第34話 初恋がキャラを変えた
初恋を自覚したのは、幼稚園の頃だった。
相手は隣の家に住む、同じ年の女の子。
僕がどれだけやんちゃをしても、いつも彼女は微笑んでくれた。
たとえば、彼女のスカートをめくったり、僕が転んで泣いていたり、親に怒られたり。
自分が被害にあっても、僕を受け止める優しさが好きになったのだ。
出会って3秒で弟扱いしてきたのだけは勘弁だったが。
「あらあら、つらたんったら、本当にお姉ちゃん大好きっ子なんだから」
本人が目の前にいるなんて、ある意味、罰ゲームだ。
「あんた、いきなり自分語りを始めちゃって、キモすぎ」
神楽坂さんは地面に唾を吐き捨てた。相当、嫌われているらしい。
唯一、救いだったのは。
「幼なじみしか勝たん」
目をうっとりさせている近藤さんだ。相手を暴露して件は聞かなかったことにする。
これほどまで恥ずかしい思いをしてまで、初恋の話をしているのには理由がある。
神楽坂さんは僕たちを攻撃しているわけで。
本当なら、神楽坂さんの動機を知って、そのうえで対策を検討したい。
相手が心を閉ざしている以上は、緊張感をもって注視するしかできない。
そこで、自分をさらけ出すことにした。
自己開示が人間関係を築くのに大事。萌音先生がおっしゃっていたから。
まずは僕たちを知ってもらって、神楽坂さんに僕たちを認めさせたいと思っている。
なお、復讐はどうでもよくなってきている。邪魔さえされなければ、別にいいというか。
「真面目くん、自分語りするなら、早く済ませなさいよ」
自分語りしていいと受け取った。
「初恋の子は、仮にAと呼んでおく」
「あら、お姉ちゃんじゃないのね?」
「
「……やっぱ、あんた、萌音さんが好きなんじゃない」
誰も信じてくれない。
「小さい頃は楽しかったんだ。恋愛感情はよくわかんなかったし、彼女と遊べていれば満足だったからな」
恋愛を知らなかった僕は、負の面にも気づかなくて済んだ。
勢いだけで突っ走って、神楽坂さんにコクったとか、今思えば馬鹿すぎる。
「でも、無邪気だった子どもも小4にもなれば、わかってくるしな」
「あらあら、わかるわ」
「わたしもでしゅ。小4からはひとりでお風呂に入るようになったでしゅ」
小4にもなれば、恥ずかしいお年頃になるのだ。
「で、僕も御多分に洩れず、恋愛を意識しちまったわけ。Aと話すのが恥ずかしくなったんだよ」
「あら、それでお姉ちゃんを避けたのね。つらたんも男の子なんだからぁ」
「だから、相手はAなんだが」
我ながら苦しいが、形だけでも保っておかないと。
「あとな、別に恥ずかしいだけの理由で避けたわけじゃないから」
「えっ、そうなの?」
「そんだけの理由で、6年も疎遠になるわけないだろ」
「あらあら」
萌音が嬉しそうにニコニコする。
(あっ、自爆しちゃった)
なんでもないところでミスするなんて、馬鹿すぎる。
「とにかく、Aを性的に意識しちゃった僕は、恥ずかしがりながらもAの気を惹きたいと思ったんだ。恋愛的に好きになってもらいたくて」
「あらあら」
「大空しゃん、わたしをショタに目覚めさせる気でしゅか?」
「それで、あんたスカートめくりしまくったり、虫を机の中に入れたりしたのね。ほんとに男子って最悪なんだから」
萌音と近藤さんが好意的な反応をするなか、神楽坂さんだけがプンプンしていた。態度から察するに、小学生のときに男子にいじめられたのだろう。
「神楽坂さん、好きな女子をいじめてしまうのが小学生男子なんだ」
「あらあら。つらたん、お姉ちゃんにはスカートめくりしかしなかったわよ」
萌音が余計なことを言う。
「僕はいじめ以外の理由で、Aに好かれたいと思っていた」
「あんたにとって、スカートめくりはいじめじゃないのね。まあ、犯罪だし、臭い飯でも食ったら」
話が進まないので、いちいち否定するのをやめた。
「そのなかには、情報収集も入っていた」
「情報収集でしゅか?」
