第8話 筋肉がすべてを解決する

「それで、練習方法なんだが」


 僕が切り出したとき、萌音はコーヒーを飲もうとしているところだった。前に垂れそうになる銀髪を空いた手で押さえて飲む仕草が艶っぽい。


 自室にふたりきりな状況で女の子だと意識してしまう。お互いに成長したってことか。


「そのまえに、いまの貫之くんの立ち位置を確認しましょう」

「おっ、さすがだ」


 実力が見えなかったら、なにをどうすれば目標を達成できるか決められない。


 たとえば、山を登るときに山頂がゴールだとして、現在地が不明だとする。そうなったら、進むべき道もわからず遭難する可能性もある。

 目標と現状把握は常にセットなのだ。


「まずは、笑顔を作ってみて」

「わかった」


 アイドルを思い描いて、笑ってみる。


「どうだ?」

「えっ、えーと」


 萌音は言葉を濁している。


「はっきりと言ってくれ」

「そうね…………あたしは貫之くんがどういう人かわかってるから大丈夫だけど」

「う、うん」

「他の女子からしたら…………こ、こわいかも」

「なっ、なんだと!」


 思わず頭を抱えてしまった。


「僕はただ笑っただけなんだ」

「わかってるよ」

「なのに、化け物を見るような目を向けやがって」

「つらたん、落ち着いて」


 萌音は僕の方に身を乗り出して、ギュッと僕の頭を抱き寄せた。

 母性あふれる感触と、ラベンダーの香りに心が落ち着く。


「ごめん、人外になって、人間から差別される。そんな妄想を見てしまった」

「お姉ちゃんこそ、ごめんね。つらたん、真面目に笑顔をしただけなのにね」

「萌音は悪くない。はっきり指摘してほしいと頼んだのは僕だ」

「お姉ちゃんも怒ってる」

「えっ?」


 萌音の声にほとんど変化はない。普通の人から見たら怒っているように見えないだろう。

 しかし、僕にはわかる。穏やかに怒りを感じていると。


「つらたん、がんばってるもん。なのに、顔が怖いとか言う女子がいるの。学校で噂話しているのが聞こえてくるとき、お姉ちゃん、その子にビンタしたくなるんだよ」


 萌音がビンタをしたくなるなんて、相当だ。


 それほどまで、僕のことを考えてくれていただなんて。

 なのに、昨日までの僕は幼なじみを避けていた。ここ数年間の僕はバカすぎる。


「男子のいる前で、おっぱいビンタはできなかったけど」

「ぶはっ」


 噴いた。


(むしろ、気持ちいいんじゃ)


「けど、現実的に僕の笑顔は怖いってことだよな?」

「……不本意だけど、そう思ってる女子は多いかも」

「わかった。事実は事実で受け入れる」


 現実を否定したら成長はできない。


「あらあら、つらたん、ほんとにいい子なんだから」


 よしよしされてしまった。


「笑顔がマイナスなのはわかったから、具体的な練習方法を教えてくれ」

「そうねえ、まずは基礎体力をつけるところからね」

「基礎体力って、どういう意味だ?」

「見たところ、貫之くんは表情の筋肉が他の人より弱いの」

「どういう意味だ」


 萌音は本棚から筋トレの本を取り出した。


「筋肉は使えば発達するけど、使わなかったら衰えていくよね?」

「ああ。インフルで何日か寝込んだときに、足の筋肉が弱くなってたな」


 萌音はニコッとした自分の頬を指さす。


「顔にも筋肉があるの」

「……そうだな。じゃなかったら、口や目は動かないし、表情は変わらない」

「笑顔が豊かな子って、普段から笑いながら筋肉を動かしている。だから、表情を作る筋肉も発達しているの」

「活発に運動している人間が、運動が得意になるのと似てる感じかな?」


 萌音は首を縦に振る。


「笑顔を作るのも表情の筋肉。なら、どうすればいいと思う?」

「筋トレだな。表情の筋肉がついたら、コントロールができるようになる。そういう理屈ってことか」

「本当に貫之くんは理解が早いね。優秀な生徒さんでお姉ちゃんも鼻が高いよ」


 得意げに胸を張る。

 大きなものを強調するのはやめてほしい。


「そこで、貫之くん向けの特訓方を伝授しちゃいます」

「よろしく」

「まず、口をすぼめて、『う』の形を作って」


 萌音が見本を作ってくれたので、真似てみる。


「次に、唇を思いっきり横に開いて、『い』にします」


 萌音の白い歯がまぶしい。

 言われたとおりにやってみた。


「また、『う』にして、『い』に。口を『う』と『い』の形に連続して動かすの」

「…………変顔だな」


 萌音の顔がくちゃくちゃしている。目は大きめに開いて、口を動かすたびに目の下に皺ができた。筋肉が働いているとはっきりわかる。


(せっかくの美人が台なしだな)


 恥ずかしいので、口には出さない。


「変顔だから、ひとりのときにやってね。テレビを見ながらとか、ながらでいいから毎日やってみて」

「わかった。毎日3時間ぐらいやればいいかな」

「あらあら。つらたんは頑張り屋さんでちゅね」


 萌音が頭を撫でてきた。

 隙あらば、僕を子ども扱いしようとしてくる幼なじみだ。


「いや、待てよ。3時間もやったら筋肉痛になるかも。顔が筋肉痛になるなんて、大変そうだ」

「そこまで無理しなくても大丈夫だからね」


 萌音はアルカイックスマイルを浮かべて言う。


「筋肉痛で表情が動かなくなったら、女子がまた怖がるかもしれないわね」

「わかった。オーバーワークはしない程度にやってみるか」


 萌音のおかげで、やるべき課題がすっきりした。でも、まだ足りない。


「適度に筋トレするのもいいけど、笑顔を作る練習は他にないか?」

「そうねぇ。あっ、いいのがあった!」


 萌音がポンと手を叩く。たぷんと双丘が揺れた。


「これから、毎日、お姉ちゃんとビデオ通話をしましょ」

「ビデオ通話?」

「ビデオ通話だと自分の顔が映るでしょ」

「ああ」

「だから、笑顔のチェックができるよ」

「うまくすれば練習の効果が実感できて、モチベーションも上がるか」


 逆に、期待外れな表情をしていたら落ち込むリスクはある。が、今は考えない。


「さらに~」


 萌音は満面の笑みを浮かべると、スマホを持って顔の前に手を伸ばす。


 ――パシッ!


 自分の顔を写真に撮る。数秒後、僕のスマホがブルッと震えた。


「なっ」


 萌音の顔写真が送られてきた。


「イメトレ用にお姉ちゃんの写真を使って。お姉ちゃんで妄想していいからね」


 無邪気な笑みを向けてくる。


(ナニを妄想するんですかね?)


 期待を裏切りたくないので、別の利用法はダメ、絶対。


「わかった。自分なりの笑顔を目指すとはいっても、萌音先生の笑顔は最高のお手本だ」

「あらあら、うれしいこと言ってくれちゃって」

「……プロの技を脳裏に叩き込むのもイメトレになるからな」

「貫之くん、真面目だから、すぐに上達すると思うよ」


 それからしばらく雑談して、萌音は帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る