第17話
休憩はなく目的地まで進む。
令嬢と兄妹は、兄妹が乗ってきた馬車でついてきていた。セレーネとレウィシアの乗る馬車は静か。昨日は何か話していただろうか。
「着きましたよ」
どのくらい走っていたのか。頭はぼんやり。馬車は止まり、扉が開けられ、声がかけられる。
レウィシアが先に降り、手を差し出してきた。手を出さなければ馬車から降ろしてもらえそうにない。塞がるように立っている。
レウィシアの手に手を重ねると、痛いくらいの力で握られた。
「ようこそ、我が領地へ」
「我が領地?」
ダイアンサスの言葉を繰り返す。
「はい。お疲れさまです。すぐにお昼の用意をさせましょう」
定位置といわんばかりにセレーネを突き飛ばし、レウィシアに飛びついてくる令嬢。
「何をしている。お前は招いていない。迷惑をかける気か」
まだ機嫌は直っていないのか、不機嫌な声。
「迷惑など。女の一人。部屋を用意してくださるのでしょう。なにせ」
「なにせ、なんだと。用意しなくていい。邸に入れるな」
「陛下!」
悲鳴のような甲高い声。突き飛ばされたおかげで手は離れ、距離もとれている。
「人質はよくて、なぜわたくしがだめなのです」
「ダイアンサス、入れるな。命令だ。そして離せ」
「いいえ、離れません」
「私達は町で宿をとります。ではセレーネ様、また」
頭を下げ、あっさり下がる兄妹。結局妹と話はできず。
レウィシアより先に入るわけにもいかないだろう、と周囲を見ていた。近隣に家はなく、家の裏手は竹林? 閑静な場所。領主の邸だけあり、立派。
ぼんやりした目が捉えたのは、リス。リスは塀の上からセレーネを見ている。あれは。意識がはっきり。
「なぜ」
「セレーネ様?」
リスはにやりと笑うと、どこかへ。
「セレーネ様!」
リスを追いかけ走っていた。
なぜあれがここにいる。あれは。見失わないようリスだけを見ていた。
色々なものが当たる。しかし気にしていられない。見間違いでないのなら。
走って、走って、足下を見ていなかったので、木の根に引っかかり、転んだ。
痛みなど気にしていられない。勢いよく顔を上げるも、リスの姿はない。
無駄かもしれないが、と走り続けた。
「おい!」
突然、強い力で腕を引かれる。
「何をしている。自分の姿、わかっているのか」
姿?
「わかっていないのか」
呆れているガウラはセレーネの服を指す。
服は何かにひっかけ、破れ、転んだので汚れている。
「顔も」
転んだ時に汚れた、傷ついたか。
「来い、裏口から入る。うるさいのに見つかれば」
「私はかまいませんよ」
「陛下に恥をかかせるのか。いくら使用人に口止めしようと、できない者もいる」
「私はどう見ても王妃に見えませんものね。あの方が押し切れば」
ガウラは顔をしかめている。
「押し切られましたか。それなら王妃はあの方。私はシアとは別の部屋、ですか。う~ん、ダイアンサス様に迷惑かけるのも。どこかに宿でも借りて」
「来い」
右手首を摑まれ、邸へ。セレーネは後ろ髪を引かれる思いで周囲を見た。いつの間にか裏手の竹林へ。
ガウラの案内で邸の裏口から入り、誰の目にも入らないよう部屋へ移動。部屋で荷物の整理をしていたフィオナにも驚かれた。
顔を洗い、着替えて、またどこかに案内される。服はレウィシアの用意した服。フィオナが令嬢に対抗して用意した服。髪も整えてくれた。
グラナティスの城でセレーネ達が食事をとっている部屋に似ている。広さは断然、城が広い。長テーブルがあり、椅子にはレウィシアと近い位置に令嬢が座り、お茶を飲んでいた。ラーデイ、アルーラはレウィシアの背後に立ち、控えている。
「あら、ビタール王子を追いかけていたのでは。誰も相手にしてくれないと他国の王子まで誘惑するとは。わたくしには考えられませんわ」
「気分が優れないので退室、というのは」
「「却下」です」
ガウラ、フィオナに声を揃えられた。それなら、と二人から離れた席へ。フィオナには「セレーネ様」と小さく呼ばれ、ガウラは非難の眼差し。席に着いているダイアンサス、控えているアルーラ、ラーデイも似た眼差し。
