第36話

 レネウィは廊下を一人で歩いていた。広い自分の家。迷いはしない。レネウィを知らない者はいない。客が来る時は両親が教えてくれ、一緒にあいさつすることも。

 歩いているとすみでうずくまっている使用人。

「どうかしたのですか。気分が悪いのなら」

「いいえ。大事にしていたものを落としてしまい、探しているのです。私は新しく来たばかりで、迷ってしまい。どこで落としたか。とても大事なもので、どうしようと途方に暮れていました」

 使用人の女性は心底困っている。とても大事なものだったのか、悲しそうな顔。

 今日の勉強は終わった。この後は自由。レネウィはこの国の第一王子で、今のところ王位をつぐのはレネウィとされている。そのため学ぶことはたくさん。一時など一日中の予定を決められ「これではがんじがらめ、少しは自分の時間を与えないと、本人の気づかないうちにストレスで潰れたら、どうするんです」と母が言い、日によって違うが自由に、何をしてもいい時間が作られた。その時間は何をしようと自由。勉強しようと、遊ぼうと。遊び相手はガウラとフィオナの子、セリアと同い年のグレイルが多い。以前、友人と言われ、女の子やその親に囲まれ、怖い思いをし、友人と聞くだけで、びくっとしたがグレイルはレネウィと同じ男。以前の女の子達と違った。

 最近では剣の訓練も一緒。自分の父が強い、とケンカをし、レネウィ、グレイルの父にどっちが強い、と直接聞き、父同士が訓練場で剣を交えていた。

 決着はつかず、母の魔法に二人はつぶされ「強いのは、私でした」と。それを見ていたセリアが「わたしも、わたしもやりたい」と。

 父、アルーラ、ガウラから、

「セレーネは強い」「王妃様は強いですよ」「王妃は強い」

 声を揃えて聞かされ、グレイルと顔を見合わせた。

 一年に一度、母の友人が来る。その子供、カイ、サーリチェも。二人は一度ではなく、何度も。どちらもレネウィより年上。グレイルにサーリチェを紹介すると、固まっていた。なぜ固まっていたのか、たずねると「あんなきれいな女の子、見たことない」と話していた。サーリチェはセリアと違い、大人しく、もの静か。セリアはグレイルとケンカすることも。

 この後、予定はなかった。

「あの、探すの、手伝いましょうか」

 城なら詳しい。困っているのなら。

「よろしいのですか。何かご予定があるのでは。人に会う、とか」

「いいえ、ありません。夕食の時間まで大丈夫です」

「そうですか。では、お願いします」

 悲しそうな顔から笑顔に。

「はい」

 レネウィも嬉しくなり、元気よく頷いた。


「こちらです」

 案内されたのは南の庭。城の周りは城壁に囲まれているが、内側は緑に囲まれている。ここではないが、日当たりのよい場所には温室も。

 母は植物が好きで、自ら育てている。中には母しか触れない、よくわからないものも。レネウィも育てたり、庭師から花を分けてもらっていた。食べられる物ができれば分けてもらい、母が何か作ってくれたり、その場でつまみ食い。

 母が来るまで父は庭に興味がなかったそうだ。母が来て、父は母と庭をよく散歩するようになり、温室に二人で見に行き、育てている花を部屋に飾って。

 庭でお茶をするので、どの季節でも楽しめるよう、季節により咲く花を植えている。レネウィやセリアが生まれた時に植えた木も。ラシーヴィ、ルセオが生まれた時はレネウィも父と一緒に植えた。

 殿下や姫様も来られるようになり、花も喜んでいます、と庭師はうれしそうに。

「お父様には内緒ね」とこっそり城を抜け出し、城下町に遊びに行ったことも。ばれれば、父の機嫌は悪くなる。

「ここで落としたのですか」

「ええ。中は探しました。もう、この場所しか」

 どの庭も庭師により手入れされている。それはここも。だが廊下から離れている。廊下、廊下近くなら人が通る。落し物を集めた小部屋もある。何日か置いて、持ち主が現れなければ処分。誰にも見つけられなかったのか、そこにもなかったらしい。

 城では多くの人が働いている。レネウィが知らない仕事もいっぱい。疑いもせず、使用人の後ろを、足下を見ながら歩いていた。

「あっ」

「見つけたのですか」

 使用人が声を上げたので、傍へ。

 使用人は小さな池を見ている。池には金魚が泳いでいるはず。

 どこにあったのか、レネウィも池を見た。なぜか水面がすぐ目の前に。



「レネウィ?」

 私室でセリア、ラシーヴィ、ルセオと。セリアは文字の書き取り。わからない文字、文字の意味をセレーネに尋ねることも。ラシーヴィは部屋を歩き回り、ルセオは眠っていた。

「セリア、弟を見ていて」

 扉より窓が近い。窓から飛び下りた。

「母さま!」

 魔法を使い、地面に着地。あとは全速力で駆ける。

「セレーネ様、どうしたんです? そんなに慌てて」

 途中、アルーラが並び、声をかけてくる。

「レネウィが」

「レネウィ王子が?」

 答える間が惜しい。一秒でも早く。とにかく駆けた。

 辿り着いたのは廊下から離れた庭の一角。小さな池に躊躇ためらいもせず、飛び込んだ。

「セレーネ様!」

 それほど時間は経っていない。大丈夫、きっと効いている。そう信じ、池の底を見ると、捜していた存在。両手を伸ばし、抱え上げた。

「セレーネ様! 何を、ええ! レネウィ様」

 腕の中のレネウィは、ぐったり。

「レネウィ!」

 呼ぶも反応はない。

「セレーネ様!」

 アルーラが手を伸ばしてくる。その手にレネウィを。

 涼しくなり始めた季節。いつまでも水の中にいては。アルーラはレネウィを受け取り、地面へ。

「レネウィ様! レネウィ様!」

 大きな声で呼びかけ。

「っ、失礼します」

 軽く頬を叩いている。セレーネも池から上がり、二人の傍で膝をつき、

「レネウィ!」

 叫ぶと、こほっと小さな咳。続けてこほこほと。

「かあ、さま? アルー、ラ?」

 アルーラと揃って、ほう、と息を吐く。

「ぼく」

 ぼんやりとした目。体は小さく震えている。アルーラは上着を脱ぎ、レネウィに巻きつけた。

「医師を呼びます」

「それなら部屋に、この子の部屋に」

「わかりました」

 セレーネはレネウィを抱え、再び脇目もふらず走った。アルーラは医師を呼びに医務室へ。


 レネウィの部屋に辿り着くと、ソファーに寝かせ、着替えを取りに。焦り、手が震え、うまく服がとれない。落ち着け、と息を吐き、手を叩く。着替え一式をとって、ソファーへ。濡れた服を脱がせ、タオルで体を拭く。

