第12話

 こちらを見た顔はほっとしていた。まるで巻き込まずに済んでよかったかのように。なぜそんな顔をするのか。

 光がセレーネ達を包み、消えた。

「セレーネ」

 場は、しんと静まっている。

「セレーネ! どこだ!」

 レウィシアの声が響く。

「セレーネ!」

 部屋を見回すも、先ほどと同じ、その姿は見えない。

「陛下」

 ユーフォル、ダイアンサス、訪れていたアルーラの父までが近づいてくる。

「すぐに周辺を探させます」

 ガウラ、アルーラはもう部屋の外へ走っている。

「それなら」

 レウィシアも動こうと。

「さすが陛下。身代わりを置くとは」

 笑顔で何事もなかったように近づいてくる貴族達。

「大切とはいえ人質。どこかに閉じ込めておくのが正解ですな。誰が傷つけようとするか」

 貴族達は頷き、お前が傷つける気だっただろう、と睨み合っている。

「何を、言っている」

「続けましょう。幸い怪我人はおりません。陛下と話したい令嬢は大勢おります」

 言葉が信じられず男を見た。男だけではない。令嬢達も笑顔で群がってくる。一部は何が起こった、大丈夫なのか、と交わす者も。

「状況がわかっているのか」

「は? ええ。護衛が陛下を護られて、消えただけ。陛下にも我々にも何事もなく。あの護衛も陛下を護れ、本望でしょう」

 わかっていない。

「それなら、問おう。お前が消えて、誰かがこのまま続けろと言って、お前は平気なのか。お前でなく、娘、息子でも同様だ。それとも邪魔者が減ったとほくそ笑むか」

「へ、陛下?」

「セレーネは俺をかばってくれた。お前は、お前達は同じことができるのか」

「もちろんです」

 できもしないのに胸を張って答えている。それは令嬢達も。逃げて安全な場所から見ていただけ。言葉だけ。危なくなればレウィシアを見捨てて、真っ先に逃げる。

「それほどまでに妃の座が欲しいのか」

 ぼそりと呟く。妃の父ともなれば、さらに権力が増す。

「は?」

 彼ら彼女らに自分はどう映っているのか。

「いいだろう」

「何が、です」

「そこまで言うのなら、好きにしろ。城にいたければ空いた客室を使えばいい」

「陛下」

 歓喜と批判の声。

「言った通り、俺は三年、いやセレーネ以外娶るつもりはない。お前達が勝手にいるだけ。ああ、護衛もそちらから出せ、勝手にいるのだから。自らを飾る服も装飾も、部屋の掃除、食事の用意もすべて自分達でしろ。一切国の金は使わせない。出さない。もちろん治めている地の税を上げることも許さない。上げ続けたせいでどうなったか知っているだろう。それとも、それすらも知らずにいたと。それでよく」

 治められたものだ。そして妃になろうと。冷めた目で周りを見る。

 税を上げ続けたせいで各地では反乱がおこった。叔父は武力で抑えこみ。一時は治まっても。レウィシアが治めるようになってからは元に戻したが叔父の治める地では上げ続け、逃げてくる者も。働き手がいなくては納めるものもないため、逃げられないように兵や魔獣を配置したり、結界を張ったり。

「王妃を傷つければ家の取り潰しだけで済むと思うな。そして一筆書いてもらう」

 顔色を変え始めた貴族、令嬢達。ゆっくりと離れていく者も。

「俺をかばえると言ったな。なら何があっても責任は一切取らない。もちろん金も出さない。そう書いたものを作ろう。それに署名してもらう」

「何があっても、とは」

「先ほどのことが見えていなかったのか。見て、お前達は言っただろう。俺をかばえる、と。そうして命を落としても文句は一切言わない、金を要求しない、というものだ。俺の傍にいるということは、常に危険と隣り合わせ。それは城でも」