セレーネはこれで勘弁してください、と目で訴える。正直言えば一刻も早くあのリスを見つけ、いや捕まえたい。自然、目は窓の外へ。
なぜあれがここにいるのか。スカビオサの言っていた厄介ごとがあれなら。城で見つけていた? そしてセレーネは見つけられず。
「間抜けもいいところです」
自嘲的に呟く。
「……ま、セ……ま、セレーネ様」
「え、あ、はい。なんです」
「お腹空いていないのですか。用意してくれたお茶が冷めますよ。お食事にも手をつけず」
「あ、ああ、はい。すいません」
考えに没頭していた。何も目に入らず耳に入らず。テーブルにあるのは昼食。冷めたお茶を一口、二口飲み、再び視線は窓の外へ。
あのリスは見間違いでなければ、ラタトスク。喧嘩を
何を考えているのか。セレーネは窓の外ばかり見ている。話しかけても返事はない。話しかけてもいないのに、勝手にセレーネが座る場所に座り、返事をしている女。
しつこい女に折れたのはダイアンサス。レウィシアとしては追い帰したかった、邸に入れたくなかった。セレーネと過ごすはずが、邪魔ばかり。情報を流した、盗み聞いたのはローズ姫の精霊。邪魔をするために二人にも教えた。一人は帰った。今度は叔父にすり寄りに行くのだろう。持って行った宝物目当てに。
ローズ姫は大人しいが兄のビタール王子はあろうことか、レウィシアの前で宣戦布告ともとれる言葉。セレーネもはっきりと断らず、残った女はセレーネの悪口ばかり。苛立ちだけが増していく。
昨日はレウィシアの後ろを俯いて歩いていた。元気のない様子。声をかけようにも、あれだけ楽しそうに見ていた店に見向きもせず、食事も美味しそうに見えない。
馬車でも布団の中でも丸く小さくなっていた。まるで自分を護るように。馬車でも布団の中でもレウィシアが大丈夫だと声かけていたが、聞こえていたのか。
護りたいのはセレーネだけ。そのセレーネは今もレウィシアを見ず。いつもなら、見ていることに気づけば小さく笑い返してくる。出されたものを美味しそうに食べるのに。心ここにあらずといった様子。
どこへ行っていたのか。ビタールを追いかけていたのか。レウィシアがいるのに。見ているのに。窓の外ばかり。誰を見ているのか。
手段を選んでいられない。誰の喧嘩を煽っているのか。セレーネならいい。だが別の者なら。国と国同士。レウィシアとビタールなら。それならビタールのあの発言、セレーネにシーミの国に来い、というのも納得。一応、セレーネはレウィシア、グラナティスの王妃なのだから。その地位も危ういが。そうなればあの令嬢に乗り換えるのか。
頭を振って、今やるべきことに切り替える。
部屋にあるクッションの一つに魔法をかけ、セレーネの姿に。寝台に置くと、どこからどう見てもセレーネが眠っているとしか見えない。
レウィシアはまだ夕食中。セレーネは疲れたと言い、早々に切り上げてきた。夕食中も令嬢の口撃。あれではレウィシアも他の者も楽しくないだろう。原因がいなくなれば。
レウィシアと別室かと思えば同室。別室、部屋に戻ってこないのなら細工しなくてよいのだが、戻ってくれば大騒ぎ。
準備よし、とセレーネは窓から外へと飛び出した。
「大丈夫ですか」
フィオナの心配そうな声。
「何が、です」
なんとか笑顔を作る。
一晩中走り回り、探した。それでも見つからず。朝ご飯までには戻らないと、入れ替わらないと、と空を気にしながら。
結果、見つからず。どこ行きやがったあの小動物、と地面を蹴っていた。だが自由に走れて少しすっきり。したのだが。
令嬢は朝から化粧も服もばっちり決めてにぎやか。セレーネは二人と離れた席で朝食。少しでも響く声の遠くへ。
本心は寝たい。少し休んで再び探したい。
「遠乗りに行かれるのに、大丈夫ですか」
「はい?」
フィオナを見た。フィオナは呆れ顔。
「昨日話していましたよ。ダイアンサス様の弟君家族がご挨拶に来られるので、遠乗り、狩りに行こうと」
「……」
「聞いておられなかったのですね」
フィオナは気を使って小声。
「挨拶だけで行かない、というのは」
フィオナは黙っているが無理だと悟る。寝たい。
