第22話

 騒ぎはあるものの、穏やかに過ぎていく日々。穏やかすぎて戦中だと忘れてしまいそうになる。

「陛下!」

 謁見中、駆け込んでくる兵。傍にいるユーフォル、臣下達は顔をしかめている。謁見している貴族も。

「陛下の叔父上、ルヴォノ様が」

 注意しようとしていたユーフォル、貴族は開きかけていた口を閉ざす。貴族は数歩下がり、兵に譲る。

「話せ」

「はい」

 兵は緊張した面持ちで話し始めた。



 お茶を用意して執務室へ。謁見は肩がる、と話していた。今日はどうだったのだろう。

 レウィシアの予定はレウィシア本人から教えられている。教えてほしいと言った覚えはないのに。手伝えることがあれば手伝い、休憩がとれるなら一緒にお茶を。

 難しい案件はあるものの、以前のような不機嫌さはない。謁見の内容を聞き、意見交換することも。

 今日はどうだったのだろう。話していい内容なら話してくれていた。執務室の扉を叩く。

「入れ」

 低い声。謁見で何かあったのか。

「失礼します」

 扉を開けて入ると、ユーフォルとアルーラの他に二人の将軍。一人は三十代半ば、一人はユーフォルより年上。二人が揃っているのは珍しい。レウィシアは難しい顔。

「出直してきたほうがいいですか?」

 雰囲気を感じ取り、扉を閉め、扉前で尋ねた。お茶を乗せた台車は外。邪魔なら出直す。もしくは部屋で一人。

「いや、もう終わった」

 レウィシアは将軍達を見る。二人とアルーラは「失礼します」と一礼して部屋を出る。

「重要な話をしていたのでは」

 邪魔にならない位置に立ち、出て行く三人に小さく頭を下げていた。

「そう、なんだが」

 歯切れが悪い。

「外に待たせているんだろう。お茶にしながら話そう」

 そう言うなら、とソファーに。ユーフォルが扉を開け、フィオナを部屋の中へ。応接テーブルにお茶の用意をすると、フィオナは部屋から出た。

「眉間にしわが寄っています。難しい案件ですか」

 セレーネはお茶の入ったカップを手にする。

「そうだな」

 レウィシアは執務机からセレーネの隣に移動。大きく息を吐き。

「叔父が動いた。以前のように砦ではなく、こちらの町や村に攻め入っている。しかも叔父が直接指揮しているという情報が入った」

 それは難しい顔になる。

「調べているが、おそらく」

 事実。

「兵を率いて出る、と」

「そうなる。見捨ててはおけない」

 見捨てれば、放っておけば攻め続けられ、いずれここに。

「前回と違い、長くなるかもしれない」

「取り戻し続けると」

 叔父の治めている地も。

「叔父が本当に出ているのなら、な。討てば戦は終わる。簡単には討てないだろうが」

 それは身辺警護がしっかりしており近づけないからか、それとも身内だから討ちたくないと。

「今回も連れて行かれるのでしょうか。猫の手で」

 持っていたカップを置き、右手を猫の手のように丸める。

「いや、今回は留守番。仕事を任せたい」

「……」

 つい執務机を見てしまう。一日中座って書類と睨めっこ。

「セレーネなら上手くできる。補佐にはユーフォルをつける。警備は将軍の一人を置いていくから、その将軍に」

 ダイアンサスは領地。どこを攻められたのだろう。

「そういえば、二人の将軍と一緒にアルーラ様がいましたけど」

「アルーラも将軍だからな」

「……」

「知らなかったのか」

 頷く。

「隊長くらいかと」

 レウィシアは笑い、

「アルーラは頭も良く、人望もあり、人をよく見ている。七光りと言われもするが」

「ひがみ、ですか」

「実力は他の将軍も俺も知っている。剣の腕だけでいえばガウラが上だが、ガウラは指揮をとるのは苦手だから」

 アルーラの実力の一端はセレーネも知っている。切り替えが上手なのも。

「北の地は、一ヶ月後には真っ白になっているだろう。こちらでも雪が」

 見たいような見たくないような。寒いのは苦手だ。

「それまでに決着をつけたい。叔父もそう考え、もしくは食料の問題か。叔父の治めている地は北の地も含まれている。叔父はこちらと交流するな、と言わんばかりに領地から人を出させない、入らせない。周辺の国も、叔父の治めている地はいいが、ここへ来るのは。逆にこちらから叔父の治めている向こう側へ行くのも、間者では、と疑われ」