 着替え終えれば、寝台に。体を冷やさないよう、しっかり布団をかけたところに、医師とアルーラが駆け込んできた。

 医師はセレーネの姿を見て驚いていたが、

「レネウィを」

「はい」

 寝台、レネウィの元へ。

「セレーネ様も着替えてきてください。おれがここにいます。このままではセレーネ様も体を冷やします」

 レネウィだけでなく、セレーネまで寝込むわけにはいかない。

「お願いします。あ、それと、池ですけど」

「池がどうされました」

「深かった」

「深い、ですか」

「はい。あの時は気が動転していましたけど。池は子供達が自分の足であちこち行き始めた頃、間違って落ちないよう、浅くしたはず」

 それなのに、セレーネの背丈以上の深さに。アルーラも「あっ」と今気づいた様子。

「レネウィはどうしてあんな所に」

 心配させないよう、動いていた。

「とにかく、早く着替えてきてください。池は後で調査しに行きます」

 セレーネは急ぎ足で私室に。

「母さま! どうしたの、その姿」

「ここは何も変わらなかった?」

 セリアが駆け寄ってくる。

「はい、誰も」

 ほっと息を吐き、着替えに寝室へ。手早く着替え、

「セリア、ラシーヴィを」

 セレーネは寝ているルセオを抱き上げた。

「どこへ行くの」

 セリアは不安そうな表情。理由を話さずにいるから。

「レネウィの部屋よ」

 安心させるように微笑んだ。


 居間に子供達を置き、寝室へ。

「呼吸も脈も安定しています。池に落ちられたそうですが、発見が早く、処置もよかったのでしょう」

 医師の言葉を聞き、アルーラと揃って、再び安堵の息を吐いた。

「兄さま、池に落ちたの」

 小さな声。見ると、寝室の入り口にタオルを持ったセリアが。

「母さま、まだぬれていたから」

 拭きもせず、濡れた服を着替えただけ。そのためセリアはタオルを持って。

「兄さまは」

 顔を歪め、タオルを強く握っている。

「大丈夫。医師に診てもらったから」

 笑顔でセリアを見た。

「ええ、大丈夫ですよ。セリア様」

 医師も安心させるように。

「温かくして安静に。何かありましたら、お呼びください。すぐにまいります」

 医師の言葉にセレーネは頷く。

「念のため、部屋の前に護衛を置きます。セリア様がここにいる、ということは」

「下二人も居間に」

「なぜこうなったかはわかりませんが。池の調査と、陛下に報告してきます」

 レネウィ本人の口から聞かないと何もわからない。

「お願いします」

 医師とアルーラは部屋から退室。セレーネはレネウィの寝顔を見て、ほっと息を吐いた。レネウィの寝顔は穏やか、落ち着いた呼吸。

「母さま」

 服を引き、セリアは持っているタオルを渡してくる。

「ありがとう」

 笑顔で受け取り、濡れている髪にあてた。



「失礼します、陛下。かまいませんか」

 謁見の空き時間。それまで謁見をしていた者は部屋を出て、ユーフォル、臣下は次の謁見の準備。

「謁見が終わるまで待っていたんだろ。十分ほどなら」

 謁見途中、アルーラが来ていたのは気づいていた。急ぎなら待ちはしない。

「落ち着いて聞いてください」

 アルーラは真剣な表情。

「セリアが何か壊したか」

 冗談をにじませる。

「それならよかったんですが、レネウィ様が南の池に落ちました」

「なん、だと」

 ユーフォル、臣下達の動きが止まる。

「セレーネ様が助けられました。そのセレーネ様の言葉ですが、池は深くなっていたと」

「どういうことだ、何が」

「結論から言えば、レネウィ様は無事です。医師に診てもらい、こちらに来ました。ああ、池の調査は途中ガウラに会ったので、頼みました」

 無事と聞き、ユーフォル、臣下一同はほっと。しかしレウィシアの体は冷たい。

「一から話しても」

「ああ、話してくれ」

「セレーネ様が珍しく全力疾走しているのを見て、追いかけたんです。そうしたら、南の庭の一角へ。セレーネ様はそのまま池に。何を、と思いましたが、次に出てきた時はレネウィ様を抱えて」

 さらに体が冷たく。

「あの時は慌てて気づかなかったんですけど、思い返せば、セレーネ様は肩まで水につかって」

「ありえない。池は」

「ええ、レネウィ様、セリア様があちこち自分の足で行きだしてからは浅くしていました。深くても、レネウィ様の腰あたり」

 何かあっては、と浅くした。

「なぜ、レネウィはそこに」

「わかりません」

 アルーラは首を左右に振る。

「レネウィ様は今、部屋です。セレーネ様達も一緒に。念のため、部屋の前に護衛を置いています」

 セレーネのこと、レネウィに何か魔法をかけていたのだろう。レウィシアはセレーネの贈ってくれたブローチをつねに付けている。子供達に毎日つけろ、と言っても。特にセリアは。そのため別の方法で護っている。

