第30話

 部屋を分けるのは嫌だった。聞かれて困る話はない。セレーネなら誰かれ無しに話さない。セレーネなりの考えを話すのも、レウィシアにとっては考えが広がった。それなのに。

 当初は顔を見せていた。だがいつの間にか見せなくなり。机の上にはいつの間にかセレーネが仕上げた書類と新たな書類。

 女は部屋の隅に立ち、じっとレウィシアを見ている。見張られているようで居心地が悪い。いつの間にか紹介した領主まで居座るように。しかも王の部屋がこれでは、と勝手に絵画や像を持ってきて飾ろうと。飾らせず、持ち帰らせていた。

 来るのはこび、お世辞、賄賂わいろで領主の座、貴族の位にしがみつこうとする者ばかり。まともな領主に会えるのは一日に一人くらい。それも居座る領主が口まで出すようになり「何様のつもりだ、出て行け、女を連れて帰れ」とすごむ毎日。領主は「また明日来ます」と一人帰り。それでもセレーネが部屋にいると、部屋に戻れば、いるのは別の女。以前もいた。また。

「何をしている」

 怒りを隠しもせず、尋ねた。

「お疲れの陛下を癒すために」

 部屋には茶や香が。セレーネはかない。持ってきていない。買い物に出ない限り。それに香にはいい思い出がないらしく、花を飾っていた。

「許可していない。勝手に入ったのか、無礼にも程がある。斬られたいのか」

 女は小さく肩を震わせ、

「いえ、ですが」

「出て行け」

「陛下」

 演技か恐怖か、瞳を潤ませ見上げてくる。

「出て行けと言っている。それとも外へ放り出されたいか、斬られたいか」

 下げてある剣へと手を伸ばす。

「失礼します」

 女は一礼して部屋を出て行く。

 なぜここにいたのか。誰かが入れた? セレーネは。寝室を見てもいない。風呂を見ても。

 追い出したのか。それともセレーネが招き入れた? 好意的だった、気にしていた。頭を大きく振り、嫌な考えを振り払う。

 部屋を出ると女が扉前に立っていた。護衛の兵は戸惑っている。レウィシアを見るとほっとした顔。心配、招き入れてもらえるとでも思っているのか。

 レウィシアは声もかけず、セレーネが使っている仕事部屋へと大股で進んだ。

 扉を叩くも返事はない。開けようとするが鍵がかけられており、開かない。

「セレーネ?」

 呼ぶも扉は開かず、その場にどのくらい立っていたか。見回りの兵には「陛下」と驚かれ。いつの間にか女が傍に。心配そうに見上げている。

 部屋に戻る気にもなれず、その日は執務室で一人休んだ。

 翌日、顔を見せたセレーネに問うと、

きりのいいところまでやろうとして、寝落ちしていました」

 笑って言われ。城でもよく寝落ちしていた。それだけ集中していた。レウィシアを手伝おうと頑張ってくれている。言いたいことを呑み込んだ。

 そこから徐々に顔を見せなくなり、どこに行くにも女がついてくる。朝昼夜の食事に仕事が終わると部屋まで。セレーネが寝台で眠っているとほっとし、布団へもぐりこんだが、最近はそれもない。部屋にも戻らず、レウィシアと顔も合わせない。いつかのように苛立ちが溜まっていく。セレーネのことだけではない。毎日来る領主、女。会いたい領主に会えないことも苛立つ理由。

「お疲れのようですね、陛下。お茶でも」

「いらない。どうしてもというのなら、どこかでお前とその女で飲んで来い」

 そして二度と戻ってこなくていい。素っ気なく、いや、どうでもいいように答える。

「明日、陛下のために茶会を開きます」

「聞いていない。恩着せがましい。何を企んでいる」

「企むなど。各地の領主を呼んでいます。お話を聞きたいのでしょう」

 そこで書類から顔を上げ、男を見た。男はしてやったりと笑っている。レウィシアは顔をしかめるも、話を聞きたい領主はいる。こちらから出向きたいが、来る者もいる。入れ違いになっても。

