第2話
子を生むことも妃としての役目。しかも妃はセレーネしか今のところいない。
元気だ、とセレーネは陛下の一日を見聞きして、そう思った。結婚式から二十日が経つ。陛下は夜遅くとも、朝早くから起き、書類仕事やら謁見と。一方セレーネは昼頃まで寝る日も。
特にやることのないセレーネは図書室で魔法書やこの国の歴史書を読んでいた。一日だけ没頭し、昼過ぎから次の日の夜まで図書室に。陛下は何も言わず、ノラ、アルーラからは、せめて食事だけでもとってくださいと。
この国の歴史書はどれにも竜がこの国を
話す異形、精霊だろうか。精霊が存在しているのは知っている。竜の姿をしたものも。だが子供まで作れたか。
そのためか、この国の王族には時々、体が頑丈、怪力、目や耳が普通の人よりよい者が現れる、とも記されていた。最近では前国王。何代の王は視力がよかった、等の記録が残されている。魔法で体を強化できるが、それはそれで別の部分に影響がでてくる。遺伝もしない。記録を見る限り、代々の王は天寿を全うしていた。短命、長命とは見受けられない。それとも隠しているだけか。
精霊とは別の竜なのか。魔力ある獣、魔獣もいるが、あれらは人の言葉は話さない。
魔法書はヴィリロが多い。ほとんどセレーネが取り寄せた、見つけたもの。それともこの国の魔法使い達が別に持っているのか。この国の魔法使いの力も見せてもらった。訓練場でだが。こう言ってはなんだが攻撃魔法についてはセレーネが上。たぶん知識も。治癒魔法は苦手。
貴族とお茶したことも。どこの貴族がセレーネ様に会いたいと訪れていると。ノラに伝えられ、勝手に会っていいかわからず(本音は会いたくない。読書や散歩していたい)陛下はなんと、と陛下に丸投げ。許可が出れば仕方なく、表情は笑顔を作り会っていた。
男もいれば令嬢も。彼ら彼女らは口を揃えて「大変ですね。おかわいそうに」と言ってくる。セレーネの白髪を奇異の目で見る者、染めているのですかと揶揄してくる者も。
どこかの貴族が言うことを聞かないから位を剥奪された。機嫌一つで使用人だろうと臣下だろうと斬る。王妃様もお気をつけください、と。ある男などはセレーネの手を握り、何かあればお力になりますよ、と。悲鳴こそ上げなかったものの鳥肌ものだった。一通り言いたいことを言うと趣味は、と見合いのような話から自慢話。陛下に会っていかないのかと尋ねれば、皆顔を強張らせ、王妃様からよろしくお伝えくださいと、そそくさと帰る。
結婚祝い、機嫌取りの贈り物も。アルーラ達が安全か中身を調べて渡してくれているが中には、
「この宝石、何か魔法が込められていますね。なんでしょう。不幸になる、とか仲を引き裂く、といったものでしょうか」
傍にいた陛下に取り上げられ、剣で割られた。セレーネとしてはじっくり調べ、倍にして贈り主に返してもよかったのだが。
「懐かしいですね。ヴィリロに来た時も持っていたでしょう」
お守りと言い、渡されたもの。実際は持ち主の体力をゆっくり奪っていくものだった。
渡したのは叔父の側近、重宝されている人物だとか。付いてきていた幼なじみ二人には馬鹿正直に信じ、持って来るなと怒られ、砕かれていた。
そういえばグラナティスに戻る際、セレーネが渡したお守りは持っているだろうか。一度だけ命を護る、危険が迫れば結界が発動するようになっていた。あれも宝石に魔法を込めていた。聞いても答えるか。
再会してから二十日以上経つが陛下の笑った顔を見ていない。無表情か不機嫌顔。臣下を怒鳴っている場面も何度か。一部の臣下、使用人はびくびく。セレーネとも必要最低限の会話。
呆れた顔を一度だけ見た。あれはセレーネと年の近い貴族の男が挨拶に来ていた時。その貴族がいきなりセレーネの手を取り「是非、我が邸に遊びに来てください。すぐにでも」と強引に連れて行かれそうになり。
