第9話

 一晩中話し、気が済んだのか「眠くなったから、帰るわね~」と窓から出て行ったヴェルテ。

 どこまでも自由。その自由がうらやましい。もし、セレーネが王族でなかったら。らちが明かない考えに頭を振る。

 朝食はそのまま食堂で済ませた。

 結婚祝い、と以前レウィシアに飲ませた万能薬一本とマンドレイクの鉢植えをもらった。

 どういうことだと詰め寄れば、以前セレーネが採ってきたものを植え、育てている。うまく育っているから分けてあげる。でもこれ一つね。結婚祝いも。次、結婚してもなにもなしよ~、と笑っていた。

 嬉しいのは嬉しいので鉢植えはありがたくもらっておく。セレーネの魔力を少しずつそそげば育つのではないかと。ある意味、実験、試している。

 鉢には小さな芽。ぱっと見なんの芽かわからない。温室でセレーネの、とでかでか書いて触らせないようにして育ててみよう。いつ追い出されるかわからないので鉢のまま。大きく育ったらどうしよう。

 レウィシアも食事を済ませ、仕事をしているだろう。とりあえず薬を渡して、ひと眠り。と執務室に向かった。いなければユーフォルかアルーラに渡せばいい。ダイアンサス親子は建国祭までいるそうだ。終われば帰る。

 執務室の扉を叩く、が返事はない。いないのか。勝手に入るのも、置いていって持っていかれる、処分されても、と考えていると。

「あれ、セレーネ様」

 アルーラ。

「ちょうどよかったです。これを陛下に渡してください」

「これは?」

「まずい万能薬です」

 アルーラは「あれですか」と笑っている。

「陛下は謁見中です。終われば直接渡せば。昼食時にでも。最近一緒に食べていないでしょう。昨日も今日こそは、と仕事頑張っていましたよ」

「昼食時、ですか」

 寝過ごしそう。それに。

「アルーラ様から渡してください」

「え~と、噂を気にされているのなら」

「噂? 私に関する噂なら気にしませんよ。言うだけで鬱憤ばらしができるなら、いいじゃないですか」

 実力行使されるよりは。

「よくありません。陛下に言って」

「忙しいのにこれ以上迷惑はかけられません」

「いや、迷惑とは」

「これ、お願いしますね」

 アルーラの手に薬の瓶を握らせた。

「頼られて悪い気のする陛下ではありませんよ。陛下から贈り物あったでしょう。どうでした」

 ネックレスのことか。これもどうにかしないと。目を輝かせているアルーラに曖昧に笑う。

「あれ、気に入りませんでした? それなら取り替えて」

「いいえ、とっても気に入りました」

「セレーネ様」

 ついて来ていたフィオナの眠そうな声。何度も部屋に戻るよう言ったのだが、一晩中セレーネに付き合って。余計なことを言われる前に。

「それでは」

 とりあえずレウィシアの私室へ。フィオナは部屋に入ったのを見届けると戻っていった。

 セレーネは贈られたネックレスを布で何重にも巻き、まとめた荷物の奥へ。さすがにこれは部屋においていけない。ランタナも見ている。身に付けなければ大丈夫だろう。

 これを付けて建国祭に出ろと言われたら……人が寄ってこなくていいかも。それに隣に立っているのは。

 クローゼットから持てるだけの荷物を持ち、部屋を出た。


 荷物を物置の奥へ。鉢植えを持ち、温室へ。管理人に専用の置き場所まで作ってもらった。

 幸運にも天気はよく、庭の一角でひと眠り。昼過ぎまで眠ってしまった。



 扉を叩く音に返事。

「失礼します」

 入って来たのはアルーラ。

「これを渡してくれ、とセレーネ様が」

 机の上に置かれた小瓶。

「これは」

「まずい万能薬だそうです。ご自分で渡されては、と言ったんですけど」

 アルーラに頼んだ。

「そうか」

 ちらりと見て書類へと目を戻した。

「昨日陛下が選んで贈ったもの、気に入ってもらったようで。よかったですね」

 小さく鼻で笑った。気に入っているはずがない。贈っても嬉しそうな顔は。当たり前だ。あんなもの。知らなかったとはいえ。

 疎まれている、邪魔に思われていると考えているのだろう。ならなぜ薬を渡すのか。

 レウィシアに倒れられては困るから。倒れるなら叔父と共倒れ。そうすればヴィリロに戻れ、グラナティス内の争いに巻き込まれない。すべてはヴィリロのため。

「陛下?」

 書類に集中した。やらなければならないことは山積み。



 昼過ぎに食事の用意されている部屋に駆け込む。料理はテーブルの上。ノラは新しく用意しましょうか、と言ってくれたが、断り、用意されているものを食べた。

「陛下は先に済まされました」言われなくとも見ればわかる。遅くなってすいません。とセレーネはノラと他の使用人に頭を下げた。

 遅い昼食を済ませ、さて、これからどうしよう、と廊下の隅を歩いていた。厄介なのに見つかりたくない。ランタナが正妃になるのならセレーネは暇。外へ出ても。……逃げたと思われれば。ヴィリロへの挙兵はないだろう。それでも長く出るなら誰かに一言。

