第9話 コミュ力強者の恐ろしさ

 週明けの月曜日。

 いつも通り、朝6時に起きた僕は、体操と英単語の暗記作業に精を出す。


(あっ、今日からはメニューが追加されたんだっけ)


 表情の筋トレを5分してから、萌音の自撮りを見る。なにも加工してないはずなのに、妙に映えているのが美人の力か。


 モテ力養成特訓(仮)をしていたら、準備が慌ただしくなった。明日からは5時半に起きよう。


 朝食を急いで食べていると、母さんに「あんた納期に追われてるん?」などと言われてしまった。なお、母さんはSEで、納期前は深夜残業や休日出勤が当たり前だ。


 時間の帳尻をどうにか合わせ、普段と同じ7時半に家を出た。学校までは徒歩15分だし、余裕で間に合う。


 けれど、途中でなにがあるかわからない。女の人が道で倒れているとか。AEDで救助できるよう心構えはしてある。後で訴えられるかも説は眉唾物だと最近知ったし。

 事件が起きても始業に間に合うよう余裕を持って行動している。


 隣の家の門を通りがかったとき、横から玄関の開く音が聞こえた。


「貫之くん、おはよう」


 萌音だった。


「珍しいな、通学の時間が被るのって」

「貫之くんと一緒に学校に行こうと思って」

「そ、そうなんだ」


 幼なじみは僕の腕を手に取ると、自分の体に絡ませる。


「な、なにをしているのかな?」

「なにって、腕を組んでるの」

「……なんで腕を組んでる?」

「だって、かわいい弟と腕を組んで登校するなんて当たり前だよ」


 僕は弟でもないし、仮に弟だとしても高校生にもなったら引っ付かない。


「あたし、ずっと貫之くんと登校したかったけど、我慢してきたんだよ」

「うっ」

「……ダメかな?」


 目に涙を浮かべられて頼まれたら、断れない。

 暴力的な感触のせいで、頭がおかしくなりそうななか、学校へ向かった。


 校門が近づくにつれ、僕たちは周囲の視線を集めていく。


「おい、あれって、天海あまみママだよな」

「うわっ、彼氏いたのかよ」

「みんなのママだと信じてたのに」


 男たちはどんよりしていた。

 彼氏がいる(いた)からママになるのでは?

 彼らが言うママとはいったい?


「ってか、変な噂になって萌音は大丈夫なのか?」

「あたしは気にしないし、むしろ、うれしいよ」


 女神の微笑を浮かべられたら、困ると言う気が失せた。


「あっ、けど」

「どうした?」

「お姉ちゃんとのことが噂になったら、他の女子が遠ざかるかも」


 萌音さんは僕から離れた。


「不本意だけど、弟のためだもん。お姉ちゃんは我慢するよ」


 胸を撫で下ろしていたら。


「その分、ふたりっきりのときに良いことしようねっ」


 僕はドキリとして、足が止まってしまう。

 萌音は軽い足取りで去っていく。


 数分後。いつもより5分ぐらい遅く、教室に着いた。萌音のペースに合わせて、ゆっくり歩いたせいだろう。明日からは家を出る時間を相談するか。


 まだ始業まで時間もあり、教室にいる生徒は数人だった。

 静かだし、予習をするには良い環境だ。


 神楽坂さんがいることを除けば。

 失恋のショックはないものの顔は合わせにくい。

 気づかないフリをして、教科書を読もう。


 数学の教科書をめくっていたら。


「ねえねえ、萌音もねお姉ちゃん聞いて、聞いて」

「どうしたの?」


 斜め前の方から女子の声がした。包容力のある萌音に話を聞いてほしいのだろう。


「土曜日にさあ、お父さんがお酒を飲んで帰ってきたの」

「あらあら」

「すっかり酔っててね」

「あらあら」

「お土産の寿司はいいんだけどさぁ」

「あらあら、うふふ」

「『オレ、世界の真実に気づいた』とか言い出してさぁ」

「うふふ」


 愚痴っぽくなってきた。

 盗み聞きはしたくないが、女子の声が大きくて困る。

 チラ見したら、萌音は女神の笑みを浮かべて、話に耳を傾けている。


「『Cカップ未満に人権なし』とかほざいたわけ」

「あらあら」

「あんた、Aカップの娘を前にして、よく言いやがったわよね」

「あらあら」

「SNSで言ったら、大炎上になって契約解除になるじゃん」


 萌音は笑顔を保ったまま、うなずいている。


「あまりにもムカついたから、お父さんの分の中トロも食ってやったわ」

「あらあら」


 そういえば、ある事実に気づいた。

 萌音さん、さっきから『あらあら』と『うふふ』しか言っていない。

 だというのに。


「さすが、1年3組のママだよぉ。愚痴を聞いてくれて、気持ちがスッキリしたぁ」

「あらあら」

「マジで感謝しかない」


 すごい。

 たった2パターンの発言で相手を喜ばしている。

 これが師匠の力。


(コミュ力強者の恐ろしさなのか?)


 2日前、僕は萌音になれないと言われたけど。

 どんだけ僕がスキルをマスターしても、萌音みたいな話の聞き方はできない。


 自分なりの方法を見つけていかないと。


(教室での萌音を観察するだけでも勉強になるんだな)


 萌音に尋ねてみるか。会話を聞いていいですかって。


「ねえ、大空くん」


 誰かに話しかけられて顔を上げた。


「えっ?」


 思わずびっくりしてしまった。

 神楽坂さんがニッコリと僕に笑みを向けていたのだから。

 朝陽を浴びた金髪が輝いている。裏があるとわかっていても、かわいいと思ってしまった。


「ねえ、大空くんさぁ」


 神楽坂さんは声を落として。


「さっきから萌音ちゃんの方を見てて、キモいんだけど」


 本性を露わにした。


「腕を組んで登校したんだってね。爆乳の感触はどうだった? 童貞には刺激が強過ぎたよね。あはははは」


 誰も僕たちを気にしている様子はない。神楽坂さんは笑顔のままだ。恐ろしい。

 同じ笑顔でも、人を癒すこともできれば、不快にもできる。

 学びを得た。


 方向性が異なるとはいえ、神楽坂さんもコミュ力強者だ。徹底して、取り繕えるのだから。


「萌音ちゃんとどういう関係か知らない。けどね、バカ真面目くんが好かれるわけないっての。プークスクス」


 神楽坂さんは楽しそうな顔をして、僕から離れていく。


(絶対にモテてみせるぜ!)


 決意を新たにする。


「あの、すいません」


 すると、今度は隣から話しかけられた。


「どうしたの?」

「えっ、えーと、消しゴムを落としてしまいまして……」


 隣の女子が僕の足元を指差した。


「拾っていいでしゅか?」

「……」

「あぅぅっ」


 黒髪の彼女、近藤さんは赤面していた。噛んだのが恥ずかしかったのだろう。

 僕は消しゴムを拾うと、近藤さんに手渡した。


 近藤さんは文庫を読んでいるようだった。谷崎潤一郎か。好みがあうかも。





 


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