外へ出られるのは嬉しいが勝手に行っていいものか。しかも陛下に黙って。男の魂胆もわからない。つい魔法を使い、気絶させ。その後、仕事中の陛下の元へ謝りに。理由を聞き、陛下は呆れ顔。アルーラはなぜか大爆笑。あの後、あの男はどうなったのか不明だ。
妃業としてやることもないので、本日もノラが用意してくれたお茶を飲みながら部屋で大人しく、図書室から借りてきた本を読んでいた。
そういえばここに来てから城下町を歩いていない。歩きたいと言ってみよう。
本を読みながら考えていると、ばたばたと騒がしい足音。乱暴に扉が開かれ、
「陛下、しっかりしてください! 陛下!」
アルーラ、ユーフォルに抱えられ運ばれてくる陛下。
「早く医師と治癒師、薬師を」
「何かあったんですか」
セレーネはソファに座ったまま尋ねた。
「刺されたんです」
答えたのはアルーラ。二人は寝室に。次々に人が入って来る。寝室は大騒ぎ。
「陛下! 」「早く治癒を! 」「駄目です!」
慌てた声、怒鳴り声が聞こえてくる。読んでいた本を置き、セレーネも寝室へ。
寝台に横たえられている陛下。治癒師は陛下の右脇腹あたりに手をあてている。血が止まらない、と悲痛な声。陛下の顔色は悪い。刺されたにしては。
「毒、ですか?」
次に傷口を見た。治癒師の手の隙間から見た傷は大きくない。それに対し出血量が多い。
「毒? 毒なら解毒剤を」
「しかしどんな毒か」
動転しているのだろう。あたふた。セレーネは小さく唸り、ポケットから小瓶を取り出し、陛下の口へ。
「セ、セレーネ様、何を」
「浄化魔法、使ってみてください」
「は?」
「いいから試す!」
びしっと強く言うと、治癒師は浄化魔法を唱え始める。傷口からはゆらゆらと黒い靄が細く立ち上っている。「あっ」と治癒師の声。
「浄化魔法が終われば即治癒魔法」
「は、はい」
セレーネの冷静な言葉に治癒師は大きく返事。
「で、何があったんですか」
アルーラを見た。アルーラは顔面蒼白。
「陛下は」
「本人の体力次第でしょう。一応薬は飲ませました。万能薬というのでしょうか。なんにでも効きます。あれ一本しかないですけど。ものすごく高価だし」
はぁぁ、と残念な溜息。手に入れるのに苦労した。ここは他国。何がおこるかわからないので常備していた。
「子供に刺されたんです」
説明してくれたのはユーフォル。陛下の護衛兼補佐をしている。
「子供、ですか。油断しそうですね。陛下は背が高いから目に入らなかったのも」
セレーネは女性としては平均的。陛下はそのセレーネより頭一つ半高い。
「捕らえているのなら会えますか。刺したもの、毒が気になります」
ユーフォルは迷っていたが、わかりましたと頷いた。未だ混乱しているのだろう。冷静に考えれば反対される。
「陛下は」
治癒師に尋ねている。
「傷は塞がりました。毒はなんとも」
「即効性の薬ではありません。薬と毒のせめぎ合いになるでしょう。薬が効くと自信を持っていますが数日は」
陛下の体力もある。
「浄化魔法が効いた、ということは魔法も組み込まれていたのでしょう。毒が確実に行き渡るよう、体力を奪う、といったものだと思います。そのため傷口も塞がらなかった。浄化したから傷口が塞がり、体力も今は奪われていない、はず」
どれだけ奪われたかはわからない。
「魔法は独自で作れます。それは毒も」
公表しなければその個人の知識。
「……わかりました。アルーラ、陛下の護衛を」
呼ばれたアルーラは深呼吸。
「いえ、ユーフォル様がついていてください。刺客の元へはおれが案内します」
二人はしばし互いを見て。
「わかった」
ユーフォルが頷いた。
アルーラに案内され、刺客がいるという牢へ。
「陛下は助かるんでしょうか」
「たぶん」
「冷静に言わないでください」
「取り乱せばいいですか」
「いえ」
「こういうのはなるようにしかなりません」
「そうですね」
そう、なるようにしかならない。叔父が母ともう一人の叔父を始末しようとしていた。その巻き添えを子供であるセレーネや弟、従弟達も。