 他にやれること。う~ん、と腕を組み、足は城の出口へ。出口付近で思いついたのはあのネックレス。石を探してセレーネも全く別物を作るか。そういえばレウィシアに贈ったのは簡易。本格的に作るのなら。……城下町へ買い物に行こう。


 建国祭が近づいているため町はにぎやか。各地からの商人。いつもは見ない商品が並んでいる。人も多く。多くなると、店同士、店と客、客同士の喧嘩からスリまで。セレーネも用心しながら見て歩いた。

 レウィシアには悪いが土産はなし。証拠隠滅ではないが食べて腹の中へ。

 目的のものもいくつか買えた。満足して大荷物を下げ、城へと戻る。

 こっそり作った抜け穴から城へと入り、こっそり進む。人気がないのを確かめ、

『ノーム』

 地面に魔力を込めた声で呼びかけた。大荷物を下ろし、待つこと十分。

『呼んだか~』

 土の中からどっこらせ、と出てくる小人。立派な白ひげ、土色の瞳、土色の帽子をかぶっている。

 土の精霊の頂点、ノーム。

『魔法を込められる鉱石、金属くれ』

『呼び出した第一声がそれか』

 呆れて見上げられた。

『お礼なら』

 大荷物をノームの前にどん。中身を見せる。お酒の入った大きな瓶五本。

『おお~』

 ノームは目を輝かせ瓶に飛びつく。

『くれる?』

『やるやる。今は持ってないから、礼に見合ったものを送ってやる』

 商談成立。

 ノームは早速瓶を開けようとしている。

 精霊は飲み食いせずとも自然に含まれている魔力を取り込んでいる。人の飲食物は嗜好品。人には理解できないものを好む精霊もいる。

『棲み処で飲め。酔っぱらってどこか変な場所に出て、、捕まっても知らないよ』

『そうなる前にぶっとばす。わしは土の精霊ノーム』

 偉そうに胸を張っている。本気になれば大国の一つ二つ簡単に。

『飲みすぎて忘れないでよ。鉱石の件』

『うんうん、わかっておる』

 上機嫌で二本目に移った。

 ちなみに今、セレーネは精霊の言葉で話している。とはいえ千年以上生きた精霊しか使っていないとか。魔法も精霊の言葉が元になっているとか。話せる人間は数えるほど。セレーネは二人しか知らない。あの子が大きくなれば三人。その頃にはどうなっているだろう。


 忘れるな、と何度も念を押し、ノームが帰ったのを見届け、腰を上げた。

 夕食の時間に間に合うようにしなければ。それとも遅く行くか。ランタナが一緒なら邪魔するのも悪い。レウィシアの私室にあるセレーネの私物は物置にすべて移した。魔法書が多かっただけであとは少ない。

 寝る場所は。城の客室は貴族で埋まっている、ランタナと交代、使用人の部屋を借りるか。いっそのこと魔法使いとして働くか。実力はレウィシアも魔法師長も知っている。

 今は夕食の用意されている部屋へ。邪魔そうなら食堂へ行けばいい。


「陛下! お願いします。どうか話を。陛下!」

 大きく響く声。行く先、夕食の用意されている部屋。

 何事とセレーネは早足。

「陛下は忙しい、謁見なら順番を守って」

「待っていられん状況なのだ。これ以上悪くなれば我が領地は」

 必死な声。

「それで食事中を狙って。見てわからないか、陛下は王妃様と夕食中だ」

 ということはランタナがいて、レウィシアもいる。

「それとも陛下の叔父上に攻めてこられましたか。貴方はどちらにもつかずにいたでしょう」

「くっ。その通り。攻められてはいないが、死活問題なのだ。頼む」

 男に向かって頭を下げる。

 死活問題?

「本日の謁見は終わった。明日も予定がある。いつになるかわからないが申し込んでおくんだな」

 偉そうな口調。男は男を止めている。

「あの」

 背後から声をかける。振り返ったのは五十代半ばほどの男。灰色と白のまじった髪。角張った顔。体格もよく武人といっても。

 止めていたのは昨日ランタナの背後にいた男。セレーネを見て顔を歪めている。

「すいません。死活問題だと聞こえて」

「あなたは」

 男は怪訝な目でセレーネを見ている。

「私でよければお話伺いましょうか。対処できるかは別として」

「話せ」

 レウィシアの低い声。

「「は?」」

 男二人の声が揃う。

「話せと言っている。それとももう用がないのか」

「い、いえ」

 男はセレーネからレウィシアへ向きを変えた。

「わたしの治める地は雨が三ヶ月降り続いているのです」

「さんかげつ」

 セレーネは小声で繰り返す。

「最初は雨が長く降り続いているだけだと気にしておりませんでした。しかし一ヶ月経とうが二ヶ月経とうが、とうとう三ヶ月」

「……少しでも止むことはないのですか」

 口を挟んだ。

「ありません。降り続いています。一ヶ月半経った頃、陛下の叔父上に相談に行きました。領地的には近いので」

 男は苦笑。

「魔法使いを派遣されたのですが、いつか止むだろうとしか言われず。雨ばかりだと作物は育ちません。物資を送ってくださいと言っても、戦中でそんな余裕はないと。今まで静観しておいて、叔父上を頼っておいて都合がよいのはわかっております。しかし、もう陛下を頼るほかは」

