第23話

 攻められた町に大した手勢は残しておらず、簡単に取り戻せた。

 叔父は拠点に戻っておらず、近くの領主の邸にいると聞き、進むことに。レウィシアが取り戻した、進んでいるのは伝わっている。こそこそ隠れず、堂々と進んだ。

 進んでいると町や村から人々が「陛下が助けに来てくれた」と集まってくることも。特に貧しい村では若い男は税の代わりに兵として連れて行かれ、それでも税を払えと貴族が取り立てに来ると。働いているのは女、子供、老人。畑は耕せず、荒れている場所も。

 叔父の政の手腕は聞いていたが。

 ぎりぎりの生活をしている貧しい村には送ってきた物資を分けていた。レウィシアの治める地も豊作、とはいえない。喜ばれることもあれば「なぜもっと早く来なかった」とののしられ、石を投げられることも。

 減ったものは城へ使いを出し、無理のない程度に補充。こちらばかり優先はできない。セレーネへの手紙も。これだけは何があっても渡せ、と使いの兵に強く言って。手紙と一緒に小さな花を押し花にして送った。城の温室ではどのような花が育っているのか。私室や執務室に飾っているのか。

 すんなり進めるわけはなく、戦っては進み、を繰り返していた。

 単騎で身軽な姿なら、もっと早く叔父の元へ辿り着けるが軍。歩兵もいる。休み休み。奇襲、賊に襲われれば、隊列は乱れ。

 送られて来たセレーネの手紙は簡単なもの。苦手だと言っていた。元気だと、仕事に追われる日々だと。

 珍しく「俺のも頼む」とガウラが手紙を。

「毎度毎度、必ず渡せと念を押しているだろう。確実だ」

 レウィシア以外にも手紙を頼む者はいるが国王レウィシアと比べると、仕分けなどで届く期間が長くかかる。

 フィオナへの返事だろう。受け取り、兵に渡す。

「必ず王妃様にお渡しします」と兵は笑顔。

 セレーネ手作りの菓子が届いたことも。結界が張ってあるので解けてから食べてくださいと。毒を警戒して、だろう。フィオナのもあるので、それは食べずに渡してください、とも。セレーネと一緒に送れば間違った誰かに渡りはしない。

 結界が解けてから、ガウラ、アルーラを呼び、お茶をした。ますます会いたくなり。アルーラにからかわれ。戦中でもなごめる時間だった。


「今回は手強かったな。本気を出して、とうとう本物の兵を出してきたか」

 今までは烏合の衆といっていいもの。

「退けば追わない、討たない」と戦う前に言っており、何人かが逃げ出す、助けてください、と武器を捨て、すぐ投降する者も。戦う前から腰の引けている者が多かった。

 だが今回は戦い慣れた者。見知った指揮官。

「目の前に迫られれば」

 何事もなければ叔父がいると思われる邸に三日で辿り着ける。逃げたか、それとも姿を現すのか。叔父の領地、気は抜けない。

 汚れた姿で野営地に戻り、歩いていた。汚れを落としてから作戦会議。魔法使いがいるので野営地でも風呂は入れる。城のものより狭く質素だが、文句は言えない。

「レ、レウィシア陛下」

 呼びかけにそちらを見ると、身なりのよい男。戦場には似合わない、上等な服。剣の一本も下げていない不用心さ。無理に作っている笑顔。背後には娘か。こちらも戦場には不似合いのドレス姿、踵の高い靴。