「ところで、なぜ刺客に会いに」
「こういう場合、内に仲間がいて、騒いでいる間に口封じ、始末されるものです。刺した剣共々。子供だけの考えとは思えません。それとも刺客は臣下、貴族、使用人の子供でした? 刺客の傍に見張りはつけていますか?」
「急ぎますよ」
つけていないのだろう。アルーラの足が速く。
「刺した剣は短剣ですか、それとも」
子供にアルーラや兵達が持つ剣は振れないと思うが何歳の子供かわからない。大きければ陛下も気づく。それなら陛下の視界に入りにくい身長。国によっては幼い頃から剣を握らせ、刺客として育てている。
「短剣ですよ」
「その剣は回収していますよね。保管場所は」
答えない。これは騒ぎにまぎれて持っていかれていると考えるべきか。
地下にある牢へ。出入り口の見張りは三人。見張りの兵はアルーラに頭を下げる。アルーラとセレーネは牢へと早足。いやアルーラは駆け足になっていた。
いくつかある牢の前を通り過ぎ、足を止め、
「おい、無事か!」
鉄格子を摑み、アルーラが声をかける。しかし牢の中には誰もいない。
薄暗い牢。隅の方かとセレーネも目をこらすも、誰もいない。
「逃げられた?」
アルーラの呆然とした声。
「でも、どこから」
アルーラは鉄格子を摑んで中を見続けていた。鍵はしっかりかけられている。
「入れます?」
「入ってどうするんです」
「何かないか確かめようと。私はここにいるので兵に話を聞いてきてもいいですよ」
迷っているのか、アルーラは腕を組んで唸り、牢の鍵を開ける。
セレーネは中へ入り、魔法で光球を作り、辺りを明るくする。牢の中を見回し、魔法を使い隠れていないか、明かりをあちこちへ。
「ん?」
「どうされました」
セレーネはしゃがみこみ、床に落ちていたものを拾う。
「人の形をした紙、ですか」
アルーラの言う通り。セレーネはその紙をじっと見る。
「陛下は子供に刺され、刺した子供は捕らえられ、ここに」
「ええ」
「ふむ」
じっと紙を見る。表、裏と。
「陛下を刺したのは、これですね」
「は?」
「おそらく魔法をかけて、子供の姿にした。目的を達したから紙に戻った、というとろでしょうか。ですが、これが魔法をかけられ歩いてここまで来たか、誰かが陛下が傍まで来た所で紙から変化させたか」
手にした紙をじっと見る。
「これから犯人の手掛かりを」
「犯人はわかりきっていますよ」
アルーラは大きな息を吐く。
「陛下の叔父、ですよ」
いつも食事をとっている席でぐったり。夕食の時間なのでテーブルには食事が並べられている。足りないのは陛下だけ。
「陛下の容体は落ち着いています」
ユーフォルの報告。
「そうですか。部屋はどうなります。別の部屋へ移りましょうか」
「いえ、同じ部屋で。王妃様も狙われるかもしれませんので」
「返り討ちにします」
ユーフォルは小さく笑い、
「陛下も同じことを言っておりました。しかし」
返り討ちにできず。
「それで、そちらは何を」
説明よろしく、とアルーラを見た。セレーネは喉を潤すため水を一口。
アルーラはああ言っていたが、何か手掛かりは、と魔法を使い、紙を調べていた。
「刺客は牢におらず、中に残っていたのは人の形をした紙でした。セレーネ様が言うには魔法を使い、子供の姿にしたのでは、と」
油断しやすい姿。
「紙は燃えてしまいましたが、一瞬、金髪のないすばでぃの女性が視えました。その女性が人の形をした紙に魔法をかけ、陛下を襲うよう、仕向けたのでしょう」
「あの女、か」
ユーフォルも心当たりがあるのか、アルーラ同様苦々しい顔。
「魔法が得意だとは伺っておりましたが」
「それでも万能ではありません」
できないこともある。
「陛下にお渡ししたお守り、覚えていますか」
「ええ、覚えていますよ」
もう捨てられているかもしれないと。
「陛下は今も大事に持っていますよ」
「は?」
アルーラを見た。
