第3話

 目を開けると誰かがいる。特徴的な白い髪。幼い頃、王位争いに巻き込まれ、目の前で両親を奪われたせいだと。また巻き込んでいる。

 捕まえた白い鳥。汚し、鎖をつけて繋いでいる。欲しかったのは確か。

 ヴィリロに送られた魂胆の中にはヴィリロ王族との婚姻もあったかもしれない。大国グラナティスの脅威ではなかったがそれでも。ヴィリロは小国でもなければ大国でもない。もし婚姻を結べばさらに国土が増す。もしくはレウィシアがヴィリロの王となり、叔父は。

 叔父から他国で勉強してこい、とそれらしいことを言い渡され、ヴィリロへ。ヴィリロは二年前、身内の乱心で王族が現国王と孫二人だけになったと聞いていた。反対意見を無視して叔父はヴィリロへとレウィシアを追いやった。内心、ヴィリロと組んで暗殺する気かと警戒していた。

 意外にも紹介されたヴィリロ国王は穏やかな人物だった。息子の乱心という事件があったにもかかわらず大きな混乱もなく国を治めている。どんな厳しい王かと思えば。叔父より年上なのに、痛ましい事件があったのに、しっかりと国を治めている。最初は警戒していたレウィシアも国を治める姿、人となりを見て警戒を解き、尊敬の念すら抱くように。それほど叔父の政は雑だった。

 紹介された孫二人。セレーネとバディド。生き残った二人。セレーネはグラナティス国内の貴族令嬢のように気に入られようと媚を売ることはなかった。誰に接するにも同じ。やはり最初のうちは警戒、というか気に入られようと上目遣い、猫なで声でこられると身構えていた。自分の容姿がどう映っているかはわかっている。利用していることも。が、そんなことはなく一ヶ月もしないうちに打ち解けた。それはバディドも。妹や弟がいればこんな感じなのかと思ったほど。それは国王も。セレーネ達となんら変わらぬ態度。怒る時は怒り、誉める時は誉めてくれる。祖父は覚えていない。父とも似つかないが、時折父を思い出した。政に関してもセレーネ達と共に教えてもらった。紹介されたヴィリロ国内の貴族令嬢には媚を売られたが。セレーネは一緒に来ていたアルーラ、ガウラと陰からそれを見て笑っていた。ヴィリロに送られる前は文句ばかり言っていた二人も、それなりに楽しんでいた。

 ガウラ、アルーラはレウィシアだけでは心配だと、ついて来てくれた。レウィシアとは違い、無理に送られたのではない。グラナティス国内に、自領にいることもできた。それなのに危険も省みず。

 レウィシアにとっても二人にとってもヴィリロはグラナティスほど窮屈な場所ではなかった。

 あっという間に一年が過ぎ、国に戻ってからは叔父と睨み合いながらも叔父の薦める令嬢との婚姻話も持ち上がっていた。好きな者と結婚できないのはわかりきっていた。国を上手く治めるのなら叔父の薦める者でも、と。

 顔に火傷を負い、令嬢達の態度は一変。わかっていたがレウィシアの心も冷たく。なにより国を二つに分けてからは恋愛どころではない。

 セレーネの婚姻話を聞いて胸がざわついたのは一瞬。利用されなければいいがと考えたのも。ヴィリロ国内の情報は集めていた。叔父につかれても。グラナティス国内の混乱を利用して他国と組み、攻められても。

 何がどう転ぶかわからない。手に入らないはずの白い鳥はレウィシアの元に。

 勝手だが想いは遂げられた。本来なら別の者のものになるはずだった。それを。

 すぐ逃げると。逃げなくてもレウィシアを嫌い、見てきた令嬢達のように怯え、レウィシアを見ないと。

 ヴィリロに戻っても隣国へは嫁げない。レウィシアが汚したから。そのまま国にいるしかない。それとも夫となるはずだった者がそれでもいいと迎えるのか。未練がましくセレーネが贈ってくれたものを持っているくせに。役目を終えている。なんの役にも立たない。いつでも捨てられたのに。

 セレーネは逃げも怯えもせず、城内を歩いていた。一度申し訳なさそうにレウィシアの元へ来ていた。あれは貴族の男が悪い。そしてあれだけ重点的に護ると言っていたのに。

 いつまでいてくれるのか、自分の元に。手を伸ばし、長い白髪に触れた。薄紫の瞳はまっすぐにレウィシアを見ている。以前と変わらず。

「起きたんですか。もしかしてうるさかったです? 何も言っていませんけど」

 左手薬指にはお揃いの指輪。逃げられないようはめた鎖。いつか誰かに贈ろうと、自分の瞳の色と同じ色をした石がはめこまれた指輪。

「何か飲みます? 食べます? 着替え? 汗かいていますものね」

 伸びてくる手。伸ばされたのは剣や槍を持つ手。傷つけられ、傷つけ。

 温かな細い指が優しく額に触れる。誰もこんなふうに伸ばさなかった。触れなかった。

「ここで何をしている」

「あ、もしかして意識はっきりしています。今まで朦朧としていたんですよ。甘えてきてかわいかったですよ」

 変わらぬ柔らかな笑顔。

「うわ、冗談なのにそんな睨まなくても」

 ころころ変わる表情。怯えの、嫌悪の色は全くない。

「意識がはっきりしているのならユーフォル様とダイアンサス様を呼んできましょうか」

「ダイアンサスが来ているのか」

 意外な名が出た。

「はい。息子のガウラ様と一緒に。あ、水はそこにあります。何も入れられていませんよ。疑うなら私が飲んでから」

「魔法でどうにかできるだろう」

「できなくはないですけど、純粋に毒だけ、というのなら難しいですね。魔法が組み込まれていれば完全な解毒は無理ですけど、中和はできます。しっかりしていますね。呼んできます」

 寝台から離れ、部屋から出て行った。

 体を起こし、ゆっくり動く。思い通りに動く。次に周りを見た。よく知るレウィシアの寝室。寝台傍の机には見覚えのある袋。セレーネがくれたお守りが入っている袋。不安になれば握り締めていた頃もあった。今回も捨てられずレウィシアの元に。

