第17話 接触は大事
翌朝。学校に着いた僕は、普段と異なり文庫本を読んでいた。
教科書にも載っている文豪の作品である。文章は格調高く、名文ではあるのだが。
現代人の感覚からすると、主人公の悩みには共感しづらい。大正時代が舞台だし。
あと、作者の人格がクソすぎる。
たとえば、友だちに借金をしまくり、まともに働かずに踏み倒す。
さらには、親友の婚約者を寝取り、自分がもらう発言をする。結果、病んだ女性が刃物を振りかざして刺される始末。病院に入院中に看護師に手を出して、病院でエッチしまくり、大問題に。
文豪は怖ろしい生き物だ。
ガクガクブルブルしていたら、隣の席から音がした。近藤さんが椅子を引いて、座ろうとしている。
始業時間までは20分以上もあり、人も少ない。
チャンスは今だ。
「おはよう!」
僕が元気よく挨拶すると、近藤さんはキョロキョロした。
僕が話しかけたのは自分じゃないと思っているらしい。
「近藤さん、おはよう」
キョロキョロ2回目。
(おかしいな、近藤さんはクラスにひとりしかいないはずなんだが)
少し前の僕だったら、現時点をもって戦略的撤退を選んでいただろう。
けれど、あれだけ萌音に協力してもらっている。自分の弱気で諦めるのは、人としてどうかと思う(個人の感想です)。
「近藤さん、土曜日のお店、おいしかったよね?」
先日、近藤さんとばったり出会ったことを言ってみる。
さすがに、ここまで話を振れば自分だと気づく。
断定してしまったのに。
「ど、ど、どこの近藤さん、なんでちゅか?」
まだ、自分じゃないと思っている。昨日はもう少しだけスムーズだったが。
「隣の席の近藤さんにさっきから話しかけています」
「ひゃ、ひゃい⁉」
びっくりされた。びっくりしたのは僕の方なんだけど。
「迷惑だったかな?」
師匠直伝の笑顔を心がける。萌音が僕に向ける、子どもを相手にする表情が見本だ。
(弟扱いされるのも役に立つんだなぁ)
というのも。
「迷惑ではありましぇんが、わたしみたいな陰キャボッチと会話をしてくだしゃいましゅなんて」
昨日も感じたが、自己肯定感が低すぎる。
これから、彼女と仲良くしていくんだったら、なんとかしたい気もする。
「自己肯定感が低いのを直せ」とは言いたくない。本人が望んでいる可能性もあるし。外野が文句をつけるのは勝手な行いだ。
とはいえ、自己肯定感が低すぎるままだと、まともに話が進まない。声をかけるたびに、「自分なんかと話すなんて……」みたいな反応が返ってくるだろうから。
本人の気持ちを尊重しつつ、彼女の性格とも向き合っていこう。
「僕、近藤さんと話してみたいんだ」
「わたしなんかとでしゅか?」
ほら、さっそく「わたしなんか」が来た。
「うん、近藤さん、いつも本を読んでるけど、僕も読書は好きだし」
彼女の視線が僕の手元に向けられる。
「その作家さん、わたしも好きなんです」
「へぇ」
「絵画を見ているような文章が美しいのはもちろんですが、文章から作家さんの強い想いが伝わってくるんです」
「う、うん」
「なんと言いますか、生きるのに必死な感じが文章にこもってるんですよね」
「そうなんだ」
愛想笑いで取りつくろう。
(すいません、作者がクソ野郎とか思ってしまいましたね)
ところで、本の話をしているとき、近藤さんは噛んでいない。流ちょうといえば聞こえはいいが、ちょっと早口だ。
(オタクが好きなものを語るときに早口になるって奴か)
近藤さんの新たな一面を発見できて、楽しい。
隣の席になって、1ヶ月弱。おとなしく本を読んでいる姿ばかり見ていたから新鮮だ。
昨日は迷っていたが、話しかけて良かった。
「あうぅっ、わたしったらキモいでしゅ」
近藤さんは頭を抱えてしまう。
そう甘くはなかった。
ボッチな近藤さんにとって、人と接するのはストレスになるだろう。
そろそろ引き際か。
「近藤さんのお話を聞けて、楽しかったよ」
「ほ、ほんとでちゅか?」
「うん、僕も本が好きだし」
「……えへっ、えへへへへ」
近藤さんの頬が真っ赤になる。うつむいたせいか前髪が垂れて、目が隠れている。
限界な模様。近藤さんとの会話を打ち切った。
これからも、焦らずにゆっくりと何度も話しかけていこう。
昨夜、萌音から伝授された作戦を思い出す。
単純接触効果。
心理学用語だ。複数回接触を繰り返していくうちに、対象に興味を持つようになる。そういう心理現象らしい。
たとえば、インターネット広告や、動画の広告なんかに活かされているらしい。
広告系は一歩間違えれば、うざくなるから難しいようだが。
単純接触効果は恋愛にも応用できる。接触回数を増やせば、相手に心を開いてもらう確率が上がるとか。
なので、くどくならない程度に、声をかけるのが当面の作戦内容だった。
まずは、1回目が完了。今回の反省を踏まえ、次回につなげたい。
そのために振り返りを始めようと思ったときに、スマホが震えた。LIMEだった。
『貫之くん、がんばったね』
萌音からだった。お姉さん、お友達の愚痴を聞いている。スマホをいじっている気配がない。画面を見ずに操作できるなんて、さすがだ。
さすがに、1日に何度も話しかけたら、不審に思われる。用事がなくて、結局、放課後に。
「近藤さん、また明日」
「ひゃ、ひゃい。さようならでち」
噛んではいるものの、1回で反応してくれた。一歩前進だ。
翌日からも近藤さんとの軽めの接触は続いた。
朝、必ず僕から挨拶をして。人が少なければ、本の話題を振ってみて。
帰りも挨拶をして。
火曜日から金曜日まで、適度な範囲で近藤さんに見てもらうようにした。
ごくわずかずつ、近藤さんの挙動不審さが減った気もする。
さすが、萌音さん。効果があります。
僕自身も気分がいいし、不思議と近藤さんへの愛着も湧いてくる。
よく見ると顔はかわいい。無表情なのが残念だ。
あと、スタイルもいい。猫背でなければ、胸囲が男子の視線を集めていたかもしれない。
人との接触は大事。友だちの少ない僕も実感している。
金曜日の夜。
「貫之くん、来週は近藤さんと友だちになって見ようか?」
新たな宿題が幼なじみから出された。
萌音に作戦詳細を聞かされ、翌月曜日に実行することに。
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