 レウィシアはカップを取り、お茶を飲む。

「どうしても通りたければ通行料を払えと、高く取っているらしい。こちらはヴィリロ、ヴィリロより向こうの国との取引もあるから困ることはないが」

 海路を使えばレウィシア側から叔父の治める地の向こうの国へ行くこともできる。逆も。遠く離れた国との交流、商売は少なく、近隣の国で済ませていることが多い。その近隣も近隣の国から。遠い国の物は直接やり取りしていない限り、国々を経由しているので高い。

「北の地は冬に向けてしっかり蓄える。冬になれば働いた分休むか、出稼ぎに村を出る者も。しかしこの二年は。叔父は戦を口実に税を上げ、払えなければ兵として働けと」

 レウィシアは窓から外を見ている。遠い地を思っているのか。

「情報は集めているが、対処のしようが」

 同じ国内だが、治めている者が違う。そして先ほどレウィシアが言った、人を出させない、入らせないのなら。抜け道はあるだろうが。

「中には活躍して名をげようと考えている者もいる」

 レウィシアは苦笑。

「以前のようにすぐ出るんですか?」

「いや、準備に十日ほど」

「やれるだけやってみます」

 レウィシアは柔らかく微笑んでセレーネを見ていた。

「セレーネになら安心して任せられる」

「それは、他の人では安心できなかった、と」

「い、いや、そういうわけでは」

 ユーフォル、ダイアンサス、その他の臣下達。

「周辺の国のこともある」

「ヴィリロは攻めませんよ」

 どさくさに紛れ。

「わかっている。ダイアンサス、ラーデイは自領の近隣に注意を払う」

 そのため以前のようにこられないのか。

「政のまの字も知らない者に任せるより」

 王不在時、王妃が政を担うこともある、と言っていた。知らない、いいように扱われる、なんでもはいはい答える王妃では。

「ますます陰の支配者」

 セレーネを気に入らない者は陰でそう呼んでいる。

 レウィシアは、ぷっと小さく笑い、

「頑張ってくれ、もし、俺に何かあっても」

 断る、という意味を込めて脇腹を叩いた。


 戦の準備に書類、謁見と忙しい日々をレウィシアは過ごしていた。「詰め込みすぎでは」とセレーネが言うも「出たらこちらでなく、戦で手一杯になる。やれることはやっておかないと」と。セレーネの負担を少しでも減らそうとしてくれているのはわかる。が無理をして戦に響く、何かあっては。