朝食が終わるとダイアンサスの弟家族が来るまでその場で待機。お茶を飲んでいた。眠くてたまらず、うつらうつらと舟を漕ぐ。
「おはようございます。陛下」
声にはっと姿勢を正す。
ダイアンサスと同じ髪と瞳の色をした男と後ろには女性。さらには十四、五歳と十歳前後の男の子二人。
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです。今回は王妃様をお連れだとか」
見ているのはレウィシアの傍で上品に座っている令嬢。
「王妃様はこちらだ」
ダイアンサスがセレーネを見る。男は驚いたように目を丸くし「失礼しました」と頭を下げてきた。
「仕方ありませんわ。王妃とは名ばかりの人質。陛下に恥しかかかせていないのですから」
化粧も服も王妃には見えない。フィオナにも別の服を勧められたが。セレーネとしては動きやすくていい。あまり動かない令嬢にはわからない。それに見る者が見れば、令嬢の言葉が正しく、彼女が妃と思われても。
レウィシアは何も言わない、迎えると決めたのか。昨夜も部屋に戻ったかどうか。彼女の部屋にいても不思議はない。
「出発しましょうか」
ダイアンサスは困り顔。
レウィシアが席を立つと令嬢も付き従うように。
行かないとだめですか、とフィオナを見上げた。フィオナはしっかり頷く。
溜息をつき、渋々レウィシアから離れた後ろを歩いていた。令嬢はレウィシアの腕に張り付き、レウィシアはそれを嫌がりもせず歩いている。
厩舎では使用人が馬を用意。
「弟さんの奥さんは行かないんですか」
「はい。狩りに興味はないので。ダイアンサス様の奥様と談笑しています」
昨日紹介されたダイアンサスの奥さんはおっとりとして優しそう女性だった。
「それなら私もそちらに」
「セレーネ様」
フィオナはガウラの婚約者、ということで一緒に。
馬が近づいてくる音。セレーネの乗る馬かと、そちらを見るとレウィシアが乗っていた。見下ろしている。感情の読めない目で。
首を傾げていると、馬上から手が。
その手が取ったのは、細く手入れの行き届いた白い手。
「陛下と一緒に乗れるなんて。しかも陛下から手を差し伸べてくださるなんて。幸せですわ」
いつの間にか令嬢が。城では家から連れて来た使用人に着替えなどを手伝ってもらっていたが、ここに来るまではおらす、宿の者や邸の使用人に手伝わせていたとか。
「ぼくも行きたいです。馬にも乗れます」
「まだまだだろう。母上や伯母上と一緒にいなさい」
「えー」と不満の声を上げていたのは体の小さな男の子。
「母上達の話なんてつまらないです。ぼくも馬に乗って、狩りに行きたいです」
父親はだめだ、と答えている。兄は一人で馬に乗っている。
「それなら私が教えましょうか。馬にも乗れます。この辺りをゆっくり歩くくらいなら」
「セレーネ様!」
フィオナだけでなくアルーラまで声を上げている。
「私、ここは初めてなんです。案内してくれますか」
子供と視線を合わせるため、
「そのかわり、馬の乗り方を教えてあげますよ」
子供はぱぁぁ、と顔を輝かせ、
「うん、いいよ。案内してあげる。どこがいい、どこに行く」
セレーネに飛びついてきた。
「この辺りにいます」
護衛はいらない、とダイアンサスを見る。ダイアンサスはレウィシアを。乗っているはずの令嬢は馬上におらず、馬上のレウィシアを見上げ「陛下」と甘えた声。
「それなら、おれが乗せて行きますよ。子供の一人くらい。向こうで一緒にいればいいでしょう」
「アルーラ様に面倒を見ていただくわけには」
父親は困り顔でアルーラを見て、息子に「母上の傍で大人しくしていろ」と声をかけている。兄も「父上の言う通りだ」と加勢。弟はセレーネにしがみつき、べぇーと舌を出していた。
「私ならかまいませんよ。狩りに興味はありません。そちらはそちらで楽しんできてください」
「陛下も王妃様にいいところを見せたいでしょう。護衛を分けるのも。それに王妃様が行かないと、陛下も行かないと言い出しかねません」
最後は小声。
セレーネのせいで計画が白紙になるのも。
「わかりました」
頷き「用意しますから」と先に出てもらった。令嬢は護衛の後ろ。ぶつぶつ呟いている。子供は「行っちゃうの」と残念そうに見上げてくる。