「そう、か」

 レウィシアは長く息を吐く。

「いいか」

 静かな部屋に響く、新たな声。

「池の調査は」

 アルーラが現れたガウラに尋ねている。

「今やっている。魔法使いに頼んで水を抜いているが、深くなっているのは確かだ」

「なんだと!」

 レウィシアは声を上げ、玉座から立ち上がる。

「落ち着け、他の池も確かめたい。その許可を取りに来た。あと俺の仕事は」

「別の誰かに任せる。ガウラ、アルーラで池の調査を。指揮は二人に任せる」

 ユーフォルを見た。二人の仕事の調整。

「わかりました」

 アルーラ、ガウラが頷く。

「謁見者が待っているが」

「もう少し待つよう伝えてくれ」

 謁見より大事な話。臣下の一人が伝えるために動く。

「王子は無事なのだろうな」

 ガウラはアルーラを見た。

「ああ。さっきも話したが、セレーネ様達全員、レネウィ様の部屋だ。兵も置いている。もし誰かが狙っていたとしても」

「王妃と姫の魔法で一角が吹き飛ぶな。上着はどうした」

「池から助け出したレネウィ様に。そこからはばたばた」

 新たな上着を取りに行く暇など。それほど色々手配を。

「なぜ狙っていると。王子が誤って落ちたのでは」

 口を挟んだのは高い声、クラシー姫。

「その可能性もありますが、誰かに、という可能性もあります。もし、王子の不注意と思い込み、何もせずにいて、何かあれば、我々全員の首が飛びますよ」

「レネウィは賢い。親を困らせることは」

 その分セリアにはよく困らされる。下の子の面倒はレネウィ同様見てくれるが。

「賢くても子供。母親恋しさに、では。王妃様も仕事に幼い子供の面倒、大きくなった王子など」

「それはない」

 クラシー姫の言葉をはっきり否定。確かに母恋しさはあるだろう。だがそれ以上に、

「セレーネや俺を困らせ、悲しませるようなことはしない」

 それにどれほど忙しくともセレーネは毎日、レネウィ、セリアとお茶したり遊んだり、と時間を作っている。

「まあまあ、陛下。王子はご無事なのでしょう」

 姫の傍に控えている臣下が口を挟む。

「それに陛下には他に三人の子供がいるでしょう。そして陛下自身も若い」

「何が、言いたいのですか」

 声が低く。ガウラ、アルーラだけでなく臣下も非難の目を向けている。

「申し訳ありません。失言でした」

 頭を下げているが形だけのもの。

「子供は」

「は?」

「貴殿に子供は」

 レウィシアより十は上だろう。

「……おりますが」

 男は小さく首を傾げている。

「貴殿の子供が同じ目に遭っても同じことが言えると。代わりがいるから、若いから、と言われ、心穏やかでいられると」

「臣下の失言、申し訳ありません」

 クラシー姫が深々と頭を下げる。

「陛下の王妃様への愛情はうかがっております。しかし王妃様はどうでしょう」

「どう、とは」

「王妃様の話も耳に挟みまして。本当に四人とも陛下のお子様で」

 うっすら笑みを浮かべて。

「どこで何を聞いたか知りませんが、俺とセレーネ、王妃の子供に間違いない」

 他国の者は知らないだろうが、レウィシアの下げている剣は王族の血を引く者しか触れない。四人とも平気で触り「私はこうなるのよね」と子供達の目の前で、セレーネは剣に手を伸ばし、弾かれていた。レネウィは大丈夫ですか、と心配し、セリアは、わたしは平気なのに、とぺたぺた剣に触れて。

 レウィシアの血を引いていなければ、触れない。臣下も、叔父の子供といつって来た者の件もあり、馬鹿なことは言わない。

「そうですか。話を鵜呑うのみにしてしまい、申し訳ございません」

 再び頭を下げるクラシー姫。

「仲良くなったのですから、お見舞いにうかがっても」

「……心配かけて申し訳ありませんが、当分は」

 家族、信頼できる者のみ。

「俺は調査に戻る。詳しくはわかってから報告する」

「では、おれも」

 ガウラ、アルーラは一礼して部屋を出て行く。次の謁見者が部屋の出入り口で待っている。

 レウィシアは深呼吸して、次の謁見者を部屋の中へ。


「レネウィは」

 駆けつけたレネウィの部屋、寝室。

 寝台の上にはレネウィ、ラシーヴィ、ルセオが。セリアは椅子で大人しく本を読み、セレーネも椅子に。口元に人差し指をあてている。

「すまない、レネウィは」

 声を落とし、寝台の傍、レネウィの顔を見る。

「医師に診てもらったから、大丈夫ですよ」

 セレーネの手がレウィシアの背に触れる。

「今は眠っているだけ」

「ラシーヴィ、ルセオも一緒に、か」

「子供は体温が高いから。それに二人ともお兄様大好き」

 セレーネは小さく笑う。よく面倒を見ている。セリアはラシーヴィと喧嘩することも。兄ということもあり、レネウィが間に入り、仲裁。

「仕事は」

「謁見はすべて終わった。あとは書類だけ。ユーフォルが様子を見てこられては、と」

「そわそわしていたのを見抜かれたのでは」

「大事な息子の一大事。それなのに」

 仕事などできるはずない。謁見をこなしただけでも誉めてほしいくらいだ。

「大丈夫か」

 セレーネを見る。まだ日は落ちておらず、部屋には光が差し込んでいる。セレーネの顔は青いようにも。頬に触れると、冷たい。両頬を包み、額を合わせる。体温を分けるように。