「このたびは勝利、おめでとうございます」

 男は深々と頭を下げる。後ろの娘も。どこかの貴族だろう。どこの貴族か。覚えが。叔父は大金を払えば貴族にしていた。古くからの格式、しきたりのある家はそれを嫌い。

「何か用か。手短に話してくれ」

「はい。陛下の活躍を聞き、駆け付けてきました。娘も陛下にお会いしたいと、楽しみに」

 その娘は背後でずっと俯いている。レウィシアを見ない。慣れた光景。

「そうか。ご苦労だったな」

 一歩踏み出す。

「お待ちください、陛下」

 ついてくる男。レウィシアは気にせず歩いた。

「お時間がありましたら娘と話を。先ほどもお話しましたが、娘は陛下に会えるのを楽しみに。陛下も戦でお疲れでしょう」

「会えるのを楽しみにしていた、と言っているが、お前の娘は俺を一度も見ていない」

「そ、れは。陛下のお姿が」

「醜いと」

「いえ、そんなことは」

 男は大きく首を左右に振っている。

 血と泥で汚れた姿。戦も知らない令嬢が見れば。いや、令嬢だけではない。この男も。張り付けた、無理に作ったとわかる笑顔。

「戦を知らないお嬢ちゃん」

 誰かの声が蘇る。

 セレーネは。知っている。以前さらわれた、ふりをして、ゴーレムを、魔法陣を見つけ、壊した。汚れた手を取ってくれた。

 今回は魔法使い達も同じ過ちは繰り返さない、と目を光らせていた。

「お前自身が戦に出て、手柄を立てれば話を聞いてやる。娘を使って、色仕掛けなど。俺には効かない」

 男の足は止まる。レウィシアは進んだ。

 ガウラ、アルーラと一緒に汚れだけを落とし、会議の行なわれる天幕に。途中、

「血と泥で汚れたあんな男の傍にいろとおっしゃるのですか」

 抑えているが高い声。

「お父様も見たでしょう。あの姿。以前よりおぞましく。王とはいえ、あんな男に」

「落ち着け、お前が妃になれば」

「妃はいるのでしょう。陛下とお似合いで醜いと」

 レウィシアはいい。だがセレーネは。

「落ち着け」とガウラ。「行きましょう」とアルーラ。

「なぜ、わたくしなのです。妹でも」

「あの子はルヴォノ様に嫁がせる。どちらが勝っても」

 いいように。

「わたくしもルヴォノ様がいいです。なんでも欲しいものを与えてくれるのでしょう」

 拗ねたような口調。

 その金の出所をわかっているのか。通ってきた住人達の姿。

 アルーラに背を押され、その場を離れた。

 会議と共に夕食。進むことは決めている。道程、攻めてこられたら、あらゆる事態を話し合い。終わったのは深夜。

 自分の天幕に戻ろうとすると、再び現れる父娘おやこ

「何の用だ」

「陛下ともあろう方がこのような場所で。私の邸を提供しましょう。どうぞ、そちらに」

「結構。不便はしていない」

 寝首をかかれては。

 足を進める。ついてくる父娘。

「では娘を陛下のお世話係に」

「結構」

 冷たく、突き放すように。

「王妃様のご実家は兵を派遣してくれましたか」

 話を変えてきた。

「いや」

 男の顔は見ていない。醜い笑みを浮かべているだろう。

「だが、食料や薬など必要だろうと送ってくれた。お前は何をした」

 セレーネからの手紙には書かれていなかったが、ユーフォルからの手紙に、ヴィリロから送られてきたものを送ると。

 セレーネが頼んだのか、とも考えたが、セレーネはヴィリロを戦に巻き込みたくないはず。それなら、国王の考えか。必ず勝てる保証もないのに。関わりたくないはずなのに。それとも勝てという圧力?

 ちらりと男を見た。

「お前がした、いや、しようとしたのは嫌がる娘を俺に押し付けようとしたこと」

「嫌がるなど」

「言っていただろう、以前よりおぞましいと。俺はお前達に会った覚えはないが」

「だ、誰がそんなことを」

「しっかり聞いた。そうだな、伝言を頼めるか」

 レウィシアはそこで振り返る。

「娘を押し付けてくるより手柄を立てろ。そうすれば話を聞いてやる、とな。俺のことはどう悪く言おうがかまわないが、妻を悪く言うなら」

 手は剣に。

「ひぃ」と男は情けない声。手を添えただけなのに。

「去れ」

 歩き、天幕に。

 身につけているブローチを取る。セレーネの瞳と同じ色の宝石。ぎゅっと握った。

 元気にやっているか。ユーフォル、ノラ、フィオナを困らせていないか。

「会いたい」

 本音がこぼれた。


 邪魔は入らず、叔父がいるという貴族の邸に。邸というより小さな城。周りに民家はなく。静か。そこに物物しい鎧姿の者がずらり。物物しさが、人がいなければ絵になりそうな景色。

