第27話 彼女の事情

「わたし、小さい頃からお兄ちゃんが怖かったんでしゅ」


 僕と近藤さんは書店から場所を変えて、喫茶店にいた。

 注文した飲み物が来た後、近藤さんは話を切り出す。


 別に事情を聞くつもりはなかったのだが。

 聞いてほしいのだと、僕でもわかる。


「近藤さん、ずっと怖い思いをしてたんだね」

「そうなんでしゅ」


 近藤さんは僕の手を握ってきた。

 唐突な行動に驚く。が、態度には出さない。きっと、彼女が求めているのだから。


「お兄ちゃん、昔からがさつだったんでしゅ。わたしが生まれて、両親の関心がわたしに向けられるのが嫌だったみたいで」

「妹の存在が妬ましかったのかな」

「……年も1つしか離れてませんし、お兄ちゃんの気持ちもわかるんでしゅ」

「近藤さんは優しいんだね」


 弱そうにしているのに、芯は強い子かもしれない。


「ひゃうぅっ!」


 彼女は慌てて僕から手を離す。自分でも気づかないうちに大胆な行為に出ていたらしい。


「キモオタ菌がうつっちゃいましゅ」

「小学生のいじめじゃないんだし」


 僕は人差し指で、彼女の手の甲をちょこんとつつく。


「はぁぁんっ❤」


 艶っぽい声だった。

 予想外の反応に戸惑う。


「ごめん、近藤さんが汚くないって伝えたかったんだが、普通にセクハラだよな」

「……セキュハラなんかじゃありましぇん」

「えっ?」

「うれしかったので」


 セーフだったようだ。


「わたし、お兄ちゃんが怖くて、子どもの頃からビクビクしてて……気づいたら、こんな性格になってたんでしゅ」


 かける言葉が見つからない。


 大きくうなずいて、彼女の言葉を受け止める。

 なにも言えないにしても、「大丈夫、僕が聞いているから」と、メッセージを込めて。


「大空しゃんは人間の性格って、どうやって決まると思いましゅか?」

「どうって?」

「わたしは、生まれつき性格は決まっていて、親ガチャとか関係ない派でち」

「そういう意味ね」


 昔の自分の姿が脳裏をちらついた。


「僕は小さい頃はやんちゃだったんだよ」

「そうなんでしゅか」


 近藤さんは目を見開く。


「ああ。なにをしても萌音が受け止めてくれてさ。スカートをめくっても、怒らないどころか自分で見せてきたからな」


 すぐに失言だと気づいた。

 子どものいたずらだとしても、女の子に言うことではない。


「薄い本を希望しましゅ」


 セーフだった。2回目。


「でもさ、小4のときにやんちゃな自分が嫌になって、心を入れ替えたってわけ。真面目になろうと決意して、今に至るって感じかな」

「やっぱり、大空さんはしゅごいです」


 僕を見る瞳がキラキラしている。


「だから、『真面目くん』とか言われても、僕の場合は偽物なんだ」

「しょんなことないです!」


 近藤さんは僕の手に両手を重ねる。


「大空さんは自分を変えまちた。かっこいいでしゅ」

「ありがとう」


 僕は別に自分を変えたつもりはない。たんに、コミュニケーションのスキルを練習しているだけ。


 自分を変えたように思えるんだったら、そうなんだろう。相手の受け取り方を否定したくない。


 なので、素直に礼を述べた。

 

 空いた方の手でアイスコーヒーを口に含む。

 なお、近藤さんはオレンジジュースを頼んでいる。


「わたしも、おどおどした性格をと思ったことがあるんです」


 性格をという言い回しが気になったが、話の腰を折る。あえて、指摘しない。


「中学2のときでした。同じクラスにマンガやアニメが好きな女子が何人かいたんでしゅ」

「う、うん」

「共通の趣味があれば仲良くなれるかもと思って、がんばって声をかけてみまちた」


 なぜか保護欲をくすぐられる。「がんばったね」と頭を撫でたくなるというか。

 萌音の気持ちが少しだけわかった気がする。


「最初上手くいきました。わたし、本だけはたくさん持ってるから、本の貸し借りをする友だちになったんでしゅ」


 何点か引っかかる。

 うすうす察した僕は、彼女のフォローができるよう内心で身構えた。


「何人か、本を借りにわたしの家に来るようになったんでしゅ」

「うん」

「わたしのコレクションを気に入ってくれて……」


 良かったねとは言わない。その後の展開が読めるから。


「気づいたら、わたしの好きな本を布教してまちた。大きな過ちだと気づかずに」


 書店でお兄さんが話していたことを思い出す。


「わたし、女の子同士がキスするマンガや、エッチなラノベを女の子に布教したんでしゅ。完全に暴走でちゅよね」


 正直、反応に困る。

 が、僕には幼なじみ伝授の必殺技がある。


「……」


 ただ黙って、菩薩を意識した笑顔アルカイックスマイルを浮かべる。


『あらあら』が使えないのが残念だ。

 ネタではなく、あのお姉さんみたいな安心感を相手に与えられるかが大事。


 少しでも近藤さんが楽になることを願って、話を聞く。


「わたしの家に来る子のなかに、イケてる子もいたんでしゅ」

「カースト上位にもマンガ好きはいるもんな」

「ひゃい。家に来ているうちに、お兄ちゃんがその子を好きになって」


 近藤さんはオレンジジュースをストローで飲む。


「お兄ちゃん、告白したんでしゅ。そしたら、『キモオタの兄とは付き合えない』って断られたらしくて、お兄ちゃんにキレられたんでしゅ」


 近藤さんは全身を小刻みに震わせていた。

 僕は手を彼女に近づけると、彼女は握ってきた。


「わたしの性格がキモいとか、布教したこととか、さんざん怒られました」

「……」

「さらに、友だちだと思っていた子も、わたしの本が目当てだっただけみたいで」


 近藤さんの瞳に涙が浮いていた。


「わたし、自分を変えようとして、バカなことをして」


 テーブルに滴が落下する。

 僕は空いた手でハンカチを出すと、彼女の頬をぬぐう。


「だから、わたし、自分の性格を直すのを諦めました」


 近藤さんは自分の好きなことに正直だっただけ。


「近藤さん、災難だったね」

「災難?」


 信じられないといった感じで僕を見る。


「わ、わたしが悪いのに?」

「たしかに、近藤さんは暴走した。とくに、性的なコンテンツを不用意にすすめたのは良くなかったかも」

「でしゅよね」

「でも、だからといって、近藤さんの性格を否定してもいいとは思わない」

「えっ?」


 僕は彼女の瞳を見つめる。


「僕は近藤さんの性格、けっこう好きだけどな」


 恥ずかしいとか言っていたら、彼女には届かない。


 せっかく、本音を語ってくれたんだ。

 彼女の覚悟を無駄にしたくない。


「つらたん、がんばってね」


 後ろから幻聴が聞こえた。

 幼なじみの姿が脳裏をよぎる。安心して、近藤さんに向き合える。

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