第三十二話「嫉妬と和解」後編
「あっ、主様っ?!」
突然のことにエルシラは驚いて、その耳まで真っ赤になった。それでも抵抗しようとはせず、抱きしめられるがままに声を上げている。そんなエルシラに、ライゼンは優しく慈しむように声をかけた。
「エルシラ……我が右腕よ……私が其方を軽んじると思うか?」
「っ……! いいえ……」
ライゼンの意図に気付いたエルシラは、自身の心中を見抜かれたと、ライゼンの腕の中でその体を一瞬ビクリと震わせて素直に頷いた。
「武においては其方とレイナルドやアフギが、知においてはプレセアとカクサが頼り。其方等だけではない。ルーティー含めた女中達も、文武官達も、皆大切な我が家臣、そしてこのトウミに住まう者は、皆、我が愛する民達だ」
「はいっ……私は……私は……っ、プレセア殿を羨んでいるのかもしれませんっ。私は……主様に負い目がります故っ」
エルシラはライゼンの胸に顔を埋めたまま、その心中を吐露した。
「負い目? なんのことか見当もつかぬ」
ライゼンに抱きしめられて動悸が止まらなかったエルシラであったが、その抱擁と口調や声色がまるで父が子を慈しむような優しさで、エルシラは今までモヤモヤとしていた心がすっかり清められたような思いだった。
「……私は、主様と初めて出会ったとき、試すような真似をして、酷いことを言ってしまいました……きっとそれが、負い目に感じられて……だから、初めから主様に惹かれ、慕い、信頼し、仕官を求めてきたプレセア殿が、その人を見る目に、私の人の見る目の無さと相俟って、きっと羨んでしまうのです……だからでしょうか、プレセア殿が主様のお役に立つ度に、主様にお褒めになられる度に、この狭量な私はよからぬ思いを抱いてしまうのですっ……!」
エルシラはライゼンの腰に手を回して強く抱きしめ、自身の思いを全て語った。
「エルシラよ……其方は何も私に負い目を感じる必要はない。何故なら、最初に出会った日も、私と其方の大切な思い出の一部だ。少なくとも私はそう思っている」
「主様……」
エルシラは顔を上げ、ライゼンを見た。その瞳は今にも涙がこぼれそうなほどに潤んでいた。
「エルシラよ、私が思うに、きっとプレセアも同じく其方に思う所があるであろう」
ライゼンはその涙を指ですくいながら優しく諭すように続けた。
「はい……」
「故に、エルシラに命ず」
「は……っ!」
「明日の夜、二人のために城内の風呂を貸切とする。そこでプレセアと二人きりで、わだかまりや思うところあらば、腹蔵なく心ゆくまで語り明かすがよい」
「はっ! でっですが、何故、風呂なのですか?」
「諺に言うであろう? 心の内を明かすには裸の付き合いが一番と――」
翌日、夜、トウミ城大浴場――
そこには二人の美女の姿があった。一人はライゼンの親衛隊長を務める五尺八寸の長身に大きな胸とくびれた腰、肉付きのいい太ももと尻を持つ、筋肉質な体付きの黒エルフ、トウミの黒エルフ氏族を率いる総氏族長、エルシラ。
そしてもう一人は、ライゼンの補佐を務める、五尺ほどの小柄な体型に小ぶりな胸と尻に、胸から腰までストンとした幼児体系のような体付きの、開明派の名士、一時は国王より直々に仕官の誘いを受けたほどの才媛である青髪の白エルフ、プレセア・プレアデス。
二人は湯船に浸からぬよう髪をまとめ、手拭一枚を頭に乗せ、風呂に浸かりながら、相対していた。
エルシラはプレセアに思う所があり、プレセアもエルシラに思う所があった――
けれども、二人はどちらから話すか、何から話すか、そのきっかけを見つけられないでいた。
「「じっ、じつは」」
奇しくも二人同時に声を上げた。
「ぷ、プレセア殿からどうぞ」
「いやいや、エルシラ殿から」
