第24話
ユーフォルからの
どこにいるのか。誰かに保護されている? それなら手紙を送ってくる。送れずにいるのか。動けないのか。少しでも手がかりは。ユーフォルの手紙を読み返し、オリヴィニの言葉を思い返す。
なぜあの国が、と呟いていた。あの国。どこかの国が知らせた。どこの国が。
一人の男が思い浮かぶ。いや、と否定しようとして、セレーネを妃に迎えたがっていた、セレーネも諦めてくれるといいと気にしていた。
強い王を欲しがっていた。セレーネなら上手く国を治められる。だが強いのか? ……だから魔獣フェンリル。話が飛躍しすぎだ。証拠もない。シーミに誰か送るか。ここから。城から。どちらにしても時間がかかる。一日、一時間、一分でも早くセレーネの無事を確かめたい。
考えがまとまらない。レウィシア達は毎日ではないが進んでいる。レウィシアが抜ければ。もしシーミにいなければ。
……。
ここからシーミには。この先、叔父の軍と争うとしたら、次にぶつかるのは。素早く計算。手紙を残し、深夜に野営地を出た。
馬を駆け、シーミへ。睡眠、休憩はそこそこ。馬は町に着くと変え、全速で走らせた。宿、十分な休憩を取りながら、安全な街道を通れば六日はかかる距離。天候、不測の事態によってはそれ以上かかる場合も。それを四日で。よく辿り着けたものだ、と自分でも感心していた。馬を変えるために立ち寄った町で、多少険しくてもかまわないから、シーミまでの最短距離を教えてくれ、と毎回聞き、その道を通ってきた。
四日前の深夜に出てシーミの城下町に着けたのは夕方。
夕飯の準備のためか、町は買い物客でにぎわっている。町を見ながら、どうやって城へ侵入するか考えていた。
もし、ここにセレーネがいなければ無駄足。三日後には戻る、と書き置いてきた。誰かが見つけるのは朝。今日がその三日目。どうやっても戻れない。ガウラ、アルーラ、他の面々の怒った顔が目に浮かぶ。
「そこのお兄さん、どうだい、一杯」
飲み物を売っている露店の男が声をかけてきた。
「なにせ明日はビタール王子の結婚式。めでたいってことで、明日まで少し安いよ」
「結婚式?」
「ああ。知っているだろ。だからお祭り騒ぎ」
にぎやかだとは思っていたが。
「仕事でこの国に着いたばかりなんだ。だから結婚式とは知らず。いつもこんなににぎわっているのかと」
流れの傭兵、体格的に疑われない。布をかぶり顔は隠している。知られていないだろうが、念のため。
「ないない。めでたいからどこもにぎわっているのさ。明日その花嫁をつれて町を一回りするらしい。お披露目、てやつだ。どこで見る、と皆下見も兼ねている。コースは決まっているからな」
「どんな花嫁なんだ」
「さあ、知らないから皆見たいのさ。ビタール王子はいい男だから、結婚が決まって悲しんでいる女もいる。花嫁に何か投げなければいいが」
「そうだな」
様々な果物が並べられている。その中からオレンジを
町を歩いていると聞こえてくる、ビタール王子結婚の知らせ。一年後には王になると。誰に聞いても花嫁の姿は知らない、明日見られると。噂のあった国の姫じゃないのか、と賭けまで。老若男女それぞれ祝っていた。近隣の国の王族も招いている。近隣といえば魔獣が現れ、暴れた。うちでも被害が、という話も聞こえてきた。
城に近づき、怪しまれないよう観察。正面は兵が。裏の方が警備は手薄か。明るい今より、暗くなるのを待って。侵入してもどこにいるか。
グラナティス、ヴィリロの城より狭い。ビタールの部屋に一緒にいるのか。もしビタールを選んだのなら。城を出る前のセレーネを思い出し、強く頭を振った。
ビタールは毎日来て、シーミ国の話。ローズも毎日来て「ここが貴女の国」と魔力を言葉に込め。ストレスは溜まる一方。体力がどれだけ回復したかも兼ね、部屋で動けるだけ動いていた。何度も脱走しようとして、窓、扉には兵が張り付き。幸いなのはビタールと別の部屋。一緒だったらどんな手を使っても、どうなろうと逃げていた。牢がまだいい。
封印具も
明日は結婚式、という日まできてしまった。国内の貴族、近隣の王族を招いて盛大に
「明日は結婚式ですね」
対面の椅子に座るビタール。
「しません」
「貴女は大陸一幸せな花嫁。私も幸せな花婿」
聞いていないのか、うっとりした顔。
「重婚ですね」
レウィシアとは別れていない。
「私は貴女を一番に想っています。どうしてわかってくれないのです」
「フェンリルをけしかけ、
魔力を封印具に集中。今晩中に
「貴女を想うが
かけていた椅子から立ち上がり、近づいてくる。セレーネは睨みながら集中を切らさない。ぱちっと腕輪から小さな音。ビタールは気づいていない。
セレーネの傍に来て、
「これを外してください」
指しているのは左薬指にある指輪。レウィシアから贈られた。結婚式でつけた。あの時のレウィシアは。
「お断りします」
はっきり。
「そうですか」
ビタールは俯き、再び顔を上げると、握っていた手をセレーネの手首に。片手は指輪を取ろうと。
「これがあれば私からの指輪をはめられないでしょう。気長に待つとは言いましたが、外していただきます。明日には私の妻」
痛いくらいの力で手首を握られ、握っている手を開かそうと。