「突撃!」

 レウィシアの号令。進み、ぶつかる剣、槍、魔法。静けさは破られ、景色は一変。

 邸の中、窓に映ったのは、この二年見なかった叔父。そして派手なドレス姿のオリヴィニ。

 なんとか進もうと、剣を振り、馬を駆けさせる。周りが何か叫んでいるが、叔父とあの女を討てば。間隙を縫って、邸へと駆けた。

 馬で邸の扉を蹴破る。正面には広い階段。階段奥には部屋。その二階、廊下を叔父とオリヴィニが歩いている。

「叔父上!」

 怒鳴り、馬から降りた。

「陛下!」

 なんとかついてきたアルーラの声。無視して階段を駆け上がる。

「あらあら、レウィシア陛下。こんな所にいてよろしいのですか」

 叔父は「ひぃ」と情けない声を上げ、オリヴィニの背後に。

 階段途中。中ほどは広くなっており、そこで止まった。

「城下町が襲われたというのに」

 オリヴィニは見下ろしている。

「そう言って俺を惑わすつもりか」

「本当のこと。こちらだってとっととここを去りたかったが、客が来てね。その客が言ってたのさ。町に魔獣フェンリルが現れた、と。それにしても、なぜあの国が」

 最後は小声、訝しんでいる。

「魔獣、フェンリル?」

「知らないだろうね。あのお嬢ちゃんがいれば血相変えていただろうが。あのお嬢ちゃんは」

 オリヴィニの紅い唇が歪む。

「信じない。セレーネは」

「なら、そう思ってな。こちらはあのお嬢ちゃんに感謝している。なにせ町から離れた場所で戦ってくれたようだからね。しかも共倒れに終わってくれて。あれが暴れれば三十分とかからず滅んじまう。レウィシア陛下を討っても城が、治める町がなければ」

「黙れ! お前と叔父上を討てば」

 二人を睨む。

「討たれるのは、そっちさ」

 オリヴィニが杖を掲げると、兵と魔法使いが階段上、一階、階段奥の部屋から。

「それと、残念だったね。陛下はいないよ」

 オリヴィニの後ろで怯えていた叔父の姿は背の低い黒ローブ姿に。

「三日前まではいたんだけど、惜しかったね」

 レウィシアは歯がみ。

「お前だけでも」

 兵が剣を構え、下りてくる。魔法使いが魔法を放ってくる。

 この剣なら魔法も斬れる、というのでセレーネに魔法を使ってもらい、訓練もしていた。セレーネの魔法は変則的で。二つの、別の魔法を同時に放っているように見えて。見ていた魔法使い達は同時に別の魔法は使えないらしく、どうやっているのかと。驚いていた。

「素早く詠唱、終わると次を素早く詠唱しています」

 さらりと。

 笑ってレウィシアに向けて、次々と違う種類の魔法を。素早く唱えるにしても、間違えれば魔法として発動しない、と話していた。

 その時、四年前、酷い目に遭ったのを思い出して。

 向かってくる兵の剣をかわし、魔法を剣で斬り、オリヴィニへと近づいて行く。

「ここまで来たのは誉めてやるさ。だが、城が、お嬢ちゃんが心配なら帰るんだね。帰っても」

 オリヴィニは兵、魔法使いを前に出させ。レウィシアは斬って、進んだ。


「陛下」

 アルーラが肩を摑む。

「大、丈夫だ。いや、大丈夫じゃないのか。あの女には逃げられ」

 息は乱れ。

「ええ。外も勝ったようです」

 途中からはアルーラ、他の兵も加わり、オリヴィニを追っていた。進んだ後には動けなくなった兵や魔法使いが。

「皆の所へ戻りますよ」

「ああ」

 外は勝利にいている。それはそうだ。叔父の治める地の半分を進んできた。残り半分。叔父は。

 魔法師長は城。次期魔法師長が率いてきた魔法使い達を束ねている。その者を捕まえ、

「魔獣、フェンリルを知っているか」

「フェンリル!」

 男、ルクスは驚いたように声を上げる。

「知っているんだな」

「え、は、はい。狂暴凶悪な狼の魔獣で、数百年前に封じられたと」

 狂暴凶悪。

「陛下」

「わかっている。手紙を出して、すぐ真偽を確かめる」

 喜びに沸いている。しかし、レウィシアとアルーラの顔は暗かった。


 いつものように手紙を使いの兵に渡す。兵は「必ず届けます」といつもの言葉と笑顔。

「セレーネ、王妃の姿を見てきてくれ」

 いつもと違い、一言足す。

「ユーフォル宛の手紙にも書いている。元気な姿を、俺の代わりに」

「は、はい」

 あまりにも真剣な表情だったのか、兵は戸惑った、緊張したような表情。

 今すぐ戻りたい。姿を、声を聞きたい。だがそんなことはできない。


 レウィシア達は城に戻らず進む。半分来た、取り戻した。ここで引き返すなど。

 城からさらに離れる。手紙が届くのはさらに遅く。不安を顔に出すわけにはいかない。作戦会議、人前では表情を引き締めたものに。一人になると、大丈夫だと、セレーネから贈られてブローチを握り締め。

 置いてこず、連れてきていれば。事実もわからないのに後悔が。

 待ちに待った手紙が届いたのは、レウィシアの手紙を渡してから四日後。物資は届いていない。兵だけが大急ぎで戻ってきた。

「申し訳ございません、陛下。王妃様には会えませんでした。それに町の入り口付近では何かあったのか、壁や家屋が壊されており。詳しくは手紙に書いてある、とユーフォル様から」

