第16話

「明日、出かける」

「そうですか。気をつけていってらっしゃい」

「どうしてそうなる。セレーネも一緒に行くんだ」

 夕食時、突然切り出された。

 カイが帰って五日。カイに合わせて生活していたが、それも戻り。暇というか寂しいというか。寂しいと言えばレウィシアがすねるか、それなら自分達の子供を、と言うだろうから、言わないようにしていた。

 親子が帰った翌日から「ご友人は次、いつ来られます」と貴族、臣下の男が続々と訪ねて来て、うんざり。いつ来られる、と言う者はまだいい。どこに住んでいる、と強い口調で迫ってくる者まで。

 令嬢二人の売り込みは激しくなり。ローズ姫とビタール王子はまだ滞在している。

「約束していただろう。案内すると。町ではなく、離れた所へ行こうと。本当は二人で行きたかったが」

 無理なのはわかっている。それなのにレウィシアはがっかり顔を隠しもせず。

「仕事も落ち着いている。数日城を離れても問題はない」

「戦に行くのではないんですか」

「だから、どうしてそうなる」

 セレーネとしては次の戦が始まるのかとばかり。今度は城で大人しくしていろと。セレーネを連れて行くのなら、あの三人プラス一人もついてくる。

「二人でゆっくりできなかっただろう。だから、そこで」

 つまり、忙しかったレウィシアの休息。

「準備していませんよ」

「ノラとフィオナがやってくれている」

 セレーネに内緒で進めていたらしい。ばれれば、広がれば。あの四人もついてくる。

 ビタール王子は相変わらず挨拶と言い、毎日会いに来ていた。そしてアルーラ、ガウラがどこからともなく現れ、引き離す。なんなのか。

「楽しみにしていてくれ」

 笑顔のレウィシア。どこかへ出かけられるのはいいが。下手なことは言わないでおこう、と「はい」と頷いた。


 上機嫌だったレウィシアは昼休憩のために立ち寄った町で一転不機嫌に。

 馬車を降りたセレーネ達の前には二人の令嬢と兄妹の姿。

「なぜ、ここにいる」

 レウィシアは不機嫌な低い声。

「なぜ、とは。わたくし達も誘ってくださったのでしょう」

 金髪の令嬢は小さく首を傾げている。

「馬車の中では王妃様と退屈でしたでしょう。この町で一番高級な店を探しています。それでも陛下のお口に合うか。行きましょう、陛下」

 大きな町ではない。レウィシアの右腕に両腕を絡めている。左腕にはもう一人が。

「行きたければ勝手に行け。どこで盗み聞いたか知らないが、俺はセレーネと来た。お前達など誘っていない」

 レウィシアは両腕に絡まった二人をはずそうとしているが、二人ともがっちり抱きついているのか、離れない。

 セレーネはすごい執念、と見ていた。

 セレーネ達の護衛は最低限。アルーラ親子、ガウラ親子、その他五人の兵。ユーフォルは城、というより家。城下にある家に帰れていないので、帰れ、とレウィシアに無理やり休みを命じられ。アルーラによると、娘が父親を陛下に取られた、と怒り、機嫌を損ねっぱなしだとか。

 ダイアンサス、ラーデイはレウィシアの休息が終わると領地に戻ることになっている。アルーラ、ガウラは城勤め。

「では、我々は我々で動きましょうか」

 ビタールがセレーネの傍へ。

「もちろん妹も一緒に、ですよ」

「陛下とご一緒では?」

 兄妹はまだレウィシアを諦めていないとばかり。血を外へ持ち出すのは無理でも、妃になれば。

「押してばかりでは嫌われるでしょう。それに将を射んと欲すればまず馬を射よ、と言いますから。失礼。変な意味ではないのです。妹も貴女と仲良くなりたいのですよ。ですが話す機会があまりなく」