「私達はここで練習しています。着いたら、そうお伝えください」
最後尾、セレーネを待っている護衛に声をかける。
「しかし」
「お邸周辺にいるので大丈夫です。それにどう見ても」
王妃には見えない。貴族の子供に乗馬を教えている教師。
「先ほども言いましたが狩りに興味ありません。行っても」
周辺を馬で駆ける。ラタトスク探し、寝る。寝る、には心が動いた。
祖父、父は遊びで狩りをしなかった。食べるだけ獲れれば。必要な時だけ。
「行ってください。追いつかなくなりますよ」
馬の尻を叩くと馬は走り出し、護衛は慌てて手綱を握り直していた。
「では、練習しましょうか」
しょんぼりしていた子供は顔を輝かせる。
子供を馬上へ。手綱を握らせる。セレーネは馬の隣を歩く。
邸を周りながら注意深く周囲を見ていたが、目当ての姿は見つからない。誰かを煽りに行っているのか。
「いいなぁ、兄上は行けて」
「退屈、ですか」
「うん、もっと早く走らせたいよ」
「走らせますか」
セレーネは馬に乗り、手綱を握る。今までは歩いていた。
「しっかり摑まっていてください」
前に座っている子供が摑まったのを確かめ、馬の速度を上げた。
「気は済みましたか」
邸周りを二周して速度を落とす。「うん」と子供、クートは大きく頷いている。
「あ、このまま湖に行こう」
「湖、ですか」
「うん、ロア達が行くって言ってた」
ロア? 友達か。
「危険だから近づくなって大人に言われているんだ」
「まぁ、子供だけで行くのは危険ですよね」
もしも、があれば。
「その湖に行った何人かが行方不明なんだ」
「はぁぁ!」
セレーネの叫び声にクートは驚き、目を丸くしている。
「最近はそうでもないけど。前に。水辺に何か、打ち上がっていたんだって。だから行っちゃだめだって。特におじいちゃんの人達が。町から出て行ったんじゃないかって人もいるけど」
「お友達はそこへ行ったのですか」
「うん」
「その湖はどこです。近いのですか」
「え? えっと、ちょっと遠いかな。馬で行けばそうでもないけど。湖のある森近くは街道があって商人が通るから、乗せてって言えば乗せてくれる人もいるよ」
子供の足なら、間に合うか。
「降りてください」
「え、行くの? 場所わかる?」
「早く行って止めないと、取り返しのつかないことになるかもしれません」
杞憂ならいいが。
「取り返しのつかないこと」
「お友達が危ない、ということです」
「さっきも言ったけど、場所わかる。案内するよ」
「ですが」
「ロア達が危ないんでしょ。早く行かないと」
う~、と唸り、
「とばします。しっかり摑まってください」
全速力で駆ける。クートは早い早い、とはしゃいでいた。セレーネは間に合え、杞憂に終われ、と馬を走らせた。
町を抜け、街道を駆ける。
「もうすぐだよ」
街道をはずれた緑生い茂った場所を駆けていた。
指差す。指した先、木々は少なくなり開けた場所では、日の光を反射して光る湖。子供の笑い声。
「クート、お前も来たのか。見ろよ、この馬。きれいで、大人しくて、人懐っこいんだ」
岸辺には三人の子供。クートと同年代、十歳前後の子供。その子供達にすり寄っている毛並みの美しい白馬。
セレーネは馬から降り、子供達に鼻先をすり寄せている白馬を見た。
白馬は一人の子供の服をくわえる。くわえ、湖へと。
「え?」と子供は何が起こったのかわかっていない。
「させるか!」
とっさに重力の魔法を使い白馬を潰す。服は破れたが子供は無事。
「離れなさい! 早く」
子供は戸惑い、白馬とセレーネを交互に見ている。
「湖引きずり込まれますよ!」
白馬は魔法から逃れ、湖へ。そのまま湖に姿を消すかと思われたが、再び子供に向かって。
狙いは子供か。セレーネはその子供の前に出る。
「アハ・イシュケ?」
アハ・イシュケ。塩水湖や沼の中を主な棲み処とする。毛並みの美しい馬。背に乗れば強力な粘着力を持って捕らえられ、水中に引きずり込まれる、と聞いた覚えが。
「この子達は諦めてもらいます」
セレーネは向かってくる白馬に魔法を放った。