 嫌な予感。血の気が引く。手足が冷たくなっていくような。見たく、読みたくはないが兵の手から手紙を受け取る。兵は一礼して、天幕を出た。

 封を開け、折りたたまれた手紙を開く。ユーフォルの文字。謝罪から始まり、事の経緯が。傍にはアルーラ。

「陛下、セレーネ様は」

「行方不明、だと」

「行方不明」

 繰り返す。

「城下町にどこからともなく魔獣が現れ、セレーネは一人で相手を」

 無茶をする。だがセレーネらしい。レウィシアでも剣を持って出ていた、相手をした。

「兵や住人の話から、魔獣フェンリルだと魔法師長が判断した」

 倒せなかったから封印された魔獣。ついてきている魔法使いに尋ねても、一介の魔法使いに倒せる魔獣かどうか。会ったことがないのでなんとも、と。ただ、その名前と姿は伝わり、書物に残され、要注意となっている魔獣。

「町の一部は破壊されたが、幸い怪我人だけで済んだ。魔獣が現れていないことから、セレーネが退治したのだろうと。そのセレーネがどこを探しても」

 見つかっていない。今も探し続けている、申し訳ございません。将軍の字でも自分がいながら、申し訳ございません、と。

「なぜ、その魔獣が町に」

「それも調べている」

 今、どういう状態なのか。見つかったのか。どこから現れたかわかったのか。

「セレーネ様なら大丈夫ですよ」

「ああ」

 大丈夫だと信じたい。この一ヶ月手紙のやりとりだけ。声を聞いて姿を見て、抱き締めて安心したい。

「セレーネ」

 無事でいてくれ。



 小さく揺れている。覚えのある揺れ。まだ寝ていたい。魔力が戻っていない。体も。……痛くない? いや左腕は。重いまぶたをなんとかあげる。

 開いた目にとびこんできたのは、黒髪、黒緑の瞳。優しげな容貌。

 一気に目が覚め、飛び起き、ようとしたが、うまく体が動かせない。頭もくらくら。

「急に動かないほうがいいですよ」

 落ち着いた声。

 まず自身を見ると、白い布で巻かれている。動きにくい。

 次に周りを見た。馬車の中。対面にはスッポン王子、もといビタール王子。セレーネの右横にはローズ姫。

「怪我は治しました。が無理に動けば、開きますよ。特に左腕は」

 見ようにも見えない。

「動こうにも動けねぇよ。魔力が回復してねぇからな。ま、してても、使えねぇが」

 どこからか出てきたリスがセレーネの膝に。

「お前」

 捕らえようとするが、身動きがとれず。

「どういうことです」

 ビタールを睨んだ。睨まれたビタールは笑顔。

「どこから説明しましょう」

 顎に手を当てている。

「最初からにしましょうか。時間はいくらでもあります」

「どういうことです。というか、ここは? グラナティスではない」

「ええ。シーミに向かっています」

 何日眠っていたかわからないが、行ってなるか、とセレーネは揺れる馬車の中、なんとか立ち上がった。

「何を」

 それまで黙っていたローズが口を開く。

「降ります」

 よろけながらも扉へ。

「危ないですよ。それに今の貴女は魔法を使えない」

 ビタールの落ち着いた声。

 あの激戦後、魔力はからっぽだった。しかし少しでも眠り、休めば少しは回復している。

「試してみては」

 ビタールの笑顔が苛立つ。そこまで言うのなら、と使おうとしたが、発現しない。何度か繰り返すが、やはり魔法としては成らず。

「魔力封じされているから、無理無理」

 リス、ラタトスクはセレーネの座っていた場所に。

「どういうことだ」

 ラタトスクを下敷きに座る。ラタトクスは「ぐぇ」と呻いていた。

「貴女の実力は十分わかりました。暴れられては、と封印具をつけさせてもらいました」

「失礼します」

 ローズがセレーネを包んでいる布を開く。ぼろぼろの服ではなく、シンプルな白のワンピース。両手首には見覚えのない金の腕輪が。何か文字が掘り込まれている。これが封印具か。