「火傷を負った時、もっと
もう役に立たないのに。渡したのは覚えているがどんな宝石だったかは忘れた。
「つまり、刺客の子供は」
ユーフォルの硬い声。
「あ、はい。見張りの兵に話を聞きましたが、騒ぎの後、牢に出入りした者はいなかったと。見回りしている兵にも聞いたのですが、誰もそんな子供見ていないと」
牢を出た後は陛下が刺されたという場所へ。こちらも何か落ちていないかと探していたが何も見つからず。
「陛下を刺した剣も回収したと思っていたのですが」
セレーネが見せてくださいと、しつこく頼み込んで。しかし兵に聞いても誰もわからず。
「誰かが持ち去った。まだ陛下を狙っている者がいる、ということか」
ユーフォルは難しい顔。
セレーネとしては毒も気になり探していた。
「陛下には信用のできる護衛をつけている」
「そうですか」
仕事の話に移っていく。セレーネは夕食にすべくフォークをとった。
夕食後は護衛に囲まれ部屋まで。大げさ、セレーネが重要人物だと言っているようなもの。小さく息を吐きながら部屋へ戻った。
どうにかして毒が手に入らないものかと、部屋をうろうろ。陛下に飲ませた薬については効くと信じている。それでも毒が気になる。本来は毒の成分を分析して解毒薬を作るか、症状からこの毒だと判断して解毒薬を飲ませる。魔法で中和という方法も。
当たり前だが襲われた場所は綺麗に掃除されていた。今さら陛下の血を採っても薬が効いていれば。……陛下の服があれば。まさか汚れた服のまま寝かされていないだろう。寝室に入り、服を探した。
処分されているかもとは考えたが、服は部屋の隅に。かなり混乱していたらしい。それは今も。
セレーネは破れ、汚れている部分をとろうと服を持ち上げた。転がり出てきたのは小さな袋。見覚えがあるようなないような。今は、と毒と血のついた部分を取り、魔法で鳥の姿に。窓を開けると鳥は夜なのに迷いもせず飛んでいった。
窓を閉めると、小さな呻き声。寝台の陛下は苦しそうな表情。毒のせいか悪夢か。毎晩一緒に寝ていた。時々うなされていたのも。セレーネが幼い頃、悪夢を見ると父や母が撫でてくれて、安心して眠れた。子供ではないが、と遠慮がちに陛下の大きな背中を撫でたことも。
少し迷い、傍へ行くと、うすく開かれる瞳。声になっていないが口が動いている。
医師か薬師を呼ぶべきか迷っていると、手が伸ばされる。熱くうっすら汗ばんだ手はセレーネの頬に。
「ゆめ、だったんだな」
かすれた陛下の声。セレーネは小さく首を傾げた。
「いやな、夢を見た。叔父上が俺を」
混乱しているのか。ヴィリロにいると、四年前、身内に襲われる前だと。
「俺を、よく思っていないのは知っていた。あんな夢を見るとは」
うっすら開けていた瞳を閉じ、顔を歪ませている。
陛下の頭を撫でると歪んでいた顔が穏やかなものに。頬に添えられていた手もゆっくり下ろされていく。その手を布団の中へ。
四年前と間違えた? ということはあれからセレーネは表面上変わっていないと。なんともいえない気持ちに。
ここでは寝られない。気にせずお休みください、と言われたが。医師が数時間おきに様子を見に来る。セレーネが戻るまでは居間で治癒師が待機していた。
陛下の様子が落ち着いてきたのを見て、セレーネは毛布を持ち、居間に移動。寝室を出る前に、小さな袋は寝台傍の机に置いて出た。汚れた、破れた服は処分されるだろうが脱衣所の洗濯籠へ。その日は居間のソファで寝た。
三日経ったが陛下は眠ったまま。時折ぼんやりと目を覚ますので、医師はその時に水や食事を与えていた。
困り顔のアルーラが来たのは昼過ぎ。セレーネの行動範囲は部屋と図書室だけ。陛下の叔父の手の者がいるかもわからない、セレーネを狙っているかもしれないので食事もこの部屋で。
散歩したい、と本から顔を上げ、窓の外を見ていた。
「お疲れですね。陛下なら眠っていますよ」
「ええ、仕事が溜まって。臣下もうるさいし」