痛みに集中が途切れる。再び腕輪に集中。ぱちぱちと小さな音。近い距離のビタールにも聞こえたのだろう。音源である腕輪を見たが、音だけで何も変化のない腕輪から目を離し、セレーネの強く握った左手を開かせようと。
両方一緒でなく、片方だけなら。はずれろ、はずれろ、とさらに集中。
「セレーネ」
気安く呼ぶな、と叫びたいが叫んだのは、
「はずれろ!」
魔力を集中させた。
左の腕輪が弾ける。腕輪の欠片がビタールの右頬をかすめた。
「まじか」
「馬鹿な」
ラタトスクとビタールの驚いた声。
右は壊せていない。しかし、魔法は使えるかもしれない。左腕が痛む。気にしていられない。驚いている隙に、と椅子から腰を浮かせ
「まさか壊されるとは。とはいえ我が国のものも捨てたものではない。片方は」
右頬にはうっすら傷が。
「さすがこの国の女王。私の妻」
誰が妻だと叫ぼうにも口は塞がれている。魔法を唱えられないように、だろう。
近い位置、耳元で囁かれ、ぞっと。離れろと叫ぶも言葉にならず、うーうーと呻くだけ。
ビタールは耳から頬にと唇で触れてくる。気持ち悪く鳥肌が。口を塞いでいる手に噛み付いた。鉄の味が口に広がる。ビタールは小さく呻き、顔をしかめている。
「レウィシア陛下は貴女を忘れ、別の女性と一緒にいます」
耳元で。だからどうした。事実はわからない。セレーネは見ていない。
大人しく戦に集中していればいい。女性が傍にいても。その女性を選んだのなら、レウィシアが幸せなら、姿を見せずに去るだけ。もしセレーネがいないと知り、暴走していたら。調子を崩していたら。
「うっ」と短い呻き声。セレーネへと倒れこんでくる。なぜか力は緩んでいる。「げっ」とセレーネも呻いたが、下敷きにされる前にビタールの体はセレーネから離れ、床に。
何が起こったのか。傍には兵が立ち、見下ろしている。顔はかぶっているもので見えにくい。そのかぶっているものに手をかけ。
現れた容貌に目を見開いた。
侵入は成功。しかし見つかるのは時間の問題。
暗くなるのを待ち、裏口へ。案の定、兵が。しかし正門と違い二人。兵の待機所もない。正面突破しようものなら、待機所から待機していた兵が出てくる。騒いでいる間にさらに応援を呼ばれる。正門は四人の兵が立っていた。
裏にいた二人を素早く倒し、服を拝借。二人を縛り、声を封じて少しでも発見を遅らせる。交代の時間になれば必ず見つかる。一時間か三十分か。城の中へ。
明日の準備なのだろう。使用人はあちこちへ、ばたばた慌ただしい。
セレーネはどこに。まさか牢には入れられていないだろう。壊して出てくる。レウィシアは小さく笑った。
そう、魔法を使える。今まで何度も助けられた。それなのに何の音沙汰もない。セレーネ自身の意思か。誰かに阻止されているのか。怪しまれないよう進む。
「大丈夫なのかしら」
「明日のこと」
「そう、奥様、セレーネ様、だったかしら。結婚式に乗り気でないから。ビタール様やローズ様も必死みたい」
ぴたりと足を止めた。
「かなり嫌がって大暴れしているのでしょう」
セレーネらしい。
「そうなの。部屋は荒らす、ウエディングドレスを選んでもらおうとしたら、素手で破られて」
「……」
「どこの方なの。そんな方で本当に大丈夫?」
「夫がいるって叫んでいるわ。ビタール様は否定しているけど、左薬指に指輪がはまっているのを見たもの」
「余程好きだったのね。ビタール様よりいい男なのかしら」
「こら」
結婚はセレーネの意思でないことにほっとし、ビタールに怒りを超えた感情を覚えた。
セレーネはここにいる。だが、どこに。部屋を一つ一つ確かめるわけにも。ビタールの部屋か。別、客室か。客室は明日のために埋まっているだろう。それなら。考えたくない。今、ビタールが目の前を通れば斬りかかる自信がある。
「明日の警備のため、セレーネ様のいる部屋からの安全を確認しろ、と言われました。勤めて日が浅いので。セレーネ様のお部屋はどちらに」
忙しそうな使用人を捕まえ、尋ねた。じっくり考えられては困る。忙しい者なら早く終わらせたいはず。怪しまれれば、その時は脅してでも。ここにいるのは確か。
使用人は怪しまず、
「ご苦労さま。あの方なら離れよ。あっち」
両手で荷物を持ったまま指すと早足で去って行く。
レウィシアの結婚式も急だった。こんな感じだったのか。あの時は自分の衣装だけ合わせ、仕事に。今になって、もっとセレーネのドレス姿を見ておくべきだった、と後悔。あの時セレーネはどんな顔をしていた。他の男と並ぶ姿は見たくない。
指された方向、離れに向かった。
城の端、渡り廊下でつながっている離れ。殺風景。緑もなく、城壁が間近に。
城と離れをつなぐ渡り廊下に兵が二人。
「ビタール王子の命令で」
「ビタール王子は今、離れだが」
一人が離れの建物を見る。
「この時間にくるよう言われました」
兵は訝しんでいる。
すぐそこに、目の前、見える建物の中に。ここまで来た。
黙っているのを怪しんだのか「おい」と声と一緒に手が伸ばされる。その手を摑み、引く。突然のことに対処できなかった兵はよろけ、空いている片手で兵の顔を押さえ、後ろ頭を壁へと叩きつける。短く呻き、床へ。もう一人は声を上げようと。その口を塞ぎ、腹へと拳を叩き込み、気絶させた。異変を感じたのか、離れの傍、扉前にいた兵の一人が駆け寄ってくる。