そうして「いやいや、ここは年長者であるプレセア殿が」「いやいや、歳は上だが、この白ではエルシラ殿が先輩です故」といった譲り合いが起こったが、先に折れたのはエルシラだった。
「実は……腹蔵無く申さば、私はプレセア殿に嫉妬しておりました」
その言葉にプレセアは驚いたような表情を浮かべた。
「えっ? エルシラ殿もですか?」
「えっ?」
その意外な返答に今度はエルシラも虚を衝かれたような表情を浮かべた。
「ぷ、プレセア殿が……? 私に?」
「はい……常に主様に侍り、夜遅くまで主様の私室にいられ、時には目と目で通じ合っているようなお二人の姿を見ていたら、不覚にも羨ましい……と、思ってしまったのです……」
「プレセア殿……」
「それに、エルシラ殿はまだ二十歳にもならぬ何年も前から自警団を率いられ、長年トウミのために戦い、トウミの黒エルフ氏族をよくまとめ、そして主様と出会われてからは、バレ=アスの撃退に始まり、親衛隊長への抜擢、そしてバレ=アス盗賊団壊滅戦と、その功績を挙げれば枚挙に暇がありません」
そうしてプレセアはため息をついて自嘲の笑みを浮かべた。
「それに比べて、私には、誇れるようなものがなにもありません……。王都にあった時分、開明活動を行なっていましたが、身を結んだものは何一つなく、ただ論文を書いて発表するのが関の山。主様は筆は時として剣よりも強いとおっしゃってくださいましたが、それは今のように、主様の庇護あればこそです。私には、エルシラ殿のように、主様なくとも、誰かをまとめあげ、何かをするようなことができなかった。筆先と、口先だけで、行動が伴わなかった……私は、今でもその不明を恥じ、だからこそ、エルシラ殿に負けないように、我武者羅に、少しでも主様のお役に立てるように、励んでいる次第なのです」
エルシラはプレセアの心からの言葉にすっかり胸打たれて、狭量な自分を恥じた。
「プレセア殿、私はまことに狭量だった! プレセア殿がそのような心がけであったのに、私は、ただプレセア殿が主様に認められることに嫉妬していただけでした! どうかお許しくださいっ!」
「あっ、頭をお上げくださいエルシラ殿」
「いえっ、この頭下げねば私の気持ちが治りませぬ! プレセア殿の怒り収まらぬならば、鞭でも棒でも、好きなだけ私を叩いてくだされっ!!」
プレセアは頭を下げるエルシラの両手を掴んで顔を上げさせようとした。
「いえいえ、エルシラ殿、少しかっこつけて申しましたが、実を言えば、純粋に主様のお側にいられ、全幅の信頼を寄せられているエルシラ殿に嫉妬していたのも事実ですっ」
「プレセア殿……では我等は……」
エルシラは顔を上げてプレセアを見た。
「はい。同じ理由で羨みあっていた、というわけです」
そして二人は、互いに本音を曝け出していると目と目で理解し――
「「ぷっ……あはは!」」
そして二人共顔を合わせて笑い合った。
「プレセア殿、これで心が晴れました! 私は今後、プレセア殿に嫉妬することがあっても、それを主様へお仕えするためのより一層の活力へと変えますぞ!」
「私もですエルシラ殿! 私も負けませんぞ!」
そうして暫く笑い合うと、プレセアが後ろから徳利と猪口が乗せられた木の盆を取り出して湯船に浮かべた。
「ところで、こんな時のために、これを用意したのですが、エルシラ殿はいける口ですか?」
「嗜む程度には」
「では」
プレセアは二つの猪口に
「これは二人の、絆を深める盃ですな」
「はい。心の内を曝け出した我々は、もはや姉妹も同然、良き友、良き仲間、切磋琢磨し合う仲として、これからも主様のために励みましょうぞ」
「「乾杯!!」」
そうして二人は風呂を上がってからも、互いの部屋で遅くまで酒を酌み交わした――
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