「大丈夫ですよ」

 頬を包んでいるレウィシアの手に触れたセレーネの手は冷たい。それほど心配している。

「子供の前で」

 セリアの呆れた声。

「セリアともよくやっているだろう」

 額や頬を合わせ。

 セレーネの額と頬から手を離し、セリアの頭を撫でる。

「目は、覚ましたか」

 セレーネは首を左右に。

「そうか」


「ラ、シーヴィ」

 かすれた声にレウィシア、セレーネ、セリアがそちらを見た。

「レネウィ」

「かあ、さま」

 セレーネの声に反応。頭も動く。

「うっ」

「シア」

 なだめるような、呆れたようなセレーネの声。手はレウィシアの背を撫でている。レウィシアはレネウィを抱き締めていた。

「心配した」

「とう、さま?」

「無事でよかった」

 レネウィの小さな手がレウィシアの背に。届かないので、届く範囲で服を握っている。

「心配かけて、ごめんなさい」

 しゅん、とした声。レウィシアはレネウィから離れた。何から聞くべきか。

「大丈夫? 痛いところ、苦しくはない? 寒いとか」

 セレーネもレネウィへと手を伸ばし、頬に触れている。

「痛い? 苦しい?」

 レネウィは小さく首を傾げて。まさか、覚えていないのか。それはそれで。

「落ち着いて」

 セレーネの声。レウィシアの手を握る。

「ないのなら、温かいミルクでも持ってきてもらいましょうか」

「わたしはココアがいい」

 セリアの元気な声。

「ぼく」

 レネウィはぼう、とした目に。

「あ、ぼく池に」

 思い出したのか、自らの体を抱くように。

「大丈夫。お父様に抱き締められて苦しかったでしょう」

 こちらが現実、助かったのだと。セレーネはレネウィの背を撫でている。

「父さまったら部屋をうろうろしていたのよ」

「セリアだって心配して何度も寝台に上がったり下りたり、後をついて歩いていただろう」

「もう、父さま!」

 ぽかぽか叩いてくる。

「でも、どうして母さまは兄さまが危ないってわかったの」

「あなた達に魔法をかけているから」

「魔法?」

 レウィシアは納得。

「教えてもらったの。私じゃ一日もたないのしか知らなかったから。ネージュさん、カイとサーリチェのお母様に」

 母子と薬師の女性、ヴェルテは一年に一度、揃って城に来て大騒ぎしている。父親は二人の子供を度々たびたびセレーネに押し付け。

「お父様のようなお守りは、はずせば忘れるでしょう」

「忘れない。セレーネがくれた大事なもの」

「はいはい。シアはそうでも、子供はそうでもないかもしれないでしょう。だから直接かけて、長持ちするのを教えてもらったの」

「わたしにもかかっているの?」

「ええ。ラシーヴィ、ルセオにも」

 セリアは自身の体をあちこち見ている。

「いずれ必要なくなる。レネウィもセリアも自分の身を護れるようになる。それまで、ね。それに万能じゃない。ずっとは続かない。短時間だから、過信しないように」

「かしん?」

「自分を護ってくれているものがあるから、何があろうと大丈夫、と思わないこと」

「でも、この前、旅行した時に」

 ブローチ、ペンダントを二人に。

「あれは一日だけだったでしょう。大勢の人に会うから念には念を入れたの。次の日からは何もつけずに遊んでいたでしょう」

 レウィシア、セレーネ。他の、信頼できる者の目もあった。

 レネウィはいずれこの剣を、セリアは魔法を。下二人もそれぞれ。

「父様、あの」

「ああ、飲み物を頼んで」

「いえ、そうではなく。池に、落ちた、のですよね」

 はっきりしない言い方。

「女性の使用人が落し物をした、と困っていたので、一緒に探していたら、あそこへ」

 誘導した。

「池に向かって声を上げていたので、ぼくも池を見たら」

「落ちた」

 レネウィは頷いている。

 レネウィが足をすべらせたにせよ、その使用人は助けもしなかった。助けたのはセレーネ。動転していたのなら、大声で叫べばよかった。誰かが聞きつける。

「新しく来た、と言っていました。でも、見覚えのない使用人でした」

「……使用人の顔を覚えているのか」

「全員ではありませんけど、身近な人やよく見かける人は」

「さすがシアの子。私は身近でもノラとリコットの数人。配置換えされたら」

「わたしも。ノラとリコットはわかるけど」

 母娘揃って。ユーフォルの娘リコットは城で働くことを考えているとか。父親のようなことはできないが、レネウィ達の面倒を見ていたことから、ノラのように王族の身近で働ければ、と。身元もわかっている。レネウィ達もなついているので城への、レウィシア達が生活している区画にも自由に入れるようにしている。それはフィオナ、アルーラの妻も。

 レウィシアはレネウィの頭を撫でる。

「飲み物を頼んでこよう。夕食はこの部屋に運ばせる。いつも通り、皆で一緒に食べよう。食べられそうか」

 レネウィは考えている。

「温かくて食べやすいものを頼んでおく」

「はい」

 寝室を出ると、セレーネもついてくる。居間でセレーネに抱きついた。

「よかった」

「はい」

 セレーネもレウィシアの背に手を。

「すべての池を調べている。途中報告だが、レネウィが落ちた池は深くなっていたそうだ」

「そこだけ忘れた、ということはないでしょう。魔法の練習なら、訓練場。個人でやるにしても魔法師長に許可を取り」

 レウィシアに話がくる。もし、来ていたら覚えている。元に戻すまで立ち入り禁止。

「誰かが計画的に深くした?」

「その可能性もある。その場合、狙いは」

 子供達。ラシーヴィ、ルセオは目が離せない。そして預けるのなら信用している使用人。

 セリアは魔法が使える。手加減できないが。もし池に落ちたのがセリアなら、池の水ごと蒸発させていた。しかし、レネウィは。

「肝が冷えた」

「私も」

 セレーネの手に力が入る。

 セレーネを失うことも怖いが、子供達を失うことも。

「落ち着くまで、レネウィの傍に」

「わかっています。とはいえ、数日は安静に、でしょう」

 目が覚めたから大丈夫、だとは。

「部屋の前に護衛は置いている。夕食までには何かわかるだろう」

 離れたくはないが、セレーネから離れ、頬に口付けて部屋を出た。


「深くなっていたのは南の池だけだった」

 執務室で書類の整理をしていると、ガウラ、アルーラが報告に。

「西の深さは変わっていません。魔法師長に尋ねたところ、庭の池は二つとも浅くしたと。誰にも気づかれず深くできるのは魔法使いだけ。誰かあの池で、もしくは付近で魔法の練習をしていなかったか調べるそうです」