「お疲れのご様子。休まれては。代わりは私が」

「それならその女を連れて帰れ。見張られて迷惑している」

「見張りなど。陛下のために」

「俺のため? その女が俺に何をした。妻を追い出し、俺を見張り、一日立っているだけ。誰が来たか、何をしていたか報告でもしているのか」

 領主はわざとらしく息を吐く。女はともかくこの領主にうんざりしているのはガウラ、ハロートも。大事な、聞かれたくない話は二人を追い出してしている。

「でしたら何か仕事を与えられては」

「何ができる。茶や食事はいい。何を入れられるか」

「何も入れていません。わたしは見張りではなく、ただ陛下の傍に。傍にいられるだけで幸せ、です」

「健気なことを言っているじゃありませんか。最近は王妃様の姿を見ていませんね。陛下をほって何をしているのやら。対してエルエットは」

「俺の手伝いをしてくれている。邪魔ばかりするお前と違って。これをやってみろ」

 レウィシアは一枚の書類を女に差し出す。女は歩いてきて書類を手に取った。

「セレーネは三十分ほどで答えを出す。それ以上に難しいものを今処理してくれている」

 女は表情を固まらせ書類に目を落とした。

「陛下、無理を」

「無理。俺に何かあれば一部は妃が担う。何もできず、臣下の言いなりになる妃は不要。俺もお前達の操り人形ではない。叔父は操れても」

「操るなど」

 白々しい。

「……そうだな。叔父は納めるものさえ納めていれば、何をしようが見てみぬふり」

 領主、貴族が何をしようと。

「茶会の件だが」

「来ていただけるので」

 途端、満面に。

「妻が行くと言えば行こう」

「もちろん行くだろ」

 領主は書類に目を落としている女に声をかける。

「誰に聞いている。俺は妻と言った。その女はお前が押しつけた」

「しかし、最近は仲睦まじいとうかがっております。どこに行くにも何をするにも一緒だと。夜は共に部屋へ、朝も一緒に出てくると」

「見張りとして張りついているからな。仲睦まじくした覚えはない。そう見えたら余程目が悪いのだろう。一緒に部屋に入ったことも入れた覚えもない。勝手に入っているのなら、今度こそ不法侵入で斬る。ありもしない噂を流すな」

「陛下」

 まるで聞き分けのない子供を見る目。新たな書類を手に持ち、レウィシアは部屋を出た。

 なぜかついてくる二人。隠しもせず舌打ち。



 机に張り付いていると体は固まり、なまる。書類にも目処めどがついた。防寒着を着て外へ。寒さと格闘しながら庭の手入れ。

 城のマンドレイクはどうなっただろう。枯れていたら。

 ……。気分が落ち込んでくる。

 白い息を吐きながら、途中からは兵も手伝ってくれ、手入れしていた。以前、セレーネが苦戦しているのを見て、手伝ってくれるようになった兵達。もちろん暇な時に。仕事そっちのけでは。

 今日はここまでにしましょうと、お茶の時間に解散。時間と材料があれば兵にお茶菓子を用意して振舞うことも。今日はなし。料理も気分転換の一つ。

 厨房で温かい飲み物をポッドに淹れ、トレーに乗せて部屋へ。体を動かし暖かくなった。頭もすっきり。後回しにしていた難しい、こんがらがっていた内容の書類も整理できそうだ。別の案も浮かんでくるかも。

 部屋の前に人が。セレーネはトレーを気にしながら急ぎ足に。いたのは。

「なにかご用ですか。あ、間違っていました。すいません。すぐ直します。できた書類もあるので、それを持っていってもらっても」

「陛下を待たせておいて、何をしていたのか。それに陛下に持っていけとは」

 どこかで見たような男が非難の目を向けてくる。

「すいません。すぐ開けます」

 トレーを片手に持ち替えようとして「持ちましょう」と将軍がトレーを持つ。礼を言ってポケットから部屋の鍵を取り出し、扉を開けた。

「寒い中、待たせてすいません」

「全くです。陛下が体調を崩せばどう責任をとるおつもりだったのか」

 部屋へ入り、防寒着を脱ぎ、所定の場所へ。

「仕事はこちらで受け持ちます。看病してくれる人が傍にいるので心配はしていません」

 男はきょとんと。

「そんな話をしに来ていない。体調には気をつけている。セレーネ以外に看病されるなら、寝室に一人閉じもり、治す」

「陛下」

 たしなめるように呼んだ。レウィシアは顔をしかめる。

「こちらができた書類です」

 机からできた書類の束を取り、レウィシアへ。将軍が受け取る。レウィシアの手には紙の束。

「そちらは受け取りましょう」

 レウィシアに向けて手を出す。

「その手はどうした」

「手?」

 レウィシアは空いている左手でセレーネの右手を取る。

「何をしていた。なぜこんな傷を」

「ああ、大丈夫ですよ」

「どこがだ。小さな傷でも」

「本当に大丈夫ですって。薬も塗っています」

 魔法で癒すほどでもない。

「ルクスを呼んで」

大袈裟おおげさです。やめてください。これくらい自分で治せます。それより、それ」

 セレーネはレウィシアの右手にある書類を指した。

「王妃ともあろう方が傷だらけですか。その姿も。陛下がどんな目で見られるか」

 レウィシアの背後にいる女性の手は傷一つなく、白く細い手。セレーネとは全く違う。髪、肌の手入れもしっかりおこなっているのだろう。服は質素、宝飾品も派手ではなく、小さい物をつけている。セレーネは適当。フィオナに怒られそう。

「そうですね」

 小さく笑い、いい加減離せ、と握られている手を動かす。

「何をしていた」

「陛下の気にすることじゃありませんよ。危険なことはしていません。離してください」

 さらに強く握られ、痛い。

「陛下?」

 レウィシアの顔を見た。

「なぜそう呼ぶ。いつものように呼んでくれない。危険なことをしていないのなら、なぜ話してくれない。今までどこにいて、何をしていた!」

 なぜ怒鳴られるのか。それほど待たせたのか。それなら扉にメモでも張ってくれていれば、後で訪ねた。陛下と呼ぶのは公と私を分けているから。セレーネを知らない者が多い中、気安く呼ぶのは。