 どこから侵入したか調べているだろう。

「それでもいたいと言うのなら、いればいい」

 酷薄に笑う。途端、固まり、怯える令嬢達。

「部屋の掃除や食事まで、とは。それでは使用人では」

「働くのなら給料は出す。使用人として」

 甘やかされ、何不自由なく育てられた令嬢には無理だ。食器一つ、服一枚洗えない。

「ああ、もし俺が志半ばで倒れ、俺の子を宿していると言ってもそれは俺の子ではない。ここではっきり言っておこう。王妃であるセレーネがそう言えば、俺も認める。倒れてからでは認めることもできないからな。しかし、それ以外の者は覚えがない。その子は俺の子ではない。そんな者が現れても相手にするな!」

 嘘を真にしようとレウィシアを亡き者にしてもおかしくない。そうして王の座に就こうと。

 言いたいことを言え、少しすっきり。一歩踏み出すと、周囲の者が道を空けるように引く。さらに一歩。進み続け部屋を出た。


 部屋を出て、暗い廊下を進む。どこへ行けばいいのかわからないのに。

「か、陛下、レウィシア陛下」

 声に足を止め、振り返ると、黒髪の少年が駆け寄ってきていた。背後には従者か、一人の男が。

「お久しぶりです、レウィシア陛下。ご挨拶が遅くなって、申し訳ありません」

 深々と頭を下げる。上げた顔を見ても覚えが。

「バディドです。お忘れですか」

 小さく笑う少年。「あ」と間抜けな声がもれる。

 来ていると話していた。楽しそうに。

「すまない」

 レウィシアは勢いよく頭を下げる。

「俺が不甲斐ないばかりに、セレーネは」

「頭を上げてください、陛下。陛下が悪いのでは」

「いや、警備をもっとしっかりしておけば」

 あんなことには。

「姉上は大丈夫ですよ。ヴィリロでもいつの間にかいなくなり、ふらっと帰って来ていましたから。それにあそこで陛下が消え、姉上が残されていてはもっと酷いことを言われていたでしょう」

 否定できず、言葉に詰まる。セレーネに味方する者もいるが、最たる味方であるレウィシアが傍にいなければ。

「そう悲観しなくてもいいんじゃないか」

 さらに現れたのはセドナ。

「どういうことだ」

 無責任なことを言うな、とセドナを睨む。

「オレらは助かった。王妃様のおかげでね。しっかしどこにいたんだ。全く見つけられなかったんだが」

「だからといって!」

「落ち着け。だからといって王妃様が傷ついていいとはオレも思っていない。知らない奴らは幸せ。知ってる奴はサラマンダーが現れた時点で逃げてる。ま、大半は知らないから逃げちゃいないが」