「何をしている!」
怒鳴り声。誰かが聞きつけ、新たにこられても。
そこにいる。一ヶ月以上会っていない、一番会いたい、愛しい人が。男と。
下げている剣を鞘に収めたまま振り、男の右側頭に。「あっ」と間抜けな声。ふらついている。背後に回り、剣を振り下ろす。こちらも床へと。渡り廊下を駆け、最後の一人、もしかしたら部屋の中にも控えているかもしれない。声を上げられる前に気絶させた。
気絶させた兵から部屋の鍵を取り、扉を静かに開ける。
レウィシアの私室、執務室より狭い。そんな中に寝台、テーブル、椅子、クローゼットが。他にも部屋があるようだが。
「さすがこの国の女王。私の妻」
男の、ビタールの声。見ると床に。誰かを組み敷いているのか、下を向いている。敷いているのは一人しかいない。頭に血が上る。
大股で進み、無防備な背に鞘に収まった剣を振り下ろす。抜いて斬りたいが、そんなことをすればセレーネを汚してしまう。
短い呻き声。顔は見えないが白い髪が床に広がっている。足はばたばたと。このまま倒れられたら。後ろ襟を摑み、適当に床へと投げた。
組み敷かれていたセレーネは呆然。しかし、すぐに気を取り直し、距離を取ろうとしている。
レウィシアはかぶっているものを取った。大きく見開かれる薄紫の瞳。
「う、そ」
か細い声。
「だって、今、戦場で、ここにいるはず」
ゆっくり近づき、膝を折る。セレーネは床に座り込み、じっと見ている。
手を伸ばし、セレーネの両頬を包む。
「本物だ」
聞きたかった声。見たかった姿。触れたかった。やっと。
セレーネも恐る恐るといった様子でレウィシアの顔に触れてくる。
「本当に、本物?」
「ああ」
両頬から手を離し、抱き締めた。セレーネもレウィシアの背に手を回し。
「本当に。夢じゃなくて」
まだ信じていないようだ。
「もっと力を入れればいいか」
腕に力を入れると「うっ」と小さく呻かれた。緩めると、セレーネの背に回っている腕の力が強く。
「顔」
「?」
「顔見せてください」
ゆっくり腕を外し、離れる。セレーネの望み通り、顔を。近い位置で、ぺたぺたと触れてくる。
「む、傷が」
「大した傷じゃない」
目立つ傷ではない。気にもしなかった。ならなかった。小さく笑う。セレーネの腕が首へ。
レウィシアもセレーネの背に両腕を回す。
「暴走していないかと。していましたね」
「そういうセレーネは」
「ビタール様! ご無事ですか」
開かれる扉。再会をもっと喜び合いたかったが邪魔が入る。
レウィシアはセレーネを片腕で抱え、部屋の奥へ。窓から外へ。
「窓の外にも兵がいます」
一人、二人なら。
「これ、これ外して、壊してください。これのせいで魔力を封じられて、魔法が使えなかったんです」
セレーネの細い右手首にはまっている腕輪。だから逃げられなかった。セレーネの魔法の腕なら逃げられたはず。
扉からは続々と兵が入って来る。ビタールも気づいたのか、頭を振りながら起き上がる。
「外れれば全部ぶっとばして」
「ぶっとばすのか」
仕方のない気もするが。
「早く二人を捕らえろ。男の生死問わない。姫は、セレーネは明日の式に出られれば」
気安い呼び方にむっと。セレーネは早く早くと
片手で剣を抜き、セレーネは刃の部分に腕輪を持っていく。迫ってくる兵達。レウィシアは下がり。
「はずれた」
セレーネの弾んだ声。続いて魔法を詠唱。向かって来ていた兵達はぎょっとし、下がる。セレーネは気にせず、放った。
熱風と轟音。これは、さらに人が、兵が集まってくる。
「よく考えれば、シアがここにいることは誰かに」
「誰にも言っていない。黙って出てきた」
「はぁぁ! 何やっているんです!」
「それはこちらの台詞だ」
「う、色々すいません」
セレーネはしゅん、と。
「今日には戻ると書き置いてきた」
半分焼け焦げた部屋で呑気な会話。
「その場所を強く思ってください。そこにいる人でもかまいません。戻りたいと強く思ってください。他のことは何も考えず。ただ自分のいるべき場所を」
セレーネはレウィシアの目を右手で覆う。セレーネの言葉通り、いた場所、本来いないといけない場所。怒りながらも心配してくれる面々を思い浮かべる。
何か呟いている。
浮遊感。
「へ、陛下!」
聞き覚えのある声。セレーネの手は目から離れ、見えたのは見知った面々。場所も会議で使っていた天幕。
「セレーネ様も。どういうことです!」
アルーラの慌てた声。
「上手くいってよかったです。失敗して途中で落っこちていたら」
片腕で抱えているセレーネは大きく深く息を吐いていた。
「戻ってきた、のか?」
「何を言っているんです。今までどこにいたんです。それに」
その場にいた者達が詰め寄ってくる。
「あの、セレーネ様、その、腕」
アルーラの様子にセレーネは、腕? と右腕を見ている。
「違います。反対、左です。どうしたんです。何があったんです。お二人とも」
「ああ、大丈夫ですよ。傷が開いたのでしょう」
「見せろ」
「大丈夫です」
「どう見ても大丈夫じゃないですよ」