 集中するが魔力が集まっている気がしない。腕輪のせいか、魔力が回復していないせいか。ここで暴れても。

 はぁ、と息を吐き、

「話を聞きましょう」

 納得した、思い留まった、と思ったのか、ビタールは満足そうに頷いていた。

「我が国は昔、グラナティスのような大国だったのです」

 グラナティスはかなり広い、それも精霊のおかげで。大国といわれている国は三つ。その中でもグラナティスは一番広い。

「フェンリルはシーミで暴れていました。それを祖先が封じ、民は封じた祖先を英雄とし、王としました」

「祭り上げられたのでは」

 フェンリルにより荒らされた土地。どう立て直していくか。やらなければならないことは山積み。

「かもしれません。しかし、困っていたのは確か。フェンリルの狂暴凶悪性は身を以って知ったでしょう」

 一日でいくつもの町や村を滅ぼせる力を持っている。

「平和が続き、フェンリルの存在、力を忘れていくにつれ、シーミから独立、他国に取られ」

「まさか、取り戻すためにフェンリルの封印を解いたのですか」

 両腕を組み、ビタールを冷たい目で見た。

曾祖父そうそふはそう考え、解こうとしていました。王家には解くな、誰も近づけるな、と封じられた場所が代々伝えられていましたから。いずれる日に向けて、強い魔法使いを育てろ、とも残されていました。昔と今では魔法も進化した。操れるのでは、と考えたかもしれません」

 確かに新しい魔法は開発され続けている。

「レウィシア陛下の叔父上に姉妹を送ったのも、魔獣、精霊を操れる、言うことを聞かせる方法を探るためでもありました」

 ワイバーンにはめられていた輪。

「曾祖父の目論見は失敗。いえ、祖父により止められ、周囲の国に娘や息子を嫁や婿に。逆に周りの国の姫や王子を迎えもしました」

 このあたりは噂で聞いている。

「しかし曾祖父のせいで封印は弱まり、いつ解けてもおかしくない状態となりました。魔法使いの育成はしています。王族はフェンリルと戦えるよう、鍛えていました。兄弟姉妹の中でローズだけが精霊と契約でき、女王候補となりました」

 ナイアスではフェンリルに勝てない。考えを読んだように、

「それでも不安はあります。グラナティスの噂は以前より聞いていました。魔力ではなく不思議な力を持っていると。レウィシア陛下や叔父上には現れなかったそうですが、その子供なら。ローズと陛下の子供なら強い、それこそフェンリルを倒せる力を持った子供が生まれれば。それまで封印をもたせるつもり、いえ、どのような手を使ってももたせます」

 いい手ではないだろう。

 もし、その作戦が上手くいっていたとして、封印が解かれたフェンリルをすぐに倒すのか。それとも力を見せつけるため、暴れさせてから倒すのか。

 だが一人では。封印した者も一人で封印したのではない。あれほどの力。

「しかしグラナティス王族の血は持ち出せない。それなら別の方法を考えなければなりません」

 ビタールはセレーネをじっと、熱のこもった目で見ている。これ以上下がれないが、つい背もたれに背を押し付けた。

「貴女はウンディーネを呼んだ」

「呼んでいません。呼んだのはカイ、一緒にいた子供です。ああ見えて私より魔力があります」

 もう手出しはできないので正直に話す。大泣きすれば一角が消し飛ぶ。一角だけで済めばいいほう、かも。

「サラマンダーを鎮めたでしょう。シルフとも親しくしていた」

 それは事実。あの時、サラマンダーの機嫌はよかった。悪ければ、いくら顔見知りのセレーネがいても、燃やされていた。そもそもあそこまで連れてこられない。

「最強はあの夫婦だが、あの夫婦は居場所がはっきりしない。居場所が知れていてもあの男はこの女を嫁にしない。嫁に手を出しゃ、あの世行き。わかっていて強い、力を目の当たりにしたのはお前だけ」