 きょとんとしていると、

「っ、すまない。怒鳴るつもりはなかった。ただ気になって。心配で。ここ数日顔を見せていないから」

「すいません。書類整理に夢中になって。陛下が頑張っているのなら、少しでも負担を減らそうと」

「それで部屋にも戻っていないのか」

「ええ。気がつけば寝落ちして朝に」

 レウィシアの傍にはセレーネでない者がいるかもしれないと部屋にも戻っていない。寝落ちも嘘ではない。この日までに、という書類もある。深夜、明け方に部屋に戻って眠り、またこちらへ来るより。着替え一式はこちらに移している。食事は厨房に行き、厨房かここで。風呂は兵達が使っている大浴場を。誰もいない時に行っているので入る時間は日によって違う。レウィシアの部屋には風呂もついているがここはない。

「それなら減らそう。俺がやる」

「大丈夫です。やります。陛下こそちゃんと息抜きしています? 私はできていますので、休んでください」

 余計なお世話だろう。兵達も話していた。レウィシアの傍には常に美女が。静かで大人しくセレーネとは正反対。兵達はセレーネに気を遣い、見えない所で話しているが、ちゃんと聞こえている。それとなく大丈夫ですか、と聞いてくる者も。セレーネかエルエットか、けをしている兵も。暇だから。セレーネも参加したい。

 はずれない指輪。おそらく誰かが魔法をかけている。一体誰が。

「セレーネ」

 両頬を包まれる。近いレウィシアの顔。

「何をしようとしているんです」

 左手でレウィシアの口を塞いだ。

「場所をわきまえてください」

 人がいる。将軍は目を逸らし、男は睨んでいる。

 レウィシアは片頬から手を離し、口を塞いでいたセレーネの手を取る。

「わかった。それなら今晩にでも」 

 耳元に顔を寄せ、囁いてくる。この書類の量では今晩もここで寝ることに。

 手を離し、顔も離れる。

「明日、茶会を開くそうだ。各地の領主を招いて」

「ここで、ですか」

「いや、別だ」

 苦々しい顔のレウィシア。ついてきている男の邸で、だろう。

「わかりました。留守はお任せください。もし、こちらに来られた方にはそちらに行っていると伝えます」

 間違えてこちらに来るかもしれない。レウィシアがいない隙によからぬことを企む者も来るかもしれない。

「セレーネが行かないのなら、行かない」

「はぁ?」

「セレーネが一緒に行くのなら、行くと言った」

「……なに子供みたいなこと言っているんです。各地の領主が集まるのでしょう。行かなくてどうするんです。話を聞く、聞けるいい機会じゃないですか。話していたら私どころじゃなくなります」

 どころか、令嬢に押し出される姿は容易に。着る物も。あるにはあった。さすがノラとフィオナ。

「だが」

「だが、もないでしょう。留守番しているので行ってきてください」

「陛下、王妃様もこうおっしゃっています。代わりにエルエットがお供します。王妃様に見劣りせぬよう着飾り、陛下と並んでもおかしくない姿に」

 男は嬉しそうな弾んだ声。

「黙れ! セレーネの代わりなどいない!」

 あまりの迫力に将軍まで肩をびくりと震わせていた。

「落ち着いてください」

「俺は落ち着いている」

「いません。感情的になっています。どうしたんです」

「落ち着いている。どうした、はこちらの台詞だ。この男に、女に何か言われたのか。だから」

「いいえ。何も。私の意思です。そちらの男の方はわかりませんがエルエット様はしっかりした方です」

「しっかりした? 四六時中見張っているだけなのに」

「陛下! 言っていいことと悪いことがありますよ」

 セレーネはレウィシアをまっすぐ見上げた。

「彼女は彼女なりに頑張っているのです。陛下はそう思い込もうとしているだけでしょう。もう少し柔軟に見て、考えてあげてください」

 色々言われ、裏切られ続けたから。固定してしまった考え。それにエルエットを迎えることでこちらの領主、貴族との話が上手くいくのなら。レウィシアもわかっているはず。刺客ならセレーネの目が節穴。

「セレーネこそ何を言っている。この女の肩を持つのか」

 レウィシアは傷ついたような顔。誰かの肩を持つ気はない。小さく息を吐き、

「少し、頭を冷やしてきます」

 依存、ではないだろうが、セレーネが行けば、と今後言われれば。セレーネがレウィシアを操っているように思われる、見られる。オリヴィニのように。

 部屋を出た。



 セレーネは振り返りもせず部屋を出て行く。ムキになっていたのはレウィシア。わかっていても。譲れないものはある。唯一譲りたくないもの。

 結婚したことは知られていても、セレーネの顔は知られていない。紹介するいい機会でもあった。

「あの者こそ無礼では。陛下にあのように」

「茶会は出ない。いずれ訪ねると伝えておけ」

 レウィシアも部屋を出た。

 言い合いをしたかったのではない。久々に見た姿。数日なのに数ヶ月も会っていないような感覚。怒らせたかったわけでもない。喜んで、笑った顔を見たかった。それなのに。あの手の傷も。何をしていた。レウィシアの知らない所で何か危ないことをしているのか。