「結構。セレーネには俺が」

 二人はレウィシアの腕にしがみついている状態。レウィシアはビタールを睨んでいる。

「一人で大丈夫ですよ。町を適当に歩いてきます。どのくらいで戻ってくればいいです?」

「セレーネ様」

 ダイアンサスの困った声。

「私としてはあの状態で一緒に歩くのは遠慮したいです」

 どう見ても離れそうにない。わからなくはないのだろう。ダイアンサスとラーデイの困り顔。

「一緒に食事をして気が済むのなら、いいのでは」

 おそらくこの先ずっとついて来て、この状態。気の毒なレウィシア。

 周囲はなんだ、なんだと好奇の視線。これ以上目立つのも。

「では適当に歩いて帰ってきます」

 どこも歩けなくなる。最悪昼抜き。

 目立つ服ではない。フード付きの服でよかった。フードをかぶり、歩き出す。

「セレーネ」

 レウィシアの弱々しい声。ここで負ければ、せっかく来たのに、何も見ず、食べられずに終わる。令嬢は離れる気配もない。ここで目立ち、さらに注目を浴びては。

 レウィシアより好奇心が勝った。聞こえないふりをして足を進めた。



 追いかけようにも腕についた重りが邪魔でうまく進めない。振りほどけばいいのに。簡単に振りほどけるのに。

 呼びかけても振り返らず歩いて行く。兄妹が後を追いかけ、アルーラ、ガウラ、フィオナがその後を追いかける。

「さあ、わたくし達も行きましょう、陛下。陛下をなんとも想っていない女など」

「なんとも想っていない、だと」

 低い声、鋭く見ると、女はびくりと震える。

「ほ、本当のことでしょう。お、男と見れば声をかけ回っているとか」

「あら、私はただ一人を想い続けていると聞きましたよ。心はその者に捧げているとか」

 銀髪の男が一瞬浮かんだ。首を左右に振り、打ち消す。

「なぜ、ここにいる」

 再び同じ問いを繰り返す。

「先ほども言いましたが、陛下が誘ってくださったのでしょう」

 笑みを作り、楽しそうに。

「誘っていない。誘ったのはセレーネだけ」

 二人で自由に過ごしたかった。

「あら、では王妃様が教えてくださったのかしら。なにせあの方は陛下をなんとも想っていないご様子」

 セレーネに知らせたのは昨日。教えられるわけがない。一体誰が。

「そうです。私達がこうしていても妬いた様子も見られません。私ならとても耐えられません。許せません」

「陛下のご機嫌が悪いのもあの女のせいでしょう。人質のくせに、陛下がお優しいのをよいことに大きな顔をして。第一なんです、あの格好。わたくしには真似できませんわ」

「そうです。陛下の評判を落とします。もっとしっかりした妃を迎えられては」

 しっかりした妃。セレーネのどこがしっかりしていない。自分より他人、弱い者を気にかけ、誰に対しても公平に接し、悪く言われてもレウィシアにすら相談してくれない。すべて自分で受け止めている。

 お忍びで目立つ服、いかにも貴族というこの二人の姿では目を惹いて、町を歩けたものではない。もし賊にでも目を付けられれば。

「さあ、陛下、わたくし達も行きましょう」

 腕を引かれる。強い力だがレウィシアは動かず。

「行きたければ勝手に行け。俺はお前達を誘った覚えはない」



「え~と、一人で大丈夫なので、それぞれ自由行動を」

「そんなわけにはいきません」

 アルーラの言葉に頷くガウラとフィオナ。兄妹、兄は笑顔、妹は無表情でついてくる。二人の格好はどう見ても貴族、金持ち。目を付けられ、いちゃもん、町を出て襲われるかもしれない。とにかく目立つ団体行動。

「では、王妃命令で」

「こんな時だけ命令しないでください。窮屈かもしれませんが我慢してください。セレーネ様は」

「一人で歩いていればばれませんよ。姫やあの二人のように着飾ってはいませんから」

 町を歩く一般人に混じっていてもわからない。二人は陛下、陛下と周りも気にせず。あの様子なら気づかれるのも時間の問題。

 勝手に用意された荷物を見れば、レウィシアが用意した服ばかり。急いでセレーネのよく着ている服も用意。入れ替えようとしたがフィオナにばれ、失敗に終わった。もらったマンドレイクには魔力を多く注いできた。

 昼食時のためあちこちからはよい匂いが。ふんふんと鼻を動かし、釣られるように店へ。店の中には入らず、店から店へはしご。食べ歩きなどしたことのない兄妹とはどこかではぐれた。飲食店が並んでいる場所は人も多い。店で食べる者もいれば、持ち帰る者も。後で合流、または馬車を停めている場所で待っているだろう。

「目的地はどこです」

 アルーラ達に尋ねると、

「内緒です。ついてからのお楽しみ、です」

「そうですか」

「というか、どこからあの四人に伝わったんだ」

 アルーラは頭の後ろで手を組む。ガウラは小さく肩をすくめていた。

「どこに耳が隠れていても驚きませんよ。予想はしていましたし」

「まさかセレーネ様が」

「行くと知ったのは昨日です。夜走り回って知らせないと無理でしょうね。どこへ行くかも知りませんでしたし」

 部屋から出ようとすれば、レウィシアに確実止められるか、どこへ行く、と問われる。

「冗談ですよ」

 フィオナはアルーラを睨んでいる。

「忙しかったシアを休ませたかったのでしょう。なんなら私がシアに化けて注意を引き、その間に本物はどこかに」

「それやると、ますます不機嫌になります」

「そうですか? 以前のようにちやほやされて喜んでいるんじゃ」

「いません。どこをどう見ればそう見えるんです」 

 話している間も屋台でまんじゅうを買って、口の中へ。

「アルーラ様」

 駆け寄ってくるのは一緒に来ていた兵の一人。

「どうした、陛下に何かあったのか。なにもかも嫌になって、一人で逃走でもしたか」

 フィオナ、ガウラから叩かれていた。

「いえ、それが一歩も動かれないので」

「動かれない? 降りた場所から?」

「はい。それで王妃様を探してこい、とダイアンサス様が」

「どこの子供です。そして私は母親ですか」

「そこはそれだけセレーネ様と一緒に歩きたかったと」

「このまま放っておくのも面白そうですね。この町の有力者が続々集まり、足止め」

「面白くありません。戻りますよ」

 え~、と不満の声を上げるも、アルーラに引っ張られ、フィオナ、ガウラに背を押され、レウィシアの元へ。


 馬車まで戻るがレウィシアの姿はない。令嬢二人の姿も。貴族が列、輪になってもいない。いるのはダイアンサスとラーデイ、兵。ダイアンサスはセレーネを見ると苦笑していた。

