第29話

 主要な顔ぶれが揃った部屋。セレーネは眠い目をこすり、レウィシアの横に用意された椅子に座っていた。

「叔父が治めていたこの地についてだが」

 誰が治めるか話し合うのだろう。

「数ヶ月、この地に留まり、俺が治めようと思う」

「……」

 沈黙。どう言っていいか、まとまらないのだろう。

「この地に移るわけではない。落ち着くまでだ。この地の貴族については把握していないからな。離れた城から指示するにしても、本当に指示通り治めているか。ある程度落ち着くまで」

「では、あちらは」

「ダイアンサスとユーフォルに任せる」

「戻ってもいいですよ」

 セレーネは手を上げる。戻って宝物庫の物色、いや整理。

「却下」

 レウィシアは素早く、ばっさり。

「私がいようといまいと紹介されると思いますよ。特に実物見たら」

 セレーネで妃が務まるのなら、うちの娘でもと。

「俺はセレーネ以外迎えない。それに今はそんな話をしている暇はない。この地の建て直しが優先だ。腐った貴族を一掃する」

 一同は頷いている。

「叔父上の件ですが」

 セレーネは再び手を上げた。

「あの姿になったのは一ヶ月以上前。二ヶ月、三ヶ月前かもしれません。もし、子供を身籠っているといっても、三ヶ月前には変化があったはずです。例えば一部が竜化していたり。そんな状態で女性が傍にいると思います? それに変化の苦痛もあったと思います。なにせ竜になったのですから」

 いつから鱗を飲まされていたかは不明だが、動くには不自由していなかった。バルログも慣れるのに、竜の姿になるのに一ヶ月以上かかったと。

「体を作り変える、ということですね」

 ルクスの言葉に頷く。

「まぁ、六ヶ月、七ヶ月経っていると言われればなんとも。奥の手を使えばわからなくありませんが、あまりやりたくありません」

「俺や叔父と同じ色の男に限らず、女もいるからな。叔父の最後の姿はここにいる者は知っている」

 嘘をいてもばれる。

「ばれないよう、知っている者を口封じ、というのも」

 真実を知っているのは本人だけ、となる。

「叔父の子に仕立ててどうする。反逆者の息子、娘と白い目で見られる。俺としても王位は認めない。もし、俺とセレーネの間に子ができなければバディドの子を」

「プレッシャーをかけないでください。そして脅しですか。あとバディドは巻き込まないでください」

 レウィシアを睨んだ。

「それに、お忘れですか。三年経てば」

「どうとでも言える」

 涼しい顔でさらりと。

「兵の半分は城へ帰す。半分はこの地に。叔父の敵討ちだと挙兵するかもしれない。残す兵はそちらで話してくれ」

 アルーラと将軍を見ていた。

「落ち着けば、領主に任せて帰還する」

「拠点はどうされます」

「ここだ」

 屋根の修理は兵が今やってくれている。

「元々ここは王家所有の邸。叔父もここにいて滅茶苦茶に治めてくれたからな」

 レウィシアは苦笑。

「俺が勝ったことはもう聞いているだろう。すべてを元に戻す。父の、俺の治めている地と同じにする。まずは広く布告しろ」

 返事をしてそれぞれの仕事をすべく、部屋を出て行く。昨日の時点でいくつか決めていたのだろう。部屋にはセレーネとレウィシア。

「また、手紙でのやりとりになるな」

 城のユーフォルに指示を出し、ユーフォルからの返事待ちも。ここと城へは馬で。鳥という手も。だが鳥の場合、分厚い手紙は運べない。馬でも途中邪魔が入る、天候次第では。

「直接のやり取り、ですか」

 セレーネは「ん~」と人差し指を顎に当てる。レウィシアは早速書類を手に。

「試してみますか」

 呟き、部屋の中を見回す。レウィシアが書類を見ているテーブルにある水差しとコップに目を付けた。

「叔父が政務をおこなっていたかわからないが、あるだけの書類をここへ持ってきた。仕分けて執務室として使う部屋へと持っていく。仕分けた書類をまとめてくれるか」

 広い部屋。数十人で会議をおこなえ、パーティーにも使えそう。玉座として使っていたのか、飾られた椅子が隅に。レウィシア達が動かしたのだろう。

 水差しの水をコップに。

「喉が渇いたか? お茶でも淹れてくるか」

「いえ。これは別に使おうと思って。気にしないでください。ウンディーネ」

 コップに入った水に向けて呼びかける。すぐには来ないだろうと、レウィシアから少し離れた場所に。突然手に持っていたコップの水が外へ。意外にも早く反応した。水は人の形をとっていく。