レウィシアには見せてくれない。
「見せろ」「大丈夫」の繰り返し。ようやく左手首をとった。
白い衣装ににじんでいる赤。服の模様ではない。
「無茶をするからだ」
どこからともなく聞こえてきた声。よく見ると左手首には紐が結ばれている。その先には、紐で結ばれたリス。
「無茶して封印具ぶっ壊したから、傷が開いた。あの王子も治せと躍起になっていたな」
「ぶっ壊したから?」
そういえば魔力を封じられたと。それを壊したから? 傷が開いたとは。
「私のことはいいので、やることをやってください。待っていますよ」
セレーネの右手がレウィシアの顔を将軍達のいる方向へ。だが、とセレーネの左腕を。今も服を汚し続けている。
「私が」
進み出てきたのは魔法使い達を束ねている、ルクス。
魔法使いでないレウィシアにはどうにもできない。「頼む」と一言。
「すまなかった。叔父の軍とぶつかってはいないだろうが状況を教えてくれ」
アルーラ達へと向く。椅子に座り、セレーネは右膝に乗せ、片腕は腹に回して。
取り戻した。やっと会えた。離れたくない。離したくない。
「っ」
ルクスの息を呑む音。話を聞きながらレウィシアもちらりと見た。
セレーネの細い腕。肘下から手首のあたりまで四本線。巻いていた、外した包帯も赤く染まっている。
「痛くは」
「痛いですよ。でも痛みどころではなかったので」
平然と答えるセレーネ。
「完治するまで無理はなさらないでください」
「……できるだけ」
動くな、と怒鳴りたい。どこでそんな傷、とも聞きたいが、今は報告に集中した。
レウィシアの元へ。あの国から離れられて、ほっとした。心底。
レウィシアが現れた時は都合のいい夢、幻かと。まさか本物とは。
魔法使いに治癒魔法をかけてもらい、新しい包帯を巻いてもらう。ビタールも必死に傷を治せ、と言っていたが治せず。それはここの魔法使いも。傷を
封じられていた魔力を無理やり集中させた。そのため治りきっていない、一番酷かった傷が開いたのだろう。
終われば邪魔だろうから去ろうと。離してください、と言うも離してくれず。話の邪魔をしないよう、セレーネは大人しく。ラタトスクに騒がれては、と球状に結界を張り、ふよふよと浮かせている。紐は外していないので風船のよう。
こうして魔力を使うことでどれだけ残っているかわかる。瞬間移動の魔法を使ったので半分以下、といったところか。誰かと一緒に移動したのは初めて。しかも訪れたことのない場所。訪れた場所なら絶対とはいえないが移動できる。上手くいってよかった。途中どことも知れない場所に落ちていれば。シーミ国内だったら。
レウィシアはというと、まず全員から説教。セレーネのせいで。あの時油断しなければ。反省しかない。説教が終われば状況説明。指揮をしている者が判明した。バルログという男ですが我々に覚えはない。陛下は、と。大きな動きはなく、話の大半はその指揮官の話だった。
話をすべて聞き終えると、
「何事もなく、よかった」
レウィシアはほっと。何かあればセレーネとしては合わせる顔のなさと申し訳なさで。
「で、陛下はどちらに」
アルーラの怖い笑顔。
「城に戻った、んじゃありませんよね。三日間どこにいたんです」
「疲れただろう。俺もこうして戻った。明日からに備え、今日は休め」
「はぐらかさないでください」
全員がレウィシアに注目。セレーネはいたたまれず。
「すいません。私のせいです」
「セレーネのせいじゃない。俺が勝手に動いただけ」
「はいはい、かばい合わないでください。セレーネ様はどちらに。それに、その怪我は」
「その前に、城下町は」
アルーラを見た。セレーネの魔法に巻き込まれた、フェンリルに襲われた人は。
「建物の被害はあるが怪我人だけで済んだ、とユーフォルから連絡があった」
レウィシアの言葉にほっと。腹に回された手は、ぽんと軽くセレーネの膝を。
「城下町に現れたという魔獣と戦ったんですか」
「どこまで知っているんです」
「セレーネが魔獣を町から追い出し、魔獣は戻ってこず、セレーネも戻ってこない。ところまで、だな。この話はどこまで広がっている」
レウィシアはアルーラを見た。
「全体、ですよ。物資を運んできた時に家族からの手紙で知った者が話し。陛下が言われた通り、建物が数十軒破壊され、あとは怪我人だけで済んでいる。家族全員無事、と知っても、動揺する者はいましたが、帰った者はいません」
アルーラは小さく肩をすくめている。
そう書かされた、と思っても。だが全員が同じように書けない。書かされたとしても、誰かが監視の目を引き、その隙に誰かが本当のことを書けば。そのため手紙を信じたのか。
行方不明はセレーネ一人。
「ユーフォル様にすぐ手紙を送ります」
忙しいのに探し続けてくれている。
「今日はこれで」
「まだどこにいたのか聞いていません」
話すまで解放する気はないらしい。
「私がいたのはシーミです」
「……」
沈黙。
「どこから話しましょう。最初からがいいでしょうか」
セレーネは腕を組み、首を傾げた。
「あ、聞きたくないのならお休みください。とりあえず、シア、陛下がシーミの城に来ていたのは確かです」
「シーミの、城」
アルーラは呆れている。他の者も呆れ半分、驚き半分。
