

 レネウィは真剣な表情。セレーネはレネウィを引き寄せ、抱きしめた。

 今回の件で心配させてしまったのだろう。

「ありがとう。でも、そんなに急がないで。今も頼りになる、しているから」

「でも」

「今回のようなことは、そうそう起こらない」

 今回は特殊だった。

「またいつか起こるかもしれないのですよね」

「その場にいるかは、わからないけど」

 セレーネはレネウィから離れる。レネウィは不安顔。右頬を撫でた。

「安心しろ。父様が今日のようにセレーネに張り付いている」

「……」

「ぼく達に何かあれば禁呪を使うかもしれないと、父様とラベンダー様が」

 使わないとは言えない。だがマダハルのように他人を犠牲にすることだけは。

 彼はどこかで道を間違えた。それとも彼女も望んでいたのか。どんな姿になろうとも傍にいると。

「母様がいなくなれば、父様はとても悲しみます。父様だけじゃない。ぼくも。セリア、ラシーヴィ、ルセオも」

「わかっているわ」

「本当か」「本当にわかっています」

 親子の声が揃う。

「ええ」

 親子揃って疑っているようだ。

「ラシーヴィやルセオにお父様と同じ思いをさせたくないもの」

「同じ思い?」

「お父様はラシーヴィくらいの年にお母様をなくされているから。お母様、あなた達からいえば、おばあ様のことを覚えていないの。飾られている肖像画や人から聞くだけ」

 共に過ごしてはいても、そのことを覚えていない。

「お父様、おじい様のことは覚えているけど、国王。遊べる時間も限られていたでしょう。今のあなた達のように」

 約束していても急に仕事が入れば。

「お父様も約束を破りたくて破っているんじゃない。レネウィ達を大事に思っている。セリアは約束を破れば、嘘つき、とか嫌い、とはっきり言うけど、レネウィは言わない。お父様もレネウィと同じ、おじい様に我がままが言えなかったかもしれないわね」

 レウィシアは黙って話を聞いている。そんなレウィシアを見た。

「だって、皆、父様は忙しいとか、ぼく達だけの父様じゃない、多くの人の上に立っている。時には命にかかわると」

 言う通り。広大なグラナティスを一人で治めている。一つの指示で多くの人が左右される。

「それに、母様が父様の代わりにぼく達と遊んでくれるから。母様だって忙しいのに」

「お父様ほどではないから」

 それでも付き合えない場合もある。レネウィは渋々。セリアはやはり、嘘つき、嫌いと物を投げ、魔法を使ってくることも。レネウィも気持ちは同じなのだろう。セリアは自分の気持ちとレネウィの代弁もしている。

「さっきも言ったけど、急がなくていい。ゆっくり大きくなって。子供の時にしかできないこと、言えないこと、今しか楽しめないことをいっぱい楽しんで。レネウィはいずれお父様の跡を継いで、王様になるのだから。そうなったら、自分の一番にしたいことはできない」

「でも、父様は母様が傍にいてくれるだけで幸せだと、それが一番だと」

 レウィシアは頷いている。

「多くの不自由の中でセレーネという自由、我が儘を手にできた。それだけで十分だ」

 レネウィは仕事のすべてを見ていない。見ているのは一部。そして大半は家族で過ごしている場面。

「お父様の肩には多くの人の命や生活がかかっている。レネウィはいずれ、そのすべてを背負うことになる。今はわからなくても大きくなればわかってくる。そして大きくなったセリア、ラシーヴィ、ルセオが支えてくれる。どうしても嫌だと言うのなら、ラシーヴィかルセオが王に」