息が荒い。全身ぐしょぬれ。
水中戦はやったことなくはないが、水中に引きずり込まれないように、隙をついて子供を狙われないように、放った魔法に巻き込まれないように、注意しながら。
アハ・イシュケは傷を負い、湖の中へ。再び現れないかじっと見ていたが、現れる様子はない。湖面は静か。諦めてくれたか。
息を吐き、子供達へと向く。子供達はびくりと身体を震わせている。クートまで。
怖い顔でもしていたか。頬を両手で揉み、
「怪我は」
再び、びくりと震えられた。怒ってはいないし、普通に尋ねただけなのだが。
「怪我はないですか」
今度は柔らかく尋ねた。
子供達は顔を見合わせ、首を大きく縦に振っている。
「そうですか」
セレーネは服と髪を絞る。セレーネも目立つ傷はない。
岸辺で遊んでいたのだろう。子供達は少々ぬれているがセレーネほどぬれていない。
「あの馬が普通の馬と違い、危険なのはわかったでしょう」
普通の馬はあれほど攻撃的でない。魔法に怯え、逃げ出す。現にセレーネ達が乗ってきた馬は逃げている。クートはなんとか馬から降り、その場に立ち尽くし。
三人は、こくこくと顔を上下に。
「これからはここへ来てはいけません。あの馬に水中へ引きずり込まれますよ。あれは怪物。
青い顔をして頷き続けている。
疲れた。寝不足でなければ。
「おねえさん、強いんだね」
クートが傍まで来て、セレーネを見上げている。
「いえいえ、私なんてまだまだ。強い人はいっぱいいますよ」
へぇ~と子供達の声が揃う。
「このお姉さん、誰だ。お前のとこの新しい護衛か」
ロアと呼ばれていた子供がクートに聞いている。
「ううん。今、国王陛下が叔父上の家にお忍びで来ているんだ」
「国王陛下が。すげー。じゃあ、陛下の護衛か。強かったからな」
すっかり調子が戻っている。
「それより、もう二度とここにはこない。わかりましたか。今回はクートから話を聞いて、駆けつけましたが、私が来なければ、どうなっていたか」
思い出したのか、三人とクートまで背を震わせている。もし、セレーネがレウィシアを選び、クートが退屈だと、ここへ来ていたら。
「あれは、退治できないの?」
退治できなくはないが。
「難しいですね」
退治すれば、ここら一帯は。
「立ち入り禁止にするのが一番でしょう」
それでも来る者は面白がって来るだろう。そして。
傷が癒えるまでは出てこないだろう。癒えれば。小さく息を吐いた。
湖面は静かに太陽の光を反射して、眩しい。
服を乾かし、町へ。セレーネ達が乗ってきた馬は少し離れた場所で見つけた。四人も馬に乗れないので、歩き。途中、商人の馬車に乗せてもらい、町へと戻ってきた。
お腹が盛大になる。それを聞き、笑う子供達。だが子供達のお腹も。
「ご飯にしましょう。お昼は過ぎているので、店は空いているでしょう。どこに何があるかわかりませんが」
「案内するよ」
子供達に両手をとられ、後ろから押され、進んだ。
「はぁ、満足です」
「すげー、姉ちゃんだな」
子供達の選んだ店は手頃な値段、制限時間付きの大盛り挑戦の料理があり、それを頼んだ。
人目はあるものの、誰も食べ方に文句を言わない。くぅぅ、と噛みしめながら食べきった。賞金代わりに子供達の食事を無料に。
「さて、どうしましょう。私としては町を見て回りたいですが」
いつの間にか眠気はふきとび。服を乾かしている一時間ほど仮眠はとれた。子供達も大人しいもの。念のため結界を張り。それが町に戻ってくると元気に。
「だったら案内してやるよ。助けられたし」
子供達の中ではロアが一番上らしい。胸を叩いている。
「そのかわり、湖に行ったことは内緒な。じいちゃんに怒られる」
「ロアのおじい様はとっても強い兵士だったんだって。だから怒るととっても怖いんだ。でも、ぼくも父上や母上に湖には行っちゃだめだって言われていたから」
他の子供も同じらしい。頷いている。
「わかりました」
笑って頷く。
何が見たい。どこへ行く、と歩き出した。
飲食店を見て回り、その日は終わり。あれだけ食べたのに、まだ食べるの、と子供にまで呆れて見られた。
邸に戻ると。
「セレーネ様、どちらにいたんです」