 そうしていると寝室の扉が叩かれる。返事をすると飛び込んできたのはユーフォルとダイアンサス。ダイアンサスの治める地はここから離れている。

「陛下」

 二人ともほっとした顔。

「心配かけたな」

「いえ、ご無事でなによりです」

「何日寝込んでいた。誰が、と聞かずとも叔父の手の者か」

「話は明日にでも。起きたばかりでしょう。六日間寝込んでおりました。時々起きられていたので、その時に食事などを」

 覚えていない。六日、と息を吐く。

「陛下を襲った子供ですが、あれは魔法で作られたものだったようです。牢には人の形をした紙だけが残っており、子供の姿はないと。牢からは誰も出ていないので」

 舌打ち。まさか子供を送ってくるとは。そこまで堕ちたか。手段を選ばなくなったか。子供自身に恨まれているかもしれないと、してきたことの現われ。戦中、見知っていようといまいと恨まれるのは当たり前。

「ユーフォル殿」

「ああ、申し訳ありません。つい。陛下、今日はお休みください」

「かまわない。話してくれ。ずっと寝ていたんだ。それにそこまで聞かされては」

 ユーフォルとダイアンサスは困り顔で顔を見合わせていた。

「失礼します」

 そこに入ってきたのはセレーネ。

「ノラが胃に優しいものを作ってくれました。あとお二人にお茶を」

 台車を押して進んでくる。

「無理しているようなら言ってください。いつでも落とします」

 にっこり笑い、なんでもないように言う。弱ったレウィシアなら。はは、とダイアンサスは硬い笑い。

 台車を置くと出て行った。

「セレーネ様にも感謝しなくてはなりませんね」

「どういうことだ」

「陛下が刺され、治癒師、医師、薬師は大慌て、混乱しておりました。それは私どもも。刺した剣には魔法の込められて毒が塗られており、そのせいで傷は塞がりませんでした。セレーネ様がご助言してくださったおかげで」

 助かった。放っておけば国に戻れたかもしれないのに。

「仕事は」

「謁見と重要なものは滞っています。そうでないものは勝手ですがセレーネ様に手伝ってもらい」

「進めた」

「はい。申し訳ありません」

 ユーフォルは頭を下げる。

「手腕は」

「は?」

「手腕はどうだった。治めるに足るか足りないか」

「重要案件を任せても大丈夫では」

「私も同意見です」

 ダイアンサスも頷いている。

「シャガル様に代わって治めていたか」

 ヴィリロ国王は高齢。しかし次期国王とされている者は十四歳。セレーネは二十歳。つなぎとして国を治めていても。だがそれなら手放しはしない。

 考えても仕方ない。

「陛下、食事にして休まれては」

 夜中、ではないだろうがユーフォル、ダイアンサスは朝から働きづめ。

「お前達は休め」

「陛下が食事をして大人しく休まれたのを見届けてから休みます」

 譲らないダイアンサス。

「それとも王妃様に落としてもらいますか」

 人の悪い笑み。

 レウィシアは苦々しい顔。小さく息を吐き、ユーフォルの手からスープの入った皿を受け取った。


「元気ですねぇ」

 呆れたようにかけられた声。

 昨夜は食事をして眠った。朝はいつも通り起き、寝台から出て、寝室の外へ。刺された部分が痛むが我慢できない痛みではない。これくらいの傷、何度も負わされた。今回ほどではないが毒の塗られたものも。食事に毒を盛られたことも。叔父も本気で始末しようとしているのか。今まで本気でなかったとはいわないが。それとも叔父を操っているあの女か。舌打ち。

 さっぱりしたいと居間を通り、風呂へ。六日間も寝込んでいた。体を鍛え直さないと、仕事も。考えながら湯につかっていた。

 風呂から出て居間へ。食事は。部屋に持ってきてもらうか、歩いて行くか。そういえばセレーネは。昨夜食事を持ってきてから姿を見ていない。どこか別の部屋で寝起きしているのか。

 テーブルに水差しを見つけ、水を飲もうとそちらへ行くと、ソファに細長い物体。毛布に包まれたセレーネを見つけた。

 レウィシアが寝込んでいる間、ここで寝ていたのか。言えば部屋を用意してもらえたのに。

 何を考えている。

 もぞもぞと動いている。昼まで寝ていることが多かった。理由の一つはレウィシアだが。興味のあることは寝食も時間も忘れてのめりこんでいた。そこも変わっていない。

「ん~」と寝ぼけているとしか思えない声。うっすら開く瞳。ぼんやりとした目はレウィシアを見ている。ソファに寝たまま、

「おはようございます」

 寝ぼけている。着替えに寝室へ。

 身支度を整え、再び寝室から出ると、

「朝食はこの部屋に運んでくれるそうです」

 ソファから目をこすりながら声をかけてきた。


 大量の朝食が運び込まれる。誰がこれほど食べるのかと並べられているのを見ていれば、

「「陛下」」

 アルーラとガウラが飛び込んできた。ユーフォル、ダイアンサスも。揃って朝食。

 ガウラには「間抜け、鍛え方が足りない」と悪態をつかれ、アルーラはガウラをなだめ、にぎやかな朝食。子供の頃はよくこうして一緒に食べた。子供の頃だけでなくガウラが訪れた時、時間を作って三人で食事をしていた。アルーラ、ガウラは二人だけで城下町に飲みに。それをうらやましくも思っていた。

 食事が終われば仕事をしようと執務室へ向かおうとしたが、全員に止められ。医師に診てもらい、無理をしなければ、と。そのため部屋に書類を持ち込み、ダイアンサス、ユーフォル、セレーネの手を借りて片付けていく。

 溜まっていた重要案件、謁見の日付、順番、それを見ているとセレーネが声をかけてきた。

「勝手に進めていたようだな」

「はい。王妃権限で。ちゃんと暫定だと記しましたよ。ユーフォル様や他の方の許可もきちんととっています」

 さらりと。

「国王に代わって国を治めていたか」

「手伝いですよ。なんです、人を陰の支配者とでも。ヴィリロと違い大変でしたけど」

 セレーネは息を吐き、肩を落としている。

「ですが、こういうのも楽しいですね。他国を知れて」

 楽しい、だろうか。レウィシアにしてみれば王として、治める者として私情を挟まず取り組んでいた。

「的確なのでつい頼ってしまい」

 ユーフォルは申し訳なさそうに。

 的確といえば的確。レウィシアでも同じか、近いことを指示した。

「この件だが」


「いや~、すごいですね。さすが陛下の奥さま」

 ダイアンサスは、くっくっと笑っている。レウィシアは苦々しい顔。

「ここはこうすべきだったな」と指摘すれば「暫定だと言ったでしょう。それにそうすると」と反論。しかも無能な臣下のような言い訳でなく、理路整然と言い返してくる。「喉が渇きました」と今はお茶を頼みに部屋を出ていた。