「サラマンダー」

「お、知っているか」

 セドナはバディドに人差し指を向ける。やめろとレウィシアはセドナの手を叩いた。

「姉上から聞いた覚えがあります。炎のサラマンダー、水のウンディーネ、風のシルフ、土のノーム。精霊の頂点、大きな力を持っていると」

 セドナもそんなことを。

「会ったことは」

「ありません。ですが他の精霊は」

「あるのか」

 バディドに詰め寄るセドナの後ろ襟を摑んで引き離す。

「え、ええ。姉上が魔法を覚え始めて一年くらい、でしょうか。城、というより姉上を訪ねて来ていたので」

「精霊が訪ねて」

 セドナは繰り返して。

「もしかして、ここでも何かご迷惑を」

 ご迷惑。ヴィリロでは何かしたのか。

「いや、ここには。一度、今日をいれれば二度だが、今日はセレーネを訪ねて来たのではない」

 一度目はセレーネに手紙を。しかし今日は。

「あの女がどうやってサラマンダーを連れて来たか知らないが、サラマンダーを使ってここを攻撃しようとしていた。違うか」

 セドナの言葉にレウィシアは顔をしかめた。あの女がただ来るだけでないのは容易にわかる。

「王妃様が止めなければ城は今頃炎に包まれていた。城だけで済めばいいが。他国の王族もいるっていうのに。……力を見せつけたかったのか。逆らっても無駄だと」

 セドナは顎に手を当て、ぶつぶつ呟いている。

 セレーネは床に座り込み、炎と共に現れたトカゲと何か話していた。

「あれは、本当にサラマンダーなのか」

 セレーネはそう呼んでいた。だがレウィシアにはわからない。

「さあな。だがあのトカゲは王妃様を攻撃しなかった。王妃様がぐりぐりしようが抱えられて大人しくしていた。説得したからじゃないのか」

 セドナは小さく肩をすくめている。

「敵さん側はなんらかの力ある精霊と考え、どうやってか引っ張り出してきた。失敗したが。その精霊は王妃様と一緒。運が良ければ力を貸してくれているだろう」

「悪ければ」

「言わなくてもわかるだろ」

 精霊が敵にまわらないだけいいほうか。

「派手に炎が上がればそこにいるってことだ」

 ばんばん背中を叩いてくる。

「待つしか、ないのか」

 そうするしかないのか。肩を落とす。

「お前に何かあれば王妃様はなんのためにお前をかばった」

 かばってほしくはなかった。護りたかった。それが無理なら一緒にいられれば。傍で支え合えていれば。


「んん?」

 眠い目をこする。木々の間から見える空は明るい。寝ているのは地面。

『起きたか』

 顔の下あたりから声。見ると、トカゲ、サラマンダーをがっちり抱きしめている。

 レウィシアをかばい、別の場所へ移動させられ、そこで待ち伏せしていた者達に向かってこられ、魔法でぶっとばして。サラマンダーは大人しくセレーネに張り付いていた。好戦的で気性が激しいので加わるかと思いきや、何もせず。あらたか倒し、一休みして戻ろうと、そのまま眠ってしまったようだ。

 サラマンダーを離し、ゆっくり起き上がり、きょろきょろ。

『ここ、どこ』

『オレさまが知っていると』

 聞く相手を間違えた。明るくなっても見えるのは、木、木、木。

 戻らないと心配している。まさかレウィシア自身が動きはしないだろうが、探している。だが、ここがどこだか。城から離れているのか、いないのか。残党がいれば。近くに町か村は。とりあえず動こう、と立ち上がった。

 いつもより目線が低いような。木が大きすぎるのか。地面もいつもより近いような。

「……」

 自らを見下ろす。裾を引き摺るほどのドレス。色は白だが昨夜の戦闘でぼろぼろ。汚れてもいる。こんな長いドレスではなかった。恐る恐る手を見ると、小さい。左薬指の指輪はぶかぶかでよくはずれずに済んだと思えるほど。

『ねえ、サラマンダー』

『なんだ』

『私、小さくなってない?』

『なってるな。髪の色も変わっている』

 あっさり肯定。髪の色。頭に触れると、長い髪は肩ほどの長さ。一房とってみると赤みがかった髪の色。

「……」

 鳥の囀り、風が吹き、木の葉が触れ合い音をたてている。

 大きく息を吐いた。


 バディドやセドナと話を終えると、玉座の間には戻らず、私室へ。二人も部屋に戻っていった。

 一睡もできず、部屋の中をうろうろ、窓の外を見ていた。以前セレーネが使っていた、持ち主の元へ戻る、という魔法を思い出し、魔法師長の元へ走るも。

「それは王妃様が独自で考えられた魔法かと。私、いえ、我々には」

 無理だとわかり、部屋へと帰った。途中誰かと会い、何か言っていたが覚えていない。

 ガウラ、アルーラは兵を率いて探している。何も報告がないということはまだ見つかっていない。

 朝食を軽く済ませ、私室を見回し、誰もいないのを確かめ、バディドの部屋へ。もしかしたら、と訪ねるも、来ていない、と申し訳なさそうに対応。レウィシアが来たことでレウィシアの元にも戻ってきていない、とバディドも気づくだろう。

「ふぎゃ」

 部屋の中から高い声。扉近くで立ち話をしていたレウィシアとバディドは声のした方を見た。控えていた従者は注意深く声のした方へ。

「あ、クロッカ。ということは上手く移動できましたね」

「……セレーネ様?」

 従者の驚いたような声。バディドと顔を見合わせ、距離もないのに駆け寄る。

「あ、シア、陛下には黙っていてください」

「手遅れです」

「セレーネ!」「姉上!」

 どういうことだと従者の視線を追うと、そこにいたのは、赤みがかった髪の少女。

「セレーネ、なのか」

「……違います。出るところを間違えました」

 少女が着ているのは大きさの合っていないドレス。あちこち汚れ、破れ、焦げている。セレーネが着ていたのも白のドレス。そして胸元にはレウィシアの贈ったペンダントと指輪。