 バルログが思い浮かぶ。あの男は今も生死不明。セレーネも三日間探していたが見つからず。

「いずれ手に負えなくなる」

 嫌な言葉まで思い出した。

「あ、あの、陛下」

 執務室、椅子に座るとかけられる声。

「すいません。わたしには無理でした」

 頭を下げる女。

「ですが、わたしは陛下を見張っているのではありません。最初は嫌々でしたけど、陛下の真面目に取り組む姿に心を動かされ。わたしでは王妃様の足下にも及びませんが手伝えることがありましたら、なんでも手伝います。お茶を淹れてきますね」

 明るく言い、女は部屋を出て行く。領主は帰ったのか戻ってこない。

「すまない、頭を冷やしたいから一人にしてくれるか」

 護衛についているハロートに声をかけた。

「休憩も兼ねて。部屋の鍵はかけておく」

「……わかりました。一時間後に来ます」

 渋々、だろう。退室した。

 鍵をかけ、静かになった部屋で椅子の背もたれにもたれ、息を吐く。見るともなくどこかを見ていた。

「ああ、片付けないと。またセレーネの負担になるな」

 いつまでも城に戻れない。



 白い景色。白い息。部屋には温かい飲み物。飲み損ねた。魔法で温めなおすしかない。

 話にしか聞いたことのない雪だるまや雪兎を作っていた。手袋もないので手は冷たく。頭の片隅では、頭を冷やすのは私か、と首を傾げていた。だが、今のレウィシアに何を言っても。

 魔法で動かしたらどうなるのだろう。

「人質のくせにいいご身分ですね」

 男の声。振り向くと、先ほど部屋にいた男。

「陛下がお優しいのをいいことに。陛下は仕方なくお前の面倒を見ているだけ。ヴィリロという後ろ盾がなければ、お前など」

 鼻で笑っている。

「容姿も立ち居振る舞いも、性格もエルエットが王妃に相応しい。今のうちに陛下に我が儘を言っておくのだな。陛下が城へ戻る際、隣にいるのは」

 一人で戻る可能性も。いや家族が、と言っていた。二人、三人? いやいや城に戻ればさらに紹介、押し寄せて。国庫、大丈夫か。

 黙っていたため、気を良くしてどこかへ行く男。

 何度も言われ、聞いた言葉。以前レウィシアに張りついていた令嬢に比べればエルエットは大人しい。あの時は。……。

「どう言おうと先に戻って、宝物庫調べていればよかった、かな」

 セレーネが王妃である間に。一日、二日で終わらない。一ヶ月、二ヶ月。一年はかからない、はず。

 危険でないものは売って国庫に。少し余裕が出るか?

 オリヴィニ、レウィシアの叔父が持ち出したとされる物はここには残っていない。売ったのか、使ったのか。売ったのなら面倒ごとにならなければいいが。

 バルログの件も。いくさは終わったと言うが、厄介な男が見つかっていない。一人離れて、おとり。だが仕事も手伝わないと。レウィシア一人なら過労死。たった一人の王が過労死しては。だから臣下は妃を薦める。

 急にヴィリロが心配に。もし祖父がいなくなればバディドがレウィシアと同じ状態に。そのためヴィリロの臣下はセレーネに残ってほしかった。祖父も残れる相手を選んだ。

「ん~、でもシアが三人、四人と迎えたら、私は」

 用なしになれば。今までのことを考え、出て行け、とは言わないだろう。城の片隅でひっそり。それでも文句はない。セレーネが傍にいたかったからいた。もし追い出されても、元気かなぁ、と姿を変えて様子を見に来ている。ヴィリロは黙っていないだろうが。

「あ、だめだ、考えが」

 レウィシアではないが滅茶苦茶に。

 魔法を使い、雪兎や雪だるまを動かす。レウィシアもこれを見れば、雪玉をぶつければ、気分転換、頭も冷えるのでは、と考えながら。



 夕食にも部屋にも戻ってこないセレーネ。一晩中起きていた。「ごめんなさい」と来るのではと。謝るべきはレウィシアも、だが。

 いつから一緒に寝ていない。冷たい寝台。味のしない食事。倒れて傍にいる女に面倒を見られるのはご免だ。なにより、あの領主が何をするか。レウィシアの代弁者になられては。