 レウィシアはぎょっとし、

「何をした」

「気にしないでください」

「なる!」

 コップからあふれた水は女性の姿に。

『ウンディーネ、頼みが』

 レウィシアにはわからない、精霊の使う言葉で話した。


『では、お願いします』

 手早く書いた手紙をウンディーネに渡すと、ウンディーネはコップの中へと消える。

「何を話していたんだ」

「上手くいけば、すぐにわかります」

「いかなければ」

「説明します」

 コップをテーブルへ。

「あ、これは飲んじゃだめですよ」

「何かあるのか」

「それもすぐにわかります」

「セ、レーネ様」

 テーブルに置いたコップから戸惑った声が。

「あ、上手くいったみたいですね。はい、大丈夫ですよ」

 コップから水が浮き上がり、平たい円形に。円形の水鏡に映っているのは、驚き顔のユーフォル。

「見えます? 聞こえます?」

「は、はい、あの、これは」

 戸惑った表情に声。

「シアが直接やり取りしたいようなので、試しました。上手くいってよかったです。というわけで、どうぞ」

 レウィシアへとコップを近づける。

「陛下」

「何がどういうわけだ」

 レウィシアも戸惑っていた。いたが、気を取り直し、話し始める。

 セレーネは仕分けられた書類をまとめながら、話が終わるのを待った。


「わかりました。陛下はそちらに留まるのですね」

「ああ。落ち着けば戻る。早くて一ヶ月。遅くても半年、は遅すぎるな。なるたけ早く戻れるようにする」

「ところで、これは」

「セレーネ」

「はいはい」

 まとめ終わり、セレーネも書類の内容を見ていた。書類を置き、レウィシアの傍へ。

「その水には精霊の力が込められています。届けた手紙にも書いていましたけど」

「ええ。精霊だから安心してください。水を用意してください、とあったので、その通りに」

「こちらの水にも同じ精霊の力が込められており、つながっている、とでも言うのでしょうか」

「「繋がっている?」」

 声が揃う。

「はい。上手くいけばこうして話せるのでは、と試したのです。成功ですね」

 セレーネはにっこり。

「まず、声だけ届けます。届いて、相手が返事をすればこうして繋がる、顔が映ります。返事をしなければ繋がりません。見られたくない、聞かれたくなければ返事をしなければ、そこで何をしていようと。水をぶちまけたら終わりです。もう繋がりません。移し変えは大丈夫です。ぶちまけないよう注意してください。悪用、はされないと思いますが」