フィオナが駆け寄って来る。レウィシア達より早く帰れたと思ったのだが。
「すいません。邸周りに飽きて、町まで。勝手に連れ出したので、ご両親も心配されていますよね。謝ります」
「ぼくが頼んだんだ。おねえさんは悪くないよ。怒られるのはぼくだから」
小さな手がセレーネの手を握る。一瞬、何か浮かびかけ、消えた。なんだったのか。
「陛下のご機嫌はかなり斜めですよ」
アルーラまで。
「王妃様が一緒にいて、ですか。それとも狩り失敗でいいところを見せられず? 私としては無駄に狩られずに済んでよかったと」
「王妃はセレーネ様です。どうなっても知りませんよ」
アルーラは額に手を当てている。
「荷物をまとめて、出て行ける準備をしておきましょう」
「「セレーネ様!」」
揃って怒られた。
とにかく、両親の元へ。帰ってくればいなかったのだ。心配している。
朝食をとった部屋に行くと、ダイアンサス夫婦、弟家族と揃っていた。弟夫婦はセレーネの傍にいる子供を見てほっとしている。
「ただいま戻りました。勝手に連れ出して、申し訳ございません」
深々と頭を下げた。
「ぼくが頼んだんだ。おねえさんは悪くないよ。楽しかったし、ね」
笑顔で見上げてくる。
「そうですね」
セレーネも笑顔で返す。
「謝罪は陛下になさってください」
ダイアンサスは困り顔。クートは顔を
「怒られるのは私だけですよ。約束を破ったのですから」
「でも」
「あら、戻ってこられたのですか。てっきりどこかの王子と一緒かと」
見るとレウィシアに張り付いた令嬢。
「陛下の気も知らず呑気なものですね。陛下にはわたくしがいましたから」
「ご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」
レウィシアに向かい、深々と頭を下げる。クートはセレーネの足にぎゅっとしがみつき。
先ほど摑み損ねたものがはっきり。
泣いていたのは弟。母の物を壊し、どうしよう、と。セレーネが壊したことにして謝ったが、後日、弟が泣きながら正直に母に白状した。今日のように手を引いて歩いたことも。あれは、町で両親とはぐれ、迷子になり、やはり弟がぐずって。
思い出し、小さく笑う。姿は覚えているのに、声は。
「クートも戻ってきたことですし、夕食にしましょう」
ダイアンサスの穏やかな声。
レウィシアは相当頭にきているのか無言。ちらりと見た顔は無表情。これは別の部屋を用意してもらうべきか。レウィシアより先に席に着くわけには。
「楽しかったか」
感情のない声がかけられた。
女の甲高い声で獲物は逃げ、狩りにもならない。狙っても当たらない。集中できていないから。
「戻りますか」
ダイアンサスもわかっているのだろう。苦笑している。
セレーネが追いつけないまま狩場に。待っているか狩りにするか。
「追いついてくるでしょう。フィオナもおります。狩りの成果、腕を見せられては」
レウィシアが残れば、皆動かない。
「そうだな」と森へ。
元気がなかった。心ここにあらずといった様子。どこにも行かず、城にいればよかったのか。狩りの最中も頭をよぎる。
成果もないまま、フィオナが待機している場所に戻れば、セレーネの姿はなく兄妹の姿。舌打ちしたい気分になってくる。
兄妹はレウィシアに一礼。
「セレーネ様はご一緒ではないのですか」
レウィシアは隠しもせず顔をしかめた。
「お邸ですか。お優しい方ですから、狩りなど。お邸を訪ねればよかったですね」
「我が国の王妃ですよ」
身をわきまえろ、とアルーラの強い口調。
「陛下のお妃様なら傍におられるでしょう」
ビタールは不思議そうに首を傾げている。
「誰がどう見てもそう見えますよ。ねえ」
話をふっているのはダイアンサスの弟。ダイアンサスの弟は困惑顔。
「私は戻るが、どうする。レウィシア陛下はあのような女性が好みのようだ。お前もあのように振舞えば気に入られ、妃の一人に迎えられるかもしれない」
手綱を握る手に力がこもる。
「いえ、私には無理です。あのような」
厚顔無恥。言葉にはしないが伝わってくる。伝わっていないのは。
「お兄様が戻るのなら、私も戻ります」