 男は俯き、両手を強く握っている。

「雨が降り続いている。馬鹿馬鹿しい。陛下を誘き出す罠ですよ」

「魔法の痕跡は」

 再び口を挟む。

「仕えている魔法使いや派遣されて来た魔法使いが調べたのですが、見つからず」

「三ヶ月前、魔獣を倒しました?」

「は?」

「答えてください。重要なことです」

 男は怪訝な表情をしながらも。

「何体か倒していると思います。すべて把握していないので」

 もし魔獣と間違え、精霊を倒していたら。

「行ってみないとわかりませんね。領地はどこです」

「あの、あなたは」

「ま、魔法使いです。城に仕える魔法使いです。騒がしかったのでつい。首をつっこんで」

「魔法使い、ですか」

「はい」

 大きく頷く。

 二人の男に遮られ、レウィシアとランタナの顔は見えない。

「原因の予想はつきます」

「本当ですか」

 男はセレーネに詰め寄ってくる。

「え、ええ。問題は生きているかどうかですね」

「生きている?」

「その前に」

 セレーネはまっすぐに男を見て力強く言った。

「解決したら陛下につくと」

「それはもちろんです。領地を、民を救ってくれるのなら」

「それ、陛下に向かってはっきり言ってください。幸い証人はいます」

 ランタナ、ユーフォルもいる。一応、どこかの貴族の男も。

「解決、我が領地を救ってくださるのなら、陛下に忠誠を。子々孫々仕えます」

 男は陛下の方を向き、膝を折る。

 立ち上がるとセレーネを向き。

「なんとかできるのですか」

「生きていれば。そうでない場合は」

「場合は、どうなるのです」

「移住するしかないでしょう」

「いじゅう」

 愕然と繰り返す。

「それで領地は」

「ここから北、馬で二日かかる場所です。近隣からは雨の止まぬ地と言われていますよ。その近隣も雨の範囲が広がるのでは、と。最近では住民が争うことも」

 色々な意味で死活問題。雨の止まぬ地。どこかで聞いたような。

「わかりました。私は今からでも行けます。あ、準備に十分ください。それとも明日の朝がいいですか」

 もう暗い。馬は走れるが。

「いえ、来ていただけるのならすぐにでも」

「セレーネ様!」

 声を上げたのはユーフォル。

「様?」

 男は首を傾げている。

「準備してきます。宿を訪ねればいいですか」

 余計なことを言われないよう早口。

「いえ、城門でお待ちしております」

「では準備してきますので」

「また後で」と男はその場から去って行く。

「セレーネ様。何をお考えで。それにあなたは魔法使いでは」

 ユーフォルが近づいてくる。

「でも、解決すれば味方になってくれますよ。おそらくわかる魔法使いでないと。最悪、雨は降り続き、止みません」

「馬鹿馬鹿しい。雨が止まぬなど。何度も言いますが陛下の気を引いて」

「陛下が行くのではありませんから、いいのでは」

 男はそれもそうかと頷いている。

「だからといってあなたが行くのですか。あなたは」

「魔法使いとしか言っていません。一介の魔法使いを人質にしてどうするんです」

「セレーネ様に何かあれば」

「人質になっても見捨てればいいだけです。彼らが人質にしたのは一介の魔法使い。ランタナ様のような方ではありません」

 セレーネがいなくなろうとも代わりはいる。しかし、とユーフォルは納得していない。レウィシアとセレーネを交互に見ている。

「私が行っても解決するとは限りません。解決しなかった場合を考えておいてください」

「他の魔法使いでは」

「う~ん、わかるでしょうか。信じていなければ自然現象と、しか」

「本人が行きたいと言っているんです。行かせてさしあげれば。ねぇ、陛下」

 気持ちの悪い猫なで声。

「好きにしろ」

 低く冷たい声。再会したばかりの頃と同じ。疲れているのか。セレーネが余計な口を挟んだからか。だが解決すれば。それに男が嘘をついているとは。

「では、行ってきます」

 頭を下げる。

「誰か供を」

「大丈夫です」

 はっきり断る。

「ですが」

「そんなに心配しなくても逃げませんよ。戻ってきます。皆忙しいのに私のために手は割けません。それより解決しなければすぐに手紙を送りますので、移住先をよろしくお願いします」