 繋がっている先は決まっている。両方盗まないと。片方だけでは。

「期間はあるのか」

「ウンディーネ、精霊の力が続く限りは。なので、一年は余裕です」

 数百年もつかもしれない。

「ただし、ぶちまけたら」

「終わり、だな」

「はい」

「ユーフォル、緊急の連絡はこれで」

「はい」

「限られた者、魔法師長やダイアンサスには話しておけ。ダイアンサスにはこちらから城を頼む旨の手紙を送る」

「はい」

「書類はこれまで通り送ってくれ、こちらからも送る」

「余裕があれば私が魔法を使って一瞬でそちらへ」

「いえ、セレーネ様は陛下の傍に。お二人の元気な姿を見て、安心しました。話はわかりました。いくさは終わりましたが、陛下、お気をつけて」

「ああ。すまないが帰るまで頼む。終わらせるには」

 レウィシアはセレーネを見た。

「戻れ、と言えばコップに戻ります」

 レウィシアは水鏡に映るユーフォルを見て、頷き、

「戻れ」

 コップに水が戻っていく。

「飲まないでくださいよ」

「飲むか」

 レウィシアは息を吐き、

「便利なことができるな」

「代償に魔力半分持っていかれましたけど」

「先に言え」

「半分なので問題ありません。それにあと半日ですし」

 今は昼過ぎ。半日何事もなく過ぎれば。とはいえ残りの魔力は少ない。バルログを今も探し続けている。そのため魔力を使い続けている状態。

「セレーネには一生頭が上がらないかもしれないな」

「なぜです。上手くいくかどうかわからなかったですし、前々から試したかったんですけど、どう使うか、使いどころが。ここで試せてよかったです」

 レウィシアはなんともいえない顔。セレーネは笑顔。

「手伝いますよ」

「ああ」

 レウィシアはさらに書類を仕分けていた。



 戦も終わり、王様と王妃様は幸せに暮らしました。とはいかない。

 翌々日、邸に押しかけてきた貴族達。大半が年頃の娘を連れて。セレーネは書類を持ち、別室へ避難。

「思ったより少なかったですね」

「何が」

 ガウラも避難。レウィシアの傍にはルクスと将軍、アルーラ。そのためガウラも部屋の外へ。

「もっと娘を連れてくるかと思ったのですが。明日にしたのでしょうか」

 こうなるかも、とセレーネはレウィシアと離れた部屋を掃除して使えるようにしていた。レウィシアが執務室として使っている部屋より狭い。レウィシアが執務室と決めた部屋は城と比べるべくもなく。だが城と同じ、必要なものしか置いていない。飾ってもいない。

「戦中も来た。陛下は断っている上、戦中の姿を見て、嫌がる娘をもう一度連れて来られると」

 ガウラは呆れている。なるほど、とセレーネは頷いた。

「落ち着いた頃に茶でも淹れてやってくれ。対応に疲れているか、不機嫌極まりないか」

「運命を感じ、その方を」

「それはない」

 はっきり。なぜ言い切れるのか。

「陛下もここに避難させるか」

「こっちに押し寄せてきます。次の避難部屋を探さなければならないので、やめてください」

 王家所有の別荘だけあり広いが、残る面々が使っている部屋もある。兵は外で天幕を張り。この地の領主、貴族の話を聞く、話し合いをするのなら泊まる者も。勝手に使えない。



 舌打ちの代わりに顔をしかめた。領主、貴族が保身のため、訪れてくるのは予想できていた。フェガから叔父の近くにいた、どっちつかずで静観、もしくは反発していた貴族は聞いている。レウィシアの方でも戦中に調べていた。