毎日忙しく書類整理やらなにやらしていた。
「書類仕事なら手伝いましょうか。ヴィリロにいた時もやっていました。ここでは王妃という立場を利用して。あ、重要案件は陛下が起きてからで。他のも暫定、臣下の許可を得て話を進める。責任は私が持ちますよ。言い出したのですし」
本を読むだけも飽きてた。
アルーラは迷い、
「ユーフォル様に尋ねてきます」
来たばかりの部屋を出た。
答えは早く、本を十ページも読まないうちに「お願いします」と戻ってきた。
案内されたのは陛下が仕事している部屋、執務室。机には紙が積まれ、ユーフォルが筆を握っていた。セレーネに気づくと立ち上がり、一礼。
「こちらは急ぎ、こちらは日があります。こちらは重要案件で」
仕分けられていた。
「わかりました」と急ぎの書類を一枚取り、目を通した。
わからないことはユーフォル、アルーラに聞き、セレーネの意見を書いたメモを添えてユーフォルが確認。そうして書類を整理していた。
休憩中。部屋の中を見る余裕も。机と本棚、応接机と広い部屋には必要最低限のものだけ。陛下の私室も似たもの。セレーネと同部屋となってからは花を活けてくれているがそれまでは花もなかったとか。そういえば玉座も飾っていなかった。派手好きな王は引くくらい飾るが。陛下はそうではないらしい。ヴィリロ、祖父も無駄に飾っていなかった。執務室もここまで殺風景ではない。この部屋にも一輪でもいいので活けてもらおう。
「陛下のことはどう伝えたら。動揺している臣下もおります。正直に言っていいものか」
「一命はとりとめましたから、大丈夫としか。暗殺と正直に言うか、日頃の忙しさにとうとうぶっ倒れ、療養中と言うか」
意識ははっきりしないが大丈夫だろうと、医師、薬師は言っていた。ただ、弱っているのは確かでその隙をつかれれば。
見ていた者もいる。口止めはできない。城内散歩すらできない。どういった話が臣下、使用人の間でされているのか。
陛下を刺した短剣は探しているが未だ行方不明。
互いに息を吐いた。
翌日も書類整理をしていると、扉が叩かれる。
「どうぞ」
ユーフォルが返事をすると入ってきたのは四十中頃の男。黒髪、藍色の瞳。後ろには若いが同じ色の男が。
「ダイアンサス殿」
ユーフォルは立ち上がり、男に近づいて行く。
「こうも早く会えるとは思いませんでしたよ、ユーフォル殿」
セレーネは座ったまま小さく首を傾げた。
「お久しぶりです、王妃様。今回は大変でしたね」
「はぁ」
「ダイアンサス・セントレア殿です。結婚式にもこられていましたよ」
「……ごめんなさい」
覚えていないので正直に謝った。
「いえいえ、大勢の貴族が来ておりましたから」
笑ってすませてくれている。
「それより陛下は」
表情が引き締まる。
「なんとか。未だ意識ははっきりしないが」
「犯人は、聞くまでもないか」
「ん?」
「どうかされましたか」
「いえ、寝室で何かあったようですね。今の時間って医師の診察でした? もしかしたら陛下が起きたのかもしれません」
医師、治癒師、薬師が控えているが何が起こるかわからないので、寝室に異変があれば知らせる魔法を仕掛けていた。
「いえ、医師の診察は終わって」
言葉を切り、ユーフォルとダイアンサスと紹介された男は顔色を変え、部屋を飛び出した。セレーネも書類を置いて、追った。
「触るな!」
居間まで響いてくる怒声。寝室を覗くと、寝台から下り、片膝を床につき、片手には剣を持っている陛下の姿。離れてはいるが若い女性使用人が尻もちをついている。
「陛下、落ち着いてください」
ユーフォルが声をかけるが息荒く、耳に届いているか怪しい。
「陛下、わかりますか、ダイアンサスです」
穏やかに話しかけるも。
「う、るさい、うるさい!」
意識がはっきりしていないのか、大きく頭を左右に振っていた。
目が覚め、寝台から出たから、仕掛けた魔法が発動したのか。それともあの使用人と何かあった?