レウィシアを見もしない。いや、来た時から見てはいなかった。見ていた、欲しかったのは
レウィシアをまっすぐ見てくれていたのは。
「それでは」と引き返している。
「あ、あの、あの方でしたら、邸にいると、お伝えくださいと」
護衛は困り顔。あの方とは誰だ。セレーネなら王妃だと。それともこの護衛は傍にいる女を王妃だと。
「我々も戻りますか」
「来たばかりでしょう。陛下に迷惑をかける者など放っておけばよろしいのでは。わたくしがおります。王子もおっしゃっていたでしょう。見る者が見れば」
レウィシアの様子など気にせず話し続けている。
馬の腹を蹴ると走り出す。「陛下」と慌てた声。気にせず、速度を上げる。
走らせ続けていると少し気分が良くなる。自由。誰の声も。聞こえるのは馬の駆ける音と息。移り変わる景色。
このままどこかへ行けたら。行けやしないのに浮かぶ考え。どこにも行けない。この地にいるしかない。いなくなればこの国は叔父が。縛られている。あの竜の言う通り。
馬の速度が落ち、それでも歩みを止めず。
「陛下」
追いついてくるダイアンサス達。短い自由。四六時中誰かにいられれば。セレーネも気詰まりする。レウィシアも以前はこれ程憂鬱にはならなかった。ユーフォル達が気遣ってくれていたから。今回も。それなのに。
昼食もとらず邸へ。
戻れば兄妹の姿もセレーネの姿もない。使用人に尋ねれば、兄妹は来ていたが、セレーネ達の姿はなかったので、てっきりレウィシア達と一緒だと。
入れ違ったのか。それとも勝手に。
子供も一緒。遠くには行きはしないだろうと。セレーネは子供に甘い。子供が行かないで、と言えば子供をとるだろう。レウィシアをとらず。
昼食を、と言うダイアンサスを断り、部屋に。セレーネの荷物はあるので嫌気が差して出て行ったのではない。
部屋の扉は叩かれ続け、聞きたくもない声を聞かされている。出て行きたくなるわけだ、と小さく笑った。
セレーネが帰ってきた、とアルーラに伝えられ、部屋から出ると、どこからともなく「陛下」と飛びついてくる女。やかましく話す声。居間ではセレーネが深々と頭を下げている。なぜ下げているのか。子供を勝手に連れ出したから。その子供はセレーネに
レウィシアにも頭を下げている。なぜ他人行儀に下げるのか。家族ではないのか。いつものように笑って、謝って。
「楽しかったか」
どこに行っていた。何をしていた、誰といた。聞きたい。問い詰めたいが、そんなことをして嫌われたら、ビタールの元へ行かれたら。怖くてできない。
「はい」
不思議そうな顔をしながらも、はっきり。
レウィシアも護衛すらもいない。好きに過ごした。
「陛下は?」
なぜ他人行儀。いつものように呼んでくれない。
「楽しかったですか」
「楽しかったに決まっているでしょう。わたくしがいたのですから。ね、陛下」
見上げてくる満面の笑み。それでもレウィシアの顔を見ていない。
「そうですか。よかったですね」
セレーネも笑っている。なぜ笑うのか。女の言葉を信じるのか。この女とお似合いだと。それともビタールの元へ行きたいため。
子供に引っ張られ、セレーネは席に。夕食の準備は進んでいる。長テーブルには料理が並べられ。女がレウィシアを引っ張る。動かないレウィシアにダイアンサスも「陛下」と声をかけてくる。いつもより鈍い動きで席へと着いた。
にぎやかな夕食。にぎやかなのは令嬢だけで他の面々は微妙な顔。
ガウラの実家ということもあり、フィオナも席に着き、食事していた。兄弟は狩りの話。弟から町を回っていたと聞くと、そちらがよかった、と話し、クートはいかなくてよかった、と笑っていた。
「好き嫌いせず食べないと大きくなれないぞ」
よくある親子の会話。
「陛下は嫌いなものはありますか」
兄が緊張した面持ちでレウィシアに尋ねているが「ああ」と頷くだけ。
元気のない様子。食も進んでいないような。代わりに令嬢はよく話す。
「陛下にも嫌いなものがあるのですね。可愛いところもおありなのですね。何がお嫌いなのです」
レウィシアは答えず。
「ガウラも好き嫌いして大変だった。今も避けて食べているようだしな」