「妃ならいる。今も手伝ってくれていたが、お前達が来たから、部屋を出た。娘の売込みなら帰れ」

 傍にいれば妃だと紹介できたが、素早く部屋を出て行った。

「しかし」「お一人でしょう、陛下の叔父上は何人も」「自慢の娘です」

 口々に、一斉に。

「俺は叔父と違う。ねだられても買い与えることはしない。国の金も、妃でなく民のために使う。宝石一つ、服一枚買い与えはしない」

 何人かの娘は顔を顰めた。

「妻はそれで満足している」

 お前達と違い。

「税金は上げない。元に戻す」

 これには領主、貴族が隠しもせず、顔を顰めた。

「話がそれだけなら帰れ。娘達の何人かは叔父に一度嫁いでいたのだろう。次は俺か。もう一度言う。俺は叔父とは違う」

「では、我々の話は聞かないと。ルヴォノ様は親身に我々の話を聞いてくれましたよ」

「くだらない話でなければ聞こう。賄賂わいろや女なら効かない」

 話を聞きたい領主はいる。呼び出すか、こちらから訪ねるか考えていた。今ここにいる者の大半は叔父につき、やりたい放題していた者達。

「横暴では」

「突然押しかけて来て、どちらが横暴だ」

 レウィシアは冷めた目で並んでいる者達を見た。部屋に入りきらず開かれた扉の外、廊下にまで。ひるむ者もいれば聞こえていないが悪態を吐いている者も。

「こちらとしては全財産の没収、位の剥奪はやめておこうと考えていたが、考え直すべきか」

 途端顔色を変える貴族、領主達。

「大体の顔は覚えた。調べれば」

 どこの者か。どう治めていたか。

「突然、大勢で押しかけた非礼はお詫びします」

 一人の男が出てきて、頭を下げる。

「しかし我々も陛下のお力になりたかったのです。お妃様はてっきり城とばかり。寂しい陛下の心を少しでもおなぐめできれば」

「城にいたとしても、俺が想い、愛しているのはただ一人。裏切るような真似はしない」

 男は小さく笑う。馬鹿にされたように見え、一瞬イラつく。

「そうですか。失礼。それでしたら一人、お傍に置いていただけませんか。娘達を陛下の見える場所へ」

「断る。一人と言っておいて、二人、三人と連れてくるだろう。それに何人かは知っている。俺を化け物だと」

 人を押しのけ、出てこようとしていた何人かは、押しのけるのをやめ、背に隠れる。

「使用人としてでもかまいません。お妃様と比べられて」

「比べる、だと」

 怒りをにじませ男を見た。

「こう大勢では陛下も困るでしょう。我々の選んだ一人を。そうすれば我々も陛下の言うことを聞きましょう」

「つまり、聞く気はないと。それならそれでかまわない。話のわかる者と話すだけ。すべての領主、貴族がお前達と同じ考えではないだろう。民の話も聞き、相応しくないとわかれば領主を変えるだけ。挙兵すれば潰す。どれだけの者が集まるか知らないが」

 またも顔色を変える者、小さく声を上げる者、そっと部屋を出ようとする者も。

「ああ、叔父の子を宿していると言っても王位は認めない。本当に叔父の子か怪しい。なにより叔父はこの三、四ヶ月人と会える状態ではなかった。それは戦場にいた者すべてが知っている」

 またまた何人かが顔色を変える。

「さて、まつりごとの話なら聞こう。それ以外は帰れ。見ての通り、忙しい」

 机に積み上がっている書類を指した。

「今日はおいとましましょう」

「おい」「何を勝手に」

 貴族同士揉めている。

「揉めるなら外でやってくれ。アルーラ、ハロート」

 二人の将軍の名を呼ぶと「はい、出てください」と追い出し始めた。

「陛下、私は政についての話が」

 手を上げる者がいたので、その者を残せ、と二人に目配せ、他の者は追い出した。

 しかし政の話は少し、自分がいかに治めたか、人望があるか、自分が領主でなければ暴動が。陛下と年の近い娘と姪が、とくだらない話。



 追い出された貴族、領主達は揉めながらも

「ああ言っているが陛下も男。まず妃を調べ、妃より美しい者を」

「それなら国一の美女を」

「美しい娘なら紹介されているだろう。その上で今の妃を娶られた。やはり妃を調べるなり、陛下の好みを」

「一人気に入れば、二人、三人と」

「だが何も与えてやれないと」

「断る口実かもしれん。そう言って妃には」

 話し合っていた。



 セレーネが扉を叩くと、

「入れ」

 トゲトゲしい声。

「失礼します」

「すまない」

 入った途端、謝罪。

「いえ、お疲れさまです。その様子だと実になる話は」

 トレーの上にお茶の入ったポッドとカップ。甘いものを乗せた皿。

「ああ。保身のため自分と娘を売り込みに来た者達だ。そんなことをするなら、今からでも心を入れ替えて治めてほしいのだが」

 無理だろう。二年以上続けてきた。今さら変えられない。

 レウィシアを見に来た者もいるのだろう。叔父と同じなら今まで通り。

 応接テーブルの上に茶器を並べていく。レウィシアは執務机から離れ、テーブルヘ。

「これからなのに早くもお疲れですか。無理はしないでください。倒れられては困ります」

「倒れれば面倒を見てもらえる」

 爽やかな笑顔で。

「医師に頼みましょう」

 レウィシアはむぅ、とねたように。次には小さく笑い合った。


 意見交換しながら書類整理。毎日貴族、領主達が訪ねてきていた。水鏡でのやり取りも慣れたものに。最初のうちはレウィシアだけでなく、ユーフォル、ダイアンサスも驚きながら。魔法師長とルクスは興味津々に使っていた。