「陛下は?」

「我慢できず、どこかへ食事に行きました? それならそれでもう少し」

「いえ」とダイアンサスは馬車を指している。

 ん? と中を覗くと、腕を組み、目を閉じたレウィシアと二人が。

「とっとと先に進むぞ、的なものですか。先に行っていてもよかったですけど」

「わかっていて言っています?」

 ダイアンサスは馬車の中に声をかけ、セレーネが戻って来たことを伝えている。

「あらあら、陛下を置き去りにしてお戻りですか。いいご身分ですわね」

 中から高い声。

「陛下は何も食べず、ここにおられたのに。王妃ともあろう方が。いえ王妃失格ですね。ね、陛下」

 もう一人の猫なで声。

「扉閉めて進んでくれて、いいですよ」

「「セレーネ様!」」

 アルーラ、フィオナに声を揃えて怒られ、ダイアンサス親子、ラーデイには大きく息を吐かれた。

「楽しかったか」

 不機嫌極まりないレウィシアの声。馬車から降りてくる。二人も付き従うように。

「は」

「そんなことはないですよ。陛下も一緒ならよかった、と話していました」

 慌てて口を挟むアルーラ。

「何も食べられていないのなら、今から行かれては。今度は私がここにいますから」

 本はないが寝ていれば。

「いい」

 小さな声。セレーネは首を傾げた。二人は行きましょう、と両腕に張り付いている。

「口に合うかわかりませんが、これを。美味しいので買ってきました」

 戻る途中、ここだけは寄らせてください、と寄ったパン屋で買ったパン。

「そんなもの陛下の口に合わないでしょう。陛下、早く次の町へ行って、食事にしましょう。どこへまいります。わたくしの知っている店を。いえ、このままわたくしの父が治める地へ」

「いい加減にしろ」

 低い、低い声。不穏な空気に。やば、とアルーラも呟いている。セレーネも感じ、

「シア」

 紙袋からパンを一つ取り出し、レウィシアの口へ。

「お腹が空いていると機嫌悪くなりますよね。飲み物はないので、近くで買ってきます」

 レウィシアはセレーネが口の中へ放り込んだパンを手に持ち。

「一緒に行く」

「え、近くですけど」

「行く」

「行きましょ、行きましょ。好みもありますから」

 アルーラのわざとらしい口調。だが両腕には。

「離れろ」

「ですが、陛下」

「離れろと言っている。離れないのなら」

 持っていた食べかけのパンをセレーネに。

 力任せに振り払う気なのか。もし怪我でもさせたら。

 ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、二人は青ざめ、レウィシアの腕から手を離す。

「行こう」

 レウィシアはセレーネへと右手を出してくる。声も柔らかく。

 セレーネは持っていたパンをその手へ。確かあっちに飲み物を売っていた店があったような、と向きを変える。近くに他の店があっただろうか。そこで何か買っても、と一歩踏み出すと、右手を握られた。

 レウィシアも目立たないよう顔を隠している。

 鬱陶うっとうしいから、動きにくいから二人を離したのではないのか。それならセレーネと手を繋ぐのも。

「どこだ」

 少しむくれたような声。レウィシアの右手には食べかけのパン。

「あちらですけど」

 セレーネも片手はパンが入った袋を持っているので、目線で指し示す。

 レウィシアは無言で歩き出した。セレーネも歩かないと引きずられる。後ろをついてくるアルーラ達。令嬢二人はその場に立っていた。


 飲み物を買い、これ食べます、とパンの入った袋をレウィシアに渡そうとしたが、レウィシアは手ではなく、屈み、顔を近づけ、口を開けている。これはカイにもやっていた、食べさせろと。

「食べさせてくれないのか」

 とどめの一言。考えている間もレウィシアは動かない。雛鳥のように口を開けている。

 仕方なく袋から食べやすそうなパンを取り出し、レウィシアの口へ。その後は袋を押し付け。満足したのか、人目を気にしてか、レウィシアは自分で食べていた。

 国王が立ち食い。いいのだろうか。とセレーネは買った飲み物をちびちびと飲む。セレーネは食べ歩きなど慣れているが。パンは昼食抜きかもしれないレウィシア用に買った。いらないのならセレーネが馬車で食べようと。あれで満足したかどうか。レウィシアの機嫌は少し良くなったようにも見える。