「臣下でもあそこまで容赦なく言わないでしょう」

「仕返し、か」

 ぼそりと呟く。冷たい態度しかとってこなかった。その仕返しなのか。

「それに部屋も華やかになりましたね」

 ダイアンサスが見ているのはテーブルに飾られている花。セレーネがくるまでは飾ってもいなかった。飾られても見もしなかった。しかしセレーネは飾られている花を見て、この花が咲く季節なんですね、と呟いて。あれがおいしい季節です。と思い出しているのか緩みきった顔に。

 季節に咲く花、いや季節すら興味なかった、どうでもよかった。

 セレーネはあれが欲しい、これが欲しいとも言わない。レウィシアが倒れている間に散財していないか調べたがそんな形跡もない。

 ダイアンサスには答えず、新たな書類を手に取った。



「元気だなぁ」

 セレーネと激しい意見交換。病み上がりなのに。喉が渇いたのでお茶を頼んできます、と部屋を出た。陛下も喉が渇いているはず。

 アルーラ、ガウラは城の警備をしているとか。

 城内はぴりぴりしていた。少し前までは目を覚まさない陛下を思って。目が覚めれば別の意味でぴりぴり。

 ノラを見つけ、お茶を頼む。陛下の部屋には戻らず、別の部屋へ。

「失礼します」

 訪れたのは医務室。

「毒の分析はどうです」

 城内の薬師も毒の分析をしていた。後から聞いた話だが、薬師が薬を飲む前の陛下の血を採取していた。分析できたのかと尋ねたのだが。

「王妃様」と驚かれた。王妃様と呼ばれるのにまだ慣れていない。

「陛下に何か」

 医師はおろおろ。

「陛下は元気一杯に仕事しています」

「無理しないよう、王妃様から言ってください」

 言って聞くかどうか。

「毒の分析は」

「申し訳ございません」

 できていないようだ。送ったあいつとどちらが早く分析できるだろう。

「もしかして陛下から」

「いえ、陛下は何も言っていません。私が気になったので」

 ほっと息を吐いている薬師。

「忙しいのにお邪魔してすいません。失礼します」

 用は済んだ。セレーネは医務室を出た。


「遅かったな」

 不機嫌そうな陛下の声。三人は休憩しているのか、テーブルを片付けお茶している。

「少し寄り道して運動を」

 この数日満足に動けていない。先ほども部屋を出ようとすればユーフォルが「私が行きます」と言っていたが、少し歩きたいので、と押し切った。王妃らしい格好もしていない。目立ちはしないだろう。

「心配しなくても危害を加えられそうになったら返り討ちにしますよ。それとも私がいなくて寂しかったんですか」

「心配していない、寂しくもない」

「そうですか」

 わかりきっていた答えなので特に何を思うこともない。ソファへと座り、セレーネも用意されたお茶を一口。お茶菓子のクッキーを口に運ぶ。

「ヴィリロでは手伝いをされていたとか」

 ダイアンサスが話しかけてくる。

「はい、祖父も年で無理はできません、従弟が王位に就くには早いので、できることを。最終的に決めていたのは祖父です」

 陛下が寝込んでいた時のように。

「その、このようなことを聞くのも失礼ですが」

「王位争いにならなかったのか」

 陛下がはっきり。

「家出していましたから」

「は?」

「家出ですよ。私は継ぐ気はありませんでした。祖父も決めていました。血みどろの争いを見ましたからね。あんなの繰り返したくありません」

 ここは今、その争いのまっただなか。

「なので言い出した臣下の頭が冷えるまで家出していました。自由にできる時間は少ないので」

 二十歳になればどこかに嫁がされる。二十歳と決まっていないが本格的な婿探し。決まっていたのに。隣に座っている、隣といっても人一人分は座れるくらい間が。陛下を見た。

 嫁入りしたのは、婿となったのは。

「なんだ」

「いえ」

「言いたいことがあるなら言え」

 セレーネを見ず、ぶっきらぼうに。

 言いたいこと。

「それでは遠慮なく」

 言わせてもらおう。

「城下町を歩きたいです」

「城下町、ですか」

 答えたのはユーフォル。

「はい。来てから出ていないなぁと。歩いていいなら歩きたいです。おじい様や従弟にグラナティスの特産も送りたいですし、近況報告も」

「今、出歩かれるのは」

「姿なら変えられますよ」

 詠唱、指をぱちんと鳴らし、陛下の姿に。三人はぎょっとしている。

「さすがにこの姿では出歩きませんが。座っているだけでいいのなら、身代わりでも」

 声も陛下の声。

「勝手なことはするな」

「にこやかな陛下というのも。何か変なもの食べたと思われるのでしょうか」

「やめろ。すぐに戻れ」

 陛下の姿で口を尖らせ、元に戻った。

「あのように姿は変えられます」

「……それは、別の者にもできるのですか」

「別の者?」

「たとえば私や陛下を別人に」

 ダイアンサスは自身を指し、陛下を見た。

「できますけど。陛下はどうでしょう」

「どういうことでしょう」

「その剣ですよ」

「剣?」

 セレーネが指したのは陛下が常に傍に置いてある剣。

「その剣、普通の剣と違いますよね。魔法を斬れる、というのなら持ち手に魔法をかけられない、かもしれません。あ、でも治癒、浄化は効きましたね。それに毒に魔法がこめられていた剣も」

 傷つける魔法限定というのならかけられなくない、か? かける魔法を判別しているとなると。あの剣には意思がある? だがそれなら刺した剣も弾くはず。ますます興味が。色々試したい。

「そう、ですか」

「俺の身代わりを考えているのなら、いらない。今回は油断した。同じ手にはひっかからない」

「しかし」

「休憩は終わりだ。片付けるぞ」

 それ以上の発言は許さないといった強い口調。

「それなら私が陛下の姿をしてちょろちょろ。敵を誘い出しましょうか」

 陛下に睨まれ、二人には「おやめください」と声を揃えられた。

 休憩になったのだろうか。陛下は片手にカップ、片手に書類を持ち見ていた。何か言いたそうな目を向けてくるユーフォルとダイアンサス。

「甘いもの苦手なんですか。おいしいですよ」

 陛下との距離を縮め、フォークに切られた果物を刺し、口元へ押し付ける。文句を言おうと開いた口へ。

「食べないと大きく、はなっていますね。落ちた体力戻りませんよ。せっかく食べやすいものを用意してくれたのに」

 また睨まれた。

「仲がよろしいようで安心しました」

「どこをどう見たらそう思える」

 陛下は呆れ口調。セレーネとしても仲が良いようには。

 警戒心の強い猫が毛を逆立てている。令嬢達の目に陛下はどう映っているのだろう。セレーネに人の美醜はわからない。いや金でなんでもできると思い込み、実行している者は醜いと思うが。陛下はセレーネの知る限りそんなことはしていない。すべてを知っているわけではないが。

