第三十四話「王女ジュリエッタ」後編

「お立ちになってくださいませライゼン様。わたくし、ライゼン様と出会える日を心待ちにしていたのですよ」


 私は立ち上がり、頭を下げた。


「失礼致します。しかし、一臣下である私が、殿下に様づけで呼ばれるとは大変恐れ多くございます」


 殿下が私のことを様付けで読んだため、王女殿下付の侍従やカサンドラ含めた近衛兵、そしてエルシラやプレセアといった皆も驚いていた。


「あら、そのようなことはございませんわ。たとえ臣下とて、尊敬するお方に敬称をつけることに、なんの不思議がありましょう?」


「殿下の深きお心、このライゼン光栄の至りにございます。然れども、私は殿下の師父でもない一家臣でございます。君臣の道は、しかと守らなければなりませぬ。蟻の穴より堤は崩れると申しますれば、私のことを様付けでお呼びになることは、忠信より、どうかおやめくださるようお願い申し上げます」


「ふふっ、仕方ないですわね。流石はトウミ候ライゼン殿。噂で聞いた通りの謙虚なお方ですわ。知っていますか? 今王宮内はライゼン殿の話題一色なのですよ?」


 私を試すように微笑まれる。


「それはきっと、あまりよからぬ話ばかりでございましょう――」

「あら? どうしてそう思われますの?」

「白エルフ主義一色の御貴族の方々は三つのとき以外に口を開かれませぬ故」

「三つのとき? いったいどのようなときですの?」


 不思議そうに殿下は小首を傾げられた。


「一つ、悪口を言うとき、二つ、モノを食べるとき、三つ、寝ているときだけです」

「……ふふっ。確かに、そうですわね」


 私の答えに殿下はおかしそうに笑みを浮かべられた。


「では宮中の貴族達が口々にするライゼン殿の、悪い噂は、全て嘘であると言われるのですわね?」


「いいえ、そうとも限りませぬ」

「あら、認めてしまわれますの?」

 私が彼等を擁護するような言葉に意外そうな反応をされる。


「はい殿下。盗人にも三分の理、という諺がございますれば……おっと、失礼致しました。賢人も千に一つの間違いあり、愚者も千に一つの正しきあり、千慮せんりょ一失いっしつ愚者ぐしゃ一得いっとくと申しますれば、の間違いでございました」


 私の返答に殿下はキョトンとした顔をなされたが、次いで笑いを堪えるように口を開かれた。


「ふふっ……彼等はライゼン殿から見て盗人、愚者ですか?」


「はい殿下。社稷を害し私腹を肥やす、これを盗人と言わずになんと申しましょうか? 要職に就きながら進んで国益を損ねる行いをする者を、愚者と言わずなんと申しましょうか? むしろ、柔らかく申して愚者、盗人でございます」


「ぷっ……あはっ……ふふっ……! 国王陛下やカサンドラより聞いていたとおりのお方ですわ。聡明で弁が立ち、堂々とされていらっしゃいます。そして、その言葉に裏がない。実に爽やかですわ」


「王女殿下はお噂で聞くよりもお美しく、御聡明でいらっしゃいました。このライゼン、拝謁の栄に浴し、光栄の至りでございます」


「ふふっ、お上手ですわね。ところでライゼン殿、貴方は常々人の心が読めるとおっしゃられているとか……では今、私がなにを考えているかお分かりになりまして?」


 殿下は楽しげに私を上目遣いに見た。一切の悪意が感じられない、聡明さと利発さ、そして無邪気さが垣間見える。


「……燕雀安えんじゃくいづくんぞ鴻鵠こうこくの志を知らんや。どうして燕や雀の如き私に、殿下の如き鴻鵠のお心を知ることができましょうか?」


「ふふっ、あはっ! お上手ですわねっ。ライゼン殿は王宮の貴族方よりも、余程お上手でいらっしゃいますわっ」

 殿下は心から楽しそうに笑顔を浮かべられた。


「彼奴等目は中身のない口先だけのことしか言えませぬ故、殿下のお心へは響かぬのでございましょう。鐘を小枝でいくら叩いても響かず、鳴らぬように響く言葉というものは必ず撞木しゅもくや丸太の如き重み、中身を伴うものでございます」


 私の返答にすっかりと感心したよう殿下は、一瞬、素のような表情をなされた。


「……ライゼン殿、道中、貴方とずっとお話ししていたいですわ。道案内を頼んでもよろしくて?」

「勿論でございます殿下。実は、私の方からそう願い出たいと、思っていたところでございます」

「ふふっ嬉しいですわっ」


 そうして王女殿下は輿車に戻られ、御簾を開いたまま、周辺を近衛兵や私の親衛隊や城兵に厳重に警備されながら、輿車の横には馬に乗った私が並走し、各種説明や王女殿下の疑問に答えながら城を目指した。


「ライゼン殿、トウミの名産品はなんですか?」


「はい殿下。葡萄ぶどう胡桃くるみ馬鈴薯ばれいしょ唐黍とうきびでございます。特に胡桃は名産地として王国内外にも名高く知られ、王国内に出回っている胡桃の実に八割はトウミ産でございます」


 無論並行して稲作も行っているが、私の赴任前から名産とされていたのはこの四つだった。


「まぁ、そうなんですの?」


「はい殿下。他にも葡萄や唐黍、麦が取れるために地酒である葡萄酒や麦酒、火酒もこれから名産品として売り出そうと考えているところでございます。今宵の晩餐に、この土地の物をふんだんに使った料理各種をご用意してあります故、お楽しみくださいませ」


「まぁ、それは楽しみですわ。けれど私はまだ十八、お酒はダメでございますわよ?」


「勿論存じております。故に、殿下には良く熟した、もぎたての葡萄を搾った果実水をご用意してございます」


「まぁまぁ、それは嬉しいお気遣いですわ」

「殿下、まもなく城下となります。御簾を開かれたままでもよろしいので?」


「はいライゼン殿。民は我が王国の宝。私のような者の姿でも、民が見て少しでも喜んでもらえるのなら、喜んでこの姿を見せましょう」


「気高きお志、このライゼン、敬服の至りです」


「ふふっ、ライゼン殿にそう言われると、悪い気はしませんわね」


 そうして王女殿下は御簾をお開けになったまま城下を進み、そのお姿をトウミの民達へとお見せになられ、笑顔を浮かべられ、手もお振りになられた。民達は殿下のお美しさに閉口する者、歓声を上げる者とその反応は様々であった――

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