「できるだけ早く終わらせて戻ってくる」

 出立前、鎧を身に着け、腰にはいつもの剣。セレーネが贈ったブローチも。これは日常でも身に着けていた。

 城門前。曇り空なので肌寒い。

「焦らなくていいですよ。焦って失敗されては。それに鬼の居ぬ間の、ではありませんがシアより上手く息抜きして町へ遊びに」

「行けば仕事を増やすよう、ユーフォルに言っておこう」

 傍で聞いている。

「俺がいない間に口説きに来る奴がいたら」

「全員、ではありませんが、戦場では?」

 フィユカスはレウィシアについて戦場だと。手柄を立てて見せます。活躍楽しみに、という手紙が来ていた。レウィシアに破かれ、ゴミ箱行きとなったが。

「シアより軽く見られ、政に口出し、代わりに自分が、という狸がくるだけです」

 レウィシアの腕を軽く叩く。

「無事に戻ってきてください」

 じっとレウィシアを見た。

「ああ。戻ってきた時には、家族が増えているという嬉しい知らせを聞けるといいんだが」

 この五日間、仕事、個人的な話などで満足に眠れていない。今日からはぐっすり。

「そんなに長く空けるんですか。それに知らせられるかどうか。あ、シアが女性を連れて帰ってきても私は気にしません。赤ん坊付きでも」

 両頬を軽くつねられ、両手は背へ。抱き締められる。レウィシアの背を撫でると離れ、穏やかな顔が近づいてくる。

 人もいる、見ている、と周りを見ると、気を使って、それぞれ別方向を。視線をレウィシアに戻し、目を閉じた。重なる唇。これも当分ない。そのためか、なかなか離れてくれなかった。

 離れると、ユーフォル、一番年上で留守番の将軍に「任せた」と強い声。二人はそれぞれ「はい」と答え、頭を下げていた。



 ぐっすり眠れたのは四、五日。過ぎると物足りないというか、傍にいつもいた存在がいないので少し寂しく。レウィシアも今、同じ気持ちなのか。自惚れすぎかと、小さく笑って頭を左右に振った。

 規則正しい生活。朝はきちんと起き、日課となっているマンドレイクの水やり、庭師と話して、花を分けてもらい、こんな花が咲くと教えてもらったり。それが終わると、書類仕事、謁見も一日に二、三人こなしていた。陛下でないと話にならない、と言う貴族も。レウィシアでも似たような判断を下したと思うが。口にはせず。セレーネ、ということもあり、甘く見る、馬鹿にする者も。

 十日が過ぎた頃。

「陛下から手紙です」

 ユーフォルが執務室へ。

「攻められた町を一つ取り戻した、と聞いております」

「必要な物資を送ってほしい、でしょうか」

 定期的に送るようにしている。現地で調達できるものはするようにしているが、できない物もあるため。特に攻められた町や村がどういう状態か。薬、食料、衣類、寝具、必要なものを送らなければ。

 寒くなると育つ作物も限られる。ヴィリロも雪は降るが積もっても一日で消える程度。精霊もいるので食うに困ることはない。だが、ここは。

 寒さに強い作物でも調べて、試しに植えてもらうか。

「そういったものはこちらで」

 それならユーフォルの手にあるのはセレーネ個人宛。

 受け取り、封を開けた。レウィシアの文字。仕事は、町へ勝手に遊びに行っていないか、誰かに言い寄られていないか。長々と。心配性すぎる。

「次の物資はいつ送ります」

「明後日には」

 少し考え、

「明日、休憩を長く取って、日持ちするものをフィオナと作ろうかと。手紙と一緒にそれも持って行ってもらっても。その分、今日頑張ります」

「わかりました。調整しておきます」

 結界を張って送れば途中で誰かに何かを入れられる心配もない。手紙にもそう書けば、レウィシアも安心するはず。

 物資を送る際、賊や敵に襲われ、奪われる場合も。また間者が入り込んでいれば食べ物に毒を。そのためレウィシアの口に入るものは十分すぎるほど調べられる。

 出る前に貴重な万能薬は持たせた。他にもヴェルテ手製の傷薬、飲み薬を。大丈夫なのはセレーネが体を張って検証済み。

 レウィシアのように書くことはなく、手紙は苦手。日々のことを書いていた。レウィシアが出て行った次の日に貴族の男や臣下の息子が訪ねて来て「陛下がいなくて寂しいでしょう」と言ったのは省く。毎日、ではないが代わる代わる。もしかしたらユーフォルが報告するかもしれない。

 レウィシアにしか解決できそうにない件は物資と一緒に送っていた。返ってきたものをユーフォルと確認し、言い渡す。納得しない貴族もいたが。

「シアの叔父上とはどのような方なのでしょう」

 あまりいい話は聞かない。だが、それはレウィシア側だからで、叔父側となると。詳しくは知らない。レウィシアにもつっこんで聞いていない。

「政の手腕はセレーネ様より劣るかと。できなくはないのですが、そでの下、と申しますか、献上品で誤魔化す、何も持ってこない者より何か持ってきた者の言葉を聞き入れる。不正をおこなっても金品でうやむやに」