 陛下は書類を置き、自らの手で皿に盛られている果物を食べている。セレーネは焼き菓子をつまんでいた。


 いつも通り、夕食になれば仕事は終わり。残っているものはユーフォル、ダイアンサスが持っていき、部屋には一枚もない。それを不満そうに見ている陛下。医師も陛下の様子を診に来ていた。「くれぐれも無理はしないように」と。

 黙々と食事をし、風呂に。先に陛下を行かせた。倒れたら対応できるよう。時間を確かめながら、本を読んでいた。扉が開く音に倒れなかったかと、風呂に入ろうと立ち上がる。

「髪ちゃんと乾かしてないじゃないですか」

 見ると金髪から滴が。

 洗面所兼脱衣所に向かい、タオルを手に持ち、居間に戻ると、いない。寝室に引っ込んだのか。寝室に向かうと寝台に腰かけていた。

「きちんと乾かしてください。病み上がりなんですよ」

 体を冷やし、悪化でもしたら。タオルを頭に、わっしわっしと手荒く拭いていく。

「なぜ逃げなかった」

「逃げるとどうなるかわかっているだろうな、と脅していた人が言いますか」

 呆れながら答えた。結婚式の夜。ここで、耳元で囁くように。

「逃げられただろう。俺を見捨てて。お前が色々助言してくれたお陰だと。見捨てていれば」

 見捨てていればどうなっていただろう。追い出されていたか。お飾りの王妃として持ち上げられていた? それはないか。さらなる内輪揉めになりそうだ。運が悪ければそれに巻き込まれ。

「気味が、悪くはないか」

 セレーネは首を傾げた。陛下はうつむいてされるがまま。

「気味が悪いだろう。傷だらけで。皆そう言う。それまではすり寄ってきていたのに。人を化け物と。それとも何か目的でもあるのか」

 うつむけていた顔を上げ、蒼い瞳がセレーネを見る。

「そう言うなら治せばよかったのに」

 治せと言えたはず。傷痕一つ残さず治せと。そっと左頬の火傷痕に触れた。傷は火傷だけではない。体のあちこちに大小の傷が。

「それだけ先頭で戦っていたのでしょう。指示だけして安全な場所にいれば傷はありません」

 本来なら王は誰より護られている。それなのに。それだけ無茶をしてきた。それだけ巻き込んだ関係のない者を護りたかった。

「寄ってこなくなってせいせいした。お前こそ、心の中では俺を醜いと蔑んでいるんじゃないのか。誰も相手にしないと哀れんで、優越感にひたっているんじゃ」

「ひねくれましたね。あの頃は爽やかな」

「あの頃とは違う」

「そうですね。あなたも私も」

 振り払われなかった、頬に触れていた手。頭からタオルを取る。

「人の心なんてわかりませんよ。私も、あなたの心の中はわかりません」

 知ろうと思えば知れる。やりたくないし、知りたくもない。

「疲れたでしょう。休んでください」

 長々と話していては。肩を軽く押す。

「誰でもよかったのか。誰に嫁ごうと」

「人を尻軽のように言わないでください。王族が自由に恋愛できるとでも」

 できる者もいるが大半は政略的なもの。ヴィリロは自由だった。国さえ治め、次代がいれば。どうしようもない時だけ政略結婚。セレーネの場合は隣国グラナティスが不安定だったから。

「はいはい、休んで。どうせ明日も仕事するのでしょう」

 寝ろ、と肩を押す。陛下の右腕がセレーネの腰へとまわされる。何をしたいのか。陛下はそのまま後ろへ。セレーネも一緒に寝台へ。

「え、ちょっと、私、お風呂入っていないんですけど」

 ころりと転がり、陛下の上から隣に。腕ははずされていない。

「それに服、服も着替えていない」

 汗をかくほど動いていないが。陛下は聞く耳持たず目を閉じる。セレーネは「ええ~」と顔をしかめた。うるさくわめくわけにもいかず、服の首元と腹回りをゆるめる。小さく息を吐いて、目を閉じた。



 警戒心がないのか。レウィシアは目を閉じていただけで起きていた。三十分もしないうちにセレーネは寝息を。誰の腕の中でもこのように眠ったのか。

「お前は、いつまで傍にいてくれる」

 ちやほやしてほしいのではない。以前のように寄ってきて欲しいのでも。

 怖い、のだ。それまで接してくれていた者の目や態度が突然変わるのが。セレーネもいずれ変わるのではないか。セレーネだけではない。ユーフォル、ダイアンサスも、レウィシアについてきてくれている者達すべて。