 ラタトスクはセレーネの膝に移動。小さな指をセレーネに向ける。

「まさか、お前が」

 ラタトスクは、にやりと笑っている。喧嘩を煽るのではなく。

「知っているものは知っている。第一、あの男が簡単に弟子をとるか。ウンディーネ、シルフ、ノームを相手に腕を磨く奴がどこにいる。サラマンダーに挑む、命知らず」

「フェンリルはシーミに封印されていたのですね」

 気を取り直す。ラタトスクが囁いたのだ。セレーネなら倒せると。後でお仕置きしてやる。

「はい。封印は弱まり、いつ破れてもおかしくない状況。しかし、今の王族は。領地を取り戻したのも嫁入り、婿入りしたため。その中で強い者が生まれていれば」

 なんとかできたと。できたとは思えないが。

「なぜ、グラナティスに」

 冷たく低い声。シーミとグラナティスは離れている。グラナティス方面に追いやれば、レウィシアと先に遭う。

「最悪、どこかへ飛ばせば、我が国は」

 転移の魔法を使い、グラナティスの城へと飛ばした。

「自分の国のために他国を犠牲にしてもかまわないと」

 転移の魔法も必ず成功するとは。どこか別の国に送られていてもおかしくない。

 ぶっとばしたい。しかし、今のセレーネが手を上げてもかわされる。ビタールは俯き、

「申し訳ないと、思っています。しかし、グラナティスには貴女がいる」

「絶対勝てる保証はありません。勝てなければ」

 グラナティスは、周辺の町、ヴィリロは。ヴィリロに向かわず、シーミ方面に戻るかもしれない。

「勝てたではありませんか」

 ビタールは顔を上げ、目を輝かせる。

「貴女は封印ではなく、あのフェンリルを倒した。祖先でさえ倒せなかった、封印するしかなかった魔獣を」

 ノームの力が大きい。しかしそれを言うと、ノームと契約している。いつでも呼び出せると勘違いされても。

「なら、それで終わりでしょう。なぜ、私がシーミに」

「シーミには強い王が必要なのです」

「それはフェンリルが封印されていたからでしょう」

 なぜ強い王が必要なのか不思議だった。フェンリル対策のため。

 倒した今、必要ない。

「貴女はシーミの女王。私の妻」

「寝言は寝てから言ってください。私はグラナティスの王、レウィシアの妻です」

「今までは。貴女はあの国のどこにもいない。フェンリルと共倒れになったと考えるでしょう」

「ふざけるな」

 今までで一番低く冷たい声と目。

 ビタールの動きは止まり、ローズも小さく震えていた。

 ユーフォルは探している。もし、レウィシアまで伝われば。

「その迫力。我が国の現王や私、妹にも無理でしょう。王族を馬鹿にする臣下もいる。しかし貴女が王となれば」

 それも強い王を必要とする理由か。ないものねだり。苛立つ。

「何が不満なのです。女王ですよ。グラナティスでは人質扱い」

「された覚えはありません。そちらの国ではもっと馬鹿にされます」

「いいえ、されません」

 はっきり言い切る。

「我が国の臣下達も貴女とフェンリルの戦いを見ていました。貴女こそ王に相応しいと。馬鹿にする、無礼な者には思い知らせればいい」

「そんなことで力を使いませんよ。馬鹿馬鹿しい」

 見せ付けるために魔法を使うなど。

「貴女のいる国は一つ。先に戻った臣下達は結婚式の準備を進めています」

「はぁ!」

 驚きのあまり立ち上がる。

「貴女の体調を見て、すぐに式を挙げます」

 ビタールの胸倉に摑みかかる。

「馬鹿言っていないで、今すぐ降ろしなさい」

 力を入れた左腕が痛む。

「魔法を封じられた貴女に何ができるのです。それの鍵は臣下が持ち帰っています」

「自分の足で戻ります。降ろせ」

 さらに力を入れる。

「それ以上やると左腕の傷、開くぞ。一番酷かったからな」

 開こうが関係ない。

「落ち着いてください」

 魔力の込められたローズの声。

 落ち着くわけもなく、力をいれ、狭い馬車の中、ローズに向かいビタールを投げる。

 小さな悲鳴。揺れる馬車。

「どうされました」

 御者に通じる小窓が開く。

「なんでもない。進んでくれ」

 ビタールが素早く指示。

「降ろせと言っている」

 魔法は使えないが、使えていたら自分が傷つくのも気にせず使い、馬車を走行不能にしている。大暴れした。


 腹が減っては戦はできぬ。

 馬車の中であちこち殴る蹴る、ラタトスクを投げつけるなどして大暴れ。御者は度々小窓を開け、声をかけ。左腕の傷は開き。ローズの魔法により眠らされた。

 次に目が覚めても馬車の中。だが警戒され、セレーネの周りに結界を張られていた。解かれたのはどこかの町に着いてから。

 お腹が空いた、と盛大に鳴る。背に腹は代えられず、大人しく。なにより体力と魔力を回復させないと。

 空には星。どこの町か全くわからない。だがシーミ近くだろう。

 二人に案内された店は上品そうな店。店内は静か。貴族と思われる身なりの者達ばかりが上品に食事していた。

「お腹が空かれたでしょう。二日間眠り、昨日も一日眠っていましたから」

 昨日は魔法で眠らされた。その間にどれだけ進んだのか。おそらく馬車は小休憩しかとらず、夜通し走り続けている。

「なんでも注文してください」

 スッポンは美味しくいただける。美容にもいいとか。だが、この王子は煮ようが焼こうが、まずそう。

「では、遠慮なく。肉メニューの上から下まで全部お願いします。あと魚も三品ほど」

 メニューを見ずに注文。注文をとりに来ていた給仕は驚き、ビタールを窺うように。ビタールは小さく息を吐き。

「まずスープから」

「いいえ、肉です。肉と魚、早くしてください」

 大きな声。周りの客は何事か、静かにできないのか、と非難の目。

「持ってこないのなら、もっと騒ぎますよ」

 脅すと給仕はわかりました、と厨房に。

「大丈夫ですか。もっと食べやすいものから。それに量も」

「うるさい、人さらい」

 ざわめく店内。

「ここで騒いでも私は気にしません。たとえ、これがあろうとも」

 両手首にはまった魔力封印具の腕輪を指す。ここでビタール達を足止めできれば、隙があれば。逃げてもナイアスに見つかる。シーミ国内なら兄妹が身分を明かせば。なんとかしてグラナティスに連絡、無事を知らせたい。戻れなくても、見捨てられても、生きていると。