 朝食が終われば書類仕事と訪ねて来た者の対応。

「陛下、お迎えにまいりました」

 昼食中に訪れた、見慣れた領主。

「なんのことだ」

「茶会ですよ。王妃様は仕度して馬車でお待ちです。エルエット、先に行って話し相手に」

「はい」

 女は部屋を出て行く。

「なんとか説得して来ていただくことに。王妃様が行くのなら陛下も行くのですよね」

「ああ。だが本当に説得できたのか」

 セレーネは頑固なところがある。

「ええ。昨日部屋から出られてから、ずっと説得していました」

 戻ってこなかったのはセレーネと話していたから。領主をじっと見た。

「陛下が行かれないのでしたら、王妃様お一人で向かわれるそうです」

「っ」

 一人でなど行かせられない。この領主でさえセレーネを軽んじている。レウィシアをよく思っていない者からすれば。

「人質のつもりか」

 低く唸るように。

 セレーネは何を言われても耐えている。だが以前のように溜めすぎ、ストレス解消とレウィシアから離れたら。勝手にバルログを探しに行かれたら。

「王妃様自ら、ですよ」

 歯がみ。

「いいだろう。行こう」



「うう、私も外へ出たい。美味しいもの、名物食べたい~」

 この周辺の名物は本で調べ、フェガにも聞いた。しかし勝手をしてレウィシアの評判を落とすのも。新しくきた書類もある。これらを片付けないとレウィシアの負担が。

 大人しく部屋で書類と資料に埋もれ、整理していた。

「ふぎゅう」



 なぜか馬車は別々。レウィシアは領主と。セレーネは女と一緒だと。護衛にガウラ、ハロート。

 セレーネはまだ怒っているのか。怒っているからレウィシアとは別なのか。それとも一人で行こうと。

 レウィシアとしては譲りたくないがこのままだと不仲と。そもそも自分は間違ったことを言っただろうか。人の考えがそれぞれなのはわかる。考えがまとまらない。寝ていないからか。