 同じ部屋で手伝っていたが、来客の度に退室して別室に。どの貴族も同じような話。耳にタコが。魔法を使って追い出したいが、できるわけもなく。それなら別室で頼まれたことを、とやっていればレウィシアが突撃してきて、なぜ戻ってこないと。

「失礼します、陛下」

 その男が部屋に入って来て、レウィシアは顔を顰めた。

「先日は大勢で押しかけ、申し訳ございませんでした」

 深々と頭を下げる。背後にはセレーネと同年代の女性が。手入れの行き届いた艶のある髪は水色。大きな瞳も水色。色の白い肌。服は質素。誰もが振り返る容姿。

「言葉通り、一人。お傍に」

「帰れ」

 早く、強い口調。

「頼んでいない。妃は、妻はいる。今、この場に」

「この場に、ですか」

 男は部屋を見回し、セレーネを見て、

「まさか、その方、ですか。てっきり使用人かと」

 わざとらしい驚き方。慣れているから気にはしない。

「妻に向かい無礼な」

「失礼しました」

 男は頭を下げる。全く悪びれていない口調。

「聞けばヴィリロの人質、なのでしょう。そのような者を傍に置くなど」

「まだ言うか」

 レウィシアの声が低くなる。

「シ、陛下、落ち着いて」

「落ち着け、だと。俺はどう言われてもいい。だがセレーネを馬鹿にされて黙っていろと」

 これからの関係もある。とはいえ、セレーネはこの辺りの貴族、領主は全く。城周辺も、だが。

「見たところ使用人もいない様子。こちらで手配いたしましょうか」

「結構。信用できない者を入れるつもりはない。それとも使用人にまぎれさせて、俺を始末するか」

 セレーネは小さく息を吐く。このようで上手くやっていけるのか。すべての要求を呑めとは言わないが、一つ、二つ聞かないと。貴族、領主の反発も。それにレウィシアが倒されれば再び戦に。

「彼女一人ならいいのでは」

「セレーネ!」

「何人も入れるのは嫌なのでしょう。彼女一人なら」

「わかって言っているのか」

「はい」

 レウィシアはセレーネを睨む。セレーネは静かに見返した。

「彼女が刺客、間者だというのなら別ですが」

 見た目だけではわからない。それにレウィシアの傍にはガウラ、将軍がついている。アルーラは各地の様子を見に出ていた。

「王妃様もこう申しております。この者は刺客ではありません。何もできない、いえ、気の強い王妃様とは正反対の大人しい娘。陛下を慰めるくらいしか」

 意見交換の言い合いを喧嘩ととっているのか。まぁ、言いたい放題二人で話すから。

「何もできないなら、帰れ。そして、それ以上セレーネを侮辱するなら」

 レウィシアは男を睨む。本気の怒気を向けられ、男は怯む。背後の女性も小さく肩を震わせていた。

「陛下」

 脅すな、と声をかけるも。

「なぜそう呼ぶ。いつものように呼べばいい。セレーネは王妃なのだから」

 王妃と強調。これはらちが明かないかも。助けを求めるようにレウィシアの護衛兼手伝いをしている将軍とガウラを見たが、二人とも目を合わせない。アルーラがいれば上手くまとめてくれただろう。

「では、私は失礼します。しっかり陛下のお世話をするのだぞ」

 女性に声をかけ、肩を叩くと部屋を出て行った。女性はレウィシアに向かい「よろしくお願いします」と頭を下げる。レウィシアは返事をしない。

「え~と、とりあえず、お名前をうかがっても」

 なんともいえない部屋の空気。

「失礼しました。エルエットと申します。エルとお呼びください。陛下」

 服を持ち優雅な挨拶。男と似ていない。親子、ではないだろう。年は親子ほど離れているが。どこかの令嬢だろう。

「お茶でも淹れてもらいます?」

 女性、エルエットからレウィシアへと視線を移す。

「セレーネが淹れてくれ。来たばかりの者。信用できない」

 辛辣しんらつな言葉。気持ちはわからなくないが。

 エルエットは部屋の隅に立ち、レウィシアを見ていた。


 レウィシアとセレーネは同じ部屋、寝室を使っている。レウィシアはここでも夜遅くまで仕事しており、先にセレーネが休む、寝ることが多い。朝もレウィシアより遅く起き。

 エルエットはどんなに夜遅くともレウィシアが休むまで執務室におり、朝も共に入るとか。朝、昼、夜ご飯も一緒。一応部屋は用意した。レウィシアは用意しなくてもいい、と言っていたが。