「……」

 あるにはある話。いや、不正の一切ない国などない。ヴィリロでも祖父の元、セレーネにも金品を持ってきて、誤魔化す、不正をなかったことにしてくれと、自分の案を優先させようと。

 綺麗ごとだけではやっていけない。少々のことは目をつぶっていたのだろう。しかし、目に余るほどになれば。

「前王時代にも金品を受け取り、不正を揉み消したことが国王にばれ、すべての役職を解かれていたのですが、国王が倒れ、レウィシア様が成人していないのをいいことに、今度こそまともに治めてみせると、返り咲きまして」

 大変さがうかがえる。まともに治められず、真っ二つ。

「若いんですか」

 レウィシアから叔父に乗り換えた令嬢もいたとか話していた。

「前国王とは一つ違いなので、今は、四十六だったと。髪や瞳はレウィシア様と同じで、見目だけは良かったです」

 年の離れた夫婦もいる。特に政略結婚の多い王族は。見目がよければ寄ってくる、かも。だが中身は。

 私語は終わり、止めていた手を再び動かし始めた。



 レウィシアは順調に領地、町や村を取り戻し、進んでいるようだ。ただ、叔父にはまだ会えていないと。

 手紙では毎回、男に言い寄られていないか、何か嫌なことを言われていないかと。セレーネの心配より、レウィシア自身はどうなのか。取り戻せば戻すほど、敵対していた貴族がすり寄ってくる。娘を薦めるのでは。連れ帰ってきても不思議ではない。無事に帰ってくるのなら、誰と帰ってきても。

 レウィシアが出て一ヶ月が経とうとしている。手紙のやり取り、その地で咲いていた花を押し花にして送ってくれていた。毎回会いたいとも書いており。

 ガウラ、アルーラ、セレーネの知ってる者は皆元気らしい。怪我で戦線離脱した兵も少なくない。戻ってきた兵達の見舞い、労いの言葉をかけに療養所にも。そこでレウィシアの活躍を聞いていた。先頭に立つという無茶をしているらしい。

 この地は静かに寒くなっていく。レウィシアが戻る頃には雪が降っているのか、温かくなって、それだと三、四ヶ月は。

 静けさは突然破られた。

「失礼します!」

 ノックもなく突然開けられた扉。兵は息を乱している。何かあったとしか。

「魔獣が」

「「魔獣?」」

 ユーフォルと声を揃える。

「魔獣が城下町に現れました!」

「どういうことだ」

 ユーフォルは困惑顔。

「さ、先ほど、住人が慌てて駆け込んできて、調べに向かうと、大きな魔獣が」

「大きな魔獣?」

「はい。兵を送って対処しておりますが」

「出ます」

「セレーネ様!」

 セレーネは執務机から扉へ。止めるユーフォル。

「兵に任せてここに」

「今まで城下町に魔獣が現れたことは」

「ありません」

 部屋を出て早足で進む。

「立場をおわかりですか」

「わかっています。兵が倒す、城下町から外へ出したのなら、住人の様子を見て、必要なものを手配して戻ります。シアでも大人しく待っていなかったでしょう」

「……そうですね」

 ユーフォルは溜息をにじませ。レウィシアでも剣を持って外へ飛び出していた。

「どのような魔獣です」

 ついてきている、報告に来た兵に尋ねた。

「真っ黒な魔獣です」

「真っ黒? 黒いだけの魔獣ですか」

 そんな魔獣いただろうか。

「犬、いえ狼のような魔獣で、大きさは人の背丈ほどあります」

 狼。

「群れですか」

 群れる魔獣は少ない。

「一体だけです」

 見てみないとわからない。

 町に入る前に退治するのが通常。町の近辺で魔獣が目撃されれば、すぐ兵に報告。兵から上に、もしくは直接報告に来て、準備を整え、退治に出る。準備の間に魔獣が町から離れていれば、数日は警戒。中には嘘、見間違いだったことも。