『――――』

 唸り声。少女もそれに気づき、立ち上がる。

『――――』

 何を言っているかわからないが、トカゲが尾で床を叩いている。それに答える少女。

「セレーネ、なんだな」

 床に膝をつき、目線を合わせた。

「違うと言っても無駄だ。これは俺が贈ったもの」

 花の形をしたペンダントに触れる。

「はぁ、まさかここにいるとは。ヴィリロまで移動すればよかったのかもしれませんね」

「どういう意味だ。何があった。その姿は、いやそれより怪我は」

 ぐぅぅぅ。大きな音が少女、セレーネの腹から。

「お腹すきましたぁ」

 力のない声。

「……食事の用意をさせる。きちんと説明してもらうからな」

 レウィシアは立ち上がり、バディドと頷き合って、食事の用意と戻ってきたことを伝えるため部屋を出た。



 丈の合っていない、あちこち汚れたドレスで歩くよりは、と瞬間移動の魔法を使い、バディドのいる客室へ。同じような部屋があるので上手くいくか心配だったが、移動は成功。しかしレウィシアまでいたとは。根掘り葉掘り聞かれると思い、避けたのに。

 サラマンダーはセレーネに下敷きにされ、ご機嫌斜め。

「どうしてこうなったか聞きたそうな顔をしていますね」

「陛下が戻ってきてから、でしょう。何度も同じ説明するのも疲れますから」

 わかっている。

「陛下はとても心配されていましたよ。パーティーも姉上が消えてからは会場を出て行きました。おそらく戻っていないでしょう。今日も」

 ここに戻っていないか来ていた。勘がいいのか。

 大きな怪我はない。あってもすり傷と小さな切り傷。

「着替え、はないですね。サイズが合いませんから。もったいないですけど、これを切りましょう」

 臣下のクロッカはハサミを持ってくる。

「急いで町で服を見繕ってきます。お二人とも」

「私は下手に動けません。この体に慣れていませんし、服が」

 急に縮んだ。それに慣れないことには。

「姉上を見張っています。ここで何かあればグラナティスと問題になります。したくはないでしょうから何事もないと思いますよ。もし何かあっても姉上もいます。そして昨夜からの陛下の様子では」

 何かしたら処罰確実。

 クロッカは「では」と部屋を出た。セレーネは洗面所へ。裾をひきずりながら歩いた。

 もったいないが袖、裾をセレーネの今の背丈に合わせる。合う靴がないので足を洗い、大きなスリッパを履く。鏡を見ると、そこには幼いセレーネが。髪の色も懐かしい色。はぁぁ、と大きな息を吐きながら洗面所を出た。

 出てから見たのは、

「食事なら頼んできた」

「大男」

 心の声がぽろり。

「あ~、いえいえ。子供目線だとさらに大きいですね」

 迫力がある。ソファーへとぺたぺた、ぽんと座るとサラマンダーは膝に。レウィシアはセレーネの隣。バディドはテーブルを挟んだ対面に座る。

「その姿は」

 口を開いたのはレウィシア。

「ぼろぼろなのは連れて行かれた先で」

「待ち伏せられていた。俺一人をどこかに運び、始末するつもりだった」

 正解だろう。

「私もよくわからないんですよ。気づくとこの姿になっていて」

「気づくと?」

「あらかた片付けて、疲れたので一休み。起きればこの姿に」

 セレーネは腕を組んで考える。お腹はぐぅぐぅ、きゅうきゅう、空いたと鳴りっぱなし。

「方向転換、でしょうか」

「方向転換?」

「もしくは、あそこにいたのはシアではなくワイバーン対策。とはいえ、どこにいたかはまったくですけど」

「ワイバーン対策から聞こう」

「もし、ワイバーンが暴れ放題暴れれば」

「兵は出すが。なるほど、手に負えず困っているタイミングで叔父側が乗り込んできたら、混乱に乗じて城を乗っ取る、もしくはワイバーンを追い払い、手柄をもっていく。こちらも何もしないわけではない。多少弱っているだろう。それを倒せば」

