第10話 見た目は大事と言うが

 学校から帰宅後の夜9時。

 勉強のノルマや入浴をあらかじめ済ませた僕は、ノートPCを立ち上げた。


 約束の時間だが、念のためにLIMEを送る。

 すぐに返事が来た。


『準備はバッチリだよ~』


 ビデオ通話アプリを起動し、萌音のIDを検索する。見つかったアカウントを選んで、ミーティングを開始する。


 数秒後。萌音の顔が画面に映った。パジャマを着ている。


「つらたん、お風呂上がりなのね」

「萌音もな」

「出たばかりなの」


 萌音の入浴シーンを妄想してしまった。

 危険な考えをすぐに頭から追い払う。


「本題に入るぞ」


 ビデオ通話しているのは僕の笑顔をチェックするためだ。

 たしかに、自分の顔を見ながら話すのはリアルだと難しいわけで。録画もしておけるし、練習の効果が上がりそうだ。


「土曜日を含めて3日間、表情の筋トレを中心に特訓してきたが」

「やってみて、どうだった?」

「始めた頃に比べると、少しだけ顔が柔らかくなった気がする」

「うんうん」


 萌音は首を大きく縦に振っていた。

 気づいたんだが、パジャマの胸元が開いている。

 カメラの角度的に、下を向いたときに胸元が強調される形に。

 すぐに視線をそらす。


「でも、こうして自分の表情を見てみると、かなり硬いな。普通にしているだけなんだが」

「……つらたん、ショックだったね」


 お姉さん、カメラの前に手をかざし、左右に振る。リアルだったら頭を撫でられていた。


「けど、現実を直視して、えらい、えらい」

「いちおう、動画をとってある。1週間後を目処に、比較しようと思ってるんだ」

「さすが、つらたん、ご褒美をあげなきゃ」

「ん?」

「いったん切るから、ちょっと待ってて」


 1分後。玄関のチャイムが鳴った。


(誰だ、こんな時間に?)


 母さんは仕事から帰ってきていなくて、父さんは入浴中。僕が玄関に向かう。


「えへっ、来ちゃった」

「……萌音さん、ビデオ通話をするんじゃなかったの?」

「貫之くん、自分の表情を確認したんでしょ?」

「ああ、もちろん」

「なら、もう大丈夫。ご褒美もあげなきゃだし、リアルでも会いたくなったの」


 夜になってから僕の家に来るなんて。先日もだけど。


 お風呂上がりのせいなのか、いつもよりラベンダーの香りがはっきりしている。それに、銀髪もやや湿っている。

 艶っぽさに磨きがかかっていて、ドキドキしてきた。


「話すならリビングでもいいよな?」

「うーん、例の件、おじさんに知られてもいいの?」

「うっ」

「つらたんの部屋にレッツゴー!」


 絶対に不埒な真似をしないと心に誓ってから自室に行く。


 萌音は僕のベッドに腰を下ろす。

 僕は自分の椅子に座って、斜め前にいる彼女と向き合う。


「貫之くん、ビデオ通話のお姉ちゃんと、リアルのお姉ちゃん、なにがちがうと思う?」


 そう言いながら、萌音は僕の膝に手を置いた。

 心臓が跳ね上がりそうになるのをこらえて、僕は質問に答える。


「そうだなぁ。ビデオ通話だとカメラを通した見た目と、マイクが拾った声しかわからん」

「うんうん」

「一方、リアルだとシャンプーの香りもするし、髪が湿った感じも伝わってくる。指先の感触はビデオ通話だと絶対にわからない」

「うんうん」


 萌音は前のめりになる。それだけでなく、胸の下で腕を組んでいて、大胆な膨らみがいっそう強調される。斜めから見下ろす構図になっていた。

 さっきもカメラ越しでの胸元を見てしまったが。


(リアルの方が迫力すごいな)


「つまり、五感を通しての情報はリアルが圧倒的に多いってことかな」


 けっして、胸を見て思ったのではない。


「あらあら」


 萌音は本日、最大級の笑顔になる。


「お風呂上がりのお姉ちゃんを喜んでくれたのね」

「……」

「ご褒美をお届けできて、お姉ちゃんも満足だよ」


(そういう意味だったのか!)


 内心で突っ込んでおく。


「わざわざ来たのは、それを伝えるためなのか?」

「半分正解ね」


 萌音は自分の隣を指さす。座れってことらしい。

 意地を張っても仕方がないので、言われたとおりにする。

 肩と肩が触れそうな距離なのもあって、緊張がハンパない。


「学校のお姉ちゃんを見て、なにを思ったかな?」

「そうだな。『あらあら』と『うふふ』だけで会話が成り立つなんて、意味不明だな」

「あらあら」


 言ったそばから使ったし。


 言語的には内容がないにもかかわらず、話を聞いてもらった気がする。不思議すぎる。


「内容がない言葉なのに、不思議って感じね」

「ああ、そうだ」

「うふふ。そこがポイントなのです」


 萌音お姉さんは先生にジョブチェンジした。


「今日はメラビアンの法則を教えてます」

「先生、お願いします」


 聞いたことはあるが、知らないフリをしておく。水を差したくないし。


「人間は人と話をするとき、言葉の内容は7%ぐらいしか気にしていないんだって。残りの93%は見た目と音の印象で決まるの」

「へえ、そうなんだ」

「あたしは笑顔で、丁寧に相づちを打って相手の話を真剣に聞いたの。そしたら、喜んでくれたのよね」

「なにを言うかは重要じゃないんだな」


 萌音は拍手をする。


「見た目が大事だし、そのための笑顔の練習なの」

「ああ。萌音のスキルを習得したら、女子にも好かれそうだな」

「うーん、そうね」


 声のトーンが下がった。


「なにかあるのか?」

「たぶん、他の人があたしの真似をしても、『あんた、あらあらしか言ってないよね?』ってなりそう」

「あらあら系お姉さんじゃないから、無理ってか」


 幼なじみは首肯する。


「メラビアンの法則って誤解されやすいのよね」

「ふーん」

「『第一印象がすべてで、話す内容はどうでもいい』と思いがちなんだけど、あくまでもカタログ上の数字という感じかな」


「カタログ上の数字というと……スマホの通信速度がカタログと実際でちがうとか思いつくな」

「イメージ的には近いかも。人や話す内容などによって、なにが大事かは変わるのよね」


「萌音だと、『あらあら』だけで大丈夫だが、僕の場合は内容も気にすればいいんだな?」

「そうそう。貫之くん、学年トップの成績だもん。内容を捨てるのなんて、もったいないし」


(なるほどな)


 腑に落ちた。


「僕が今日の授業をまとめてみる」

「あらあら」

「人は他人を見るときに、いろんな情報を得ている。見た目だったり、香りだったり、声だったり。いわゆる五感だな」

「うふふ」


「一般的に見た目は大事だと言われているが、なにが重視されるかは環境にもよる」

「あらあら」

「僕の場合、内容は得意だが、見た目は苦手。だから、笑顔の練習で見た目を改善していく。そういうことだな」

「さすが、つらたん。100万点だね」


 萌音が僕の肩に手を添えて、肩を揉んできた。


「じゃあ、ここからは夜の授業をしてみよう!」

「……もう時間も遅いし、帰りなよ」


 もちろん、夜の授業はせずに、萌音を家に送り届けた。

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