 あの頃とは違う。そう。レウィシアはあの頃とは、セレーネの覚えているレウィシアとは違う。セレーネも違うように言っていたが、あの頃のまま。綺麗なまま。

 優しく触れてきた温かな手。気遣う言葉。敵意、怯え、警戒のない、まっすぐ見てくる薄紫の瞳。セレーネの目に今のレウィシアはどう映っているのか。



 セレーネより先に起き、きっちり仕度して朝から働いている陛下。本当に元気だ。ユーフォル、ダイアンサスは心配顔。

「明日からは謁見を再開しようと考えている」

「それは」

 二人とも困惑顔。それはそうだ。

「医師から許可とってからでしょう。それと詰め込みはよくないのでは」

 セレーネは陛下の頬をつんつん。

「叔父に元気だと伝えたい。心配なら一緒にいればいいだろう」

「……耳がおかしくなったんでしょうか。一緒にいればいいと」

「おかしくなっていない。手腕を買っているだけだ」

「ああ、護衛も兼ねて、ですか。私なら誰だろうと」

「自分の身は自分で護れる。それと無闇に民を傷つけるなよ」

「しませんよ。私にも常識はあります」

「ならいいが」

「働きすぎと判断した時は遠慮なく陛下を落とせますし」

「やるな」

 ダイアンサス、ユーフォルの目はやってくれと訴えていた。

 ふわりと部屋の中の空気が動く。

「お久しぶりね。セレーネ。手紙を届けにきてあげたわよ。待っているだろうから、早く届けてって」

 セレーネの目の前には小さな人の姿をしたものが。姿は人だが腕は真っ白い翼。高い声、萌黄色の瞳。灰色の長い髪。

「……だからといって精霊に頼む」

 そう目の前に浮いている、鳩ほどの大きさをしたものは精霊。

「それだけ急いでいたのではないの? いらないのなら、ばらばらに」

「やめてください。ありがたく受け取ります」

 セレーネは両手を合わせた。

「ふふ、最初からそう言えばいいのよ。はい」

 どこからか桃色の封筒を取り出す。

「ありがとう」

「いいえ。わたしは戻るけど、何か持って行くものは」

「特に、ない、かな」

 これは、手紙の主は礼に何か寄越せと要求している。

「そう。何かあれば呼んでちょうだい。暇なら手伝ってあげる」

 セレーネの左頬にちゅ、と軽く口付ける。

 風の精霊は気まぐれなものが多い。今回は暇だから届けてくれたのだろう。

「わかった。ありがとう」

 ふふ、と可愛らしく笑うと、現れた時同様、空気が動き、消えた。

 桃色の封筒に目を落とした。なぜ桃色。赤や黒の封筒よりはいいが。あいつの趣味はわからない。

「あの、今のは」

 ユーフォルが戸惑ったような声をかけてくる。ソファにいる陛下、ダイアンサスも呆然。

「精霊ですけど、ここでも珍しいですか」

「精霊、ですか。おとぎ話では聞いた覚えがありますが」

「実物を見るのは初めて、ですか」

「ええ。ヴィリロでは当たり前なのですか」

「いいえ、ヴィリロでもおとぎ話の存在です。私も実物を見るまではそう思っていました」

 しかし実物を見て、触れて、話し、争って。いや争うというか力比べというか。

「竜を祖先に持つというから精霊など珍しくはない、常識、使役しているかもと思っていたのですが」

 魔法使いを見る限り使役しているようには見えない。隠していればわからないが。

 精霊の本もこの国で見たのは少ない。しかも大半おとぎ話。ヴィリロが多い。いや魔法書同様、セレーネが趣味で集めたといった方が正しい。

「それで、何を届けてもらった」

 陛下の冷静な声。話はしっかり聞いていたらしい。

「知人に毒の分析を頼んでいたんです。それを届けてくれたのです」

 持っている手紙の封を開けた。一枚目はどこで手に入れた、使われた人間どうなった、まだあるなら寄越せ、解毒薬いるぅ、結婚したんだってぇ、しかも相手は大国の王さま。鞍替えしたの。精霊に驚いていた、ひれ伏した、それとも魔獣と間違われて斬りかかって返り討ち? と言いたいことをつらつら。二枚目、三枚目は毒の成分が事細かに。手に入りにくい、絶滅したといわれるものを使っている。魔法が込められていなかった? とまで書かれている。

 頭に入れ、二枚目、三枚目を陛下に渡す。目を通しているがわかっているかどうか。専門的な言葉が書かれている。セレーネでもわからない部分が。最終的には医師、薬師の元へ渡るのだろう。

「信用できるのか」

「人間的には全く。薬に関しては右に出る者はいません」

 陛下は手紙をユーフォルに渡している。

 信じないだろう。今は絶滅した植物から抽出された毒など。誰も見たことがない。

 あいつなら見つけて保管しているかもしれない。もしくは書物か。古い書物にのっていれば。しかもそういうものを集めている。セレーネは魔法書を。

 五百年くらい前まで暗殺でよく使われていた毒。解毒薬がないので各国の王がすべて刈り取ってしまえと命令したとか。魔法も薬も解く方法を同時に考えるのだが。その毒は解毒を考えず、見つからず。

「叔父上側に毒と魔法に詳しい人物がいるんですか」

 三人は苦々しい顔。いると語っている。どんな者なのだろう。

「ヴィリロの薬師に頼んだのか」

 陛下の顔は苦々しいまま。借りを作ったとでも思っているのか。

「いえ、先ほども言いましたけど、ただの知人です」

 ただのを強調。

「男か」

 声が低くなったような。

「女ですよ。実験台にされていいのなら紹介しましょうか。私は責任持ちません」

「どんな知り合いだ」

 陛下は呆れ顔。

「腕はいいんですけど、性格が。あ、顔もいいですよ。指名手配されていますし、恋人は次々に変え、平気で実験台。別れる時はよくわからない薬を毎回飲ませる女です」

「聞き捨てならないことをさらりと言うな。毒の分析は確かなんだろうな」

 どのあたりが聞き捨てならないのか。小さく首を傾げた。

「確かですよ。それだけは自信を持って言えます」

「どこかの国王を毒殺でもしたか」

 陛下は鼻で笑っている。

「そういう依頼もあるみたいですね。あの女、良くも悪くも薬師の間では有名ですから」

 手紙の終わりに名前でも書いてあれば紹介してくれと言われる、かも。

「気分と報酬次第ですね。やろうと思えば楽に毒殺できますけど、毒殺したという話は聞きません。国王にハゲ薬をかけた、惚れ薬を誰彼かまわず飲ませた、とか」

 そうして城内を混乱させた。約束が違う、と毒殺を依頼した国からは文句が来て、その国にも城内を混乱させる薬を撒き、両方の国から指名手配された。だが彼女の味方をしている国も多い。

「……」

「陛下に飲ませた薬もその女に調合してもらったんですよ」

「よくわからないものを飲ますな」

「万能薬ですよ」

「飲んだのか」

「いいえ、私は元気一杯なので。匂いからしてすごかったですね。色も瓶で誤魔化していましたが」

 意識がないから飲めたもの。

「もう一度言う。よくわからないものを飲ませるな」

「毒を以って毒を制す、ではありませんけど。きちんと効いているじゃないですか」

「実験台か」

 陛下はセレーネを睨み、セレーネは笑顔。

「材料ならわかっています。なにせ私が採ってきたものですから」

 ふっふ~ん、と少し顎を上げる。

「……ろくなものでない気もするが、何が素となっている」

「マンドレイクですよ。不老不死の薬の原料ともいわれています」

 知っている者なら喉から手が出るほど欲しがる。

「心配しなくても不老不死にはなっていません。調合の仕方がわからないので」

 採るのにも苦労した。

 そこら辺には生えていない。生えているのは魔獣、精霊の棲み処。どうも魔力が関係しているらしい。魔力は自然に存在しているが、人のいる場所と精霊、魔獣の棲み処では濃度というのか違うらしい。そのため人の立ち入らない山奥等に生えている。マンドレイクだけでなく珍しい薬草も。