「倒すのはまずいです」

「なぜ」

「倒せばこの地は誰も住めません」

「どういう」

 こんこんと扉が叩かれる。「誰だ」レウィシアの大きな声。

「お食事をお持ちしました」

「入れ」

 食事、とセレーネは目を輝かせる。扉が開かれ、台車を押して入って来る男。

「何をしている」

 レウィシアの低い声。立ち上がり、台車を押している男へ近づく。

「何って、食事を届けに。お前朝食済ませただろ。それなのに食事を持ってこい。昼食には早い。聞きつけ、ぴんときた」

「そうか、すまなかったな。他国の者に使用人のようなことをさせて。用が済んだのなら出て行け」

 男を追い出そうとしている。

 セレーネもソファーから下り、台車の傍へ。押して、乗せているものをテーブルに並べていく。

「帰ってきたんだろ、王妃様。兵を引き揚げるよう話しているのが聞こえてきた。会わせてくれてもいいだろ。昨日は全く話せなかったし」

 揉めているレウィシアを置いて、バディドにもお茶を淹れ、レウィシアと男のカップも用意して。「いただきます」とサンドイッチに齧りついた。

「止めなくていいのですか」

「楽しそうにじゃれあっているのに、なぜ止めるのです」

「はぁ、姉上にはそう見えるのですね」

 言いつつもバディドも止めず、お茶の入ったカップに手を伸ばす。

 とうとうレウィシアを振り切ったのか、男は「王妃様」と弾んだ声でソファーに近づいてくる。いるのはバディドとどう見てもバディドより年下のセレーネ。

「言い合っている隙に隠したのか」

 男はレウィシアを見た。

『美味いのか』

 膝にいるサラマンダーが顔を上げてくる。

『おいしいよ。でもサラマンダーの口に合うか』

 試し、とサンドイッチを一つ、サラマンダーの口に。

 ぱく、ごっくん。首を傾げている。添えている野菜、ジャムのついたクラッカーも与えるが、どれも口に合わないらしい。

『ノームはお酒大好きだよね』

『あれのどこが美味いのか』

 最後に果物各種を口へ。何か気に入ったのか、皿へと手と首を伸ばす。テーブルに乗せるのも。なら皿を膝に乗せて、と考えていると、視線。

「サラマンダー」

 焦げ茶髪の男がじっとサラマンダーとセレーネを交互に見ている。

「いやいや、まさか」とぶつぶつ。

「出て行け」

 レウィシアは男の後ろ襟を摑み追い出そうとしている。

「待て待て待て。お前のその態度。まさかまさかの、この子が王妃様か」

「出て行け」

 再び騒ぎ出した。


「はぁ~、それにしても、どうしてそうなったんだ」

 焦げ茶髪の男、セドナはバディドの隣に、ちゃっかり居座っている。レウィシアは渋い顔。サラマンダーは満足したのか、セレーネの膝で寝ている。

「無視していい。どこまで話した」

 いいのか、とバディドも同じ考えだったのだろう。なんともいえない顔。

「どこまででした?」

「ワイバーンを倒してはまずい、というところです」

 バディドの言葉に頷いているレウィシア。

「倒せば誰も住めません。理由はその地に倒された精霊の負の感情が染み付くからです」

「負の感情?」

「苦しみ、憎しみ、悲しみ、そういったものがその地に染み付き、生き物が住めなくなる。植物も育たなくなるからです」

「セドナも似たようなことを言っていたな」

 レウィシアはセドナを見た。

「どうにかできないのか」

 真剣な表情のセドナ。

「無理ですよ。人の手には負えません。感情が消えるまでは」

「消えれば植物が育ち、生き物も住める、と」

「はい。ですが力の小さい精霊でも数十年。大きくなればなるほど年数はかかります」

「そいつだったら」

 セドナが指したのはセレーネの膝ですぴすぴと寝ているサラマンダー。

「サラマンダーほどとなると、千年は軽く超えるでしょうか。ですがサラマンダーを倒せる人などそうそういません。倒そうとすれば返り討ち、ですね」

「戦ったことがあるのか」

