第18話 ドキドキ図書室

 月曜日の放課後。僕は図書室に来ていた。


 本は購入派の僕。小遣いの多くを本に費やしている。それでも、予算の都合で買えない本はあって、学校の図書室にはお世話になっている。


 まずは、借りていた本を図書委員に返却した。

 そこまでは普段通りだったのだが。


「あの、まだ、なにかありますか?」

「あ、いえ……なんでもありません」


 図書委員の前で立ったままだったせいで、不審に思われたようだ。女子の図書委員なので、誤解された可能性もある。めちゃくちゃ恥ずかしい。


「大丈夫ですよ。真面目君の堅物さはうちのクラスでも聞いてます」

「僕、有名人のつもりはないんですけど」

「校門前で泣いていた女子小学生に話しかけたみたいですね。なんでも迷子とかで親を探して走り回ったとか」


 そういえば、夏休み直前にやった気がする。


「汗だくだくになって学校の周りを走って、お巡りさんに声をかけられたんですって」

「は、はい」

「お巡りさんも真面目君の真面目さを認めて、無罪放免になったとか」

「……」

「なので、怖い顔をして目の前に突っ立っていても、ストーカーじゃないと信じたいですね」

「すいませんでした」


 無実が証明されたはずなのに、ディスられた気がするのは、なぜ?


 すみやかに図書委員の前から立ち去った。

 書架の方に向かう。


 僕を挙動不審に陥らせた原因が、道中にいた。

 幸い、読書に集中していて、僕に気を留めていないようだ。


 今週の作戦は教室外で彼女と話して、距離を縮めること。

 きっかけは週末にさかのぼる。


結月ゆづきさん、放課後は図書室にいるみたいだよ』

『貫之くん、来週は図書室でも話して、仲良くなってみよっか』


 という感じで、萌音が言ったのだ。


 なんでも、萌音は友だちのネットワークを使って、近藤さんの情報を集めていたらしい。さすが、幼なじみ。『あらあら』でいろんな子の話を聞いて、人脈は豊富なのだ。


 なお、萌音は近藤さんを結月さんと呼んでいる。ほとんど話しているのを見たことないのに。コミュ力高い人の距離感はバグってる。


 いざ、図書室に来たものの、勇気が出なくて、今に至る。


 話しかけるという意味では教室でも、図書室でも変わらないはずなのに。

 単純な挨拶と軽い雑談ならOKで、距離を縮めようとするとダメっぽい。


 挨拶は中学時代の風紀委員でもさんざんしているから大丈夫?


 いや、それもあるが。

 近藤さんの視点で考えると。


 教室で挨拶をされるのは許容範囲の可能性が高い。学校では、『挨拶をしましょう』と呼びかけている手前もあり、すんなり受け入れられるはず。

 図書室で話しかけられるとなると、自分のパーソナルスペースに踏み込んでこられたと思われかねず。教室に比べて、心理的な抵抗は強いかもしれない。


 しかし、動かなかったら、なにも変わらないわけで。

 永遠に真面目くんな童貞のまま。みんなの笑いものから卒業できない。


 心臓に手を当てて、深呼吸をする。


(大丈夫、僕にはできる)


 落ち着いてきた。

 冷静になった僕は文学書のコーナーに行く。海外の文豪の本を持って、目的地へ。


「近藤さん」


 9月末の図書室。試験前でもないので、席はかなりすいている。

 会話しても迷惑にはならないだろうが、いちおう声は小さくした。

 近藤さんは顔を上げると。


「こ、こみゃにゃちは」


 例によって、噛んだ。


「ごめん、驚かせるつもりはなかった」


 僕は謝った後。


「そこの席、座っていいかな?」


 コクリと首を縦に振る文学少女。黒髪がなびいた。

 僕は椅子を引いて、近藤さんの斜め前の席に腰をかける。


 真正面でないのには、理由がある。


 萌音によると。人の真正面に座るのは、対決する意味があるそうだ。相手を警戒して、有事に備えるケースでの位置取りだとか。


 かといって、隣は恋人の距離感。僕と萌音は隣同士で座るけれど、それは幼なじみだからで。


 親しくもない女子の隣に腰を下ろしても、嫌われるだけ。ナンパ野郎じゃないんだし。


 そんな事情もあり、斜め前へ着席した。


「あの、迷惑でなかったら、僕と話さない?」

「……ボッチな帰宅部の暇人でちから」

「あらあら」


 自虐に対して、『あらあら』と笑顔で受け流した。

 すると、近藤さんは僕の顔をじっと見つめた。


「ごめん、キモかったよね」


『あらあら』は萌音みたいな人が使うから成り立つ高等テクニックだ。あの雰囲気は天地がひっくり返っても出せないのに。


「大空さん、天海さんと、じょんな関係なんでしゅか?」

「どんな関係って」


 近藤さんは僕と萌音が外食をしていたのを目撃している。疑問に思っても仕方がない。


 彼女なら面白半分な噂を立てて、萌音に迷惑をかけることもないだろう。


 それに。


 僕は近藤さんと仲良くなりたいと思っている。

 友だちとして話す過程で、彼女のプライバシーにも踏み込む可能性もある。きょうだいとか好きな本とか食べ物とか、休日になにをしているかなどを知らずに関わるのも難しい。好みがわからなかったら、なにをすれば喜んでもらえるか不明だし。


 一方で、僕が自分のことを秘密にしたら……?

 ものすごい不誠実だ。僕的にはありえない。

 信じてもらうには、まず、自分のことを言ってから。


「天海さんとは幼なじみなんだ」

「おしゃにゃにゃじみ」


 近藤さんの頬が赤くなっている。


(なんで?)


 もしかして、『幼なじみ』も発音できなかったから?


「安心して。僕は笑うつもりないから」

「あぅぅっ」


 余計に赤面させてしまった。


「ち、ちがうにゃ」


 噛んだ影響なのか、猫語になった。かわいくて、微笑ましい。

 が、笑顔になったら、笑ったと勘違いされそうなので、顔には出せない。


「……推せるだけにゃんでしゅ」


 意味がわからなかった。

 気が動転して、言い間違ったのだろう。


「天海さん、萌音は幼なじみで、あの日は服を買うのに付き合ってもらってたんだ」

「……ましゅましゅ、てぇてぇ」


 近藤さんの目がキラキラしている。教室だとよどんでいるのに。


「僕の話を聞いて、つまらなくない?」

「いいえ、幼なじみの話なんて、おいしい話題。楽しみに決まってます」


 謎の断言だった。普段の態度とは真逆だった。


「なら、もう少し話そうか?」

「わたしごときでよろしければ、お願いいたす」


 自己肯定感が低いようでいて、後半は武士みたいだった。単純に噛んだだけかもしれないが。

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