 表面上だけでも、にこやかにしていれば。セレーネもそれくらい。見抜く者は見抜くか。

 馬車が停まり、外から扉が開けられる。

 降りてもセレーネの姿はない。いつの間に着替えたのか、女が一人立っている。

「セレーネは」

「女性の方でしたら気分が優れないと。部屋を用意して、そちらへ」

 案内の者か。年配の男が。

「どこだ」

 頭を冷やしくると言っていた。冷やしすぎて体調を崩したのか。体調を崩したから正常な判断ができず。

「陛下、邸の者に任せ、こちらへ。皆待っています」

「しかし」

 セレーネをほって。邸の者も「こちらへ」と案内しそうにない。

「陛下」

「触るな」

 近づき、腕をからめようとした女に鋭い声をかけ、離れる。

「すいません」

 女は一歩下がる。領主は小さく息を吐き、邸の者の後に。レウィシアも仕方なく続いた。


 案内された広間には見覚えのある顔ばかり。レウィシアの会いたかった領主、貴族は。ざっと見回したが、いない。

「陛下」と声を揃え、寄ってくる。

「後から来る者もいるのか」

「いえ、ここにいる者ですべてです。もちろん声をかけましたが、都合のつかない貴族、領主もおり。陛下も知っての通り、戦の復興で。陛下をよく思っていない者も」

 さらさらと。つまりここにいるのは真剣に治めていない領主達。そうも取れる。

「そうか」

 戻る、とガウラ、ハロートに声をかけようとして、

「噂通り、仲睦まじいようですね」

 にやにやとした笑みを浮かべ近づいてくる男。

「式はいつ挙げられるので。もちろん我々も呼んでいただけるのですよね。彼女を陛下に推したのは我々も」

「なんのことだ」

「とぼけるおつもりですか。それともまだ秘密だと。お二人でいらしておいて」

「そうですよ、陛下。お揃いの指輪までつけて」

 見ているのは背後。

「四六時中一緒だとか。跡継ぎも早そうですね」

 その前に式だろう、とはやしたてる。女達は笑顔だが目は笑っていない。レウィシアの背後の女を羨ましそうに、妬ましげに。

「お前達の目は節穴同然だな」

「は?」

「どこがお揃いだ。よく見ろ、色が違う。形も。これと同じ物をつけているのは唯一人。お前達の目はそれほどではない、偽物と本物も見分けられないようだな」

 似たような色、形の指輪を作らせたのだろう。毎日レウィシアを見ていた。

「それにこれは外れない。もちろん妻のも。新たに指輪を贈りはしない。そんな無駄遣いするつもりもない。妻ならお前達と違って別に、民のために使え、とたたき返してくる」

 まぁ、と女達は目を丸くしている。

「どんな噂が流れているか知らないが、噂は噂。俺の妻は一人。この先も」

 左薬指の指輪に口付ける。

「どこかの男に贈られたものをつけているのだろう。俺が妬くのは妻一人だけ。他の者が誰と何をしようと知ったことではない」

 うろたえる者、他の男から、と女に非難の目を向ける者、私は気づいていましたよ。反応は様々。

「顔は出した。いや、騙された、と言うべきか。戻る」

「来たばかりでしょう。少し話されては」

 連れてきた領主が立ち塞がる。

「それなら妻の様子を見に行こう」

「陛下」

 背後から上がる声。

「そうおっしゃらず、娘や息子がお話したいと」

「そうです、そうです。久々にお会いしたのです。覚えていますか」

 叔父に媚、レウィシアには会いも協力もしなかった。勝った途端。

「王妃ならいない」

「どういうことだ」

 いつの間にか離れていたガウラ。探しに行ってくれていたのか。

「邸の者に聞けば体調を崩し、部屋を貸している者はいないと」

 また騙された。いると嘘をついて。

「今からお帰りでは暗くなります。皆と話し、泊まられては」

 広間に背を向け、足早に歩く。

「先に行って馬車を用意しておく」

「断れば奪え。俺が責任を持つ」

 ガウラは頷き、駆けて行った。

「陛下」

 追いかけてくる領主。

「王妃様はおられます。尋ねた者が知らなかったのでしょう。いえ、あの従者のでまかせ」

「セントレアの者を馬鹿にするか。ガウラは次期領主。先ほどの言葉、しっかり伝えておこう」

 領主は顔色を変えていく。姿は知らずとも名は知っているようだ。

「騙したことは申し訳ありません。しかし皆、陛下と話をしたいのです。話したい方がおられましたら私が手配いたします」

「ハロート、この者を邸に入れるな。あの女も。泣かれようと入れるな」

「戻れば伝えます」

「陛下! 私は陛下のために!」

 レウィシアのためでなく、自分のため。叫び声を無視して、玄関へ。


 邸に戻る頃にはあたりは真っ暗。星がまたたいてる。

 レウィシアの乗る馬車が邸に入るとハロートの命令で門は閉められる。この門も戦で一度壊れたが、レウィシアがここに滞在するため、すぐに直された。夜は閉め、朝開ける。誰でも来られるように。だが来たのは。

「食事の用意をします」

 ハロートは厨房に。レウィシアはセレーネの使っている部屋へ。もう寝ているかもしれないが、扉を叩く。

 返事はない。何度か叩き、声をかけるも返事はない。ノブに手をかけるも鍵がかかっており。合鍵もあったが行方不明。セレーネが持っているのかもしれない。邪魔されたくなくて、邪魔したくなくて。

 開かれない扉は拒絶されているようで。

「いつまでそうしている。食事の準備はできた。そこにいなければ部屋じゃないのか」

 書類を勝手に持ち出されない、見られないよう、不在時には部屋に鍵をかけている。それはレウィシアも。

 ガウラはセレーネが部屋に戻っていると。

「ああ」

 執務室で遅い夕食。部屋に戻っても誰もおらず。

 眠らなければ頭は働かない。体力も。もし倒れたら。倒れたら、傍にいてくれと言えばいてくれるのか。いつかのように。



「ふわぁぁぁ」

 机で大あくび。一人なので大騒ぎしない限り、何を言おうと自由。書類と資料に埋もれても誰も助けてくれない。

 仕事部屋で寝て、お腹が空けば食事。それから仕事に取りかかる。取りかかり始めて、大あくび。退屈、とかではないが出てしまった。

 おやつの時間まで集中。おやつの時間には厨房へ行き、お茶を淹れて部屋へ。

 戻る途中。

「また陛下と会えないのか」

 不機嫌な声。

「噂では紹介された女と部屋に籠もりっぱなしだと。話すのはルヴォノ様の腰巾着の貴族、領主ばかり。昨日もその集まりに出ていたとか」

「ふん、歴史あるグラナティスも終わりか」

 茶会は昨日だったのか。文字ばかり見ているので日付が。朝昼晩も怪しい。太陽を見て、ああ昼になったのか、暗くなるともう夜かと。

 目処がつけば、外、どこかの町へ行っていいか尋ねるのも。だめだと言われれば、一緒に行こうと誘えば。

「おや、貴女は」

 立ち止まり、考えていた。貴族は歩きながら話していたのだろう。ばったり。

「こんにちは。陛下にご用ですか」

 セレーネは笑顔を作る。

「ええ。ですが取り込み中のようで」

「陛下も忙しいので」

「何が忙しいのか」

 鼻で笑っている。

「私でよければ、お聞きします。書類でしたら受け取り、返事待ちでしたら、その書類を取ってきます」

 貴族は二人。一人は五十代、もう一人は四十代ほど。

「そうですね。直接お会いして話したかったのですが。できているのなら、書類だけでももらっていきましょう」

 できているのなら、を強調された。

「え~と、すいません、お名前を伺っても」

「ファイアーリヒ」

 五十代の男。

「トゥンバオ」

 四十代の男がそれぞれ答える。

 聞き覚えが。

「何か」

 眉を寄せられた。

「いえ、つい最近聞いた覚えが。……ああ、昨日、一昨日、だったかな?」

 手を叩きたかったが、トレーを持っているため叩けない。

「一昨日?」

「食料を持ってきてくれた方と会って、少しですが話しました。顔は怖いが、いい領主様だと。あの領主様でよかった、と」

「陛下と一緒に、ですか」

 厳めしい顔つきが少し緩む。

「いえ、私一人です。陛下は忙しいので」

 セレーネの手際がもっとよければ、負担を軽くできるのだが。そういえば、レウィシアもファイなんとかと、トゥなんとかという領主に会いたいと呟いていたような。

「他の町の様子も話してくれました。私も行きたいです。話を聞くだけと、実際見るのでは違いますから。できれば農村にも」

 はぁ~と息を吐く。

「なぜ農村へ」

「近くならどれだけ復興しているかわかりますけど、離れた農村にまで陛下の布告が届いているか。黙っている領主もいるかも、と。とはいえ、陛下も視察の者を出していますから、心配は無用でしょう」