 セドナはにやりと笑っている。

「ありますよ。ウンディーネと彼に助けてもらわなければ今頃砂の下。運良く助かっていても、シアより酷い、ミイラになっていたでしょう」

「……」

「初耳です」

 バディドは呆れているような、怒っているような口調。

「言えば心配するでしょう」

「当たり前です!」

「他の精霊は、水のウンディーネ、土のノーム、風のシルフは」

 セドナはソファーから身を乗り出してくる。

「ありますよ。ウンディーネ、ノームはサラマンダーほど気性が激しくありません。シルフは気まぐれですから、こうして無事です。一番扱いが難しいのが」

 セレーネの視線は膝へ。

「昨夜止められず暴れるようなら、ノームかウンディーネを呼ばなければならなかったでしょう。ですがそうならずに済んで」

「呼べるのか」

「あの二体なら答えてくれると思います。ただ、そうなった場合、城がどうなっていたか」

 精霊の頂点が争うのだ。被害は大きい。

「それに代償を払わなければなりません」

「代償を払う?」

 繰り返したのはレウィシアだがセドナも理解していない顔。

「精霊と契約して使役できるのは」

「知っている」

 頷いたのはセドナ。

「契約していれば力を貸してくれます。しかし契約もしておらず、呼び出し、頼むと代償を要求してきます」

「どんな代償だ」

 レウィシアの硬い声。

「魔法使いなら魔力。魔力とは限らないですけど、声とか目、他にも色々。その人の持っているものを要求してきます。サラマンダーも後払いで魔力をもらう約束をしていたそうです。頼みを聞いて払わなければ命まで持っていかれます。あの女性はレウィシアに味方している町をサラマンダーの力を借りる代償としていたのでしょう。もしくは逃げ回り、サラマンダーの気が済んだところで戻る」

「……」

「もし、セレーネが呼んで、答えていれば、何か代償を払わなければならなかったのか」

「はい」

 ノームならお酒で済むだろう。ウンディーネも魔力で。

「そんなふうには見えないが」

 セドナは顎を撫でながらサラマンダーを見ている。

「見かけに騙されると痛い目見ますよ」

「それだけ知っているなら契約できるんじゃないのか」

 口調は軽いが目は笑っていない。

「簡単にはできませんよ。精霊の出す試験にクリアして、精霊に認められなければ。上位になればなるほど難易度は上がります。それに契約したからといってなんでも言うことは聞いてくれませんし、契約主に愛想を尽かせば、契約主を襲い、契約解除しようとします。私の場合は知り合いが詳しく教えてくれたので」

「契約主を襲うと言っていたが、解除はどうやってするんだ、平和的か」

「契約主の命が尽きた時が契約解除です」

「さっき言っていた彼、という男が教えてくれたのか」

 レウィシアの声はなぜか低く。

「そうですね」

 彼こそ魔力もあり精霊とも仲が良い。それなのに契約していない。ヴェルテは力の小さな精霊を顎で使っているし。

「そいつにオレらの言葉はわかるのか」

「わかりますよ。若い精霊は人と同じ言葉を使います。古い精霊は性格により様々です」

 頑固、優しい、気まぐれ。人に興味を持つ精霊も。

「それで、その姿は」

 話が脱線してしまったが、レウィシア、バディドの一番聞きたいこと。

「う~ん、たぶん、なんですけど、シアをあそこに一人連れて行っていれば総攻撃して、始末しようとしたでしょう。私は記憶奪って、シアを刺せ、とでもしたかったのではないかと。シアも私なら油断するでしょう。魔法の知識が欲しかったのかもしれませんけど。シア達をだけを忘れる、という都合のいい魔法もあるにはありますけど、使えるかどうか」

「それとその姿とどう関係が」

「記憶を消すにしても改ざんするにも、私がぴんぴんしていれば大人しくしていません。弱らせて、と考えたのでしょう。しかし私が上だった。向かってくる敵をちぎっては投げ」