 マンドレイクは有名だが採るのは命がけ。偽物もよく売られている。

「調合した女に何かされたか」

 セレーネは口をへの字に。

「されたんだな」

 陛下は小さく笑っている。これも珍しい。

「ええ、色々実験台に」

 セレーネは思い出し、遠い目。

「私より少ないですけど魔力も持っています。それを変な方向に使って、というか変な魔法ばかり覚えて」

 セレーネは、はぁ、と小さく息を吐く。真面目に仕事していればどこかの国のお抱え薬師として重宝されたのに。自分の欲望に走り。

「変な方向? 魔力が少ない? 魔力の量がわかるのか」

「勝負すればわかりますよ。といっても少ない魔力で大きな魔法を使う者もいますので、そこは腕次第でしょう」

 セレーネは顎に人差し指をあて、説明。陛下は顔をしかめている。

「あの女は人の心を操る、と言いますか、惑わす、と言いますか。得意なんですよ。そういった魔法を薬に込めるんです」

 陛下の受けた魔法込みの毒のように。毒だけでなく薬も作れる。そのため植物にも詳しい。魔法より。

 陛下はますます顔をしかめ、小さく息を吐いただけ。


 その日から陛下の傍で手伝い。意見の食い違いで言い合いになることも。それは謁見中も。初めて見る臣下は目を丸くしていた。なぜかセレーネに「陛下にこう申し上げてください」と言ってくる貴族まで。


「陛下に休んでいただきたいのですが」

 ユーフォルの疲れた声。

 仕事を再開して五日。休んだ分を取り戻そうと休む暇なく働いている。それに付き合わされているユーフォルとダイアンサス。セレーネは陛下に休めと言われることも。素直に休んだり、お茶の用意をしたり。医師の許可はとっているが、ダイアンサス、ガウラ、アルーラにも同じことを呟かれ。

「明日の予定はどうなっています」

「明日、ですか」

「今日、今から休めと言っても無理でしょう。それなら明日の午後休ませましょう」

 休め休めと各方面から言っているのなら、

「休むためなら協力してくれるんですよね」

 ユーフォルを見た。

「はい。しますが」

「では、明日の午後はお茶会にしましょう。ガウラ様、ダイアンサス様、アルーラ様を誘って。特にダイアンサス様達はこちらにこられて仕事以外の話をされていないでしょう」

 意識が戻った翌日の朝食は一緒に食べていたが、話したのは短時間。あとはそれぞれ仕事をしている。

「上手くいくでしょうか」

「陛下には私から頼み込んでみます。ずっと机と玉座での仕事。体力も落ちているでしょう。気分転換の散歩と言って引っ張り出します」

「それなら庭でお茶会にしましょう」

 勝手に話を進めた。


「というわけで、散歩しますよ」

「何がというわけだ」

 翌日。昼食中、そう切り出した。

「気分転換ですよ。天気もいいですし、散歩日和です。それとも体力落ちて足腰弱りました」

 陛下はむっとし、

「何を考えているか知らないが、午後の予定がある」

「明日以降にしてもらっていますよ。私だって気分転換したいですよ。何が悲しくて狸の化かしあいを見続けなければならないんです。陛下は狸というより猫っぽいですね」

 控えている使用人が小さく吹き出した。

「誰が猫だ。猫はお前だろう。気分のままに」

「なら、可愛げのない犬」

 睨まれた。このような応酬も慣れたもの。

 昼食が終わると「はい、行きますよ」と陛下の背を押し、広い庭へ。

 ヴィリロの城より広いのでセレーネはすべて把握しきれていない。自分の家なので陛下は把握しているはず。二人で迷子など間抜けすぎる。

 目的などはない。ただ整えられた庭をゆっくり歩いていた。広いのに手入れが行き届いている。

「退屈じゃないか」

「無理して話してくれなくていいですよ。退屈じゃありませんし、抜け穴探しに集中」

「抜け出すな」

 ここに来てからは庭をじっくり歩けていない。歩いていたのは一部。しかも護衛付。

「必要ですよ。そこから侵入してくるのもいるかもしれませんし、いざという時はそこから脱出できます」

 呆れ、だろうか、小さく息を吐かれた。

「そういえば、ヴィリロの城でも抜け出していたな。帰ってくれば臣下に怒られて」

「……嫌なことを覚えてますね」

 こっそり出て行き、こっそり戻ってきていた。見つかり臣下に説教されている姿は何度か見られている。そして一緒に抜け出し、揃って怒られたことも。今ではそこに侵入者用の罠(魔法)を仕掛けている。

「さすがにここで勝手に落とし穴を作るわけには」

「作るな」

 聞こえていたのか、当たり前だが反対された。

「私こそ、普通の令嬢とは違うので扱いに困るんじゃないんですか」

 令嬢の好む話など心得ているだろう。しかしセレーネはその手の話しに疎い。なので、同年代の令嬢達と話が合わないことも。

「そうだな。規格外の令嬢もいいところだ」

 並んで歩いていた。軽く手が触れ、離れ、足を速め、少し先を行く陛下。そして速度を落とし、セレーネと並ぶ。庭に出るまで、出てからも触れては離れていた。違っていたら振り払われるだけ、とセレーネは右手を伸ばし、陛下の左手を握った。

 ぴくりと反応。しかし振り払われていない。嫌ではないのか。今も先ほどからもセレーネに合わせて歩いてくれている。だから大きく離されていない。

 女性の扱いに慣れている。火傷痕のせいで近づいてこないよう言っていたが、なければ別の者とこうして歩いていた。手を握り、笑いながら話して。セレーネは隣国へ。すぐヴィリロに戻り、祖父の手伝い。ヴィリロに戻れていないが今も似たもの。

「俺と、一緒の部屋が嫌なら、別の部屋に移れば」

 ぶっきらぼうな言い方。なぜ、そのような話に。

「嫌ではありませんよ」

「だが、ソファで寝ているだろう。俺と一緒が嫌なら」

「ああ、あれは陛下の負担になるかと思いまして」

「負担?」

「手負いの獣、傷ついた動物は弱いところを見せないと。陛下も同じで、弱っているところを見せたくない。私がいれば緊張、はなくてもプライドが許さなくて、ゆっくり休めないかと。ソファで寝ていました」