 魔力を封じられているため精霊は呼べない。ノームは来るだろが、代償を用意できていないのに呼び出せば。大暴れか、代償の数を倍にされる。他人を巻き込めば、この兄妹と同じ。

 店内は不穏な空気。運ばれてきた料理はマナーを無視し、音をたてて食べ、客は非難の目。店の者も注意しに来るが、対応はすべてビタールとローズに。腹を満たした。

 その日は宿で休むことに。セレーネはローズと同室。何かあっても魔法の使えないセレーネなら、魔法の使えるローズとナイアスで対処できると考えて、だろう。

 セレーネとしては一刻も早く逃げ出したいが、魔力、体力が回復していない。食後は眠くなり、歩くのがやっとの状態だった。ビタールが「抱えましょうか」と言ってくるのを振り払い。宿をとったのもそのため。二人は急ぎたかったのだろう。グラナティスから少しでも遠くへ。

 魔力は半分回復したかどうか。封印具のせいでわかりにくい。

 間抜け、という声が響く。そしてレウィシアの姿も。戦はどうなったのか。元気なのか。セレーネが行方不明と聞かされているだろうか。戦に響くかもしれないのでユーフォルが上手く誤魔化している。そう信じるしかない。このままシーミに行けば。行くわけには。ごちゃごちゃした考えの中、眠りについた。

 翌日、食事をとると宿を出て、すぐ馬車へ。ラタトスクは座席に。

 元はといえば、こいつが。

 セレーネは宿で手に入れた紐を素早くラタトスクに巻きつける。

「なんだ? 何をしている。こんなもの」

 細い紐に噛み付くが、切れない。何度噛み付こうと。

「これ、切ってくれ」とビタールに。セレーネは紐を引き、

「黙れ。お前は私のおもちゃ。逃してなるか」

 紐を左手首に巻き、ラタトスクは膝の上。ぐりぐり、あちこち引っ張って腹いせ、仕返しをしていた。


 何度か逃げようと、手紙だけでも送ろうとしたが、考え通り、ナイアスに阻止され。失敗に終わり、シーミに。起きてから五日経った。翌日には城に着く、とビタールは笑顔。セレーネは盛大に舌打ち。

「何が不満なのです。以前も言いましたが、私は貴女だけを愛しましょう。私の唯一の妃」

 手を伸ばしてくる。触られたくなくて、ラタトスクを顔面に投げつけ、紐で引いて戻す。

「おぞましさしか感じません」

 そのラタトスクはセレーネが暇さえあれば腹いせをし、ぐったり。最初は文句を言っていたが、言い尽くし、セレーネが眠っている隙に紐を切ろうとしたが切れず、離れられない。動物お断りの店もあるので、食事は御者の買ってきたもので済ませ、ほとんど馬車の中。太るかも。

「レウィシア陛下には貴女以外にも妃候補はいます。順調に勝ち進んでいるそうです。誰かが傍にいるでしょう。貴女を忘れて」

 それはそれで気にしない。何より腹立たしいのは。

 ビタールの膝を蹴った。今までも踏む、殴る、蹴っていた。それでもセレーネを放り出さない。

 以前レウィシアに痛い目に遭わされそうになり、問題になるのでは、とかばったが、かばわずにいればよかった、と今になって後悔。

「貴女はもういない者です。グラナティスは忘れ、これからはシーミを」

「何度も言いますが、私はレウィシアの妻です」

 ローズは魔力を込めた言葉でセレーネを洗脳しようとしているが、効いていない。魔力は封じられていてもセレーネが上なのだ。いや、格下でもヴェルテなら洗脳される、かも。

「気長に、と言いたいのですが」

 セレーネの左薬指には指輪がはまっている。よくはずされず、捨てられなかったものだ。レウィシアの執念でも込められているのか。

 体力は、魔力はどれだけ回復したか。試したい。フェンリルにつけられた傷は左腕以外はローズの治癒魔法により痕もない。

 諦めるつもりはない。何日かかろうとも戻ってやる。戻った時にセレーネの居場所がなくとも。その時には二人と一匹に目に物見せてやる、と膝でへばっているラタトスクを見た。