「魔獣目撃の報告はなかったですよね」

 ユーフォルと手分けして書類は見ている。警備は将軍に。

「はい。それに、今まで魔獣がこの辺りに現れることはありませんでした」

 それもこの地に染み付いている精霊の想いの力か。それなら現れた魔獣は。

 一体どこから。

 町にも兵の待機所はいくつかある。治安維持、犯罪を取り締まるため。騒ぎを起こせば兵が駆けつける。

 城から出ると、その魔獣か、吠え声が響いてきた。住人は城へと。門を護っている兵だけでは対処できない人数。

「庭の一角へ避難させてください。ただし」

「城の中に入れない、ですね」

「はい。陽動とも限りません」

 レウィシアがいない隙に城を乗っ取る、制圧されれば。

 ユーフォルは兵に指示、兵と一緒に逃げてきた住人の対応。さらに住人が押し寄せてくる。セレーネは駆け出した。


 それを目にした瞬間動きが止まった。

 報告通り、真っ黒な毛色の狼。人の背丈ほどの大きさ。

「ば、かな」

 なぜあの魔獣がいる。ここにいるはずない。この地に封じられていなかった。では、どこに封じられていた。

「っ」

 頭を大きく振る。今はそんなことを考えている暇はない。

 魔獣の周りには壊された家の欠片が散らばり、逃げ遅れた、恐怖で動けない住人、傷ついた兵、立ち向かっている兵が。

 セレーネは素早く魔法を詠唱。幾重もの結界のおりを作る。

「動きは封じました。今のうちに傷ついた者達を連れて、この場を離れなさい!」

 声が届いた者、届いていない者も。

「早く逃げなさい! 長くはもちません!」

 叫び、理解した者は立ち上がり、よろけながらもこの場を離れる。

 魔獣は狭い結界おりの中で暴れている。

「さすがフェンリル」

 思ったより長くもたない。

「魔法使いか。何人援護に来る」

 年配の兵が駆け寄って来る。

「何人来ようと犠牲者が増えるだけです。それより、この先に人は?」

 セレーネは魔獣が進んできたと思われる破壊跡を見た。

「いない、と思う。はっきりとは」

 わからない。だが考えている時間は。

「あの魔獣の相手は私がします。色々壊してすいません。先に謝っておきます。あなた達は住人の保護を優先してください」

 早口。

「何を言っている」

 兵は訝しんでいる。当たり前。何人もの屈強な兵が集まり相手をしていた。それでも、尾でなぎ払われ、鋭い爪で襲われ、相手になっていない。傷一つついていない。それに対して兵達はぼろぼろ。兵より細いセレーネなど。

 答えている暇はない。セレーネは唱え始める。結界は破られる寸前。

 爆炎の魔法。魔獣の吠え声に負けない轟音。真っ赤に染まる視界、熱くなる空気。魔法を放った先に人がいないことを祈るのみ。

「た、おしたのか」

 目をぱちぱちさせて傍の兵が呟く。

「いえ、あれで倒せるのなら苦労はしません」

 再び駆け出す。

「住人の保護、頼みます。他の兵にも住人を第一に考えろと伝えなさい。あの魔獣は私がなんとかします」

 叫びながら、魔法で焦げ、何もなくなった道を走った。


 炎の魔法で吹き飛ばされていた魔獣。致命傷を与えられてもいない。いや、所々毛が焼けている。丸まって耐えていたのか、背の一部は大火傷。だがそれを気にする様子なく。魔獣フェンリルは赤い眼でセレーネを睨んでいる。