 小さく笑う。セレーネが心配しなくとも。

「あと、こちらの名物も食べてみたいですぅ」

 本音がぽろり。食べたい物を次々と。はっと我に返り、

「す、すいません。余計な話を」

 二人は呆れているのか黙っている。

「王妃様、お話しできる時間はありますか」

 ファイアーリヒは作り笑顔。

「はい」

「では、よろしいですか。お伺いしたいことがいくつか」

「私で答えられることであれば」

 レウィシアに会うための時間潰しか。

 部屋へと案内。

「すいません。陛下の手伝いをして、散らかっていますけど」

 机、一応ある応接テーブル、ソファーにも書類が。机に持ってきたお茶の乗ったトレーを置き、応接テーブル、ソファーの書類、資料を手早く片付ける。

「かけてください。お茶の用意をしてきます。書類も持ってきますので」

 二人を部屋に残し、セレーネは再び部屋を出た。

 まずレウィシアの執務室。扉に控えている護衛に、

「陛下は中に?」

「いえ、資料を取りに出ています」

「書類を取りに来た貴族の方がいて、できていたらお渡ししたいので、失礼します」

 護衛に許可を取り、中へ。

 部屋には誰もいない。執務机に積み上がっている、仕上がった書類の中から、ファイアーリヒ、トゥンバオの名を探す。見つけると厨房に。お茶の用意をして部屋へ急ぐ。

「すいません。お待たせしました」

 用意したお茶を乗せた台車を押して部屋へ。

「書類を先にお渡ししておきますね」

 それぞれに書類を渡し、お茶を淹れる。

「王妃様が仕事を」

「手伝いです。最終的には陛下がすべて目を通し、決めています」

 量はレウィシアが多いが、部屋は片付いている。片付けてくれているのだろう。セレーネはごちゃごちゃ。どこに何があるか把握はしている。間違えてさらに散らかすことも。そして昨日は埋もれ。

 二人が座っている対面にセレーネも自分のカップを持ち、座る。

「先ほども言いましたが、私で答えられることでしたら、お答えします」

「では」

 主にファイアーリヒが話し、セレーネが答えていく。尋ね返すことも。

 どのくらい話していたか。

「ふむ。わかりました」

 ファイアーリヒは顎を撫でている。何がわかったのか。しかし納得している様子。見ればトゥンバオも。

「聞きたいことは聞けましたので、失礼します。お忙しい中、ありがとうございます」

「いえ、陛下には」

「大丈夫ですよ。あてにならない者より」

 じっとセレーネを見ている。セレーネは首を傾げた。

 ソファーから立ち上がる二人。セレーネも立ち上がる。

 何度か陛下に、と言ったが、笑って結構ですよ、と。玄関まで見送った。


 翌日、扉が叩かれ、

「はい、どうぞ」

 返事をすると入ってきたのはファイアーリヒ。背後にはトゥンバオより若い男。

 セレーネは椅子から立ち、

「こんにちは。陛下はまた来客中ですか? ちょっと突入して、大丈夫そうなら」

「いえ、今日は王妃様に」

「私、ですか」

 何かやらかしたか。書類は間違っていなかった、はず。

「これは愚息です」

 背後の若い男をちらりと見る。呆れているようにも見えた。

「私の後継なのですが、私と違い、気が弱く。他の者に継がせたいのですが、他に息子、娘、甥もおらず」

「はぁ」

 何が言いたいのか。

「見れば王妃様はお一人で忙しく働いている様子」

「いえ、私より陛下が」

 セレーネは首と両手を左右に振る。

「そのようですね。お忙しいようで」

 今日も会えなかったから。嫌味の一つも覚悟した。

「王妃様の手伝いをさせようと連れて来ました」

「……」

 なぜ。

「えっと、聞き間違いですか。陛下の手伝いとして、紹介、では」

「いえ、王妃様に鍛えていただきたいのです。私と王妃様ではやり方も違うでしょう。いずれ私の後を継ぐ身。王妃様のもとで勉強したとなれば、少しは自信がつき、はくもつくかもしれません」

 後ろ盾、だろうか。この国で何の権力ちからもないセレーネではなれないが。

「こき使ってやってください。陛下には話しております。了解もとっておりますので、ご安心ください。では」

「え、あの」

 ファイアーリヒは頭を下げると部屋を出て行く。追いかけようとしたが息子が前へ。

「み、見送りはいいと」

 うつむいてぼそぼそと。長い前髪で目がよく見えない。

「クリサム・ファイアーリヒです。クリサムとお呼びください」

 俯いて話し続けている。

 これは、押し付けられた。教育次第ではレウィシアの評判に。ならなぜセレーネ。レウィシアのほうが忙しい。了解は取っている、ということは会えたのか。

「あの、王妃様」

 おどおどと。

「あ、はい」

「すいません」

 勢いよく頭を下げられる。

「は?」

「すいません」

「えっと、なぜ謝るのか、わからないのですけど」

 セレーネは首を傾げて男を見る。男は俯いたまま。セレーネの視線から逃れようと顔を動かす。背は高いが丸めているので、姿勢良く見えない。レウィシアと違い、鍛えているようにも見えない、細い体。