「彼女、逃がさないでください」
ユーフォルの背後、小声で伝える。
ゆっくり陛下の元へ。陛下はセレーネを睨みつける。
あ~、これ迫力ある。腰抜かす人もいるわ。心の中で呟く。
「何も持っていませんよ。何もできません」
セレーネは両手を上げ、近づいて行く。陛下は警戒心丸出しの目でセレーネを見ている。手負いの獣という言葉がぴったり。
傍まで行き、床に両膝をついて視線を合わせる。合わせられず見上げる形だが。
「なぜ、ここにいる」
「いるから、いるんです。もしかして幻だと思っています」
夢だと。ゆっくりと両手を陛下の両頬に。逃げるように身を引いていたが、そっと触れた。
「大丈夫ですよ。だから落ち着いてください。ここにいる者は誰も陛下を、あなたを傷つけませんよ」
触れた頬を撫でた。
「いつまで」
「?」
「いつまでいる。どうせお前も俺から離れて行く。皆離れて行く。俺は一人」
「夢ですよ」
「いつかはそうなる」
自嘲的な笑み。
「夢ですよ。全部悪い夢」
頬を撫で続ける。
「大丈夫。次に起きた時もいます。だから今は休んでください」
剣を持っていない陛下の手がゆっくり動く。セレーネの頬に触れ、首に。
「セ、レーネ」
「はい。そうですよ」
再会して初めて名前を呼ばれた。そういえばセレーネも彼の名前を呼んだだろうか。
「シア」
レウィシアと呼ぶのは面倒くさく、短くして呼んでいた。三年ぶりに愛称で呼ぶ。
まっすぐに見た。蒼の瞳はセレーネを見返して、ゆっくり閉じられていく。
ぐらりと大きな体が揺れる。
「え、ちょっと、まさか」
セレーネへと倒れこんできた。
「ふぎゃ」
支えきれず床へ。慌てて寄ってきたユーフォルとダイアンサスが陛下の体を起こし、脱出。はぁ、とセレーネは息を吐いた。吐いて呆然としている女性使用人を見た。
「あなたは何しにここへ」
「あ、は、はい。ノラ様に言われて」
「ノラに」
「はい、様子を見てきてほしいと」
「なぜ、ノラ本人が来ないのです。それに何の用で、食事や着替えは医師の診察や先ほどのように起きた時だけ。夜は私がいますが、いない間は治癒師か薬師が控えているはず」
その治癒師、薬師がいない。
「よ、様子を見てきてほしいと言われただけなので」
「それこそありません。ノラ本人が来るはずです。何かあればユーフォル様かアルーラ様、陛下の信用のおける方に相談、伝えています」
ユーフォルを見た。ユーフォルは陛下を寝台に戻し、話をいつからか聞いていた。
「私は聞いておりません。もしアルーラに伝えていたとしても、部屋に入る前に話が私の元へ来るはず」
ということは、この女性は。
素早い動きでセレーネの背後に回り、首へと腕を回す。
「ずいぶん勘のいい王妃様だね。ただのお飾り、人質のなんにもできないお譲ちゃんかと思いきや」
態度も口調も変わる。
「しぶとい王様にとどめを刺しに来てみれば。おっと、動くんじゃないよ。動けば大事な王妃様がどうなるか」
ユーフォル達の動きが止まる。首に回っている腕に力が入った。
あ、ちょっと苦しいかも。
「あれに刺され、陛下も終わり。やっと帰れると思っていたのに。こんなことになるとは」
舌打ち音。
「つまり、あの紙を子供の姿に変える魔法を放ったのはあなた。魔法使いですか? ちなみに仲間は」
「話すと思う」
「思わないけど、話してもらわないと」
「はっ、こんな状態なのに余裕だね」