「王子の足どりも調べたが、勉強の後は全く。廊下ですれ違った者は数人いたが、それも午前中。昼食は王妃や妹姫達と一緒だったのだろう」

「ああ、昼食後も二時間ほどは勉強、その後は自由。お茶にするならセレーネ達と。温室、訓練場に行くにしても、誰かと会うはず。レネウィは落し物をして困っている使用人がいたから一緒に探していた。いたら、あそこへ」

「……それって、その使用人が一番怪しいんじゃ」

「ああ、人目につかない、もしくはレネウィを隠しながら進んだのかもしれない。レネウィはその使用人に見覚えがないとも言っていた」

「新しく来た者でもレネウィ王子は知っているはずです。ですが、お世話は長く仕えている者が」

 ユーフォルの言う通り。レネウィもセリアもセレーネが見ているが、見られない場合もある。何よりラシーヴィ、ルセオはまだ幼い。レネウィ達より目が離せない。そのため使用人を頼ることも。付けている使用人は長く勤めている者。新しく入った者は不慣れなことが多く、覚えるだけで、自分のことだけで手一杯。

「もし、その使用人が魔法使いで、陰から見ていたら、池は元に戻されていただろう」

「つまり、その使用人は魔法使いではない。そして陰からは誰も見ていなかった」

 いたらガウラの言う通り、証拠隠滅で元に戻されていた。先にガウラが調べていたから元に戻す機会を。もしくは戻す気などなかった?

「もし魔法使いなら、その場で連れ去られていた可能性もある」

 怒りがくと同時に体が冷える。

「調査は続ける。狙いは王子か、一家か」

「俺はともかく、セレーネ、子供達に護衛はつける。当分は部屋で大人しく、だがな」

「陛下も一人で出歩くな。誰か一人でもいい、付けるか、人目の多い場所を歩け。いつかのように刺されては」

 ガウラは右手で額を押さえ、渋面。

 セレーネのお守りもある。戦が終わり、何もなかった、ことはないが、お守りが働きはしなかった。

 刺されたあの時とは違う。すべて違う。レウィシアには護るべきものができた。ようやく訪れた、手に入れた穏やかな日々。ルセオが成人するまで倒れるわけにはいかない。


 レネウィに使用人の人相を聞き、使用人をまとめている者にそれぞれ聞くも、大勢いるため時間もかかり、顔を覚えていない者も。それぞれの事情で短期間、短時間働きの者もいる。

 魔法使いが池を使って個人練習していないか調べたが、そんな者はいなかった、と魔法師長。黙っていればわからないが、疑心をいだくのも。

 レネウィのことはそれほど広がっていない。三日目にはレネウィも元気になり、部屋の寝台で何もせず、大人しくしているのも飽きて「勉強したい、体を動かしたい」と話し「そんなところまでシアに似なくていいのに」とセレーネは呆れ。

 しかし自由に外を出歩いて、再び同じことが起こらないとは。まだ何も解決していない。



 その日、両親共に仕事で兄の部屋に兄弟でいた。父は王、母は王妃。忙しい身。面倒を見てくれる人はいる。が、今日はその人もおらず。母は一時間ほどで戻る、と部屋を出た。以前から客が来ると言っていたので、その客の対応。部屋の前には兵が。

 兄が池に落ち、五日。セリア達はずっと部屋。いや、一日だけ、息がつまる、と母と兄弟で温室に。その時も護衛付き。

 兄はたいくつ、きゅうくつな思いをしながらも、母とずっと一緒にいられるので、まんざらでもない様子だった。

 窓から入ってこられるのは魔法使いか、身軽な者。とはいえ、天気もよく、窓を閉めているのも。それも考え、セリア達の元には大きなクマのぬいぐるみが。以前訪れたリーフト、という国の王さまから贈られたもの。そのぬいぐるみに魔法をかけ、護衛としている。なんでも父の動きを覚えさせて、そこらへんの者なら一発、二発でたおせるらしい。

 セリアやラシーヴィにとってはいい遊び相手。兄は寝台から出て、居間で木剣を振っていた。心配性の父が見れば木剣を取り上げ、寝台に押し込んでいただろう。母なら、無理のない程度でなら、と許可。