「フェンリル、グラナティスの町を襲った魔獣はシーミに封印されていたそうです」
「あの、本物、だったのですか」
傷を癒してくれた魔法使いが尋ねてくる。
「国王、ビタール王子、ローズ姫、臣下もそう言っていました。全員が嘘をついていなければ」
ノームもフェンリルと言っていた。フェンリルでないにしても、フェンリルに相当する魔獣。
「それが、なぜグラナティスに」
レウィシアの疑問は尤もなもの。
「ビタール王子の曾祖父時代に国の力を示そうと、封印を解こうとしたそうです。解いて周辺の国を襲わせ、封印して力を見せつけたかったのでしょう」
「だが解けなかった」
「はい。祖父、息子により阻止されたようです。その息子は娘、息子を周辺の国に送る、または迎えることで領地を取り戻していった」
「だがフェンリルは現れた」
「封印が弱まった、からですか」
「正解です」
遠慮がちに答えた魔法使いに頷く。
「封印は徐々に弱くなっていきます。どんな強力なものでも百年、二百年経てば弱まります。封印に新たな封印を重ねるなどして強化しない限り」
「シーミはしなかったのか」
「やってはいたのでしょうけど。力不足、解けるのも時間の問題、だったのかもしれません」
それほどに封印は
「でも、それですとシーミに現れるのでは。なぜうちの国に」
アルーラは首を傾げている。
「まず、シーミ周辺の国に追いたてたそうですよ。私は見ていませんが、そう言っていました」
追いたてられた国は、フェンリルによりどのような惨状に。
「シーミからうちの国、城までおれ達に気づかれず追いたてられます? そして、なぜうちに」
シーミとグラナティスとの間にはいくつかの国がある。そして、離れてはいるがレウィシアの叔父が治めている側に近い。
「魔法で転送したんですよ。いざという時のために考えていたようです」
「……自国でなんとかするのが。というか、しろ」
アルーラの言う通り。
「ええ。王族は鍛えていると話していました。その中で一番強くなったのは、精霊と契約したローズ姫。女王候補だったそうですよ」
「女王候補、ですか。それなのに」
全員の視線はレウィシアに。
「さらに強い者が生まれるかもしれないと。その子が育つまで封印はもたせてみせます、と言ってましたよ」
セレーネはレウィシアを見た。レウィシアは苦々しい顔。
「なるほど、それで強い王を欲しがっていたのか。そしてセレーネに目を付けた」
「どういうことです?」
「シーミは強い王を欲しがっていた。それはフェンリルがいたから。グラナティス王族の血は外へ持ち出せない。だがセレーネがいる。ワイバーンやサラマンダーの件も見ていたのなら」
「……まさか、セレーネ様なら倒せると、送ってきた?」
「そのまさか、ですよ」
セレーネは深々と息を吐いた。
「まったく。人をなんだと」
「だが倒したんだろ」
レウィシアはセレーネの頭を撫でる。
ええ、と頷くと、レウィシア以外がどよめく。
「一人で倒したのではありません。強力な精霊の力を借りてなんとか。よく五体満足でいられました。共倒れ、腕、足の一本は覚悟しました」
腹に回されているレウィシアの手に力が入る。
「その、腕の傷は」
再び魔法使いが遠慮がちに。
「フェンリルの爪に。他はすべて治してもらったんですけど。これだけはなかなか」
「治してもらった? 自分で治したんじゃないのか」
「フェンリルを倒した後、背後から一撃。気を失い、気づけばあの兄妹がいて、シーミに向かっていると」
「なぜシーミに? 倒したのならそれで終わりでしょう」
アルーラは首を傾げている。セレーネは顔をしかめ。
「う~、口にするのもおぞましいですけど、ビタール王子の嫁となり、シーミの女王にと」
「……はぁぁぁ! どういうことです! セレーネ様がグラナティスの、陛下の妃だとわかっているのに」
アルーラは大声。他の者も、大声は上げていないが同じ考えなのだろう。なんともいえない顔。
「シーミの国王にも会って、そう言いました。けれどそれがどうしたと言わんばかり。ああ、子供がいても気にしないような口ぶりでした。王位は認めないが、どこかの貴族に、と。臣下も真っ二つ」
レウィシアは舌打ち。アルーラ、他は開いた口が塞がらない、といった様子。
「弱体しているから強い王が必要だと。フェンリルを倒したのもシーミだと周りの国に広めているような口ぶりでした」
「人の妻を。しかも押し付けておいて、倒した、だと」
レウィシアの怒りのにじんだ低い声。
「逃げようにも気絶している時に魔力封じの腕輪をつけられたので、魔法を使えず。魔力、体力が万全なら壊せたんですけど。フェンリル戦の後。魔力は空っぽ、体力も。怪我もありましたし」
回復するまで動けず。
「助かりました。明日は結婚式だったので」
「……誰と誰の、です」
「言いたくはありませんが、私とビタール王子の。一年後には女王として即位」
「何を考えているんです、シーミは」
アルーラはがくりと肩を落とす。
「私は何度もシアの妻だと言ったんですけど。結婚式でもそう叫ぶつもりでした。最悪精霊を呼んで暴れてもらおうかと」
レウィシアは「セレーネ」と呟き、セレーネの肩に額をぐりぐり。