「セリアは?」

「アンのような女王になってくれればいいけれど。感情で魔法を使われたら」

 気に入らなければ魔法で、となっては。それにセリアはもう理解している。自分が治める、人の上に立つのは無理だと。クロノスの言葉もある。

 心配なのは闇討ち。レネウィが困っていればやりそうで怖い。セレーネはしなかったが。

「何か物騒なことを考えていないか」

 さすがレウィシア。セレーネは笑って誤魔化す。

「母様は子供の頃にやっておきたいことがあったのですか」

「そうね、父様や母様、弟ともっとたくさん話しておけば。レネウィのように我慢せず、言いたいことを言っておけば」

 レネウィ達を見せたかった。

「私は家族で過ごした思い出があるけど、シア、お父様は」

 あるのは父親。叔父とは争い。

「気にするな。その分、セレーネと過ごした思い出がある。それはこれからも」

 レウィシアは笑顔で。

 父親には精霊により与えられた力があった。そのため。レネウィ達にはない。そのことにレウィシアはほっとしていた。

「だから、レネウィも我が儘言って、甘えていいのよ。急いで大人にならないで。いずれ大きくなるのだから、今は元気に、自由に。それが母様からのお願いよ」

 セリアはもう少し我が儘を抑えてほしい。レネウィは聞き分けがよいところが。

「父様は今でも母様に甘えていますよ」

「そうね」

 乾いた笑い。

「甘えられるのも、我が儘言えるのもセレーネだけだからな。もっと甘えて、我が儘言っていいのなら」

 レウィシアの腹に肘鉄。これ以上はごめんだ。

「母様は無理しないでください。ぼくからのお願いです」

 レネウィの小さな手がセレーネの両手を握る。

「それは俺からの願いでもある」

 さらにレウィシアの大きな手も重ねられる。

「う~ん、約束できない、かも」

「母様!」「セレーネ」

 クロノス、スカビオサがあれこれ押し付けに。カイやサーリチェが大きくなれば。セリアもなぜかやる気に。

「私もレネウィの大きくなった姿やお嫁さん見たいから。もちろん、ラシーヴィ、ルセオも」

「早すぎます」

「そう?」

 セレーネは笑う。

「レネウィが早く大きくなってくれれば、父様はレネウィに王位を譲って、セレーネと二人、どこかで暮らそう」

「父様」

 レネウィは呆れたような、情けないような顔に。

「大丈夫。ルセオが大きくなるまで、私は傍にいるから」

「セレーネ」

 レウィシアの情けない声。再び笑う。レネウィも。

「そろそろ戻りましょうか。アルーラ、ユーフォルがついているからセリア達は大丈夫でしょうけど」

 別の意味で狙っている者は多い。

「ああ」

 レウィシアは頷き、立ち上がる。セレーネも。

「レネウィ」

 レウィシアは右手を伸ばし、セレーネは左手を。

「こうできるのも今のうち、かもしれないわね」

「大きくなれば、ぼくが母様の手を引きます」

「それは父様の役目だ」

 手を握り、明るく、にぎやかな部屋に戻った。



「色々お世話になりました」

 頭を下げるサーリチェ。

「帰るの」

 セリアは残念そうに。

「うん。ここでやることは終わったから」

 サーリチェの傍には五体の小さな精霊。

 昨日、セレーネ、サーリチェ、ラベンダーでマダハルの別荘へ行き、家捜やさがし。禁呪本の何冊かを燃やし、封じられていた精霊を発見。封印を解いて自由に。ラベンダーやウンディーネもいたので、サーリチェの傍にいたほうが安心安全と判断したのだろう。

 魔法は使われていなかったが、隠し部屋があり、そこはセレーネが調べた。行方不明者の持ち物は一切見つからず。証拠となるものはすべて処分したのか。しかし、大量の魔法書、しかも蘇生に関するものが多かった。魔法道具も。

 素早く終わらせ、別荘を出れば、入れ違うように兵が。この国か隣国か。隣国ならセレーネ達と同じ、処分しに来たのだろう。気づかれないよう移動、レウィシア達と合流した。

 合流した後は気分を切り替え、嫌なことはとっとと忘れて、パン屋巡りを楽しんだ。

 戻ってくれば全員のお腹はパンパン。セリア、サーリチェはケット・シーにもお土産としてパンを買い、渡していた。マタタビ入りのものはなかったが。

 サーリチェの手には昨日買ったパンの袋が。お土産として買ったもの。ラベンダーもお茶にパンにと、大満足した様子。支払いはすべてセレーネ達。

 サーリチェの傍には元の大きさに戻ったラベンダー・ドラゴン。大人二人くらい楽に背に乗れる。ニーズヘッグに比べると一回り小さい。が見上げるほどの大きさ。

「今回は勉強不足がよくわかった。もっと勉強しないと」

 レネウィは「うん」と頷いている。

「あと、本当にいいの。連れて行って」

「かまわないにゃ。だめと言われたら戻しにくれば、面倒はまた猫達が見るにゃ」

 サーリチェの腕には一匹の子猫も。サーリチェは子猫を気に入り、離れがたい様子だったので、一匹もらっていくことに。両親に反対されれば、ラベンダーかウンディーネが戻しに。ネージュは反対しないだろう。するのはスカビオサ。

 サーリチェだけでなく、セリアも白猫と離れがたいようで、こちらは子猫ではないが、レウィシア、ケット・シーと相談してもらっていくことに。白猫もセリアを気に入ったようで。セリアは名前を考えている。

「ありがとう」

 サーリチェは笑顔でケット・シーを見る。

「何もなければ、次に会うのは来年、だね」

 来年。恒例になりつつある、あの日。大騒ぎの一日。子供達は楽しいようだが。セレーネは遠い目。

「それじゃ、またね」

 サーリチェはラベンダーに補助され、背に乗り、手を振る。レネウィ、セリアも手を振り、ラシーヴィも。

 ラベンダーの翼が動くと風も動く。上空へ。姿が小さくなっていく。

「そっちも帰るにゃ」

 ケット・シーは風が治まるとセレーネを見上げ、

「ええ。頼まれていたことは片付けました。頼まれていなことも」

「ニャーズヘッグが現れた時は肝が冷えたにゃ。もう、だめにゃと」

「そうですね」

 セレーネは息を吐く。

「来てくれていにゃければ、この国はどうにゃっていたか」

 マダハルにより大勢の犠牲が出ていた。

「でも、これで解決にゃ。日常に戻るにゃ」

「ここに? それともまた出るんですか」

「当分はここにゃ。日当たりのいい場所で昼寝ひるにゃ

 セリアは「ひるにゃ」とうらやましそうに。そして別れに残念そうに。

「そうですか」

「またにゃ」

 ケット・シーも去って行く。

「セレーネ」

 レウィシアに呼ばれ、こちらも帰る準備。準備はできているので、馬車に乗るだけ。

 人気のない場所でサーリチェの見送り。アンスリウム、前女王とは朝食を共にした時に挨拶を済ませている。見送りはいいと断っていた。忙しいのはわかっている。二人からは色々ありがとう、と深々と頭を下げられた。

「帰るの」

「ええ。来た時のように、あちこち寄って」

 一日、二日の距離ではない。

 グラナティスに戻れば、レウィシアは書類、謁見、今回の成果報告。セレーネはレウィシアの手伝い。子供達と遊んで、暇を見つけて魔法の研究。日常に戻っていく。穏やかで、楽しく、時々騒がしくなる日常に。

「帰ろう、家に」

 子供達は大きく頷き、セレーネも「ええ」とレウィシアの言葉に笑顔で頷き、伸ばされた手をとった。

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