 ぬいぐるみは器用にも兄の相手まで。ルセオは大人しく寝ている。そうなるよう母がルセオと遊んでいた。疲れたら、ラシーヴィも一緒に眠る。よく見ている光景。

 セリアはぬいぐるみから、母がわかりやく書いてくれた魔法書へ。兄はラシーヴィとぬいぐるみで遊んでいた。

 扉が叩かれ、兄が返事。

「失礼します。王妃様からおやつが届いています」

 少し扉が開かれ、兵はうかがうように。

「母さまから? 直接でなく?」

 セリアは読んでいた本を閉じた。

「はい。使用人が持ってきました」

「……いれてください」

「セリア」

 母から、ノラか母が直接持ってきたものでないと口にするな、と強く言われていた。

 兵は扉を開け、台車を部屋の中に。台車の上には布がかけられている。

「母様から言われているだろ」

「だからといって、いらない、返してきてください、と誰もいなくなれば、どうするの」

 兵がいなくなればセリア達だけ。他にも母から渡されている。それは最終手段として使いなさい、と言われていた。

 セリアは自分の小物入れをごそごそ。小瓶を取り出し、台車に。布を取ると、皿には美味しそうな菓子、ポッド、カップ。

「食べるなよ」

「食べません」

 セリアはポッドからカップへお茶をいれ、小瓶の中身を一滴、湯気のあがるカップへ。兄も見ている。

 茶色の飲み物は紫へと色を変えて。

「飲まないでよ」

「飲まないよ。それは」

「もらったの。これは返してきます」

「兵に渡すのか」

「わたしが返してきます」

「なら、ぼくも」

「兄さまはねらわれているかもしれないのよ。ここにいて。それに」

「それに?」

「ラシーヴィ、ルセオはどうするの。もし、兄さまにまた何かあれば、母さまが悲しむわよ」

 兄は母に弱い。父に叱られるより、母に悲しまれるほうが。そう言ったほうが効く。

 兄が池に落ちた時、母は青い顔をしていた。あんな顔は始めて見た。泣いたふり、悲しそうなふりはするが、あの時は震えて。そして父も。大きく頼もしい父までも。

「わたしは魔法が使えます。いざとなれば」

「加減ができないから、あまり使うなと」

 呆れをにじませ。

「危険になれば使ってもいいと母さま、父さまから許しはもらっています。人の多い場所を歩きます」

 兄は一つ息を吐くと、

「わかった。気をつけて行けよ」

「兄さまも。弟二人をしっかりまもってくださいよ」

 布をかけ直して、台車を押し、部屋を出た。

 部屋を出ると兵に「自分が持っていきましょうか」と言われたが、

「わたしが持っていきます。部屋には兄さまと弟達。はなれて何かあれば」

 考えているのか、兵は変な声で呻いている。

「わかりました。大丈夫ですか」

「大丈夫です。兄さまにも言いましたが、人の多い場所を歩きます。いざとなれば魔法で」

「そ、そうですか」

 台車を押して歩き出した。

 大事なのは第一王子の兄。セリアも大事にされているが、兄は次期国王。大事にされ、期待されている。ただ、母は、

「わからないわよ。レネウィが重さに耐えられなくなって、もうなにもかもいやだ! てなれば、セリアが女王様」

 女王。父のように臣下に囲まれ、難しい話。だけではない、視察やら要人との難しい話。どんなに嫌でも笑顔で。

「弟にゆずります」

 セリアには無理。兄の勉強を見て、聞いていてもわからない、その上武術まで。一時期朝から夜までやることを決められ。兄は学ぶことは楽しいと言い、母は自由な時間を作れ、と。母の勝ちとなったが。あんなのもセリアには無理。

 それなら何になるか。今は考え中だが、母のように、薬をくれた女性のようになりた、と思っている。

 母は父を支え、王妃として仕事しているが、ひまを見つけ、作り、植物を育て、魔法使いに魔法を教え、セリアも教わっている。おやつを作って皆で食べ。こっそり城を抜け出し、町に。これも兄と弟と一緒について行ったことが何度か。父にばれれば機嫌が悪くなり、母から目を離さない。父は兄と母を取り合ったことも。……今も似たもの。兄は母が一番で、父も同じ。子供のセリアから見て、呆れることも。

「おい」

「あ、ガウラ」

「何をしている。今がどういう状況かわかっているのか」

 足を止めず、台車を押し続ける。

「はい。わたしなら大丈夫です。兄さまのように引っかかりません。人の多い所を歩いています」

「片付けなら、そこらの者に押し付ければいいだろう」

「それをやれば、しょうこいんめつ? されそうなので」

「証拠隠滅? どういう意味で、どこへ行く」

「父さまの所へ。父さまとお茶をしに行くの、とにっこりかわいらしく言えば、皆笑いながら見送ってくれました」

「陛下は今……玉座で謁見中」

「知っています」

 台車を押し、父のいる部屋に。



 謁見中現れた小さな姿にぎょっとした。進んでくるかと思ったが、入り口でガウラと一緒に止まっている。急ぎならガウラも突入してくる。そうではないのだろうが、素早く終わらせた。

「セリア、どうした」

 玉座からセリアの元へ。セリアも台車を押して進んでくる。

「父さまとお茶をしようと思って」

「お茶? そんな時間か。だが」

「と言えば皆取り上げないので」

 意味がわからない。

「セレーネは」

「母さまは父さまと別で、お客さまとお話中。まだ終わっていません」

「そうだったな」

「これは飲まないでください。毒が入っています」

 セリアの冷静な声。レウィシア、ガウラ、控えている臣下もぎょっとしている。

「どうして毒が入っていると」

「ヴェルテ姉さまが渡してくれた薬です。母さまからも、ノラか母さまが直接持ってきたもの以外は食べても飲んでもだめ、と強く言われていたので」

「つまり、持ってきたのは」

「わたしは見ていませんけど、兵は母さまからだと、使用人が持ってきたと言っていました」

「なるほど、先ほど言っていた証拠隠滅は兵に頼む、兵でなくとも誰かに頼めば、それを持ってきた使用人が調べてもらうと言い、持って行けば」

 捨てられ、セリアの言っていたことは嘘か本当かわからなくなる。

「それにしても、よくそんなものをもらえたな」

 セレーネはいつも変な薬を押し付ける、と。

「王族っていうのはいんぼううずまいているから、いつ、どこで何が起こるか。あんたは母親に似て、けいかい心がある。でも、あの王子様は父親に似てどこか抜けてんのよね。だから、これあげる」

 ……抜けている。ガウラは笑いをこらえているのか、小さく震えている。

「どんなにびりょう、むみむしゅうの毒にも反応。飲んでも害はないけど、飲みたくないなら、カップに飲み物入れて、一滴落としなさい。色が変われば毒が入っている。変わらなければ、何も入っていない。しっかり兄弟まもりなさいよ、お姉ちゃん、と言って、くれました」

「色が変わったから、毒が入っている、と」

「はい」

 セリアは頷いている。

「さすが王妃の子。しっかりしている」

「む、それなら何も言わず、わたし達に出されたお茶です。父さまと一緒に飲みたくて、と言えば、知っている者はあわてて飛び出してきたでしょうか。それとも笑っているでしょうか」

「……どこでそんなことを」

 覚えたのか。

「解毒剤ももらっています」

「これは誰も飲んでいないんだな」

「いません」

「部屋には」

「兄さまと弟達。外には兵がいます。中には母さまがぬいぐるみに魔法をかけて、ごえいと遊び相手に。あと魔法のこめられた石をおいてくれています。投げつけたら魔法が発動するので、魔法の使えない兄さまでも」