「魔力が封じられているのに精霊が呼べるのか」
額を離す。
「いいえ。呼べません。ですが代償の件がありますから」
「代償。……そういえば以前契約していなければ代償を要求されると」
「ええ、それを払っていません。今か今かと待っているでしょう。地にどこかをつけ、名を呼べば、魔力が込められていなくても聞きつけて現れます」
「何を」
「はい?」
「何を代償とした」
レウィシアの低い声。怒っているような、悲しんでいるような。
「酒を大樽で百です」
「酒を大樽で百?」
繰り返している。
「はい。五百寄越せと言ってきたんですが、値切りに値切って」
「以前、魔力や声、目など要求すると」
「ああ、そうですね。シルフやウンディーネを呼べば魔力三ヶ月といって毎日回復した魔力を持っていかれていたでしょう。フェンリルを倒したとはいえ、何があるかわかりませんから、そのあたりを考えて呼びました」
ノームなら魔力でないものを要求するのはわかっていた。
「つまり、魔力や声、まして体の一部を持っていかれる、ということは」
「ありません」
はっきり。レウィシアはほっと息を吐いていた。
「今度こそ諦めてくれるといいんですけど」
「もし奪いに来たら、斬る」
「自分でなんとかします」
「また
「う、次回からは誰か、傍にいてもらいます」
とにかく被害を最小限に抑えようと、誰も連れて行かなかった。誰か連れて行っていれば、陰から見てもらっていれば。
「連れて来ていればこんなことには」
「同じですよ。彼らは私とフェンリルをぶつけようとしていました。もし戦場についてきていても、離れて一人、じゃないですけど、戦っていました」
そして隙をつかれ。
「明日の結婚式はどうなるのやら。少し
置き土産ではないが、炎の魔法を使い、部屋の半分と一緒にビタール、兵達をぶっとばしてきた。大火傷、包帯ぐるぐるのミイラ男一人で式に出るのか。セレーネの偽物を用意、中止か。
「気になるのか」
むっとしたレウィシアの声。
「いえ、全く。気になるのは今度こそすっぱり諦めてくれるといいんですけど」
再びこられては。
「シーミと問題になるのでは」
三十代半ばの将軍が。
「叔父の元に姉妹を送っていると言っていた。それに叔父と手を組み、ヴィリロを攻めた。それもセレーネを手に入れるためか? 俺がいるのに堂々とセレーネをくれとも。ローズ姫とのことも断った。問題になるのなら、とっくになっている。第一それほど交流のあった国ではない」
冷たい口調。
「いざとなれば私が」
「大人しくしていろ」
空いている手で乱暴に頭を撫でられた。
「気になるといえば、それは」
アルーラが指しているのは宙にふよふよと浮いているラタトスク。
「今回の諸悪の根源です。こいつが私にフェンリルをぶつけろと」
紐を引き寄せ、テーブルに。結界を解くと、ラタトスクは大きく舌打ち。
「さあて、魔力も戻ってきたし、どんなお仕置きしてやろうか」
「ああ、んなことして無事に済むと思ってんのか」
「うるさい。誰のせいであんな酷い目に」
「いいもん毎日食ってたじゃねぇか。女王になりゃもっと贅沢できる。国を好きにできる」
「そうだね。一年かけず滅ぼしてやった」
リスと睨み合い。うわぁ、と誰かの声。
「落ち着け。それは精霊か」
レウィシアにより止められる。
「ラタトスクですよ。喧嘩の中継者」
「今回はきゅーぴっど、てやつだ」
胸を張るラタトスク。
「なにがキューピッドだ。お前のせいで酷い目に」
ラタトスクの両頬を引っ張る。
「落ち着け」と再びレウィシア。魔法使いは興味深そうに見ている。
「ん? こいつが言ってた、夫ってやつか」
「言っていた?」
「余計なこと言う」
レウィシアの手で口を塞がれ。何のつもりだとレウィシアを見た。
「惚れた男の前じゃ大人しくなんのか」
ラタトスクはにやにや。
「大人しく?」
「触られても暴れないし」
「暴れる?」
「椅子投げる、テーブル投げる。部屋の壁は殴る蹴る。ウエディングドレス、つーのか、びりびり破って」
レウィシアの手を外し、
「体力作りです」
「体力作りで椅子投げるかぁ」
「どれだけ力が戻ったかわかる」
二人掛けの椅子を持ち上げるだけでも。
「第一、部屋から一歩も出してもらえなかった。朝昼晩、おやつは出るけど、ずっと部屋。しかも毎日来る兄妹。ローズ姫はローズ姫で魔力を込めた言葉で、ビタール王子を好きになるよう。体力作りでもしていないとやっていられません」
「好きになるよう、だと」
「以前も言いましたよね。ローズ姫も。魔力持ちの言葉には力が宿る、と」
「何を言われた」
「は?」
「何を言われた」
低い声。
「さっき言った通りですよ」
「ここがお前の国、夫はあの王子、愛しているのは王子一人。その王子からも同じように毎日愛しているだの、唯一の妃だ」
ラタトスクの言葉に思い出し、背筋がぞっと。
「斬る」
殺意のにじんだ低い声で、ぼそり。両手もセレーネの腹に。
「仕返しは自分でします。というか往復びんたに急所に蹴り入れて、と追い出されよう、諦めさせようと努力していました」
「努力が椅子やテーブル投げ、往復びんた」
アルーラは繰り返している。
「なんです。大人しく結婚していればよかったと」