 陛下が気にしないよう軽く言う。

「潜り込んでいいのなら、というか先に私が寝ていますが、いいのなら、そうしますが。と言いますか、いつの間にか寝台にいるんですけど。陛下が一緒が嫌だと言うのなら、移りましょうか?」

 陛下が寝込む前からソファで本を読んでいて寝落ちしたのは何度も。寝落ちしてもいいよう毛布を傍に置いて。

 陛下が回復してからも邪魔だろうとソファで寝ていた。しかし目が覚めれば寝台に。ソファで寝落ちしたその時も目が覚めれば寝台。運んでくれているのは一人しかいない。

 決めるのはセレーネではない。陛下は答えない。

「疲れて、ないか」

 セレーネを見ないまま、遠慮がちにかけられた声。

「体力はありますから。久々歩けて気分転換になります。陛下は」

 見上げた。見上げた側は左だったので表情は見えない。

 また答えはない。歩く速度が上がったような。何か機嫌を損ねることを言っただろうか。

「いつまで、そう呼んでいる」

 再び、ぶっきらぼうな言い方。だが手は離れていない。

「はい?」

「いつまで、名前を呼ばないでいる。俺達は」

 そういえば来てからはずっと陛下と呼んでいた。一度だけ、シアと。一応夫婦なのだ。

「レウィシア様」

 何の反応もない。

「シア」

 四年前もそう呼んでいた。髪の間から見える耳はほんのり赤く。色が白いのでわかりやすい。

 速度は落ち、セレーネに合わせて進む。

 歩いていると庭師がハサミを手に庭木の手入れ。セレーネ達を見て驚き、頭を下げる。セレーネは何か実をつけている木を見つけ、

「これ、食べられるんです?」

 知らないのかレウィシアは答えない。自分の家の庭なのに。庭師が「食べられません」と答える。

「何か食べられる果樹を植えるのも楽しそうですね」

「ヴィリロでやっていたように盗み食いでもするのか」

「本当に、どうでもいいこと覚えていますね」

 セレーネは口をへの字に。

「そういう陛、シアはどんな子供だったんです?」

 出会ったのは大人といっていい年。セレーネも子供とはいえない年齢だったが。

「お前ほど面白い話はない」

「面白い子供時代は送っていませんけど。というか知りませんよね子供時代」

 幸せだったのは確か。なんの不安もなく、将来も漠然としていた。両親、弟とずっと一緒にいられると信じ、疑いもしなかった。

 思い出しているのか答える気がないのか、レウィシアは無言。

「臣下が陰で話していた。祖父であるシャガル様にもいない時に話を聞いた。バディド殿にも」

 何を話していた臣下。そしておじい様、バディド。祖父とバディドは悪くは言わないだろう。いや身内だから遠慮なく。

「俺は、次期国王として帝王学に武道。俺しかいなかったからな。外へ出るにも護衛付。アルーラがたまに外へ連れ出してくれていたが、ばれればヴィリロのお前より臣下達にアルーラが怒られていた。父は元気があっていいじゃないかと笑って」

 口元には小さな笑み。

 初めて会った時でさえ気品というのか漂っていた。同じ王族なのにセレーネとは大違い。他国の王族にも何度か会ったが、それでも群を抜いて雰囲気が違っていた。

 そんな者が連れがいるとはいえ、町中を歩いていれば。そしてたった一人の跡継ぎに何かあれば。

 セレーネの場合は従弟がいた。魔法を習っていない頃から自由に出歩いていた。城にもいなかった。いたのは父の家。もしセレーネしかいなければレウィシアと同じになっていたのか。そういえば臣下がうるさく言うようになったのは叔父の乱心後。

「指名手配されている者と知り合いといい、何をやっていた」

「知り合ったのはシアと出会う前ですよ。それに手配されているのは三つ四つの国です」

「十分だ」

「この大陸にどのくらいの国、町、村があると思っているんです」

 今でも新たな国を興したり、滅びたり。

「かばうのか」

「自業自得の者も中にはいますよ。よく言うでしょう。人を呪わば穴二つ。それに大陸中に手配書でもまわらない限りわかりませんよ。見た目だけで判断できません。それとも、わかるんですか」

 セレーネは意地の悪い笑みを浮かべて見上げた。レウィシアは何も答えない。

 良い出会いもあれば悪い出会いも。出会って痛い目に遭い、良いこともあったが。半々くらいか。

「ん?」

 セレーネは小さく首を傾げた。レウィシアの子供の頃を聞いていたのに、なぜかセレーネの話になっているような。


 ユーフォルと打ち合わせていた時間にお茶会の場所へ。移動している間も沈黙したり、くだらない話をしたり。

 何も知らないレウィシアはテーブルにいる面々を見て、どういうことだとセレーネを見た。

「今まで仕事の話ばかりだったでしょう。他愛ない世間話でもしてください」

 レウィシアの手を握ったまま空いている席へと引っ張る。嫌なら振り払える。アルーラも「ほら、陛下」と声をかけていた。

 テーブルには様々な菓子、ケーキ類。お茶もそれぞれの好みに合わせて色々。仕事の話、堅苦しい話はなし、と言いつつも仕事の話に。

「陛下にはっきり言うのでセレーネ様に進言する者も多いでしょう」

「いい迷惑です。なぜ直接言わないのでしょう」

「小心者ですよ。陛下のひと睨みで黙ってしまう。根性のある者、どうしても伝えたい者は引きません」

 アルーラの言葉にセレーネは頷いた。

 この数日、謁見も一緒。助けを求めるようにセレーネを見る者も。

 朝から夜まで一緒の場合も。セレーネとしては勉強になる、と話を聞いていたがレウィシアはどうなのか。

「陛下より言いやすいのと、セレーネ様も話を聞くから。陛下の目を盗んで相談されているでしょう。この前も何か話していたようですし」

「相手にするな」

 レウィシアの冷たい言葉。アルーラはやんわり言ってくれているが、この前は罵られていた。

 これでこの国はもっと良くなります。それなのに陛下は。王妃様から陛下に言ってください、と来た臣下。レウィシアはその案を却下していたのでセレーネの元へ。その場は書類だけを受け取った。その後色々調べた結果、レウィシアと同意見に。セレーネは時間を要したがレウィシアは数分で結果に辿り着いた。さすがというか。

