第7話 僕が目指す笑顔

 朝食後。


「萌音、時間を割いてくれるのはうれしいが、予定は大丈夫なのか?」

「あたしにとって、幼なじみは何よりも大切なの」


 そう言いながら、萌音は僕の部屋の本棚を漁っていた。


「貫之くんの好みも把握しなきゃだし、冠婚葬祭よりも優先するもん」

「冠婚葬祭は大事にしような」


 萌音は人付き合いがいいから冗談かもしれないが、いちおう突っ込んでみる。


「貫之くん、たくさん本を読んでるのね。昔はマンガも読めなかったのに」

「今は読書が趣味だからな」

「すごーい。文学に歴史、哲学に科学の本まである」

「ああ。学校の授業だと足りないからな。興味が惹かれた分野は参考資料も買ってるんだ」

「……筋トレにバスケ、陸上の本まで」

「体育は好きじゃないから、少しでも効率良くやりたくて」


 小遣いのほとんどを本に費やしているおかげで、本棚はぎっしり詰まっている。


「……保健体育まであるねぇ」

「なっ」


 萌音が手に取ったのは。


「教科書だけだとイメージがつかないからな」

「あらあら」

「……」

「貫之くん、おっぱいが大きくて、銀髪のお姉さんが好きなのね」

「ぐがっ」


 逃げたい。

 だって、目の前に爆乳銀髪お姉さんがいて。

 R18な本を見られているのだから。


(萌音さん、自分に似たタイプだと気づいてないのかな)


「15歳の僕が、18禁を買ったから、罰を受けてるんですかね」


 壁に頭を打ちつける。


「つらたん、いたいいたいしちゃダメでちゅよ」


 萌音が変なものを見つけたのがきっかけなのに。


「そんなことより、特訓を始めよう」

「あらっ、ごめんねぇ。お姉ちゃん、のんびりしてて」


 舌を出す仕草まで、のほほんとしている。彼女を前にしたら、クレーマーおじさんも怒鳴れないだろう。


「昨日の話し合いでは、表情が課題だったな」

「うん」

「まず、ゴールを設定したい」

「うーん、そうだねぇ」


 萌音は天井の方に視線をさまよわせてから。


「つねに笑顔でいることをゴールにしましょうか?」

「つねに笑顔?」

「そうよ」

「……ずっとニヤついてるって、キモくないか?」


 学校でもたまにいる。ウェーイ系は僕とはキャラがちがう。


「もちろん、ニヤけるまではやりすぎだよ」


 助かった。チャラいのは死んでもごめんだ。


「でもね、いままでの貫之くんみたいにしかめっ面も……」

「女子に引かれるんだろ?」


 萌音は首を縦に振る。揺れた。どこがとは言わない。


「だから、つねに笑顔でいるぐらいが、ちょうどいいかな」

「ようは、僕の場合、つねに笑顔を意識するぐらいじゃないとダメってことか」

「ダメは言いすぎだけど、その理解であってるよ」


 納得はできたが。


「では、お姉ちゃんの笑顔講座を始めまーす」


 萌音は僕の気持ちを察してくれた。

 いまいち、笑顔というものがわかっていないのだ。


「貫之くん向けに……あたしが考える笑顔を言うね」


 さすが、幼なじみ。僕の思考をわかっていらっしゃる。


 笑顔と言われても、人によって考えているものがちがう。たとえば、僕の場合は、笑顔はパリピをイメージする。一方、萌音はのほほんとしたお姉さんスマイルなはず。

 ふたりの笑顔がずれていたら、期待どおりの結果にならない。


「アルカイックスマイルだと思ってるの」

「アルカイックスマイル?」


 なにかの本で読んだ気もするが、覚えていない。


「もともとは古代ギリシャの彫像が起源なんだけど、口もとに微笑を浮かべたような表情ね」

「ほう」


 美術は守備範囲外なので、新鮮だった。


「日本の仏像にも当てはまるね」

「なんとなくイメージできた。余裕があって、悩みも受け止めてくれそうな感じ」

「そうね。あたしもそんなイメージ」


 萌音が微笑む。

 まさに、女神だった。仏様ではないが、アルカイックスマイルのお手本かもしれない。


 笑顔自体の力はもちろん、萌音の場合はあらあら系お姉さんの雰囲気もある。聖女にしか見えない。


 女神なのか、聖女なのか?

 どちらにしても、萌音の笑顔は超一級品だった。


「僕は萌音を目指すのか? そんなの無理だ。いや、最初から諦めたらダメなんだが、さすがにな」

「……あらあら」


 頭を撫でられた。


「貫之くんがあたしになったら、貫之くんの良いところも消えちゃうよ」


 変なことを言っても、穏やかに指摘してくれるから心理的安全性がある。


「貫之くんは貫之くんなりの笑顔を作ってほしい」

「そうなのか?」

「お姉ちゃんは、それが一番うれしいかな。てへっ」


 満面の笑みで言われたら、信じてみたくなる。


「わかった。ゴールは僕なりのアルカイックスマイルを作る」


 僕は自分に言い聞かせるつもりで言う。


「萌音に言われたからじゃなく、自分でそうしたいから」

「さすが、お姉ちゃんの弟だよ」


 弟になったつもりはないが、あえて口には出さない。


「ゴールは決まったから、練習方法を教えてくれ」

「そのまえに良い子にはご褒美をあげちゃいます」


 萌音は僕の耳元に唇を近づけると。


「ふぅ~」


 息を吹いた。背筋がゾクリとした。

 あまりの気持ちよさに腰が抜けかけた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る