 ユーフォルはレウィシアを見るがレウィシアは何も言わない。セレーネは一礼して部屋に背を向けた。

 荷物をまとめるために物置へ。途中、左薬指にはめているものを思い出す。返しに行くのも。執務室、私室に置きに行くのも。邪魔になるでもなし、戻ってきたら返せばいい。レウィシアの指には別の指輪がはまっているだろう。



 夢と現実の区別がつかない。はっきりしているのはどちらも一人。暗いか明るいかだけ。暗い玉座に一人。明るい玉座に、臣下に囲まれているが一人。数日前までは隣で微笑んでくれる、手を握ってくれる者がいた。今はいない。一人。

 重要な謁見もあればくだらない謁見も。謁見と書類仕事をこなすだけ。

「王妃を一人でフェガ・ペトラの治める地へ行かせたのか」

 不機嫌な顔と声のガウラが執務室に。

「本人が行くと言ったから好きにさせた。供はいらないとも」

「それでもだ。わかっているのか」

「何を、だ。解決できたらフェガも満足するだろう」

 盛大な舌打ち音。ダイアンサスがたしなめている。

「至急調べましたが、フェガ殿の言う通りです。三ヶ月雨が降り続いていると。近隣の貴族は範囲が広がるのではと戦々恐々としており、フェガ殿が治めている地の住民に来るな、と言う者まで」

「そんな地へ王妃一人行かせたのか」

「本当に行ったかどうか」

 鼻で笑う。逃げる口実なのかもしれない。解決などせず、フェガの目を盗んでヴィリロへ。好きな男、隣国の王子と会っているかもしれない。

「どういうことだ」

「言葉通りだ。ユーフォル、ダイアンサスと協力して移住先を」

 ばん! 強く叩かれた机。

「何があった」

「何も」

「何もないのにそんなに機嫌が悪いのか。一部の臣下は少し前の陛下に戻った、と話していた。原因として考えられるのは王妃だけ」

 いつも通り接しているつもりだった。ガウラではないが小さく舌打ち。

「何があった」

「何も」

 繰り返す。

「ランタナ・クレオメ。あの女に鞍替えするのか。噂とばかり思っていたが」

 馬鹿にした言い方。

 ランタナ。彼女には悪いことをした。噂のせいで。

「噂のせいでやきもちを焼かれ、夫婦喧嘩、ですか。まぁ、そんなこともありますよ」

 ダイアンサスは苦笑。

「それともフィユカス・コイズか。あの男とばかりいてかまってもらえないから、とうとうお前の堪忍袋の緒が切れて、喧嘩でもしたか」

「フェガの治める地の件は移住先を探して終わりだ。叔父上も味方は一人でも欲しかったはず。それでもできなかった」

 何が原因か。叔父が仕組んでいれば頼られた時点でその仕組みを解いている。仕事は一つだけではない。時間をかけられない。

「何を言われた」

「なんのことだ」

「ランタナを娶らなければ王妃を害するとでも言われたか。それとも王妃から何か言われたか」

「何度も言うが何もない。仕事に戻れ」

 ガウラを見ずに答える。

「こちらも何度も言ってやる。何もなくはないだろう。何かあったからおかしい。それとも自分で気づいていないのか」

 気づいている。その原因も。しかし話しても。

 再びガウラをたしなめるダイアンサス。

「何があったか知らないが、この件もお前のために向かった。お前を想って」

 レウィシアは小さく笑う。

「何がおかしい」

「なんとも想ってていない」

「は?」

「セレーネは俺など、なんとも想っていない。俺のためでない」

「ならなぜ向かった。今までを思い返してみろ。なんとも想っていないのなら、なぜお前を助ける。三年前も、今も」

 三年前、別れる際にくれたのは。そして三、四ヶ月前は。

「ちっ、機嫌が悪いのはそのせいか。なんとも想われていない。それがどうした。どれだけの王族、貴族が計算、打算、妥協で結婚した。そんな中、お前は惚れた女と結婚できた。それだけで十分じゃないのか。それとも貴族どもの薦めるなんとも想っていない、怯えた女と結婚したほうがよかったのか。それに比べ今の王妃はお前に怯えず、嫌悪もしていない。お前の力にもなってくれている。それの何が不満だ」

 何も言わないのが不満で不安だった。そしてそれ以上に笑ってくれるから、レウィシアと同じ気持ちなのだと。

「お前はお前だけを好きでいてくれるのなら何をしてもいいというのか。財産を食い潰されても、何もせずお前の隣でにこにこ笑って、言うことを聞くだけ。国が、お前が困っていようと何もしない女が。お前はどうだ。なんとも思わなくとも叔父と上手くやれるのなら、と一度は叔父の薦める女と結婚を考えただろう。それとも、その女が好きだったか」

 珍しく饒舌なガウラ

「言ったはずだ、逃げられるなと。あの女以外誰がお前の隣に立てる。もし、あの女に好きな男がいればお前と結婚する前にその男と結婚しているか逃げている。それくらいの性格はしている。嫌ならはっきり嫌だと言う。それくらいはお前も知っているだろう」