「すいません。父や周りからも堂々としろ、しっかりしろ、と言われるのですが、何をやっても駄目で」

 ……。それは、僕は使えません、宣言か。

「王妃様の邪魔をして、すいません」

 再び頭を下げる。

「いや、まだ何も邪魔されていないし」

 男はさらに縮こまる。セレーネが小さく息を吐くと、びくりと震えられ、いじめているような。

「セレーネ。私はセレーネです。クリサム様、ですね」

「ク、クリサムとお呼びください。王妃様に様などと」

「私もセレーネでいいですよ。王妃様とは聞き慣れていません。それに、いつ王妃でなくなるか」

 外れない指輪をちらりと見た。魔法をかけ、外せないようにしている。誰に、いつかけられたのか。セレーネだけか、連動か。暇になれば解いてやる。やること、やりたいことが一つ、一つと増える。

「これの計算、お願いします」

 セレーネは机にある書類をクリサムに渡し、机に戻って、書類を見始めた。


「なんでしょう、この三日よく人が訪ねてくるのですけど」

 クリサムが手伝いに来た翌日から、なぜかセレーネを訪ねてくる領主、貴族。書類を渡しに、取りに来る、相談、文句も。

「それほど忙しいのでしょうか?」

 おかしな噂も流れている。仕事はしっかりしているのは書類を見ればわかる。きちんと食事しているのか、寝ているのか。セレーネはここで寝食。できた書類は兵に渡すか、執務室の机にメモを添えて置いている。新たな書類は持ってきてもらい。タイミングが合わないのか留守、客が来ている場合が多い。留守、ということは部屋に籠もりっぱなしではない。セレーネのように何か気分転換しているのか、できているのか。傍には面倒を見てくれている人がいる。しっかりしているから注意もしてくれているだろう。倒れても。……セレーネの仕事が増える。

 色々考え過ぎか。時計を見ると、おやつの時間。お茶でも淹れて、甘いもの食べて、気分転換、と部屋を出た。

 お茶菓子はなぜかクリサムが持ってきてくれ。

「これは父からです」と離れた農村の状況まで。目を通し、レウィシアに。そのクリサムは朝来て昼食を一緒に食べ、夕方帰っていた。おどおどしているが仕事はしっかりしている。すいませんが口癖のようだ。性格さえなんとかすれば。

 厨房でセレーネとクリサム二人分の茶器を持ち、部屋に。

「セレーネ様」

 聞き覚えのある弾んだ声。見ると、視察から戻って来たのか、アルーラが駆け寄ってくる。

「お帰りなさい」

「ただいま戻りました。セレーネ様は陛下とお茶ですか。相変わらずですね」

 にこにこと。

「いえ、別の人です」

 二人分の茶器を見たから。アルーラの表情が固まる。

「別の人? 陛下は」

「仕事中じゃないですか」

「その仕事中の陛下に持って行くのでは」

「いいえ、自分用です。シアには用意してくれる方がいるので」

「……」

 アルーラは変な顔。「いや、まさか、陛下に限って」とぶつぶつ。

「あの、アルーラ様?」

「ああ、すいません。別の人とは客ですか」

「いえ、仕事を手伝ってくれている方です。気が弱い方ですけど、とても助かっていますよ」

 クリサムにもそう言うが「いえ、僕なんて」と俯いて否定。

「前髪、邪魔じゃないですか? イメチェンしましょう」と遊び半分で結んでいた。

「まさか、男じゃ」

「はい」

「まさか二人で」

「はい」

「陛下に殺されますよ」

「その陛下が許可したんですよ。そんなこと」

 セレーネは呆れてアルーラを見た。

「女性ならともかく、男と二人なんて、陛下は許しませんって」

「でもファイアーリヒ様は」

 了解をとった、と。セレーネは困惑。

「ファイアーリヒ? あの気難しい方ですか」

 言う通り、気難しそうな顔はしていた。

 アルーラは顎に手をあて、何か考えている。

「セレーネ様は当然、陛下に毎日会っていますよね」

「いえ、この数日会っていません。何日か前に少し顔を見てから、あとは全く。その前も」

「はぁぁ!」

 アルーラの突然の大声にびっくり。

「どうしたんです。喧嘩でもしたんです。何があったんです」

 思い返してみるも。

「喧嘩、はした覚えはないですね。これといって何もありませんけど」

「だったらなぜ、何日も顔を合わせていないんです。同じ屋根の下にいるのに」

「タイミング、じゃないですか。来客もありますし」

 毎日毎日誰か来ている。扉の外で待っている。

「陛下の不機嫌極まりない、仏頂面が」

「あはは、それはないですよ」

 傍にはエルエットがいる。セレーネとは正反対の。

「あの、セレーネ様」

 会った時よりは大きくなったが、まだ小さい声。

「戻られるのが遅かったので。あの、何かありました」

「視察から戻られたアルーラ様です。こちら手伝ってくれているクリサム」

 互いを紹介。

「は、初めまして」

 深々と頭を下げるクリサム。

「初めまして」

 アルーラは硬い声。

「あの、セレーネ様にお会いしたいと、部屋に」

「わかりました。すぐ戻ります。あ、お茶」

「訪ねて来たのはお二人です。足りなければ僕が厨房へ」

 初日に邸の中は案内している。

「お願いします。では、アルーラ様」

 アルーラと別れ、部屋へと急いだ。

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