 馬車に戻って座って飲み食いすれば、と町を見ながらぼんやりと考えていた。

「セレーネ」

「はい」

 突然声をかけられ、レウィシアへと視線を向けると、パンを口に押し付けてくる。レウィシアはにこにこと満足そう。先ほどのお返しか? これで満足するのなら。

 その馬車に戻れば、レウィシアの乗っていた馬車に二人の姿が。兄妹も待っていた。それを見た途端レウィシアは顔をしかめ。

「陛下、お待ちしておりました。こんな町早く出ましょう。どこへ行かれるのです。わたくしの父が治めている領地にいらしてくれるのなら、両親は驚くでしょうが大歓迎です」

「私は陛下の行く所ならどこでも」

 二人は馬車から降り、レウィシアの腕を引く。

 一緒に乗るのは遠慮したい。アルーラ、ガウラを見るも、目を合わせてくれない。

 騒いでいる間にフィオナの乗っている馬車へ。馬車は三台。レウィシア、セレーネが乗る馬車、荷物とフィオナを乗せている馬車、荷物だけを乗せている馬車。三台とも華美なものではない。周りをダイアンサス達が固め、貴人の護衛だと一目見ればわかる。

 セレーネくらいなら乗れるはず。乗れなければ御者台にでも。こうなる予想はついていたので馬を一頭連れてくれば、いや、乗ってくればよかった。

「セレーネ様?」

 追いかけてくるフィオナ。

「よろしいのですか」

 馬車に乗り込み、座る。フィオナも乗って来る。

「あれに乗る勇気は私にはありません。なんならこのまま二人でどこかに行きます? 御者を落っことして」

「陛下が探されますよ」

 呆れられた。

 馬車は進み、本日の宿へ。もちろん四人もついてきている。兄妹は馬車。しかし令嬢二人は馬車を帰しているので足がない。そういうところは頭が回る。

 レウィシアは令嬢と一緒かと思いきや、御車台にいたそうだ。そのためかはわからないがレウィシアは不機嫌顔に戻っていた。そしてそれをセレーネのせいにする二人。レウィシアはさらに不機嫌に、とループ。

 宿にしても、レウィシア達は予約していたが四人はしておらず、いい部屋を用意しろ、と宿の主に話していた。主に金髪の令嬢が。

「宿に迷惑をかけるな。別の宿か野宿でもするんだな。帰るための馬車なら今すぐ用意してやる」

 レウィシアは素っ気ない。

 兄妹は「別の宿をとります」とあっさり退散。「また明日」と付け足して。しかし二人は引かず。魂胆はレウィシアの部屋に、だろう。

「私が別の宿に移りましょうか」

 久々夜の町を歩くのも。

「それなら俺もそちらへ移ろう」

「や、シアが泊まるような宿では」

「そうそう、陛下。王妃様もこう言っておられます。わたくしが王妃様の代わりを」

「セレーネの代わりなどいない。図々しいにも程がある。勝手について来ておいて」

 冷たい声。飛びつこうとしていた令嬢はかわされ。

「わたくしにどこともしれない宿をとれと。何かあれば」

「あってもそれはお前の責任。忘れたか。お前が、お前達がどうなろうと」

「シア」

 それはさすがに、と見た。

「本当のこと。そしてそれをわかっている。忘れた、勘違いをしているのなら、帰れ。何度も言うがお前達を誘った覚えはない。宿に迷惑をかけるな」

 言うことは言ったのか、レウィシアはセレーネの肩を抱き、進む。

 ちらりと振り返れば、物凄い形相で睨まれていた。


 疲れた一日だった。はぁ~と大きく息を吐く。これが続くのかと思うと……。

 夕食は部屋でレウィシアと。案内されてからは部屋を出ずに過ごしていた。

 やることもなく話も。明日に備えてさっさと寝ましょうと、ぱっと風呂に入り、出て、布団へ。レウィシアが寝たのを確かめ、部屋から抜け出した。

 このまま町へ。と周りをきょろきょろ、注意深く確かめながら廊下を進んで行くと、

「どこへ行くんです。セレーネ様」

 裏口にはアルーラが。

「……見逃してもらえませんか」

 両手を合わせ、上目遣いに見る。

「それは後ろにいる人に言ってください」

「後ろ?」

 恐る恐る振り向くと、レウィシア。

 気づかなかった。がくり、と肩を落とす。間抜け、という声が頭の中に響く。

 うう、その通りです。

「どこへ行く。どこかへ行きたいのなら」

「いいです。大人しく寝ます」

 とぼとぼと来た廊下を引き返す。

「行くなとは言っていない。行きたいのなら」

「いいです」

 セレーネが行くとなるとレウィシアもついてくる。そうなるとお供もぞろぞろ。あの二人が聞きつければ。レウィシアの行くような場所ではない。

 なぜかあの令嬢二人の顔が浮かんだ。きっちりと化粧をし、髪や爪の手入れも。服だって。セレーネは、髪は伸ばしているが理由があり伸ばしている。その理由がなければばっさり切っていた。化粧もせず爪も整えていない。肌の手入れも。己の手の甲を見下ろした。あの二人はセレーネと違い貴族としてしっかりとした教えを受けている。セレーネも王族としての教えを受けたが。中途半端。セレーネより話も合うだろう。並んで立っても。自嘲的に小さく笑う。



