第3章 本番は最高の練習だ

第14話 飛び込む勇気

 美容院の翌日。日曜日の夜。

 9月も終わりに近づき、夜は冷えるようになった。

 だというのに。


「萌音、そんな格好で寒くないのか?」


 ノートPCの画面越しに見る幼なじみは、不安になるような服装だった。


『心が温かければ、寒さなんて大丈夫だよ!』

「……本当に?」

『寒さよりも、かわいい弟にとっておきのパジャマを見てほしいもん』


(パジャマというより、レースを巻いただけって感じなんだけどな)


 心の中で、ぼやく。

 萌音が着ていたのは、ネグリジェだった。

 きわどいピンクのレース。胸元のフリルだからか、PCの画面越しだからは知らないが、下着までは透けていない。


 なお、萌音は全身を見せびらかしたいのか、カメラから距離を取っているので始末が悪い。普通に座ってくれたら、顔ぐらいしか映らないのに。


(リモートで助かったぁ)


 生だったら、爆乳幼なじみがエロすぎて、ミーティングにならなかっただろう。

 萌音は僕のために貴重な時間を割いている。僕の煩悩のせいで、時間を無駄にさせたら申し訳なさすぎる。


『ねえ、新作パジャマの感想は?』


(エロいです)


 そう答えたいのを、どうにか思いとどまる。

 僕は弟にしか見られていない幼なじみだ。性欲を感じているのがバレたら、避けられるかも。


 ただでさえ、僕のつまらぬプライドのせいで、萌音とは6年も疎遠になっていたんだ。

 しょうもないミスで、振り出しに戻したくない。


「萌音お姉ちゃん、綺麗だぞ」

『えへっ。つらたんが褒めてくれて、うれしいなぁ』

 

 選択肢が正しかったとわかり、ホッとする。


『前の貫之くんだったら、むすっとした顔で言ってたから喜びは半減だったんだよ』「ってことは、今は違うのか?」

『……リプレイするね』


 ビデオ通話ソフトの表示がPCのデスクトップに切り替わる。萌音が画面共有にしたらしい。

 続けて。


『萌音お姉ちゃん、綺麗だぞ』


 恥ずかしいセリフが再生された。


「録画してたのか?」

『人生1、永久保存したいシーンなんだもん』


 大げさすぎるし、僕としては拷問なんだが。


『ところで、貫之くん、自分の表情はどうだった?』

「それなんだよな」


 じっくり考えてみる。


「口角が上がっていて、自然な笑顔だったな。自分では意識してなかったんだが」

『せいかーい!』


 萌音は拍手する。

 たっぷん、たっぷん。

 両手が胸にあたり、爆揺れだった。


『たった9日で、ここまで効果が出るなんて、お姉ちゃんも驚きだよ』

「そうなのか?」

『うん、異世界に転生して、転生ボーナスで身につけたの』

「いや、毎日、1時間の筋トレに、2時間のイメトレをしただけだ」


 僕的には普通なんだが。


『さすが、つらたん』


 世の中では異常らしい。


『お姉ちゃんは毎日少しずつ練習して、時間をかけて身につけてきたの』

「マジか」


 絶句してしまった。


「萌音、小学生の頃からコミュ力高かったし、努力しなくてもできてるんだとばかり」

『……お姉ちゃん、貫之くんに比べたら、努力はしてないけど、少しはやってるんだよ』

「ごめん」


 萌音がどれだけコミュニケーションの修行をしてきたかなんて、この9日を見ていればわかったはずだ。


 接点が多くて、興味があるはずの幼なじみに対してですら、観察できていなかった。

 萌音には褒められたけど、まだまだだ。


『でも、お姉ちゃんの見立て通りだったわ』

「ん?」

『貫之くんは真面目で、努力の天才。成長速度はプロ級だと思っていたの』

「そこまで評価してくれてたんだ」

『だって、お姉ちゃんだもん。弟を無条件に信じる生き物なんだよ』


 まるで、弟嫌いの姉が存在しないみたいな言い方だ。


『けど、期待しすぎたらプレッシャーになるし、我慢しすぎて悶々としてたの』


 萌音の顔が火照っていた。なんでか艶っぽい。


「表情はだいぶ良くなったってことでいいんだな?」

『合格でーす』


『💮』


 萌音はチャット機能を使って、スタンプを送ってきた。


『さらに〜』

「まだ、なにかあるのか?」

『顔の筋肉がついたことで、声も通るようになったの。前よりもイケボになったんだからね』


 全然気づかなかった。


『というわけで、基礎特訓はバッチリよ』

「基礎特訓は?」

『貫之くんはカノジョを作るのが最終目的なんだよ』

「あっ、そうだった」


 コミュニケーションの練習が楽しすぎて、目的を見失いかけていた。


『というわけで、明日からは女の子と仲良くなっていきましょう!』

「おうっ!」


 ノリで答えてしまったが。


「女子と仲良くって、どうすりゃいいんだ?」

『話しかけるだよ』

「……そんだけでいいのか?」


 言われた瞬間は簡単だと思ったのだが。


「学級委員として話しかけてもいいんだよな?」

『……話のきっかけ作りという意味だったら悪くはないんだけど』


 萌音は言い渋っている。どうやら、いまいちだったらしい。


「まずい点は指摘してくれ」

『じゃあ言うけど、学級委員の用事がなかったら、ずっと話しかけないの?』

「あっ!」

『気づいたようね』

「待ちの姿勢じゃダメってことだな?」


 萌音は首を縦に振る。風呂上がりの銀髪がパサリと揺れる。


『チャンスの神さまは待っている人には来ないんだよ』

「たしかに。チャンスの前髪を掴んでいかないとだな」


 自分で行動したから、僕は学年1位まで成績を上げることができたわけで。


「けど、話しかけるにしてもどうすればいい?」


 やる気があっても、具体的にどうすればいいかわからない。難しい。


『話しかけるのは用事を作ればいいよ。消しゴムを拾うとか、休んだ子にノートを貸すとか』

「なるほどな」

『最初は内容は捨てていいから、とにかく話しかけるの』

「うんうん」

『ここで、問題でーす』


 萌音はメガネをかけた。先生を意識したのかも。ネグリジェの先生には違和感しかないが。


『クラスの女子全員に話しかけまくったら、周りの人はどう思うでしょうか?』

「いまの僕の立ち位置からすると、『キモい』で終わるな。節操ない感じがして、みっともないし」

『……怜奈さんあたりは特にね』

「神楽坂さんはな」


 あと3ヶ月も一緒に学級委員をしないといけないと思うと憂鬱になる。


『そこで、大事なのは、ターゲットを絞ること?』

「少ない人数だったら問題なしってことか?」

『好意的に接してくれそうな子に限るけどね』

「よくわかる。神楽坂さんにいくら話しかけても、ウザがられるだけだしな」


 ストーカー扱いされるまである。


『貫之くんが話しかけやすい子で、カノジョにしてもいいと思える子がいいかな』

「うーん、そっか」


 そんな子、いるのか?


「それって、同じクラスの子の方がいいか?」

『そうねえ。同じクラスだと、あたしがフォローできるし、助かるかな』


 同じクラスか?

 誰かさんの顔がパッと思いつく。


(ダメだ、ダメだ。彼女は例外なんだ)


 浮かんだ考えをすぐに追い払う。

 残りの女子は……。


『難問みたいだね。お姉ちゃん、オススメの子を――』

「待った。自分で考えるから!」

『あらあら。弟にお見合い相手を世話したかったのに』


(あなたは昭和のおばさんですか?)


 人の気も知らずに。

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