女の馬鹿にした笑い。
「馬鹿はお前だ。その女を人質にしたのが間違いだったな」
さらに馬鹿にしたのはダイアンサスと同じ髪と瞳の色をした男。息子、だろうか。
「いつまで遊んでいる。それとも腕が落ちたか。四年、三年か、前は俺達をぼこぼこにしておいて」
「こんな機会もないから」
ヴィリロではセレーネの腕は知れている。だから誰もこんな真似しなかった。叔父の事件以降の話だが。男も知っている様子。だから助けようと動かなかったのか。
「何を言っ」
軽い電撃の魔法を女に打ち込む。
「っ!」
女の腕は緩み、セレーネは抜け出した。
「陛下より私を狙ってくれれば返り討ちにしたのに。誰だろうと容赦しない」
それにセレーネが倒れても、この国の誰も困らない。
冷めた目をして女を見た。女は動こうと、逃げようとしたのだろうが。
「な!」
思うように動けず、自身の体を見下ろしていた。女のつま先から膝あたりまで氷に包まれている。
「動きを封じるのはいいが、ここで騒ぐのか」
呆れた男の口調。
「う、それもそうですね。自害されないうちに気絶させますか。それから魔法を解く。あ、商売道具の手足が使いものにならなくなるまでこのままでも。うるさければ黙らせますよ」
方法は色々。
「笑顔で恐ろしいことをさらっと言うな。眠らせて、動かせるようにしろ。あとは父とユーフォル様がどうにかするだろう」
「お任せください」
父、ということは、やはり父親。
「わかりました。では」
「思い通りに」
最後まで言わせず、魔法で眠らせた。
女は力なく床へ。氷の拘束を解くとユーフォルが女を肩に担ぎ上げ、寝室から出た。セレーネ達も後に続く。
ユーフォルは女から話を聞くため、部屋から出て行く。簡単には話さないだろう。出て行く際、
「こちらに書類をお持ちします。ここにいてください。何かわかりましたら報告します」
つまり、ここで大人しくしている、もしくは陛下の護衛。今回セレーネが気づかなければ、陛下により刺客は斬られ、部屋は大変なことに。ノラ、この部屋に控えていた薬師、治癒師は無事だろうか。
「え~と、さっきは聞かなかったんですけど、四年前ということは、一緒に来ていた残りの一人」
「ガウラだ。結婚式にも来ていたが」
「気づかず、すいません」
セレーネは頭を下げた。
「陛下が刺されたと聞き、父と来てみれば」
苦々しい顔。
「敵が多いんですね」
「ちっ、全くだ。何をしている」
「ガウラ」
たしなめる父親の声。
「あ、お茶用意しましょうか」
「大丈夫ですよ。ユーフォル殿が手配してくれています」
ダイアンサスはソファへ座るよう勧めてくれる。
「大丈夫、そうですね」
「あれくらいで騒ぐ女なら娶りはしない」
セレーネのこと、だろう。普通の令嬢、令嬢でなくても人質にとられれば怯え、泣くか固まり動けない。気絶する。
「安心しましたよ。陛下もお元気そうで」
あれを元気というのか。ダイアンサスは目元を緩めて寝室の扉を見ている。
「それに」
セレーネへと視線を移した。
「?」
小さく首を傾げる。
「仲良くやっているか心配していたんだ。最後に見た姿が姿だけに、な」
どのように見えていたのだろう。怯えてはいなかったが仲良くには見えていない。
「お前も陛下が刺されたと聞いて、慌てていただろう。すぐ行くと」
息子の脇を小突いている。息子はうるさい、と悪態をついていた。