 肩を落としてとぼとぼ歩くセレーネ。それほどどこかへ行きたかったのか。

 昼はゆっくり町を歩けなかった。昼食も。それはここに来てからも。時間があれば、あの二人、いや四人がいなければ。それでも夕食は二人で。静かな時間。それだけでもレウィシアは満足だった。

 一言言ってくれれば、誘ってくれれば止めはしなかった。だがセレーネは落胆した様子で部屋へ。

 レウィシアには言えない場所なのか。誰かと、ビタール王子と会おうとしていたのか。嫌な考えに。

 セレーネは左手の甲を見ている。何を考えているのか。

 部屋に戻ると「おやすみなさい」と布団に。そこからは動かなかった。



 揺れている。大きくはない。小さな揺れ。地震? うっすら目を開けると、

「起きたか」

 レウィシアの声と近い顔。なぜかレウィシアに抱えられている。宿の部屋、ではない。

「ゆっくり休ませたかったが、いつまでもついてこられては、な」

 つまり、あの四人より早く起き、早くに宿を出た。

 レウィシアの柔らかな笑み。

「早く着けば、今度はゆっくり町を歩ける」

 あの四人があっさり諦めるだろうか。賭けていいのなら追いかけ、追いついてくる、に賭けたい。

 対面の席に移ろうと体を動かすが、レウィシアは動かない。

「あの、もう起きましたから、席に移ります」

 言葉にしても離してくれない。

「シア、聞こえていますよね。移るので」

 抱えている腕に力が入る。

「え、ちょっと、くるし」

 耳元で離さない、と囁かれた。


「何かあったんですか」

 着替えて馬車を降り、ぐったりしているセレーネにアルーラが声をかけてきた。レウィシアはダイアンサス達と話している。

「なかったように見えます?」

「見えないから聞いたんですけど。陛下は元気ですし」

 馬車の中では離してくれず、抱えられたままだった。

「その元気もいつまでもつでしょうね」

「嫌なこと言わないでください」

「賭けます? 追いついてくる、に私は賭けます。勝ったら今度は見逃してください」

 アルーラは大きな溜息。

「どこへ行くつもりだったんです」

「……酒場のハシゴを」

「……陛下に言えないですね」

「私だってらししたいです。上品なものじゃなくて、たまには大衆のものを飲み食いしたい」

「気持ちはわからなくもありませんが」

「うう。ただ陛下の隣に立って、にこにこしているだけなら、私じゃなくても」

「それ以上は言わないでください。なにより陛下が落ち込むか、怒るか、すねてどこかに一人で籠もりますよ」

「一人で籠もるのが落ち着くかもしれませんね。誰にもわずらわされないので」

「実行しないでください。かなりお疲れのようですね」

「待たせたな。行こう。何を食べたい。魚でも肉でもあるそうだ」

 笑顔のレウィシア。

 大衆食堂、露店巡り、地元の知る人ぞ知る店。似合わないし、却下されるだろう。

 小さく息を吐いて、

「どこでもいいです」

「どこでもいい、とは」

 むっとして言い返された。セレーネの言い方が悪かった。

「すいません。シアのお勧めの店で」

「ここへ来るのは初めてだろう。何か食べたいものがあれば、それを」

「初めてなのでどこに何があり、何が美味しいのか知りません。肉と魚と言われても、焼き魚から刺身まで。肉は鶏、牛、豚、他にも。好きに動いていいのなら、そうします。出発の時間は」

「すまない。歩きながら見て、決めよう。セレーネの好きな店でいい」

 わかっていたが自由行動にはならなかった。

 レウィシアが差し出してきた手に手を重ねると、なぜかほっとした顔をされた。

 大衆食堂でそこらの人の話を聞きながら、は無理。離れてはいるが護衛はついている。レウィシアの所作は上品そのもの。大衆に交じり食べるなど。

 その土地に住む人の話を聞くのは好きだ。治めている者の人柄もわかるし、事件、不満、こういうものが美味しい、と情報を仕入れられる。今日も夜、抜け出すのは無理だろう。久々はめをはずしたい。大口開けて、人目を気にせず食べたい。

 ふわふわ漂ってくるいい香り。手を握られているのも忘れ、釣られるようにそちらへ。

 小さな店。三種類のパイが並べられている。店員の「いらっしゃいませ」と元気のいい声。

「どれにします。どれも美味しいですよ」

 笑顔の店員。じぃ、と並べられたパイを見るセレーネ。

「できたてもありますよ」

「それで」

 即答。

「ありがとうございます。二個ですか」

 なぜ二個、と首を傾げかけて、レウィシアの存在を思い出す。ぎこちなく振り返り、

「食べます?」

 笑顔を作り、尋ねた。

「ああ」

 感情の読めない返事。顔を隠しているので表情もよく見えない。

 失敗したか。案内してくれと言いながら勝手に釣られて。

 一つをレウィシアに渡し、店の近くで立って食べ、終わると「さぁ、行きましょう」と歩き始めた。


「ごめんなさい」

 高級そうな店に入り、席に着くと開口一番謝罪。

 あの後も釣られるようにあちこちの店に立ち寄り、世間話も。どこも美味しかった。セレーネが立ち寄った、釣られたのは庶民的な店。レウィシアが勧める、立ち止まるのは高級、上品そうな店。セレーネ一人では絶対入らない店。