「そんなことは言っていません。第一そうなれば黙っていない人が」
アルーラはレウィシアを見ている。
「当たり前だ。もし目の前に現れたら、斬る」
「だから、自分でなんとかします」
「反対派もいたんでしょう。懐柔とか」
「できればやっています。部屋を出られたのは二回。国王、その他の兄弟姉妹、臣下と夕食した時に行儀無視して食べて、全員から非難の目」
本当にグラナティス王の妃なのか。こんな女を
「ですが兄弟は自分に乗り換えろ、とビタール王子がいない隙に自分の売り込み。なんなのでしょう。あそこの王族は」
はぁ~と何度目かわからない溜息。
「あ、何度も脱走しようとしましたよ。すべて失敗に終わりましたけど。あれならグラナティスに連れて行かれたばかりの頃が何百倍もいいです」
うぐ、と小さな呻き声。その声の主、レウィシアを見て笑う。レウィシアも笑い返してきた。
「シーミにいたのはわかりました。よく戻ってこられましたね」
馬でも六日はかかる。
「魔力封印具を外してくれたので、魔法を使って。上手くいってよかったです」
「そうですね。心配事も消えましたから、こちらに本腰を」
「
「セレーネ様が待っているから、早く帰りたい一心で」
「もういいだろう。明日からは予定通り進む。休む」
「はいはい」
アルーラは呆れた返事。誰も反論しない。
王不在、しかもどこへ行ったかわからない。さぞ気を
レウィシアは立ち上がろうとして、繋がれているラタトスクを見た。
「これは外れないのか」
「外れないからこの状態なんだ」
「外れますよ」
「はぁぁぁ! だったらとっとと外せ。これがあるからおれは!」
ラタトスクは地団駄。
「何をした」
「ストレス解消と腹いせです。魔法が使えたらもっと色々できたのに」
「魔法が使えるようならとっとと逃げてるだろ。使えないから姿見せた。そうしたら、こんなちっぽけな紐で。こんな、紐で。聞きたくない話や、あちこちぐにぐに。寝ていようが起きていようが潰しやがって」
ラタトスクは紐を持ち、ガリガリと噛んでいる。
「だからストレス解消。腹いせ。ついでに種明かししましょうか」
セレーネはにっこり笑い、ラタトスクを見下ろした。
「外れない、切れないのは、紐に私の血を塗りこんでいるから。どうせ寝ている間にハサミで切ろうとしたんでしょ」
ローズかビタールに用意してもらい。
「どういうことだ。血を塗ると切れないのか」
「魔力持ちの髪や爪、体液にも魔力は宿ります。魔力の宿った血を塗ることで紐を魔力により強化したんです。私が髪を伸ばしているのはそのためです。精霊の代償にもなりますし、封印強化にもなります。ですが抜けたもの、切ったものを取られれば、悪用されたり、よからぬ魔法をかけられるおそれもありますから。む、髪に魔法を込めれば今回のようなことになっても」
「それはそれで危険が」
魔法使いの呟き。
「シアに渡したもののように魔法を込めた宝石はいくつもあったんですけど、まさかフェンリルとは思わず。今度からは常時何が起こってもいいように持っています」
ぐっと両手を握る。
「もし魔力がなかったら、髪は」
「ばっさり、短く」
「やめろ」
レウィシアはセレーネの髪に触れる。
「これからも結んだままでいるのか」
「そうですね。外しますけど、お仕置きがまだなので。魔力は戻ったので、どんなお仕置きにしようかと」
「散々しただろ! 外せ! 自由にしろ!」
ラタトスクはじたばた。
「お前、お前からも言え! あの王子と態度が全く違う! お前だろ、レウィ、なんとかって長ったらしい名前の。そいつの妻だと何度も。お前の言うことならこの女も聞くだろ!」
ラタトスクはレウィシアに小さな指をつきつけ。
「黙れ。自由にしたら喧嘩の中継、煽りに行くだろ。でもこのままは」
うるさい。セレーネはふむ、とラタトスクをじっと見た。ラタトスクは、外せとばたばた。
「封印しましょう」
ぽん、と手を打つ。
「はぁぁぁ! なに簡単そうに。どこに封印するんだ。ここか、それとも別か! 止めろよ!」
セレーネはポケットをごそごそ。取り出したのは小さな宝石。ラタトスクに向け、詠唱。ラタトスクは「おぼえていろよぉ~」と宝石に吸い込まれ。
「よし。これで静か。じっくりお仕置きを考えられます」
セレーネはにんまり。
「それとも自由にします」
セレーネはレウィシアを見て、作り笑い。自由にはさせない。文句は受け付けない、という意味を込めて。
「いや、任せる。それより、その宝石は。何も持っていなかったんだろ」
「ええ。これは機嫌取りですよ」
「機嫌取り?」
「なんでも欲しいものをあげます、と。宝石から服から色々。逃げるにしてもお金は必要ですから。いくつかもらってきました」
「捨てろ」
「そこは売れと」
「全部出せ、捨ててくる」
「陛下、落ち着いてください。今日は休むんでしょう」
アルーラがなだめる。
「陛下が休まないと、おれ達も休めません。それにどう見てもいちゃついているようにしか見えませんよ」
最後は余計。
「わかった。休む」
セレーネを抱え直し、立ち上がると、天幕を出た。
「色々迷惑かけてすいません。心配もさせて」
レウィシアの天幕に入り、再び謝罪。