「ああ。当時、Aとは同じクラスだった。放課後に女子が恋バナするのが流行ってたんだよな」
「あらあら、懐かしいわね」
萌音が遠くを見る。
「で、男子が廊下で聞き耳を立てていたわけ。みんな、女子の情報を集めたかったんだよ」
「そうだったわね。ある日、女子が男子の覗きに気づいて、問題になったのよ」
「……男子と女子の関係が険悪になって、先生がかわいそうだったな」
若気の至りだ。
「Aは聞き上手でみんなのお姉さんっていうか、ママだったから恋バナの常連だったんだ」
「あんた、もはや隠す気ないわね」
神楽坂さんの指摘が当たり前すぎて、ダメージすら受けない。
「そんなある日、いつもは聞き役のAのことが話題になった」
女子の会話を再現してみる。
『男子は大きいおっぱいが好きだよね』
『Aってさ、最近、おっぱい大きくなり始めた』
『だから、男子はAが好き』
3段論法だった。
『モテモテのAちゃんに質問があります』
『あらあら、なにかな?』
『Aちゃん、どんなタイプの男子が好き?』
その質問が聞こえた瞬間、全身が耳になった。
一言も聞き逃すまい。だって、そこには僕がAと恋人になるためのヒントがあるから。
ところが。
『そうねえ…………真面目な人かな』
すさまじい衝撃が体を襲った。滝に打たれたように動けなくなる。
『コツコツと真面目に勉強して、先生や親の言いつけも守って、みんなに優しい人かな』
僕は廊下を飛び出していった。
そのとき、後ろで聞き耳を立てていて、男子とぶつかる。彼が教室のドアに体当たりしたんだった。女子にバレたの、僕のせいだった。
「やんちゃな僕とは真逆なタイプで、すっごくショックだった。何日も寝込んでたんだ。7日目だった。ぼんやりと天井を見つめていて、思った」
僕は深呼吸してから言う。
「Aが真面目な人が好きなんだったら、自分も真面目になれば解決するんじゃね」
「あらあら。つらたん、前向きなのね」
自分が原因なのに、萌音が頭を撫でてきた。
「反省した僕は態度をあらためて、学校にも行き始めたわけ」
「めでたし、めでたしでしゅ」
近藤さんが目を潤ませていた。
「ところがな。真面目になったのはいいんだが、Aにアピールできなくなったんだよ」
「どういうことでしゅ?」
「Aが好きな真面目が具体的にどんなものかわからない。悩んだ僕は徹底的に真面目になればいいと思った」
「は、はい」
「でも、真面目になればなるほど、自分が不真面目に思えてきて、自信がなくなっちゃって……僕なんかがAに話しかけちゃダメと」
話していて、ふと気づいた。
「大空しゃん、わたしみたいなこと考えてたんでしゅね」
自己肯定感が低かったから、自分に似ている近藤さんが放っておけなかったのかもしれない。
「あらあら。つらたん、お姉ちゃんに相談してくれればよかったのに」
ボケをかます萌音お姉さん。いや、天然か。萌音が好きなのに話しかけられないから苦しんでたんだが。
「きっかけは、ちょっとしたことだったが、僕はAから逃げ続けてしまった」
本当に馬鹿だった。
「『もっと真面目になったらAに近づこう』『試験で学年1位になったらAにコクろう』『いや、勉強だけじゃダメだ。運動もできなきゃ』って感じで、延々とAを避けてしまったんだ」
萌音が目に涙を浮かべていた。
「ごめん、萌音。本当に自分が情けない」
僕はハンカチを取り出して、萌音の涙を拭く。
「っていうわけで、僕は真面目でもなんでもない。好きな人に近づきたくて、真面目を偽っていた」
脱線してしまったが、やや強引にまとめに入った。
「な、なんでなのよ」
神楽坂さんの声が震えていた。
「なんで、あんたも同じなのよ」
「神楽坂さん、どうしたの?」
「なんでもねえし……ってか、私は恋なんかのために真面目になったわけじゃないっての」
神楽坂さんの顔から直情的なまでの怒りは消えていた。困っているようだった。
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