 来て五日。少しは仲良くなるのかと思えば会話の一つもない。それともセレーネがいない時に話しているのか。エルエットを連れてきた貴族は毎日来ている。エルエットは使用人のように客やレウィシアにお茶の用意をして、部屋の隅に控えている。

「美味しいですよ」

 セレーネは毒見も兼ねてエルエットの淹れてくれたお茶を飲み、レウィシアに勧めるが、レウィシアは全く手をつけない。「セレーネが淹れてくれ」とつっぱねている。何を意固地に。……よく考えればレウィシアはセレーネ、ノラ、フィオナの淹れるお茶しか手をつけていなかった。

 ガウラをちらり。今は執務室で仕事中。

「なんだ」

「フィオナは元気かと。手紙では元気と書いていたのですけど」

「王妃の心配ばかりしていた。無理、無茶をしていないかと。俺より」

「妬いています?」

「……全く」

 なら、その間は。小さく、くすりと笑う。

「セレーネ!」

「あ、はい。手を止めてすいません」

 レウィシアの強い口調に仕事中であることを思い出す。

「妬いているのはそっちだ。相手をしてやれ」

 妬いて強い口調で呼ぶのか。ガウラは呆れた様子。

「でもフィオナの話はガウラ様が詳しいでしょう」

 レウィシアに話しても。何より、セレーネにとってはノラの次に身近な者。年も近い。それに女性の話。男の話をしたのではない。

「これを頼む」

 ぶっきらぼうに書類を渡された。


 エルエットが来て八日。相変わらず紹介した貴族、いや領主は様子を見に来ていた。レウィシアは相変わらずエルエットを無視、いないように扱っている。

 一度、夜部屋に戻ると、エルエットがソファーに。部屋を間違えたかと、出て確かめたものだ。もしかしてレウィシアが呼んだのかも、とセレーネは別室、避難部屋に。休憩できるよう毛布も用意していた。部屋を暖めているとレウィシアが飛び込んできた。何をしている、なぜここにいる、あの女が追い出したのか、すぐ外へ放り出す、と。

 あの時は落ち着かせるのに時間がかかった。

 今日も今日でレウィシアはエルエットを見ない。お茶の片付けに部屋を出たエルエットについてセレーネも「ちょっと」と部屋を出た。

「すいません。陛下は警戒心が強いようで。戦が終わったばかりで誰が敵か味方か見極めようとしているのでしょう。あなたの頑張りは見ていますから、いずれ」

 警戒心も解ける。

「自慢、ですか」

 小さな声。

「自慢ですか。陛下に愛されているから、相手にされないわたしを見て、笑っているのでしょう。そうやって哀れんで、優越感にひたっているのでしょう。わたしを馬鹿にしてしるのでしょう」

「いえ、そんなつもりは」

「ヴィリロがまぐれでグラナティスに勝ったから。人質だから」

 来た貴族、領主も囁いていた。レウィシアに直接言い、激怒させた者も。

「わたしはあなたと違い、何もできない。陛下の傍にいるだけ。見ているだけ。あなたのように気軽に声をかけることも」

 そんなつもりはなかったが見る者によっては違う。

「わたしは、あなたが嫌いです」

 真正面からはっきり言われたのは久々。目の端には涙。

「失礼します」

 エルエットは頭を下げ、茶器の乗った台車を押して去って行く。茶器を片付けたらまた執務室に戻り、レウィシアの傍に。

 セレーネがいるからレウィシアはエルエットを見ないのか。しっかりした女性に思えるのだが。話せばレウィシアとも気が合うのでは。セレーネとしてもエルエットが雑用をしてくれれば、その分レウィシアの手伝い、書類整理ができる。彼女が用意するものに何も入っていないのは、この数日間でわかっている。セレーネが口をつけてから、レウィシアに勧めていた。