 何が起きても大丈夫なように。大きな音がすれば人が集まる。それが王族の部屋なら。

「わかった。これは薬師に調べてもらおう」

「ヴェルテ姉さまじゃなくて」

「すぐに調べられないだろう」

 送り、調べて、結果を送ってくる。何日かかるか。それよりは城の薬師に。

「ヴェルテ姉さまは面白ければなんでも送ってきて、と。その地でしかとれない毒もあるから、ばっちり調べてあげるわよ。毒なら任せなさい、と高笑いしていました」

 薬師として優秀なのはレウィシアも知っている。知っているが、セレーネの言う通り、性格が。

「他には。何か言っていたか」

 もしくは吹きこまれていないか。

「母さまは父さまより強い。怒らせたら怖いのは母さまのほう。母さまはそんなに強いの、と聞けば、この城をぶっとばせるくらいの力はあるって言っていました。わたしもがんばって」

「頑張らなくていい」

 がくりと肩を落とす。

「母さまはカイ兄さまとリチェ姉さまのお父さまが好きだったけど、こっぴどくふられて。すきあり、と傷心の母さまを父さまがなぐさめた、と」

「……」

「最後は父さまのねばり勝ち。まじめで一途そうに見えるけど、計算と執念、根性で母さまと結婚した」

 全く違う。

「兄さまと母さまを取り合っていると話せば、大笑いしていました。息子だからいいけど、これがそこらの男、他国の王子でも権力使って人知れずまっさつしているって」

 何を話しているのか。謁見より疲れた気がする。娘との会話なのに。

「セリア、これをここまで運んでくれてありがとう。ガウラ、部屋まで送ってくれるか。これは」

 台車を見た。

「そちらは私が薬師の元へ」

 ユーフォルが進み出てくる。

「頼む」

 これで大丈夫だろう、とセリアを見た。

「厨房へ寄っていいですか」

「ああ、おやつか」

「寄って行こう。直接渡してもらえば」

 ガウラが目を光らせていれば、毒が入れられる心配はない。

「ついでに」

「わかっている」

 護衛の兵に使用人のことを。その使用人は利用されただけか。それとも。

 それぞれ部屋を出て行った。臣下はセリアが出たことで、毒の話を。


 セリアが出て行き、謁見をこなしていた。話が終わると、先ほどと同じように、入れ替わるようにガウラが。使用人のことが何かわかったのか。

「落ち着いて聞け」

 ガウラは真剣な表情。硬い声。

「王妃にも毒がもられていた」

「なん、だと」

 セレーネは来客中。なら、その客は、いや、セレーネは。

 レネウィの時のように、いや、それ以上に体が冷えていく。

「王妃は無事だ。客も。気づいた王妃が上手く誤魔化してぶちまけた」

「どうして」

 そんなことがわかったのか。

「厨房に行くとノラがいて、そこで聞いた。もちろん姫には聞こえないように。王子達の茶もノラに用意してもらい、部屋まで送り届けた。扉前にいた兵に茶を運んできた使用人のことも聞いたが、女性の使用人としかわからなかった。年はレネウィ王子の言っていた年と同じくらい。いつも王子達の面倒を見ている使用人とは違っていたから、余程忙しいか、配置換えがあったのか、とも話していた」

「陛下」

 ユーフォルの気遣わしげな表情と声。控えている臣下も騒がしく。

「少量だが残っていたものを薬師に回したそうだ。客には王子たち同様、ノラが直接用意したものを出し直した」

「最初に、客の分を用意したのは」

「厨房の料理人。新しく入った者はいない。しかし来ることはわかっていた。用意はしていた。昼時はばたばたしている」

 使用人、兵には食堂があり、そこで交代で取る。厨房は王族、客、たまに臣下に出す。厨房で働いている者も厨房で食事をとる。配膳は使用人。厨房の者も配置換え、休んでいるから代わりに、と言われれば疑わないだろう。特に朝食、昼食、夕食のばたばたしている時に、隙を見て入れられれば。