 レウィシアが伝えなかった、どこが悪いのか欠点を指摘すると、政もわからないくせに偉そうなこと言うな、と罵られ。その場を見ていたらしい。良い案ならセレーネも補足し、レウィシアに再提案している。

「我がままだと苦情が出そうですね」

 セレーネとしては案を選んでいるのだが、人を選んでいると取る者もいるかもしれない。

「もう出ている」

 レウィシアはあっさり肯定。

「文句だけは早いですね」

「まったくだ」

 全員同意。

「相手にしていませんので、ご心配なく」

 レウィシアの背後に控えているユーフォル。

「こちらとしては助かっています。手伝ってもらっている上、はっきり申してくれますので」

「回りくどく言うよりはっきり言ったほうがわかりやすいと思いますけど。特に」

 レウィシアの場合は。

「臣下達の目の前で言い合いするので不仲説が出ていますよ。見る限り不仲には見えませんが」

 アルーラが冗談をにじませ軽く言う。

「これだけ陛下にはっきり言い、根性のある王妃もいないだろう。逃げられないよう、しっかり捕まえておけ。次が見つかるかどうか」

 ガウラの言葉にレウィシアは苦い顔。

「心配しなくても次はすぐ見つかるのでは」

「なぜそう言える」

 ガウラに睨まれた。なぜ睨まれるのか。

 ちなみにガウラの言葉遣いが悪いのは今さら変えられないから、だそうだ。幼い頃は身分関係なく話し、遊んでいた。成長するにつれ立場を理解するようになり。アルーラなどはレウィシアが十二歳の時に言葉使いや態度を改めたと。レウィシアはそのままでいいと二人に言ったがアルーラは線引きをし、ガウラは幼い頃のまま遠慮容赦なく。父親には色々言われているらしい。ただアルーラも言うことははっきり言う。

「レウィシア様はいい男じゃないですか。なぜ怖がられるのか不思議です」

 アルーラは噴き出し、ガウラはなんともいえない顔。レウィシアは飲んでいたお茶を噴き出している。

「のろけ、か」

「いえ、そういうのでは。正直に言っただけですけど」

 顔に傷はあるがそれがなんだというのか。精悍な容姿、頭もよく、体格にも恵まれ、武道も。

「見る目がなかったんですね。と言えばよかったんです?」

「のろけだな」

「ああ」

 ガウラとアルーラは頷き合い、レウィシアを見ていた。レウィシアは誰も見ず、どこかへ顔を背けている。耳が赤いのはセレーネにもわかった。

「うちもうちで色々ありましたから。根性もつき、鍛えられました」

 ヴィリロのお家騒動は近隣の国にも知れ渡っている。

 将軍である父を失い、次期国王に王妃まで。祖父は半隠居状態、国を治めていたのは次期はついていたが長男である叔父だった。祖父は混乱に素早く対処していたので混乱は大きくはならなかった。

 よくグラナティスや他国から攻められなかったものだ。特にグラナティスは国を治める者が変わってから良い噂を聞かなかった。この時内乱になっていなかったが、その後、戦になりヴィリロにグラナティスの民が逃れてくるかと思ったがそれもなく。レウィシアの治め方がよかったのだろう。

「ヴィリロは」

 ダイアンサスは遠慮がちに尋ねてくる。

「大丈夫ですよ。臣下は優秀な者でがっちり固めています。どうしようもない事態になれば連絡を寄越しなさい、とも言っていますので」

 どうしようもない事態が起こらない限り心配ない。起これば向かわなければならないかもしれない。

「どちらかといえば、こちらが大変でどうしようもないような」

「はは、手厳しい。しかし、お言葉通りですね。陛下」

 ダイアンサスに話を振られ、レウィシアは苦々しい顔。アルーラ、ガウラは小さく笑っていた。


 お茶会も終わり、それぞれが戻ろうと席を立った。

「セレーネ様が来てくれてよかったですよ」

 アルーラが話しかけてくる。レウィシアはユーフォル、ダイアンサスと話している。

「なんというか、この短期間で以前よりも尖りがとれました。氷の王だ、酷薄だと言われていますからね。その王が、あんな表情。ぶふっ。あ~、久々に見た」

 思い出し笑い。

「こういうのんびりした時間もいつぶりか。陛下は仕事、仕事で。休めと言っても休んでくれなくて。叔父上のしてきたことをなんとか前国王、お父上時代に戻そうとして、徹夜も度々たびたび

「そんなに無理をしているのか」

 ガウラは呆れている。

「また陛下をこうして連れ出して、のんびりできる時間を作ってやってください」

「見捨てないでやってくれ」

 ガウラまで。

 どんなに変わろうとも傍にいる人達。大切に想われているから。いなければここにはいない。

「でも、お二人もユーフォル様、ダイアンサス様もいるでしょう」

「おれ達じゃ踏み込めないところがありますからね。そこはセレーネ様の役目、ということで」

 セレーネでも踏み込めないような。四人に対し、セレーネは三年ぶり。しかも一緒に過ごしたのは一年。二人ほど知らない。

「何を話している」

「あ、話終わりました」

「ああ」

「陛下を見捨てるなと話していた」

「見捨てられても」

「いいんですか?」

 セレーネの問いに詰まっているレウィシア。

「冗談ですよ。戻るのでしょう。戻りましょう」

 右手を出すと、恐る恐るといった様子で左手を出してくるレウィシア。

「陛下、そこは逆ですよ。陛下から手を差し出さなくてどうするんです」

 呆れているアルーラ。

 レウィシアはアルーラを睨み、セレーネの手を取り、城内へと歩き出した。

 息抜き、休憩になっていればいいが。


 夕食も風呂も済ませたセレーネはソファで本を読みながら過ごしていた。

 本にセレーネでない影が。ん? と顔を上げると、風呂上りのレウィシア。というかレウィシアしかいない。他人なら許可を得ていない限り、不法侵入、無礼者、盗人。

 何か用なのか。セレーネが口を開く前に、

「足腰が弱ったかと話していただろう」

 昼の話。なぜその話。レウィシアは身を低くし、妖しい笑み。

「弱ったかどうか確かめてみればいい」

 いい声を作り、耳元で囁く。

「へ? え? へ?」

 以前のネコでも持つような抱え方でなく、横抱きにされ、寝室に運ばれた。


 後日、長く仕えている庭師から「陛下のあのように落ち着いた表情は久々に見ました」と喜ばれ、二人で歩いているのを見かけた若い使用人からは「あんな顔もされるのですね」と見たことがなかったのか、少し驚いたように言われた。

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