「陛下、おれが言ったこと覚えています」

 黙っていたアルーラの静かな声。

「あなた達はどこかで行き違ったんですよ。話していないから。セレーネ様が戻られたら、きちんと話されては」

「戻ってこなければ」

 空虚な声。

「戻って来る」

 ガウラの断言。

「賭けてもいい。王妃は戻ってくる。お前は戻ってこないにでも賭けろ。本当に戻ってこなければお前が正しかった。なんでも言うことを聞いてやる。しかし俺が勝てば、俺の言うことを一つ聞いてもらう。王妃を誰かに追いかけさせない」

「おい」とアルーラは慌てている。

「……いいだろう」

 レウィシアは頷いた。

「もし、あの女に好きな男がいたとして国のために諦めたというのなら、お前がそれ以上に幸せにしてやればいいだけの話だろう。それともそんなこともできないと。お前の想いはそんなちっぽけなものだったのか」

 蔑むようなガウラの目。握っていた書類の潰れる音が響いた。



 男はフェガ・ペトラと名乗った。

 フェガの案内で夜通し馬を走らせ、町で小休憩。今回も町を見回る余裕などなく。寝食して馬を走らせること二日。前方には黒い雲。今は昼。最も明るい時間帯なのに厚い雲のせいで暗い。

 途中からは結果が気になったフェガの息子と合流。うろんな目で見られたものだ。セレーネ、フェガ親子、護衛二人で進んでいた。

 雨の境目はきっちり。雨具を着て、雨の中へ。

「へくちっ」

 入った途端くしゃみ。城でセレーネの話でもしているのか。

 雨を右手で受け、空を見上げる。

「これは」

「これは?」

 繰り返すフェガ。

「自然の雨ですね。魔法ではありません」

「はぁ」

「さて、原因は生きているかな」

 小さく呟き、掌に溜まった雨粒に魔法をかける。雨粒はセレーネの拳大ほどの水玉を作り、空中にふよふよと浮く。

「行け」

 手を振ると、案内するように先を飛ぶ水玉。その後を追った。

 馬を駆けさせ辿り着いたのは、小さな池。森と呼ぶには小さすぎる、茂み。池の周りは何かに食べられた、むしられたように草一本生えていない。

 馬は茂みの外。細い木につなぎ、徒歩でここまで来た。それまで案内していた雨粒の固まりは池の中に。

「ん~」とセレーネは池を覗き込む。

「この小さな池がどうかされましたか」

 フェガは訝しげ。フェガだけでない。息子も護衛も。

「下がってください。どんなものが出てくるかわからないので」

「は?」

「雨、止ませたいのでしょう」

 訝しげな顔のまま数歩下がるフェガ達。下がったのを見て。

「出てきなさい。いるんでしょう」

 池の中に向けて話しかける。池は雨粒の波紋だけ。

「出てこないのなら力ずくになるけど」

 じっと池を見るも、何も。ふっと笑い、炎の魔法を池の中へと向けて放つ。

 待つこと数十秒。

「あっちぃ!」

 池の中から大きなヤモリが飛び出てきた。雨でぬかるんだ地面の上をごろごろ。その背に片足を置く。

「素直に出てこないからだ。とっとと出てきて、この雨とめろ」

「ああん」

 ヤモリは顔を動かし見上げてくる。髪の毛とひげをたくわえ、体は虹色に輝いている。

「なんだ、お前。オレ様にケンカ売るっていうのか。ならもっと雨降らせて」

「やればさらに痛い目に。というかあなたイピリア、だよね。なぜここに……て、待てぃ、あなたがここにいるってことは、あなたの棲み処は」

 雨が降っていない。

「アホか、すぐ雨とめて戻れ!」

 セレーネは背から足をどけ、イピリアの体、首の下あたりを掴み、揺さぶる。