「朝早くに出たから、時間は大丈夫だ。それより、あちこちで食べていたが」

「大丈夫です。食べられます」

 こういう店の量は少ない。

「そうか」と心配そうに見られた。

 美味しくないわけない。美味しいのだが、マナーが。セレーネも王族なので習ってはいるが。レウィシアは上品に食べている。ここにいるのがセレーネでなくあの令嬢なら、レウィシアももっと楽しかっただろうか。セレーネが立ち寄った店には寄らない。レウィシアの勧めるものなら喜んで受け取っただろう。宝石店で立ち止まりそうになり、さあさあ、進みましょう、とセレーネは見ないふり。

 城にいる時は気づかなかった、考えなかったことが浮き上がってくる。

 セレーネも城では行儀よく食べていた。人目のある所では。それでもレウィシア、令嬢達、ローズ姫に比べると。

「美味しくないか」

「え、いいえ、美味しいですよ」

 セレーネは鶏肉、レウィシアは魚料理。

「それならいいが」

 レウィシアの顔が曇る。

「美味しくないんですか」

 セレーネは小声。ここを選んだのはレウィシア。

「いや、そんなことは」

 楽しそうな、美味しそうな顔はしていない。

 周りの客も静か。話すにしても周りに迷惑のかからない小声。

 セレーネ達も話さず、黙々と食べていた。

 静かな食事が終わり、外へ。肩が凝った、と背伸び。

「戻るんですよね」

「ああ」

 元気のない返事。セレーネとの食事が楽しくなかったから。あの二人、もしくは兄妹、いや兄でなく妹なら。

 そのうち追いつきますよ、とは言わないでおこう。セレーネは先を歩き出した。



 レウィシアの勧めた店ではあまり楽しそうでなかった。小さな店では美味しそうに食べ、店員や客と楽しそうに話していた。それが。

 店の外へ出ると堅苦しかった、といわんばかりに背伸び。先を歩き出した。レウィシアを振り返りもせず。いつもなら振り返り、離れていれば、手を伸ばしてくる。それもなく。

 喜んで、楽しんでもらいたかった。ようやく二人でいられると。一緒にいるのに、一人でいるような。

「陛下」とアルーラに小さく声をかけられ、背を押されようやく動き出した。セレーネは先を歩いている。一人で。



 馬車に戻ると、

「陛下」

 見慣れた四人。二人はセレーネの後ろを歩いていたレウィシアに一直線。

「酷いですわ、置いていくなんて。王妃様の我が儘ですか。わたくしを誰だと思っているのでしょう」

 セレーネは小さく笑い、賭けは勝ちですね、とアルーラを見た。アルーラは顔をしかめている。アルーラだけではない。フィオナ、ガウラも。ダイアンサス、ラーデイは呆れ顔。

「ですが、こうして追いつけてよかったですわ。昼食は済まされました。あの人質に付き合い、陛下の口に合わないものを食べさせたのでは」

 間違ってはいないかもしれない。セレーネは美味しかったがレウィシアの口に合ったか。

「無礼な口をきくな。王妃だ。お前こそ身をわきまえろ。何様のつもりだ」

 二人は言葉に詰まり、揃ってセレーネを振り返り、睨む。

 セレーネは再び小さく笑い、

「お詫びに一緒に馬車に乗られては。陛下も私では退屈で話も合わないようなので」

「あら、そうなのですか」

「それならそうと早く言ってくれれば」

 ころりと態度を変える。

「セレーネ?」

 レウィシアは怪訝な表情。

 フィオナの乗る馬車へと進み、乗り込んだ。

「昨日も聞きましたが、よろしいのですか」

「何が、です」

「無礼なのはあの方達でしょう」

「ああいうのを相手にしたくありません。言い返せば倍になって返ってきます」

「う、それは、そうかも、しれませんね」

「それにシアが私といて退屈、楽しそうでないのは事実。あの方達とは話が合うでしょう」

 高貴な身分同士。食の好みも。

「そう、でしょうか」

 フィオナは戸惑った様子。


 馬車に揺られ、本日の宿へ。

「明後日には着きますが」

 ダイアンサスは離れた場所にいるレウィシアを見ていた。レウィシアの両腕には笑顔の二人。今回は大人しく馬車の中だったようだ。

「さて、どうしましょう」

 セレーネは首を傾げた。

「招いたのは陛下と王妃様だけです。あの二人、そして」

 ちらりと見たのは兄妹。

「あの二人が王妃で、私とフィオナは付き人」

「セレーネ様!」

 フィオナに叱られた。

「それなら別行動。もしくは別の場所、宿でも。私は野宿でも大丈夫ですよ。あ、フィオナの家族のいる町にでも。二人で」

 そちらが楽しそう。妃として広く顔は知られていない。心配なら別人でも猫でも姿を変え。

「女性に対する固定観念が変われば」

「無理です」「無理だ」

 アルーラ、ガウラの声が揃う。

「あれではさらに酷くなる」

「そうですよ。女性嫌いに拍車がかかります」

「それなら私は女として見られていないと」

「そんなこと言っていません」

「なかなか根性、度胸のある二人だと思うんですけど。並んでもお似合い。話も趣味も私より合いそうですし」

「あんな王妃はごめんだ」

「ガウラに同じ」