「そこはどうでもいい」

 レウィシアに左頬を軽くつままれた。

「なかなか弱らなかった。このままでは全滅と考え、無理に記憶に関する魔法を使ったのでしょう。そして魔法がこんがらがり」

「そうなった」

「と、しか」

 説明のしようがない。もしかしたら子供時代まで体も記憶も戻し、その時覚えた魔法を聞き出したかったか。この頃はまだ魔力があると知らなかったので魔法の知識など。

「用意周到ですね。ワイバーンが失敗したらサラマンダー。サラマンダーが失敗したらシアを狙い、それも失敗したら」

 次から次へと。用意周到より臨機応変。

「もっと自分を大事にしろ。俺よりセレーネに何かあれば」

「その言葉、そっくりそのまま返しますよ」

 レウィシアの悲しげに歪んだ顔を冷静に見上げる。

「この国の王はシアです。シアの代わりはいません。しかし妃は代わりがいます。酷いことを言っていますが、本当でしょう。違いますか」

 レウィシアの顔を見ればどれだけ想われているかわかる。もし、この国を治めているのがセレーネなら、誰も代わりがいないのなら、誰を犠牲にしても生き残らなければならない。

「セレーネの言うことが正しいのは、わかっている。だが、感情は」

 情けない顔で見下ろしてくる。

「まぁ、こうして無事だったからいいじゃないか」

 セドナの明るい声。場を暗くしないよう考えてくれているのだろう。

「戻れるのか」

「そこなんですよね」

 セレーネは腕を組む。

「おそらく偶然こうなったのでしょう。それならいつか解ける、と思いますけど、それがいつなのか。もしくは解けず、ここからやり直し」

「それは困る。なんとかならないのか」

「私は困りませんけど。今のところはなんとも。今の姿ですと、十歳、くらいでしょうか。若返りましたね」

「楽しそうに言うな! 戻れ、今すぐ戻れ!」

「無茶言わないでください」

 戻れと言って戻れるなら苦労しない。

「これからどうするのです」

 バディドの落ち着いた声。

「どうしましょう。この姿でここにいるのも。ヴィリロに戻りましょうか」

「戻ればなんとかなるのか」

「なんとも。解くか、解けるのを待つか」

「それならここにいても」

「今はまだ記憶がありますが、もしこの年まで記憶が戻れば大騒ぎしますよ」

 一つ、一つと失われていくかもしれない。

「ずっとこのままではないと思いますが」

 それはそれで、どう魔法が作用したか。いつ戻るかはっきりわからない。グラナティスにいても、今まで通りの生活は。周りに迷惑かけるし、隠し通せるものではない。

「静養、里帰り、言い訳はいくらでも作れます」

「オレの国へ来てくれてもかまわないが」

「どちらです」

「却下だ。行かせられない」

「リーフト」

「リーフト、ですか。その手前まで行ったことはあるのですが」

 ヴィリロ、グラナティスから離れている馬でも六~八日はかかる。

「来てたのか。知り合っていれば案内したのに」

「人の話を聞け、行かせられない」

「それならヴィリロですね。おじい様の呆れた顔が浮かびます」

 いい顔はしないだろう。

「バディドはまだここの城下町を歩いていないのですよね」

「え、あ、はい」

「それなら明日、歩きましょう。帰る日にくっついて行きます」

「姉上、勝手に決めていいのですか。レウィシア陛下に迷惑を」

「この姿でうろうろしていたほうが迷惑かけますよ。私をよく思っていない貴族、臣下にはよい醜聞。あることないこと言われます。それなら色々あり、疲れが溜まって、どこかで静養、というのがいいでしょう」

