第23話 放課後はチャンス

 翌朝。いつも通り、5時半に目覚まし時計が鳴る。

 眠い目をこする。


 そこまでは何の変哲もない朝だったのだが。

 腕が妙に幸せだった。スポンジのような柔らかい物質に包み込まれている。


(なにがあった?)


 目を開けてみる。


(あっ、そりゃ幸せなわけだ)


 というのも、僕の腕に萌音が抱きついていたから。腕が谷間に埋まっている。

 しかも、ギュッと僕をつかんでいる。


 幼なじみは気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 動いたら、起こしてしまう。


 本来なら、寝起きには体操をしたい。が、諦めて、表情の筋トレをすることに。

 しばらくして。


「つらたん、変顔もかわいいね」

「……萌音お姉さま、おはようございます」

「おはよう。数年ぶりに添い寝できて、お姉ちゃん、大満足だよ」

「なんで、僕の部屋に侵入したのかな?」

「つらたんのママに合鍵をもらったの。『息子を大人にしてあげて』と言われたのよね」


 思わず、ため息が漏れた。


「それで、明け方にお邪魔したのよ」

「……」

「下着は昨日の予告どおりピンクだから、安心して」


 萌音は制服のブラウスとスカートだった。スカートが太ももまでめくれていて、ピンクを想像してしまった。


「理由を聞いてるんだけど?」

「だってぇ、あたしたちのことが噂になったら良くないでしょ」

「ああ」


 萌音さん、コミュニケーション能力は高いはずなのに、論理が飛躍している。


「それが、なにか?」

「登校中はいちゃつけないよね?」

「まあ、そうだな。神楽坂さんには2度も目撃されたしな」

「だから、登校中以外で貫之くんとスキンシップをしたいの」


 添い寝の理由が予想外だった。

 健康な男子としては、朝に爆乳を押し当てられるのはいろいろとまずくて。


「夜のビデオ会議を夕方にして、リアルでやるとかダメなのか?」


 夜9時ぐらいに頻繁に会っていたら、親に怒られかねない。そう思って、夕方を提案してみた。


「うーん、放課後は大チャンスなのよ。お姉ちゃんの相手をするより、近藤さんに時間を使ってほしいな」

「たしかに。なら、朝でいいです」

「わーい。じゃあ、毎日、起こしにくるね」


 煩悩をコントロールする修行も始めようか。


「じゃあ、お姉ちゃん、朝ごはんを作ってくるね」

「いいのか?」

「つらたんママ、お仕事忙しいんでしょ。朝ごはんを作る代わりに鍵を借りたの」

「……」

「『孫の名前を考えておくわ』って言われちゃった。てへっ」

「母さん、なんてことを言ってるんですかね?」

「『うちの息子、真面目すぎるから、導いてあげてね』だって」


 それだけ言い残すと、萌音は部屋を出ていった。


 萌音お手製の朝食を両親と一緒に食べる。

 両親は萌音がいることを純粋に喜んでいた。後ろめたさを感じた。僕たちの計画があるから。


   ○


 約束どおり、萌音とは別々に登校する。

 定刻に教室に入り、教科書を読んで。近藤さんが登校してきたら、軽い挨拶をして。

 学級委員の雑務をこなし。


 放課後になった。

 近藤さんは文庫本をカバンにしまっている。


「近藤さん、図書室に行くの?」

「いえ、今日は本を買いに行こうと思ってましゅ」


 図書室だったら後から行こうと思っていたのだが。

 ふたりきりで学校の外に出かけるのは、さすがにためらわれる。


 悩んでいると、近くの席で女子が会話しているのが聞こえた。


「萌音ママ、今日はプリンを奢ってしんぜよう」

「あらあら。なにか相談があるのね」

「察しが良くて助かる」

「いいわよ。でも、そのまえに少しだけ待ってもらっていい?」


 数秒後、スマホが震えた。


『貫之くん、誘ってみたら?』


 僕たちの会話も知っているらしい。


 今朝、『放課後がチャンス』だと、萌音は言っていた。

 リアルで一緒に出かけて、人間関係を深めていく。萌音たちのやり取りからも、大事さは感じていた。


 かといって、休日に遊びに誘うとなると敷居が高くなる。授業が終わって、そのまま出かけられる放課後は便利だ。


 チャンスは今。


「近藤さん、僕も本屋について行ったらダメかな?」

「ひゃっ!」


 近藤さんが大きめの声で言う。もともと声が小さいので、近藤さん基準では大声なのだろう。


 萌音はニコニコと微笑んでいる。


 一方、神楽坂さんは、「高橋くん、提出物は遅れちゃダメだよ」と高橋くんに注意をしていた。ただし、僕の方を見て。怒っている、主に僕に。


「びっくりさせちゃって、ごめん」

「いいえ。わたしごときアメーバレベルの人間が恐れおおいだけなんでしゅ」


 自己否定が激しすぎる。

 それに、近藤さん自身の意思がわからない。


 ただ、返事を催促するのも怖がらせそうで、黙って見守ることにした。

 1分ほどして、彼女は重い口を開く。


「わたしと一緒に行っても、ウザいかもでちよ」

「いや、ウザくなんて思わない」


 近藤さんは変わった子だけれど、ただそれだけ。たんに、個性が豊かなだけだ。

 自分に合わないからと言って、弾圧する人間にはなりたくない。


 たとえば、僕は神楽坂さんが苦手だが、彼女を攻撃したいとは思わない。カノジョを作って、見返したい気持ちで動いている。


「近藤さんがなにを好きでも、僕は受け入れるよ」

「はわわわ」


 近藤さんは上目遣いで僕を見る。

 瞳が語っていた。彼女の願いを。


「おながいしましゅ」


 秋の心地よい陽射しが、近藤さんの黒髪に降り注ぐ。

 汚れのない純粋さがまぶしかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る