第三十九話「両雄」前編

 午の刻・ユノマル――


 雲一つない晴れ渡ったユノマルには、斜面となる高地にライゼン率いるトウミ軍、その下にクマジャン=ツキノワ率いるグンマ軍が布陣していた。


 そこへ、グンマ軍から一騎の騎兵がトウミ軍へと近づいて声を上げた。


「グンマ軍総大将クマジャン=ツキノワ様のお言葉である!! お前達の大将と一対一で話がしたい!! ライゼン・オウコよ!! 恐れぬのならば出て来るがいい!!」


 そう言って馬首を巡らし自陣へと戻って行った。


「ふむ……安い挑発だが、呼び出されたとあらば仕方あるまい。行くとしよう」


 ライゼンは国王より下賜された白柄の偃月刀えんげつとう両断りょうだん(試し斬りの際罪人を縦に一刀両断したためこの銘がつけられた)を持ってシルフィードへまたがった。


「お待ち下さい主様! これは罠では?!」

「そうです、危険すぎます! せめて私をお連れください!」

「「「おやめくださいっ!!」」」


 今にも駆け出そうとするライゼンをエルシラとプレセア達が止めるが、ライゼンは首を横に振った。


「いや、それはできぬ。ここで出て行かなくば、私がクマジャンを怖れていると兵士達は思い、味方の士気は下がり、敵の士気は上がる。戦において士気は非常に重きものである。故に、危険でも行かねばならぬのだ」


 ライゼンは振り返って、心配する皆に諭すようにそう告げた。


「……それに、心配するでない。クマジャンは私を殺すようなことはせぬ」


「なっ、何故、そのようなことが分かるのですか?」


「忘れたかエルシラ? 私は人の心を読むことができるのだ」


 そうしてライゼンはシルフィードを走らせ、両軍の中央へと進み出た。

 すると、次いでグンマ軍の中から、一際巨体な男が巨大な馬に乗って現れ、互いの得物の間合いよりも外で止まった。


 歳は四、五十といったところ。

 筋骨隆々とした鋼のような巨体には、歴戦の矢傷や刀傷が無数に残り、岩のような顔には総髭が目立ち、太い怒り眉に、円い瞳は眼光烱々がんこうけいけいとし、顔の付いた熊の毛皮を被り、皮の鎧を着て巨大な戦斧を軽々と片手で持っている。


 その魁偉かいいからは言葉無くとも歴戦の風格が肌を通して感じられ、ライゼンはまさに巨大な熊と相対しているようであった。


「呼び出しておいて後から来るとは、随分と礼を知らぬ男であるな。やはり蛮族は蛮族か?」


 ライゼンの挑発にクマジャンは怒るどころか、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。


「敵とはいえ、大将たる者と話すというに、そのような珍妙な仮面を着けたままのような輩に礼儀知らず呼ばわりされる筋合いはないわい。お前はその蛮族よりも礼を知らぬと見えるのぉ」


 そのしゃがれた声は低く、腹に響くような迫力があった。そしてその回答から、クマジャンが武辺一辺倒の猪武者ではことが窺い知れた。


「確かに、その方の言い分もっともだ。私も、本当ならこのような仮面を外したいのだが、生来の日光病故、外したくとも外せぬのだ。許されよ」


「なるほど、我が部族ではそのような生まれつき病弱な者は間引くことにしておるからのぉ、ナガノは随分と甘いようじゃ」


「甘いのではない。余裕があるうえに懐が深いのだ。適材適所。私は確かに病弱であるが、斯様かように其方へ対抗する武力も知力もある。換言すれば、其方等は常に余裕がなき故、強者しか生かすことができぬのだ。それを誇りとしているのなら大きな間違い、嘲笑ものの恥と知るがよい。人は衣食足りて礼節を知るという。確かにそのとおりだ。其方らには衣も食も足りぬと見える。故に、そのように獣の如く野蛮なのだ。殺し、奪うことしか知らぬ。実に哀れよ」


「はっはっはっ! 確かに弁は立つようじゃが、小童こわっぱ、口先だけで戦には勝てぬぞ?」


 クマジャンは私の挑発に乗るどころか、楽しげに笑顔を浮かべてそう返した。


「……私を呼び出した理由を伺おうか?」


「なに、儂が相手する敵の大将がどのような男か、ただ気になっただけよ」


「して、その感想は如何に?」


「悪くはないが、末成うらなりの青瓢箪あおひょうたんであるな。儂等に数でも質でも敵わぬと分かっていながら、あえて会戦を挑むとはどのような剛毅ごうきな者か気になっていたが、なんということはない。実戦を知らぬ、己が頭で想像したことが、机の上の動きが実戦でも通用すると勘違いしている青二才であったわ」


「ふふっ、そうであるか」


 ライゼンの笑いを含んだ声にクマジャンはその真意を探るように眉をしかめた。


「何がおかしいのじゃ?」


「クマジャンよ、確かに私は齢二十、其方より倍以上も若い。だが、軍略に関しては其方を遥かに凌駕している。故に、今日が命日となる其方にあえて教えてしんぜよう。兵は詭道きどうなり。多くを少なく見せ、できるものをできぬと見せ、強きものを弱く見せるもの。驕れる者は久しからず、其方等は必ず負けるぞ。今ならばまだ間に合う。其方含め、一万を越すグンマ兵共を死なせたくないのなら、今すぐにでも兵を引き返し国へと戻るのだ。然らば、我等は其方等を追撃せず見逃すことをここに誓おうぞ」


「…………」


 クマジャンはライゼンの真意を見極めるように黙ってその炯々とした瞳で私を見つめた。


「小童、儂も一応は貴様等に勧告しておいてやろう。儂等に降伏するのならば、お主等の命は助けてやろう」


「ちなみに、降伏の条件とは如何に?」


「簡単なことよ。トウミが持つ金銀兵糧家男、女、子共、家畜を全て差し出すのだ。女は犯し、男と子共は奴隷とする。用のない貴様らと老人共は見逃してやろう。この条件を飲まぬのなら、お主等を皆殺しにした後、先の条件に加え老人共も皆殺しとする」


「残念だ……」


 ライゼンは心底残念そうな声色で、顔を下げ首を横に振った。


「なにが残念なのじゃ?」


「お主らが生きて祖国へ帰れないことが、だ――」


「小童が、ほざきよる」


 そうしてライゼンとクマジャンは静かに見つめ合い――


「ここでお主を殺すことは容易いが、それは大将が行うことに非ず。その自信、我が精兵を持って真正面から打ち砕いてくれる」


「同じ言葉を返そう、クマジャンよ。其方の歴戦の魁偉、そしてグンマ兵の勇姿、そしてその全てが我等トウミ兵に打ち砕かれる様を、このライゼン、生涯忘れぬことを誓おうぞ」


「ふん、同じ言葉を返してやろうぞ。では、さらばだライゼンよ」


「さらばだクマジャンよ」


 そうしてライゼンとクマジャンは互いの陣へと戻って行った。

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