 来たくはないが来てしまった。

 グラナティスの城より小さな城。ヴィリロの城より小さく、狭いように見えた。これが今のシーミの力なのか。二つの城とも緑豊かな区画があるのに、ここは見当たらない。

 セレーネはビタール、ローズ、出迎えに現れた護衛に囲まれ、城の廊下を歩く。廊下を歩いていると、セレーネを見て、ひそひそと話す使用人、臣下、貴族達。このあたりはグラナティスの城と同じ。

 辿り着いたのはどこかの部屋。玉座の間、だろう。グラナティスの部屋の半分の広さ。どこの国も同じで数段高くなった場所に立派な椅子、玉座。玉座に座っているのは、これまた服だけ立派で似合っていない細い男が。こけた頬、目はぎょろりと。頭には宝石で飾られた重そうな王冠。

「戻りました、父上」

 兄妹が膝を折る。セレーネは折らずに立っていた。それを不遜、不敬だと言う声もあれば、堂々とした姿。威厳が、という声も。

「その者がフェンリルを倒した者か」

 声はしっかりしている。

「はい。先に戻った者から伝えられているかと」

「ああ、聞いている」

 玉座の男、王はセレーネをじっと見る。

「結婚式は七日後。民衆にも知ってもらうため、町を一回りするようにしている」

「私には夫がいます」

 はっきり。ざわめく臣下と静かな臣下に分かれている。

 王は息子、ビタールに視線を。

「フェンリルと戦い、共倒れに終わったとされています」

「さらってきた、の間違いでしょう。何度も言いますが、私はレウィシア・オルディネ・グラナティスの妻です」

 なんとか噛まずに言えた。

 ざわめきが大きく。陛下、と声を上げる者も。

「もう一度申し上げます。彼女はフェンリルと共倒れとなり、どこにもいない存在。グラナティスの王は女性に不自由していません。彼女は人質扱いされていました」

「勝手なことを」

 ビタール王子も不自由されていない。そんな女など、と反対の声も。

「結婚して長いのか」

 王が口を開くと、静かに。

「半年ほどですが」

 王を睨んだ。

「そうか」

 王は玉座の背もたれに。細い体に大きな玉座。似合っていない。どこか悪いのか。

「子がいれば王位は認めんが、取り上げることはしない。グラナティス王の子なら、優秀だろう。どこの貴族も欲しがる」

「は?」

 意味不明。

「陛下!」

 慌てているのは臣下。

「この者がフェンリルを倒したのは確かなのだろう」

 王は静かな臣下の一角へ。

「はい。信じられませんが、この方が、あのフェンリルを倒したのを我々は確かに見ました」

 苦々しく頷いている者も。

「フェンリルの脅威がないのであれば、私でなくとも自由に選べるでしょう」

 そうです、と賛成の声。

「脅威はフェンリルだけではない。我が国は弱体している。昔のような強い国にするには強い王が必要なのだ」

「強ければいいとも限らないでしょう。周りの国は警戒してさらに力をつけようとします」

「弱体したから、周りの国にじわじわ領地を取られた。とはいえ、当分は自国の立て直しに時間がかかる」

「立て直し?」

 どういうことだと首を傾げる。

「フェンリルの脅威がどれだけのものか、周辺の国にフェンリルを追いやりました。我が国も少し被害が」

 ローズの淡々とした説明。

「その後、貴女のいる場所へ送りました」

「なんてことを」

「これも我が国のため」

 慌ても、後悔もないビタールの声。

「以前も言ったが、国のためなら他の国がどうなろうとかまわないと。私が止められなかったら、どうするつもりだった」

 ローズの両肩を摑む。痛みに小さく顔をしかめるローズ。

「何度も言いますが、貴女は倒しました。あの伝説の魔獣を。祖先でさえ倒せなかった」

 ローズではなくビタールが答える。護衛兵により手荒くローズと離された。

「この国の女王だ。丁重に扱え」

 ビタールは引き離した護衛兵を睨む。

「いつ、封印が解けた」

「グラナティスに送る三日前です」

「一年後に戴冠式。すぐに治めるのは無理だろう。国には国のやり方がある。政を知らなければ一から教えてやれ」

 王は王で、今までの話など聞いていなかったかのように。

「はい」

 ビタールは返事。「陛下」と非難の声も。

「私はこの国を治めません。結婚も。何度も言いますが、夫がいます」

「その夫は私です。シーミはグラナティスより良い国ですよ」

 笑顔のビタール。平手打ちを見舞ってやった。


 グラナティスに連れて行かれた時より不自由な生活。部屋から出られずにいる日々を送っていた。

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