「陛下は」

「俺?」

「陛下に出されたものは、大丈夫だったのか」

「昼からは謁見で水を飲むくらい」

 小さな卓に水差しを置いている。

「その水は大丈夫だった。それも厨房で用意してもらったものだろう」

「……味はおかしくなかった。何杯か飲んでいる。遅効性のものでも、今頃」

 効いて倒れている。

「狙いは王妃と子供達、か。それとも日を変え。客狙いで、目をらすため?」

「全く恨まれていない、とは言わないが」

「王を狙うより、甘い子供達を狙ったほうが与えるダメージは大きい、と考えたか。王妃が怒りそうだな。犯人が見つかれば、どうなるやら」

「その前に俺が剣を抜く」

 大切な家族。レウィシアの家族はセレーネ達しかいない。

「毒が同じものなら同一の者の仕業。池の件はこれ以上何も出てこない」

 レネウィを落とした。見捨てた者も考えて動いているのか、あの時間、レネウィを廊下で見た者はいない。池も魔法使いの手で元通りに浅く。

「陛下」

 臣下の一人が進み出てくる。

「もし、もしですが、王妃様やレネウィ様達に何かあれば」

「何か、とは」

 鋭い声。睨みつけた。

「も、申し訳ございません。もしです。例え話です」

 臣下は慌てて頭を下げる。

「もし、俺やセレーネ、レネウィ達に何かあれば、ヴィリロのバディドを頼ろう」

「なっ!」

 他の臣下達も騒がしく。

「それは、グラナティスをヴィリロに」

「例え話だろう。バディドもいい迷惑だろう」

 広大な地を押し付けられるのだから。

「そうならないよう動くのも俺の、お前達の仕事の一つ。違うか」

「おっしゃる通りです」

「側室は迎えられないのですか」

 クラシー姫の傍に控えている臣下。

「陛下は若い、心配なら側室を迎えられては」

「何が言いたいのですか」

 冷めた目で臣下を見た。

「差し出がましい言い方ですいません。しかし陛下なら、おわかりでしょう。そしてこのような話が今まで出なかったとは」

「ええ、ありました。この国の者は知っている話。もし子ができなければ、バディドの子を養子に、というのは」

 セレーネにはバディドを巻き込むな、と怒られた。

 本当は三年で子ができなければ、と言っていたが、そこまで話す必要はない。

 バディドは半年ほど前に第一子が生まれた。ヴィリロの後継。

「それほど王妃様お一人を想っているのですね。素敵ですね。私もそのように想われたいものです」

 クラシー姫は笑顔。姫の臣下は姫を薦めたかったのだ。国と国の結びつき、とかなんとか言って。

「狙いがわからない以上、ここにいては危険かもしれません。国に戻られては」

「心配してくださるのですか」

 姫はさらに笑顔。

「ええ。客人に何かあっては。王妃が会っている客人も同様。何事もなく、無事でよかった」

 特にセレーネが。

「そう、ですね」

 レウィシアはガウラを見た。見ただけで気づいてくれたのだろう。小さく頷く。

「今日の謁見は終わり、だったな」

「はい」

「部屋に戻る」

「護衛は」

「大丈夫だ。それより頼む」

 城の廊下は人が行き来している。全員入れ替わり、襲われない限り。襲われても数分はセレーネのお守りが護ってくれる。その間に体勢を整え。足は速く。

 レネウィの部屋の扉を開けると、居間に家族の姿。

「お疲れさまです」

 子供達と一緒いるセレーネの元へ、一直線。抱きついた。

「よかった、無事で」

 体温、声にほっとする。話している間も気が気でなかった。一刻も早く無事な姿を見て、安心したかった。

「セレーネに何かあれば」

 セレーネはいつものようにレウィシアの背を撫でる。

「わたしたちもいるのに、いつまでそうしているの。ラシーヴィもまねして母さまの足に抱きついていますよ」

「今日はいつも以上に疲れた」

「いつもそう言って抱きついているじゃない」

「それなら、セリアもぎゅうっとしてもらう。今日は大活躍だったのでしょう」

「知っているのか」

「医務室に寄ったので」

「ああ」

 毒の分析を聞きに。

「父さまより、こっちにぎゅうしてもらいます」

 飛びついたのはセドナから贈られたクマのぬいぐるみ。ぬいぐるみもセリアを抱き締めている。

「夕食でしょう」

「もう少し」

 呆れたように笑われた。

 にぎやかで温かな光景。ようやく手に入れた光景。

 温かさ、セレーネを子供に取られた悔しさ。それ以上に喜び合いを知った。セレーネが運んでくれた幸福。レネウィやセリアが初めて、とうさま、と呼んでくれた日を覚えている。

 セレーネでなければ、今ここにいたかわからない。もし、叔父を討ち、国を一つに戻し、誰かをめとり、子供がいても、親ではなく次の王として育てていただろう。

 誰一人失いたくない。



 子供達を寝かしつけた後、私室に。

 レネウィ、セリアの部屋には兵が交代で立っている。念のため、結界も。朝には解ける。夜中に起きて、部屋を出ようとすれば、セレーネにはわかるように。もちろん侵入しようとしても。

 レウィシアの私室に兵はおらず、結界もない。誰かが突撃してきても、レウィシアもセレーネも自分の身は自分で護れる。幼い二人は傍に。

「セレーネは犯人に目星が付いているか」

 ソファーのレウィシアは真剣な顔。

「シアは付いているんですか」

 その隣に腰を下ろす。

「怪しいと思う者は。確証はないが、ガウラに見張りをつけるよう、指示した」

 ひょい、と軽々抱き上げられ、レウィシアの膝の上に。

「セレーネに毒がもられていると聞いた時は恐ろしかった。体が冷えた」

「私は大丈夫ですよ。少量なら。シアも、でしょう」

 特にレウィシアは叔父に数年間狙われ続けていた。セレーネはヴェルテの実験台。ほとんど惚れ薬の類だったが。

「子供達が心配です。耐性もついていませんから」

 セレーネとレウィシアが狙われることはあっても、子供達はなかった。すこやかに育ってくれた。

「俺の心配はしてくれないのか」

 子供のようにむくれている。

「していますよ。もし倒れでもしたら、すべてはレネウィと私にきますから」

 レウィシアの右頬に口付ける。

「それに、私や子供達に何かあれば、シアは暴走するでしょう」

 今回は無事。未遂に終わっている。

「当たり前だ。大事な家族に何かあれば」

 強く抱き締められ、苦しいが、それだけ心配していた証拠。

「それで、シアは誰が怪しいと」

「クラシー姫。もしくは臣下」

 今までも他国の王族、貴族が滞在していたが、こんなことは起こっていない。疑うのも無理はない。

「相変わらずもてますね。レネウィやルセオの将来が少し心配です」 

 二人はレウィシアに似ている。特にレネウィ。

「セリアやラシーヴィは」

「別の意味で心配です」

「城を壊さないか、か」

「私は壊していませんよ」

 レウィシアと笑い合う。

「セレーネも気をつけてくれ。なり振りかまわなくなれば」

「そのほうが捕まえやすいかもしれませんよ」

「部屋に閉じ込めるぞ」

「子供達も退屈、窮屈な思いをしていますから。セリアは爆発」

 今も似たものだが、セレーネが閉じ込められれば子供達も。

「早く解決しないと、な」

「シアも十分気をつけてください」

「わかっている」

 犯人がクラシー姫、もしくは臣下ならレウィシアは狙われない。狙われるとすれば、邪魔なセレーネ達。

「仕事より、俺もセレーネや子供達の傍にいたい」

「何かあればちゃんと知らせて頼ります。だから、きちんと仕事してください」

 向きを変え、大丈夫だとレウィシアを抱き締めた。


 その日から食事にまで気をつけるように。

 セリアはいつの間にかヴェルテに薬をもらっており。便利だから取り上げはしないが、他に何か渡されていないか心配。

 セレーネ、セリア達のお茶に混入されていた毒は同一のもので、どこでも手に入る毒と判明。エホノの姫や臣下の部屋を不在時に、使用人に化けた兵が探したが、それらしいものは見つからず。証拠となるものをいつまでも持ってはいないだろう。

 何事もなく、窮屈な日が三日続いた。

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