「その間にこいつが別の女と付き合ったら」

「合わない。勝手なことを言うな」

 昨夜を見る限り、隙ありと寄ってくるだろう。それはそれで選択肢が増える。レウィシアのいいところをわかってくれる女性が増えるのは良いこと。

「ヴィリロに、行くのか」

 しゅん、とした顔のレウィシア。

「そうですね。とはいえ、おじい様も長々と置いてくれないでしょう。いれて十日。過ぎれば、さて、どうしましょう」

「なぜ、長々と置いてくれない。セレーネが帰ってきたのなら」

「おじい様にとって私はグラナティスの人間。孫ではありますけど、深く関わるのは」

 バディドもわかっていない顔。

「おじい様はこちらに兵を派遣しないでしょう。もしシアが負ければ、私を人質にとられていた。それでも兵を出さなかった。孫も失った、と言い訳できます。シアが勝っても私がいるからといって口を出す人ではありません。今まで通り、国を治めるだけです。余程になれば少しは派遣してくれるでしょうが、おそらく五十人ほどでしょう。多くは出しません。その代わり口も出さない。静観し続けるだけです」

「賢いやり方だな」

 セドナは同意。

「そういうことで長々とはいられません。ヴィリロかグラナティスのどこかで過ごすしかないでしょう」

「オレの国へ来てくれ。知識に度胸、それに」

 サラマンダーを見ている。狙いはこれか。

「却下だ」

「最悪そうしましょうか」

「セレーネ!」



 大きな溜息を吐いてバディドの使っている客室を出た。セドナも追い出して。セレーネはバディドと一緒にいると言い、部屋に残っている。

 レウィシアの私室に戻しても。使用人は驚く。他の者も。いちいち説明するのも。そして信じるかどうか。

 セドナに大人しくしていろと釘を刺すと「どれほどあの王妃様のこと好きなんだよ」とにやにやした顔で返された。

 執務室に向かうと、中にはアルーラとユーフォルの姿。

「セレーネ様は」

「自力で戻ってきた。今は、休んでいる」

 レウィシアは執務机の椅子に。

「無事、なんですね」

 アルーラの硬い声。

「ああ」

 元気に人の話も聞かない。

「よかったです」

 ほっと息を吐いている。

「どういうことだ」

「城から離れた場所でいかにも争った跡があったのですが、誰も見つからず。いえ、見つかったんですけど、そいつら誰かを探していたので」

「セレーネ、か」

「もしくは別の誰か、仲間とか。名前も言いませんでしたし、争った跡はあるんですが、誰も倒れていなくて。おれ達は隠れて話を聞いていたので。そいつらの後について、探している誰か、セレーネ様だった場合は取り戻そうと、別の誰かなら囲んで捕らえようとしたのですが」

 捕らえられなかった。セレーネを探していたのならその者達はオリヴィニの手の者。

「ご苦労だったな。休んでくれ」

 一晩中探してくれていた。

「国内の貴族令嬢三人と他国の姫二人が留まりたいと」

 ユーフォルの言葉に苦笑。昨夜あれだけ言い、目の前で見たのに。

「それと王妃様とゆっくり話せなかったので、是非話したいと、貴族、他国の王族が申しておりますが」

 舌打ちしたいが耐えた。

「五人には命の保障はしない。国の金は使わせない。使用人も一切つけない、いくつかの決まりを文章にして回す。署名してもらえ。できなければ帰せ。セレーネは色々あり、疲れている。却下だ。見世物ではない」

 出られる状態ではない。ユーフォルもレウィシアとは違う意味でわかっている。それでも言ってきた。一人や二人ではない。それにしても耳が早い。いつセレーネが戻ってきたとわかったのか。

 書類仕事は昨日に合わせあらかた終わらせている。それでも机の上には紙が増えていた。

 セレーネはバディドのいる客室で過ごすだろう。それはかまわない。レウィシアの私室に勝手に入ってこないだろうが待ち構えていたら。

 いくつかの仕事を片付け、夕食はバディドの客室で。私室に戻ると、扉前に年配の貴族とレウィシアと年の近い令嬢が。男は「王妃様のお見舞いに」令嬢は「陛下とお茶でも。ああ、もちろん王妃様も。飲めれば、ですけど」とどこか馬鹿にした笑みを浮かべて。

「俺もセレーネも疲れている。当分は控えてもらおう」

 扉を開け、中へ。両者はなおも何か言っていた。男はなんとか部屋の中を覗こうと。扉を閉めた。

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