「荒療治」

「……」

「というか、お二人はここにいていいんですか」

 レウィシアの護衛は。ラーデイは疲れた顔でこちらを見ている。

「大変そうですね」

 セレーネは笑顔でねぎらうようにレウィシアの傍にいるラーデイに手を振った。

「もし、用なしになれば、どうします」

 割って入ってきたのはビタール。

「陛下がセレーネ様を手放すと」

 アルーラはビタールを睨む。

「ないとは言えないでしょう。もし、自由の身になれば、どうします」

 帰る場所は決まっている。

「我が国、シーミへ来ませんか」

「我が国の王妃に何を言ってくれているのです」

 アルーラ、ガウラはセレーネをかばう位置に。

「陛下には別の女性がいるではありませんか。昨日も貴女が帰ってくるまで、楽しく話していたかもしれない。それは今日の馬車の中でも。貴女の知らない場所で女性と会っているかもしれない。今も貴女を置いて」

 爽やかな笑み。

「おれは、おれ達は陛下がどれだけセレーネ様を想っているか知っています」

「貴方達が知らないだけかもしれませんよ。それとも貴方達は陛下のすべてを知っていると」

 言葉に詰まるアルーラ。

「すぐにとは言いません。考えておいてください。我が国へ。私の伴侶として」

「……なるほど。情報を流していたのはナイアス、ですか。あれは水の精霊。ウンディーネほどではないにしても水のある場所なら」

 間抜け、という声が再び蘇る。厄介ごととはこのことか。それとも別の。ビタールは笑顔。

 それにしても竜が睨みをきかせている地で、ウンディーネほど力もないのによく逃げずに情報収集したものだ。

「私は貴女を裏切りません。もちろん縛り付ける、利用することも。何をしようと貴女の自由。ここの陛下とは違います」

「まるでうちの陛下がセレーネ様を裏切り、利用しているように聞こえますが」

「違うのですか。私からはそう見えますよ。貴方達は陛下に近いから、仕える者だから、そう言うのでは。仕える方を悪くは言わないでしょう。心の中でどう思おうと」

 アルーラ、ガウラ、フィオナはビタールを睨み、ビタールは笑顔。傍にいる姫は相変わらず無表情。

「何をしている」

 両腕に二人をくっつけたレウィシア。

「陛下を待たせるなど、失礼では」

「本当に。何か勘違いされているのでは」

「両手に花、ですね」

 レウィシアはビタールを睨む。

「セレーネ様、私はあのようなことはしません。貴女一人だけ」

「何の話だ」

 ビタールは爽やかな笑顔でレウィシアを見る。

「セレーネ様に私の唯一人の伴侶になってくださいと申しているのです」

「言っていることがわかっているのか。セレーネは」

「そのような姿で言われても」

 レウィシアはぐっと詰まる。

「離せと言っているが離れない。誰が好き好んで」

「満更ではないから振りほどけないのでしょう。ああ、それなら我が国から女性を紹介しましょう。私としては妹を選んでくれればよかったのですが、陛下は」

 そのような女性が、と馬鹿にした目。だがすぐにその色を消す。

「陛下のお気に召す女性が見つかるまで」

「いい加減にしてもらおう」

 唸り声に近い。ダイアンサス達はレウィシアをすぐ止められる位置に。

「しょ、食事に行きましょう。シーミには行きませんが、どんな国か話が聞きたいです。姫から」

 セレーネもやばい、と感じ、ローズ姫の腕に飛びつく。なぜレウィシアはあんなに怒っているのか。

「食事、ですか」

 うんうん、と頷く。

「私もここへ来るのは初めてなんです。町を見ながら話して、どこかで食事でも」

「それならここでもいいだろう」

 相変わらず低い声のレウィシア。

「あら、よろしいのでは。陛下にはわたくしがいます。ずっと。馬車の中でも楽しく過ごしていましたのよ」

 レウィシアの腕に頬ずり、大きな胸を押し付けるように。片方の令嬢もしがみつくように。

「そう言われています。我々は」

 レウィシアが動く。二人を腕につけながら、セレーネへと伸ばされたビタールの右手首をとった。

「俺の妻に気安く触れるな」

 ビタールは笑顔から顔をしかめている。

「陛下」

 ダイアンサスのなだめるような声。

「お前もお前で気安いことを言うな。立場がわかっているのか」

 怒りのにじんだ口調。セレーネを睨んでいる。

 小さな笑い声。

「王妃失格なのでは。それとも男なら誰でもよろしいのかしら。そういう噂もあったくらいですものね」

「陛下がお優しいのをいいことに。陛下のお怒りを買うのも自業自得」

「お前達もいつまでそうしている」

 矛先は二人に。

「いつまでも、ですわ。わたくしはあの人質のように陛下を裏切りません。ずっと陛下の傍に。陛下だけを愛し続けます」

 どこかで聞いた言葉。

「っ」

 ビタールの苦痛の声。

「わ、わかりました。ここで皆仲良く食事にしましょう」

 ビタールの右手首を摑んでいるレウィシアの手に触れる。このままではまずい。二人は気づいていないが、ダイアンサス達は気づいている。フィオナは顔を青く。ビタールでさえも。