「いや、無事で、元気でよかった」
レウィシアの膝の上、横向きに。レウィシアはあちこち触れている。
「聞きたくはないが、一緒に寝ていた、ということは」
「ないですよ。一晩中起きて、威嚇していました。出て行ってから椅子やテーブルを扉前に置いて入れないようにしてから寝ていました」
寝台の下で寝たことも。
「そうか。だが俺が入った時」
「ああ、封印具を壊して押し倒されました。その前に指輪を外せ、と無理に外されそうになり」
左手を上げて、薬指にはまっている指輪を見た。外されずに済んだ指輪。
「シアの執念でも込められているのかと」
レウィシアはセレーネの左手を握る。
「気を失っている間によく取られなかった、とも思いました」
握ったセレーネの手を頬に当てたり、甲に口付けたり。
「会いたかった」
「私も、ですよ」
正直に答え、レウィシアの首に腕を回し、抱きついた。
「順調に勝ち進んでいるのなら、美女が挨拶に来たんじゃないですか」
「来たな。血と泥で汚れた、おぞましい姿、と言われた」
腕を首から離し、レウィシアを正面から見た。穏やかな表情。
「見る目がないんですね。こんなにかっこいいのに」
まっすぐにレウィシアを見て、両頬に触れる。
「かっこよくて、綺麗で、頭もいい、優しい。言っていたら切りがないですね」
微笑し、額に口付ける。額から鼻先、唇へと移る。
久々の感触。顔を離すと、レウィシアから顔を近づけ、再び重なった。
目を開け、飛び込んできたのは、この数日で見慣れた天井。
どうしてここにいるのか。レウィシアが迎えに来てくれて、ここから去ったはず。
扉が叩かれる。鍵が差し込まれる音。ゆっくり開かれる扉。
「っ」
暗い。聞こえてくるのは自分の速い心音と規則正しい息遣い。誰かが傍にいる。
誰が。自分は今どこにいる?
恐る恐る顔を上げた。金色が見える。目は閉じられているが、半年傍にいた。この一ヶ月は離れていた。よく知る顔。
ほっと小さく息を吐く。吐いてこちらが夢かもしれないと。レウィシアをつねるわけにもいかない。自分をつねるのも。ラタトスクがいれば。レウィシアの胸にぴたりと右耳をつけ、鼓動の音、匂いを確かめるように。触れていると温かい。
これが夢だったらどうしよう、と小さく笑う。
「眠れないのか」
小さな声。
「起こしました?」
胸から耳を離し、レウィシアの顔を見上げる。
「いや、目が覚めただけ。セレーネこそ珍しいな。朝までぐっすり寝ているのに」
レウィシアより先に寝て、昼まで起きない。起きられないことも。
どこでも眠れる。眠らないと体力、魔力を回復できない。
「こちらが現実だ」
頭や背を優しく撫でてくれる。
「セレーネがどこに連れ去られようと、探して迎えに行く。どれだけ時間がかかろうと、どれだけ遠くにいようと」
静かな声。
「……国はどうするんです」
王がいなければ。
「なんとかする」
小さい国ならまだしも、グラナティスほどの大国となれば。
「新しい妃は迎えない。誰も来たがらない」
「そんなことは」
地位欲しさに来る者はいる。酷いかもしれないが、次の王さえ生まれれば。次がいなければそれでまた揉める。血の繋がらない者を王にしても。後ろ盾がしっかりしていても。その後ろ盾がいなくなれば。国を治める者の義務。レウィシアもわかっているはず。互いになんの感情がなくとも。
「自力で戻りますよ」
今回は油断した。次は。
セレーネはレウィシアの胸に額を当てる。
「明日、今日になっているかもしれませんが進むのでしょう。寝てください」
「進むだけ」
「奇襲」
「大丈夫だ」
自信たっぷり。撫で続けている。
「見つかるまで探し続ける。必ず迎えに行く。だから」
大丈夫だと。それとも信じて待っていてくれ、か。
セレーネは額を押し付けるようにして目を閉じた。
穏やかな寝息。うなされているようだから起こそうかと迷っている間にセレーネは起き。確かめるように触れてきて。いつかとは逆。レウィシアが声をかけ、背を撫でる。
自慢の魔法が使えなくなり、どれだけ心細い思いをしたか。ビタールに触れられていたらと考えるだけで怒りが。
セレーネはいつも平然として、レウィシアのことをどう想っているのか、想ってくれているのかわからなかった。嫌われてはいない。嫌われていたら。
ラタトスク、という精霊、セレーネの言葉を思い出す。
椅子やテーブルを投げる、往復びんた。そこまでされていない。
想ってくれていなければ今のようにレウィシアの胸にぴたりとくっついて眠ってはいない。
セレーネから抱きついてきた、口付けられるなどあっただろうか。いつもレウィシアから。見つかるまで探すと言ったのも嘘ではない。国を安定させ、時間はかかるかもしれないが。探す。探し続ける。心から想えるのはセレーネだけ。形だけの妃を迎えても。
指輪が外れなかったのは、レウィシアが頼んだから。セレーネの友人に指輪を外せないようにしてくれと。あの美女はレウィシアの我が儘を叶えてくれた。厨房の掃除は大変だったらしいが。
レウィシアもこれが夢でないことを願いながら目を閉じた。
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