 頷き、執務室へと戻った。



「いつまで待たせる。昨日も、その前も。全く陛下に会えないではないか」

 部屋を出ると階下からそんな声。セレーネは階段を下り、玄関ホールに。

 レウィシアの執務室と部屋を分け、仕事を始めて二日。レウィシアは渋っていたが、護衛はいるし、来客の度に移るよりは、となんとか説得し、移った。

「あの、何かあったんですか」

 玄関ホールには十人ほどの貴族、領主と思われる者が。近くの者に声をかける。

「ああ、これは王妃様」

 かけたのはフェガ・ペトラ。王妃と知ったフェガは「王妃様とは知らず、ご無礼、申し訳ありません」と何度も謝られた。

「それが、陛下に会いたいと来られたのですが、陛下は来客中とのことで」

「ああ。毎日誰かしら来ていますからね」

 すべての者に会える時間は。

「わかりました。私がお話を伺います。書類なら預かります」

 玄関ホールにいる貴族、領主の視線はセレーネに。

「この者は」

 訝しげ、馬鹿にした目で見てくる。

「王妃様です。私も、いえ、我が領地を助けていただきました」

 興味津々といった目に変わった者も。

「一旦王妃様にお預けになっては。必ず陛下に渡し、話してくれるでしょう」

 セレーネは笑顔を作り、ホールにいる者達を見る。

「必ず渡し、お話します。皆様も知っての通り、この通り、陛下にお会いしたい方は大勢います。しかし陛下はお一人。時間は限られます」

「腐った貴族を優先して、か」

「腐っても貴族。そして嫌いだろうとなんだろうと上手く付き合わなければなりません。皆様もそうでは。それとも嫌いだからと利益も民の声も無視して、その方と手を切ります?」

 小さな笑い声。

「なるほど、清濁併せ呑む。一国の王。個人の感情で動けばどうなるかわかっている、か」

「はい。ですが皆様にご足労いただいたのに会えなかったのは陛下に代わり、謝ります。申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる。

「今日のところは王妃様に免じて帰るとしましょう。必ず陛下に渡してくれるのですね」

「はい」

 男の目をまっすぐ見返して頷いた。

「すいません。私、こちらには詳しくないので、書類にお名前を書いていただけます。お話は紙に内容を書きますので」

 これで誰が来たかわかる。

「悪口なら私が聞きます」

 冗談で言ったのだが誰も笑ってくれなかった。

 セレーネが仕事している部屋に貴族、領主を招き、書類に名前を書き、預かっていく。話だけの者は紙に内容を書きまとめて署名。それで本日は終了。

 小さく息を吐く。本当に悪態を吐く者も。セレーネになら言いやすいのだろう。

 手伝ってくれたフェガに礼を言い、別れた。フェガが口添えしてくれていなければ誰もセレーネが王妃などとは思わなかっただろう。服は動きやすい服。髪は一つにまとめ。ここでも髪の色を揶揄やゆする者が。最近は荒れた庭の手入れを息抜きにおこなっているので、手には小さな切り傷、あかぎれ、しもやけにはなっていないが荒れている。考えが別に行きかけ、元に戻す。

 あの者達には悪いが中身を見て優先順位をつけ、レウィシアに。

 まず夕食にしよう、と厨房に夕食を取りに行き、行儀悪いが書類を見ながら食べた。ノラやフィオナが見れば怒る。祖父も忙しい時はこうしていた。食事を抜くことも。その時は書類を取り上げ、一緒に食事したものだ。それはレウィシアも。

 レウィシアの机には日ごと書類が増えていく。セレーネも手伝っているが、レウィシアほど早く仕上げられない。セレーネが倒れても。レウィシアは代わりがいない。

 ……。

 考え、無理するか、と書類を読む速度を上げた。

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