「落ち着いてください。お願いします」

 セレーネはレウィシアを見上げた。目を逸らさず、じっと見る。

 レウィシアは長く息を吐き出し、手を離した。

「離せ」

「いやですわ。先ほども言いましたが」

 令嬢は首を左右に振っている。レウィシアは舌打ちし、一人の首へと手を。

「宝物庫が狙いか。お前の親は宝石商から金で貴族の位を買ったようなもの。いや、貴族を貶め、手に入れた、と言うべきか。だが残念だったな。宝物庫の、金目のものは叔父が持っていった。宝物庫にお前の狙っているものなど」

 金髪の令嬢を腕につけたまま、首へと触れる。

「ひっ」

 腕から、手から逃れ、あっという顔。

「へ、陛下、私は」

「大丈夫ですか」

 セレーネはビタールに小声で尋ねた。

「ええ、見苦しい姿を見せて。ですが助けていただき、ありがとうございます。少しは私のことを気にかけてくださっていると思ってよろしいですよね」

 ナイアスに情報収集させておいて図々しい。

「行くぞ」

「ひゃっ」

 後ろからいきなり引っ張られ、体勢を崩し、床へ。

「大丈夫ですか」

 ビタールが手を伸ばそうとするが、その前にレウィシアに持ち上げられる。いつの間にか腕には何もついていない。

「ちょ、シア」

 肩に担がれ、荷物のように運ばれる。

「立場をわかっているのか。それともあの四人を斬らなければ、わからないか」

 冷たい声。大股で進み。

「軽々しく誘いに乗るな。それとも男なら誰でもいいのか」

「陛下、鍵、部屋の鍵」

 アルーラが駆け寄ってくる。

「部屋は二階ですよ」

 無言で速度を落とさず鍵を受け取っている。

 助けを求めるようにアルーラを見るも、アルーラは目を合わさない。

 小さくなるアルーラの姿。大股で進むレウィシア。

 説教なのか。夕ご飯食べられるといいなぁ。外出たい、と現実逃避。

 部屋についたのか、乱暴に鍵を開け、中へ。

「わかっていないのなら、わからせるまで」

「へ?」

 怒りのにじんだレウィシアに対し、セレーネは間抜けな声。


 馬車の中は静か。レウィシアの機嫌は直らず、三人がついてきている。一人は脱落。目当ては城の宝物庫だったらしい。いつの間にかいなくなっていた、と。レウィシアの脅しも効いたのかもしれない。

 寝不足もいいところ。セレーネは本日の目的地まで寝ることにして、目を閉じていた。

 昨夜は夕食を食べられず、朝食の席では甲高い声が響く。レウィシアがうるさい、と言うと静かに。

 昼休憩。残った令嬢は相変わらずレウィシアの腕にくっつき、セレーネを馬鹿にした目で見ている。そのレウィシアの後ろをうつむいて歩いていた。ガウラ、アルーラ、フィオナはビタールを近づかせないよう、セレーネをがっちりガード。

 勘弁してほしい。

 昼食は、よく味がわからなかった。令嬢はさすが陛下の選んだ店、とかしましく。昼食が終わると馬車へ。令嬢は何食わぬ顔、さも当然とレウィシアの馬車に乗ろうと。後ろを歩いていたセレーネの足は自然とフィオナの乗っていた馬車に。

「どこへ行く」

 不機嫌なレウィシアの声。

「え、あちらの馬車へ」

 一人減ったとはいえ、一緒は遠慮したい。

「こっちだろう」

 強く引かれ、乗せられたのは先に令嬢が乗り込み待っていた馬車。

 なぜかレウィシアの膝の上に。令嬢は笑顔だが圧が。怖い。ヴェールを目深にかぶり、目を閉じ、耳を塞いでいた。

 ヴィリロでも嫌味は聞いていた。慣れていると思っていたが今回のは。ヴィリロでは身分もある。抑えていたのだろう。これ以上言ってはいけないと。しかし、ここは。

 疲れた。動いていないのに一番疲れた一日だった。宿の広い居間に座り込み、ぐったり。レウィシアはダイアンサスと話があるらしく部屋にいない。尤もらしい理由、言い訳であの令嬢に会っているのかもしれない。それはいいが。

 抜け出してストレス解消、しようにも扉の外にはアルーラ。窓周辺には兵が見張りに。三階なのに。こんな日が続くのは耐えられない。逃げても本当に斬りはしないだろう。

 令嬢達の言う通り、レウィシアは優しい。優しいから振りほどけなかったのだ。

 明日には目的地に着く。そこに着いてから考えよう。夕食もとらず、ふらふら布団へ向かった。

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