 雨の降り続いている地。思い出した。イピリアの棲み処。

「あの、それは」

 離れた場所から見ているフェガ親子。護衛は剣に手をかけている。

「精霊ですよ。倒したらだめですよ。雨は降り続きます。生きているからとめられます」

「はぁ」とわかっていない顔。当たり前だ。精霊はおとぎ話の存在。

 精霊の力は自然と同じ。魔法とは違う。

「雨とめて、棲み処へ帰れ!」

「ええ~」

 憎たらしい顔と声。

「実力行使するよ。氷漬けにされて送られるのと、丸焼き、五体満足。どれがいい」

「お前、人間だろ。人間のくせにオレ様に勝てると」

 にやにやとさらに憎たらしい顔。

「そこまで言うなら、しょうがないね」

 セレーネは目を細め、イピリアを見下ろした。


「で、雨は」

「やませます」

 そう言うとあちこち焦げているイピリアは空に向かい大きく口を開いた。雨がイピリアの口に吸い込まれていく。

 いつまでも話していては雨は止まない。そのため実力行使して言うことを聞かせた。セレーネが負ければ雨は降り続いていた。

 空を見上げると遠方から雲が切れ、晴れ間が。フェガ達もそちらを見て「おお」と声を上げていた。

「これで雨は止みます。あれは私が棲み処へ戻してきます。約束、忘れないでください」

 フェガ達に近づき声をかけた。

「これからは自然の雨です。長く続いても十日でしょう」

 フェガははっとし、

「ありがとうございます。このご恩は」

 深々と頭を下げる。息子も遅れて。護衛は呆然と空を見上げていた。

「先ほども言いましたが約束守って、陛下の味方を」

「それはもちろんです」

 雨雲はなくなり青空が広がってくる。雨雲はセレーネ達の頭上だけ。その雨雲を吸い込み終わると、

「じゃあ」

 池へ戻ろうとするイピリア。フェガから離れ、その尾を踏んで止めた。

「棲み処へ帰るよ。あなたがいないせいで、その地は雨が降っていない。干からびているかもしれない」

 棲み処の地は降り続く雨など慣れたもの。それで商売し、水源地にもなっている。その水源がいないとなれば。

 フェガ達はイピリアをなんともいえない目で見ている。セレーネは荷物の中からイピリアが入りそうな袋を取り出し、

「気絶して入れられるのと自分で入るの、どっちがいい」

 運ぶのにも考えて運ばないと。

 イピリアは顔を歪め、渋々袋の中へ。空は晴天。

「では、失礼します」

 セレーネはフェガ達に向かい一礼。

「っ、お待ちください。邸へ。我が邸へいらしてください。お礼を」

「大丈夫です。それよりこれを元の場所へ戻さないと。あなた方とは違う意味で困っています。お礼なら陛下に。すぐには無理でしょうけど」

 長雨のせいで作物にも被害が出ているはず。

 フェガ親子、護衛に何度も礼と頭を下げられ、別れた。

 立ち寄った村では大喜びの村人達。踊ったり、太陽を拝んでいる者も。

 途中までは馬で駆けていたが人目がなくなると風の精霊を捕まえ、イピリアの棲み処まで飛ばしてもらい、時間を短縮。ノームも現れ、イピリアはびくついていた。

 頼んでいた鉱石、金属を持ってきていた。誰かに頼むなりできるのに、自ら。その理由は、

『この辺りにでかい町、はっきり言えば美味い飲みものはあるか』

 ねだりにきやがった。

 レウィシアへの土産にしようとしていたものをノームに。レウィシアにはどこかの町で何か買おう。無駄になるかもしれないが。茶葉ならユーフォル、ノラに渡しておけば休憩時にでも飲むだろう。セレーネ用にも。とっととイピリア戻して、茶葉を探そう。そのため足は速くなった。