 城下町の外へはもう少し。狙いをセレーネにしてくれているのなら。

 魔法を使い、フェンリルの上を跳ぶ。城下町とは離れた場所、街道からもはずれた場所へ。狙ってくれず城下町に戻られては、と距離をそれほど空けず、地面に着地。

 フェンリルは城下町からセレーネへと向きを変え、襲い掛かってくる。セレーネは魔法を使い、さらに後方へ跳んだ。ついてくるフェンリル。

 よし、と頷き、さらに城下町から、人のいる場所から離れようと、魔法で攻撃しながら走った。



「か、勝てるのですか」

 不安しかない震えた声音。

「黙って見ていろ」

 口を閉ざし、離れた場所から、ただ見ている者達がいた。



「ち、さすがフェンリル。中途半端な魔法は効かないか」

 小さな魔法では傷つけられず、中、大きな魔法でないと。しかも最初に負わせた背の火傷は治っている。大きな魔力を持っているので治りが早い。

 当時、倒せる者がいなかったため封じるしかなかった、魔獣フェンリル。小さな村や町なら五分とかからず、大きな町でも三十分足らずで滅ぼしてしまう。

「どこのどいつが」

 思い浮かんだのは杖を持った女性。しかし再び封じる、もしくは倒せなければ、フェンリルは野放しで暴れ放題。誰かが倒してくれる、という他力本願。

 それはむかつく。いや、むかつくを通り越す。

「責任もって倒せ」

 考えている間にも襲ってくるフェンリル。魔力を使う威力の大きい魔法ばかり放っていてはセレーネの身と魔力がもたない。野放しにもしておけない。

 うー、と短く唸り、

『ノーム!』

 魔力を込めた声で叫ぶ。

 現れるまで多少時間が。フェンリルは待ってくれるはずもなく。

「負けるわけにはいきません。せめて共倒れ」

 でないとフェンリルはグラナティスだけでなくヴィリロにも。

『今度はなんだ』

 意外にも早く土の中から、どっこいしょ、と現れたノーム。

『なぁ!』 

 それを見た瞬間、土で覆う。

 土で覆われたフェンリル。しかし、低い唸り声が土の中から聞こえている。

『力を貸せ』

『おま、あれ、フェンリル、なぜここにいる』

 ノームは小さな指でフェンリルを覆った土を指している。

『知るか! いきなり現れ、町を襲っていた。町から離したけど、私だけの力じゃ』

『うん、無理だな』

 あっさり。

『無理言うな!』

『なら、わし』

『帰るな、力を貸せ』

 ノームのかぶっている小さな帽子を摑んだ。

『代償は』

 そう、契約していないため、力を借りるのなら代償がいる。

『瓶で五十』

『フェンリルだぞ。伝説の魔獣だぞ。せめて大樽で五百』

 伝説はわかる。その力を身を以って知っている最中。

『大樽で五十』

『まけて三百』

 話している間も低い唸り声と土がぽろぽろと崩れ。

『百、大樽で百。種類は別で、これ以上は出せない!』

 ノームはむーん、と難しい顔。

 断られれば、ノームをフェンリルに向けて投げつけよう。

『ま、いいだろう。手伝ってやるが後始末は自分でしろ。毛の一本も残すな』

 残し、悪用されれば。

『わかった』

 セレーネは頷いた。

 ノームは、ふぅ、と息を吐き、土の塊を見る。中ではフェンリルに攻撃してくれているのだろう。

『しかし、なぜフェンリルが。あれは封印されて長い。忘れられて封印が弱まったか』

 そう、定期的に封印し直さなければ弱まる。力のある魔獣なら弱まった封印を破り、出てきてもおかしくない。誰かが解いたのではなく、自然に解けた、というのも。

 セレーネは誰かが解いたとばかり。

『さすがフェンリル、出てくるぞ』

 ノームの緊張した声。覆っていた土が四方へはじけ飛ぶ。

 出てきたフェンリルはあちこち穴だらけだが、ふるふると汚れを払うように頭から尾まで振っている。まるで痛みなど感じていないよう。セレーネを睨み、大きく吠えた。声にまで魔力があり、吹き飛ばされないように踏ん張ることで精一杯。