翌日からはダイアンサスも加わり書類仕事。
昨日の女性は使用人として二ヶ月前ほどから入り込んでいたらしい。他にもいるかもしれないのでご注意くださいと言われたが、最も注意するのは陛下で、次は信用の厚い者ではないのか。セレーネを始末しても新しい妃を迎えれば。
「私の他に妃候補とかいなかったんですか」
ぐしゃりと紙の潰れる音。
「突然すいません。ですが半分になったとはいえ大国。国内のみならず隣国からも縁談があったのでは」
特に他国から迎えればその国との繋がりもできる。
「ありました。陛下が顔に火傷を負われるまでは。火傷を負い、戦場を駆ける度に傷は増え、いつしか性格も」
答えたのはユーフォル。
「戦は人を変える、と言いますものね。でも火傷なら治癒師に治してもらえたのでは」
時間が経ちすぎれば無理だが五、六日経ってもきれいに治せるはず。
「それは誰もが口を揃えて申し上げたのですが、自分より巻き込まれた者を治せと」
治さなかった。自分を後回しにした結果。
「セレーネ様とのお話も。陛下か貴族かで揉めまして。知らぬ仲でもなし、国ごと味方につけるのなら王族同士が、ということで。それに、その、陛下の変わりように誰も近づいてこなくなり、つれてこられても陛下を一目見て怯えまして」
人質という立場のセレーネならどうなろうと、という考えもあったのだろう。
「ずいぶん記憶と違って、別人かと疑いましたけど」
「色々、ありましたので」
セレーネのことも信じていない。四年前はどうだったのだろう。
「世継ぎを望んでいるのも確かです。陛下に弟妹はおらず、敵対した叔父上にも子供はいない。共倒れになれば王族の血は絶えます」
そういえば臣下に世継ぎはまだか、妃としての役目を果たせとか、なぜヴィリロから。国内の由緒正しい者から選べば。陛下も陛下だが令嬢もなぜ断る。妃だぞ、この国一贅沢できる。少々のこと我慢できないのか、とセレーネを前にぶつぶつ。陛下の前では……言う者は言っていた。
「……責任重大ですね。親戚は」
「ダイアンサス殿がそうなりますか。五代前の国王の妹君が嫁がれたので。あとは」
いないのか。子供がいれば大変そうだ。陛下を気に入らない者は敵と結託。陛下を排除して幼い子供を操り、実権を握れば。もし、陛下に弟でもいればさらに勢力は分かれていたかもしれない。
この国の歴史と共に家系図も見たが四代前に血族が減っている。何かあったのだろう。ヴィリロのように。今のグラナティスのように。そのような血なまぐさい記録はない。残せるものでもない。
王族というのはどこもかしこも大変だ。
「あ、捕らえた人ですけど、白状しない場合は自白剤もありますので言ってください。お渡ししますよ」
ユーフォルとダイアンサスになんともいえない目で見られた。王妃が持っている物ではない。
書類仕事は夕食まで。夕食時になるとテーブルを片付け、ユーフォルとダイアンサスは部屋を出る。部屋の前には二人の護衛兵が交代しながら一日中いた。お疲れさまです、とおやつを差し入れたことも。
風呂に入るために着替えのある寝室へ、静かに入る。着替えだけでも移したかったが、今や寝室以外の部屋は仕事部屋と化していた。そのため下着類をその辺に置くわけにもいかず。
ついでに陛下の様子を覗き込んだ。
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