 イピリアの棲み処は聖地とされ、人は近づかない。もし人が踏み込めばイピリアは雨を降らせない、とめるから。

 そのためか、棲み処周辺、踏み込める場所には様々な供物や祈る人々の姿が。

「とっとと雨降らせろ」とイピリアを軽くどつき、棲み処へ戻した。瞬間、嫌がらせか、大雨に。セレーネはぐっしょり。イピリアは「いひひ」と笑い、棲み処の沼の中へ。

 イピリアが棲み処から離れ、グラナティスにいたのは「同じ場所は飽きたから」という迷惑極まりない理由。風の精霊に「どこか遠くへ飛ばしてくれ」と頼み、飛ばされた地が。

 雨が降り出したのを見届け、グラナティスへ。


 レウィシアの土産、自分用のものも買えた。もっと滞在していたかったがそういうわけにもいかない。強行軍。精霊の力を借りたので戻る時間は短縮できたが、疲れた。

 そのうち行こう。行けたら。行きたいなぁ。

 考えながら城門をくぐり、報告するため執務室へ。執務室にいなければユーフォルでも捕まえて。部屋はどうなっているだろう。ランタナは。

「セレーネ様!」

 呼ばれ、そちらを見ると、アルーラが駆け寄ってくる。

「アルーラ様、どうされたんです。あ、雨は止みました。その報告を」

「そんなことはどうでもいいんです」

「へ?」

「行きますよ」

「行くってぇぇぇ」

 いきなり肩にかつぎ上げられ、アルーラは走り出す。セレーネの声が廊下に響き、目立っていた。


「陛下ぁ!」

 ノックもせずアルーラは執務室の扉を開ける。声にも焦りがあるように聞こえた。

「何かあったんですか」

 かつがれたまま尋ねた。アルーラは大股で進み、

「戻ってこられましたよ」

 下ろされると、正面にはレウィシア。机で書類整理。顔色は悪く、金の髪もくすんでいるような。

 傍にいたユーフォルはほっとした表情。レウィシアは目を見張っていた。

「戻りました。雨は止みました。これから降るのは自然の雨です」

「フェガ殿から手紙が届いております。にわかには信じられませんが精霊の仕業だったと」

 正直に報告したらしい。適当にでっちあげておけば。

「感謝の言葉が何度も綴られておりました」

「手紙が先に届きましたか」

 イピリアを届け、そこからグラナティスへ。日数を考えれば。何日出ていた? 久々遠出して、精霊と争ったような。

「戻ってきたのか」

 今まではユーフォルと話していた。レウィシアが口を開く。元気がない、暗い声。

「戻ってきますよ。そう言ったじゃないですか」

「ヴィリロへ戻ったんじゃないのか」

「は?」

「惚れた男の元へ向かったんじゃないのか」

 わけがわからず首を傾げる。

「陛下、話すのでしょう」

 アルーラの静かな声。

 話? ますますわからない。

「出られる前に女性と話されていたでしょう」

 ユーフォルの説明にはっとする。

「まさか、聞いていたんですか」

「すいません」

 廊下で話していたセレーネも悪い。

「いえ、こちらこそ、すいません」

 場所を移していれば。聞く者にすれば誤解を招きかねない。

「俺は、お前を愛している。今までの行動からもお前も同じ気持ちだと。俺を愛してくれていると。確かに強引に結婚した。何も相談せず、勝手に決めた。それでも」

「すべて信じないでください。話半分」

「半分でも、お前は俺のことなんとも想っていないのだろう! ヴィリロが大事なんだろ! 好きな男がいることも。戻れば隣国の王子が待っているんだろ! フェガの手紙より戻ってくるのが遅かったのは誰かと会っていたからじゃないのか!」

 レウィシアは拳で机を叩く。置かれていた書類、ペンが浮く。

「戻りが遅くなったのは原因を元の場所に送り届けていたからです」

 イピリアだけだとちゃんと戻ったか怪しい。戻らずまたどこかで雨を降らせ続けられても。

「陛下はどうなんです。国が大事でないと。いつでも捨てられると、一年間ヴィリロにいた時、少しもグラナティスを思わなかったんですか」

「っ、それとこれとは」

「どう違うんです。前にも言いましたけど、王族が恋愛感情で結婚できると。それならなぜ私と結婚する前に好きな方と結婚しなかったんです」

 まっすぐレウィシアを見た。レウィシアは目を逸らす。

「話半分と言ったでしょう。ヴィリロに戻っても、隣国の王子は婿に来ませんよ。好きな男だって」

「いないんですか」

 アルーラが口を挟む。

「十歳若ければと言っていただろう」

「三歳の子供ですよ」

 冗談だと笑って終わり。

 呆れた目でレウィシアを見た。「陛下」とアルーラも呆れた声。

「それより」

 セレーネは机に、レウィシアに近づく。机に両手をつき、身を乗り出した。

「ちゃんと寝ています?」

 傍で見ると目の下にクマが。

「寝ている」

 レウィシアはセレーネから顔を背ける。

「何時間」

 じっとレウィシアを見続ける。レウィシアは顔を背けたまま。

「寝ている」

 小さな声。

「何時間です。正直に言わないのなら、これ返して出て行きますよ」

 左薬指にはまっている指輪に手をかける。

「っ」

 レウィシアは顔を歪めた。

「そのほうがいいのなら」

「セレーネ様、ランタナ様なら帰りました」

「え」

 アルーラの言葉に驚き、見た。

「彼女は跡取り、俺との噂が広まったから、それを実現される前に父親が帰した。彼女には悪かった。選ぶ自由が、時間がなくなった。近いうちにどこかの武門の男と結婚させられるだろう」