『まったく、面倒に巻き込んでくれおって』

 呟きながらもノームは土を操り、フェンリルを攻撃。セレーネもノームに合わせて魔法を放った。

 フェンリルを封じた者は何日間フェンリルと戦ったのか。一人とは限らない。ノームはフェンリルに遭うのは初めて。精霊の力を借りずに封じたのなら。封じるにしても弱らせなければ。何人を犠牲に。

 ノームがいなければセレーネは倒れていた。そしてフェンリルは野放し。次に出てくるのはスカビオサ。だが重い腰を上げるにはかなりの時間が。その間にどれだけの犠牲が。

『今だ』

 ノームの声。セレーネは魔力を振り絞り、最大級の炎の魔法を放つ。フェンリルもセレーネとノームの攻撃でぼろぼろ。これで焼き尽くせなければ、セレーネの魔力が。

 宝石に魔法を込め、それをぶつければ込められていた魔法が発動する、というものも、いざという時のために作っていたのに。持ってこずに。フェンリルとわかっていれば。

 焼かれながらもフェンリルは吠える。

『燃え、尽きろぉ!』

 セレーネも吠え、さらに魔力を込める。黄金の炎に包まれたフェンリルの吠え声は徐々に弱く、体も小さく。

 もう魔力も体力も。声が聞こえなくなり、炎の中にその姿が見えなくなっても、気力で魔法を維持し続けていた。



「つ、疲れた。というか、生きてる」

 ようやく周囲を見る余裕も。地べたに力なく座り込んで辺りを見た。フェンリルの攻撃で地面は大きく抉れ、裂け、セレーネの魔法で焦げ、凍り、無残な状態。地面だけでなく、周囲にぽつぽつ生えていた木も跡形もなく。人を巻き込まないよう、人の通らない見晴らしのよい場所で戦っていた。城壁からは離れすぎず、近すぎず。離れすぎればセレーネが帰れず、近すぎればフェンリルが方向を変えれば。

 空は夕焼け空に変わっている。半日で倒せるとは。

 次に自分の体を見る。無傷とはいかず、右脇腹は噛まれそうになり、避けたが、服に牙が引っかかり、破れ。右足は鋭い爪に。こちらも避けたが、爪先がかすり四本の線。一番酷いのは左腕。こちらも鋭い爪で。避けられず肘下から手首近くまで、ざっくり。魔法で止血し、服を破り、ぐるぐる巻きにしている。戻って手当てを頼まないと。セレーネでは完全に癒せない。よく手足が無事だった。

『はでにやったなぁ』

 ノームも辺りを見回している。

『これで済んでよかった』

 城と町をすべて破壊されていてもおかしくなかった。それがこの辺りだけで、犠牲は。

『それもそうだな。はぁ、疲れた。久々動いた』

 セレーネと違い、無傷のノームは肩を回している。

『代償、忘れるな』

『色々回復したらね。魔力も体力も限界。気を抜くと倒れる』

 ここで倒れるわけにはいかない。戻って被害を聞かないと。もしくは誰か、城の者、住人の前で倒れないと。何日寝込むことになるのやら。

『わしがいたとはいえ、あのフェンリルを倒したのだからなぁ』

 ノームはフェンリルがいた場所を見た。

 少し前まではフェンリルの吠え声、ノーム、セレーネの声、魔法で騒がしかった辺りは静か。骨の一欠片も残っていない。残っているのは激戦の跡だけ。

『ではな、早く回復しろ』

『うん、ありがと、ノーム』

 笑顔で手を振った。ノームは土の中へ。

 重い体。なんとか立ち上がろうとしたが、背後から一撃。

「あっ」

 声がもれ、地面へ。

 油断していた。気を抜いていた。倒れる、目を閉じるわけには。意思に反し、疲れきった体は動かず、まぶたは落ちていく。

 帰って来る場所は護った。でも。

 戻れなくて、帰りを待てなくて、

「ごめんなさい」

 穏やかな蒼い色が浮かんだ。

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