へぇ~と兄弟は揃ってガウラを見ている。
アルーラ親子は別室。ついてきた兵達と食事。
「そういえば、セレーネ様はあまり好き嫌いなさらないような」
「嫌いなもの、ないの?」
フィオナの言葉に反応したのはクート。
「食べたことのないものもありますから。それ以外は」
「父親に山にでも放り出されたか」
「ガウラ様」
フィオナはガウラを睨み。ダイアンサスは困ったように小さく笑っている。
「それもありましたね。あの時は大変でした」
「……あるんですか」
フィオナはもちろん話をふったガウラも呆気にとられている。
「最初は種から育てて、どれだけ大変かわからせようと」
水遣り、日光、温度、少しのことで枯れたり、味が変わったり。食べられるまで時間がかかる。
どれだけ大変かわかったか、と父に。それでも弟は嫌いなものは嫌いと。根性を鍛えるつもりだったのだろう。セレーネは巻き添え。
「弟と山に置き去り。誰か隠れて見ていたのでしょうけれど。弟は泣いて、泣いて、一歩も動かないので背負って歩きました。一瞬何をしているのだろう、とは思いましたけど。しがみつく弟を離せるわけもなく」
「……おいくつの時です」
「十一、でしたか。弟は七つか八つだったと」
「ガウラにも似たことをやらせましたが、十三、だったか」
ダイアンサスはガウラを見ている。
「結局、失敗に終わりましたね。翌日迎えに来てくれましたが、一ヶ月弟は母にべったり。好き嫌いも治らず」
「今も治ってないの。大人なんでしょ」
「生きていれば十七、ですか。どんな大人になっていたでしょう」
学者か。体を動かすのは苦手だった。あの頃の姿しか覚えていない。両親やセレーネの背に張り付いていた。
「大人になれば味覚も変わる」
「そうですね」
ガウラの言葉に頷く。それでも嫌いな者はいるが。
兄弟の話に答えながら食事。昨日と違い今日はレウィシアが早々に食事を終え、席を立つ。令嬢も立ち、後について。
「仲良くなったんですか」
「どこをどう見ればそう見える」
ガウラは呆れ、フィオナも頷いている。
「でも、あの方が王妃様なのでしょう。本人も言われていましたし、来られた方も」
「違います!」
フィオナは兄の言葉を否定。
「来られた方?」
セレーネはそこに引っかかる。
「シーミの兄妹だ」
「ああ、あの兄妹も何を考えているのでしょうね。王妃の横取りなら、あの方に変えたら、今度はあの方に言い寄るのでしょうか」
「セレーネ様」
呆れられた。
「好かれたから、という考えはないのですか」
「それはないかと。今までも告白されましたが、護衛として傍にいてほしかったようで」
「告白、されたんですか」
「ええ。どの方も魔獣や賊退治した後だったので、力目当てかと。ビタール王子にしても。ウンディーネを呼んだのはカイですが、カイに目を付けられるのは。まぁ、子供と馬鹿にしていると痛い目見ますね。サラマンダーには勝てませんし。最強はあの夫婦ですね。彼なんか男でもいいから、と男に告白されて、半殺しにしていましたよ」
あははは、と笑う。
ガウラには何をやっているんだ、と呆れられ、魔獣、賊退治と聞き、クートは目を輝かせていた。
食後のお茶も終わり、それぞれ部屋へ。
レウィシアのいる部屋でいいのかと、悩みながら向かうと、扉前には腕を組んだ令嬢。
「あら、何をしに。陛下にはわたくしがおります」
さっさと去れと。だが着替えは。
「陛下がそう言ったのですか」
「ええ、あなたは王妃として相応しくないと、陛下もようやく目を覚まされたようで」
今までなら、はい、そうですか、と引き下がって、荷物をまとめて出て行っていただろうが、以前のように早合点すれば。
部屋の中に声をかけようにも、令嬢は退きそうにない。
少し休んで周辺を探そう、と寝床探しを始めた。誰かに見つかれば、何を言われるか。こそこそ隠れながら。
四時間ほど寝て、外へ。ダイアンサスの邸は広い。裏手は竹林。隠れるなら竹林。すぐには足を踏み入れず、邸を一周。庭も見た。見つからず竹林へ。
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