「……」

 セレーネも悪いことをしたのだろうか。重い沈黙。指輪から手を離す。

「すいません。後でランタナ様に手紙を送ります。それはそうと」

 気をとり直し、

「何時間寝ていました」

 じっとレウィシアを見た。

「正直に言わなければ、ここで落とします」

「……二、三時間」

 大きな体に対し小さな声。

「食事はきちんととっています?」

 答えない。

「朝食は少々、昼は抜くことがあり、間食を用意しても手はつけません。夕食はとられています」

 ユーフォルが答える。

「何をやっているんです」

 セレーネは大きく呆れた息を吐いた。

「そんなに仕事が忙しいなら、言ってくれれば手伝いました」

 言わない、レウィシアも息抜きをしていたからそれほどではないとばかり。

「手伝います。今日はしっかり食べて、夜は寝てください」

 昼食は過ぎた、夕食だけだが。

「大丈夫だ」

「落としますよ。そして明日の朝まで寝台にくくりつけます」

 落とす準備、ではないが脅すために左手を上げる。

 レウィシアは深々と息を吐き、

「わかった。だから今落とすのはやめろ」

「わかりました」

 左手をおろす。

「報告書が必要なら書きます。荷物を置きに行きたいので退出しますが、夕食時には迎えにきます。というわけでユーフォル様、夕食は私の分も」

「わかりました」

「おれが伝えてきます」

 アルーラはなぜか弾んだ声で部屋を出て行った。

「では、私も失礼します。また後で。言いたいこと、腹に溜めているものがあればそこで聞きます」

 物置に移した荷物もレウィシアの私室に戻したほうがいいのか。レウィシアの反応を見て決めるしかない。執務室をあとにした。


「セレーネ様」

 廊下を歩いているとフィオナが駆け寄ってくる。

「いつお戻りに。セレーネ様の姿が見えないから、城ではセレーネ様を追い出して新たな王妃を迎えるのでは、と」

「追い出されていません。ちゃんと出て行くと陛下に言いました。行く理由も。戻るとも言いました。わかっていましたが城とは恐ろしいですね。あることないこと」

 そしてセレーネもそれを信じてしまった。ランタナには悪かったがフェガの領地はセレーネでないと。……たぶん。

 出て行けと言われなかったので、とりあえずレウィシアの私室へ。フィオナの話を聞きながら進んだ。

 部屋に着くと持っていた荷物整理。土産の茶葉はフィオナに渡して、そのうち淹れてください、と頼む。そのまま部屋で報告書を作っていた。

 どこまで信じるか。フェガと話を合わせるしかない。でないとどちらかが嘘をついていると。う~ん、と唸りながら書いた。


 報告書を書き終えると物置から私物の一部をレウィシアの私室へ。執務室でのこともある。言いたいことを言えと言った。出て行けと言われたらまた出さないと。

 夕食の時間になると執務室に突撃。レウィシアと一緒に夕食が用意されている部屋に。

 無言のまま夕食。なぜか使用人は緊張した面持ちだった。

 部屋に戻ると先にレウィシアを風呂に押し込む。ゆっくり、じっくりつかりなさいと、言って。セレーネはソファーでいつものように本を読んでいた。



 寒々しい私室。以前に戻っただけなのに、なぜこんなに寒々しいのか。仕事に集中していれば嫌なことを考えずに済む。だから部屋に戻り、一人になると嫌な考えばかり。それは眠っても。もう戻ってこない、これが日常だ、誰も自分の傍には。

 セレーネは予想をことごとく裏切り、フェガの地の件を解決。手紙には何度も感謝の言葉が綴られ。フェガの筆跡、偽物ではない。確認のため兵を送った。

 手紙から遅れて戻ってきたセレーネ。変わった様子もなく平然と。

 風呂から出るといつものようにソファーに。都合のいい幻ではないだろうか。とうとう幻まで見るように。

 近づいて行く。本に影が落ちたからかセレーネが顔を上げ、目を見張った。

「何をしているんです。ちゃんと乾かさないと風邪ひきますよ。あと服も」

 顔を背ける。

「醜いだろう」

「は?」

 再び見上げてくる。

「醜いだろう。傷だらけで。ランタナが帰った後も何人か紹介されたが、彼女達は俺をひと目見て怯えていた。うつむき、震えている者も。俺から離れれば醜いと、化け物だと」

「シア!」

 セレーネは立ち上がり、右腕に触れる。幻ではない証拠に触れている手は温かい。

「お前もそう思っているんだろう。俺なんか」

「シアは醜くないですよ」

 右腕に触れていた左手が上がり、頬に。

「金の髪は陽の光を浴びるときらきら輝いて見えます。蒼い瞳も宝石のようで」

「なら、なぜ顔を背けた」

「……」

 答えない。やはり醜いから。

「は、裸だったから」

 セレーネの視線は定まらない。しかし下は見ないようにしているのはわかった。よく見ると耳や頬が赤い。

「見たことあるだろう」

 何度か着替えを手伝ってもらった。

「~――-~」

 声にならない声。

「う、うえは」

 小さな、消え入りそうな声。

 今のレウィシアは一糸まとわぬ姿。なぜこんな姿で出てきたのか自分でもよくわからない。自分の醜さをセレーネに再認識させようとしたのか。それともセレーネなら、という淡い期待。

「傷だらけなのに」

「自分を後回しにした、先頭に自らが立ち戦ったからでしょう。そんなことで醜いなんて思いません。なぜきちんと治さなかった、とは思いますけど」

 レウィシアを見上げて微笑む。これが演技なら。

「とにかく、服、服着てください。風邪ひきますよ」

 いつもの声、表情。離れようとするセレーネ。離れてほしくなくて、抱きしめた。

「シア?」

「どこにも、行かないでくれ」

 情けない声。しかし本音。

「……タオル取りに行くだけですけど。あと服」

 寒々しかった部屋。寒く感じていたのはいなかったから。一緒にいたのは五ヶ月ほどなのに。

 ガウラの言う通り。戻ってきた。想われていなくても。

「愛している。一生傍にいてくれ。お前が、セレーネがいないと」

 セレーネの両手が背に回され、優しく撫でている。

 安心する音、匂い、存在。

「本当に嫌なら、とっくにヴィリロに帰っています」

 小さく笑っている。そう。セレーネの性格なら。わかっていた。それなのに。

 細く、軽い体。ひょいと肩にかつぎ上げた。

「へ? ちょっと、シア?」

 寝室へ。

「ちょっと、タオル、服っていうか寝るんですよね。大人しく寝るんですよねぇぇぇ」

 セレーネの声が響いた。

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