第三十一話「嫉妬と和解」前編

 プレセアが領主補佐に任じられてから一月が経った頃、エルシラは自身でもよく分からない感情を持て余し、心中穏やかではなかった。


 自身は主、ライゼン様の親衛隊長として常に行動を共にしており、夜遅くまでその私室にいることを許され、さらにはそこでルーティーと姉妹の時間をも特別に許されている。


 主様より誰よりも深い寵愛と信任を賜っている身なのだ。


 であるとうのに、プレセアが来てからというもの、プレセアがライゼンの役に立つ度に、そしてライゼンがプレセアを褒める度に、胸中にモヤモヤとした怒りにも似た、けれどもそうではない、自身でも度し難い感情が渦巻いて仕方なかったのだ。


「プレセアよ、馬飼令の進捗はどうか?」


「はっ、上々でございます。領民達も低税率に平等法という、他管区・他領ではありえない特権を受けている身として、反発無く粛々と馬飼令を受け入れています」


 ライゼンが座って執務をしている椅子の横に立ったプレセアはそう答えた。


「うむ、流石はプレセアだ。私が頭を悩ませていたことを、一月もせぬ内に解決してしまうとは」


「いいえ、これも全て領民が主様を慕っているからこそ、反発もおきずに施行できるのです。全ては主様の御威光あってのことでございます」


「うむ、そう言われると悪い気はせぬな。ありがとうプレセア」


「いっいいえっ、私は事実を述べたまでですのでっ」


 顔を赤くするプレセアに、またエルシラはモヤモヤとした感情を抱いた。


 そもそもプレセアがライゼンのことを主様と呼ぶこともエルシラにとっては面白からぬことであった。


 このトウミでライゼンのことを主様と呼んでいたのは自分だけ、自分だけの特権だと思っていた。


 が、何故かプレセアもライゼンのことを主様と呼びだし、それがエルシラには余計に胸のつかえを強くさせ、さらには親衛隊長として常に冷静に、泰然自若たいぜんじじゃくとして任にあたらねばならぬのに、この体たらくはなんだ? という自責心も相まって、余計に心が定まらなかった。


「エルシラよ、如何した?」

「……はっ!? いっ、如何したとは?」


 すっかり気が抜けていたエルシラはライゼンの言葉に背筋を伸ばして、そのことを誤魔化すように答えた。


「……いや、なんでもない。私の気のせいであった。気にするな」

 ライゼンはジッとエルシラの瞳を見つめ、資料に目を戻した。


「あっ、主様、銀星面に、糸くずがついておられま……」

「っ!!」


 そう言ってライゼンの銀星面についた糸くずを取ろうと手を伸ばしたプレセアの手を遮るように、エルシラが険しい表情を浮かべライゼンとプレセアの間に割り込んだ。


「っ……こっ、これは失礼しました主様、エルシラ殿……」


 エルシラの険しい表情に、自分が何気なく手を伸ばした銀星面は国王陛下より賜られたもの、迂闊に触れていいものではない。故にエルシラの態度が厳しいのだと勘違いしたプレセアはエルシラとライゼンに頭を下げた。


「……いいえ、こちらこそ、過剰な反応でございましたプレセア殿」

 エルシラも流石に殺気を込めすぎたとプレセアに頭を下げた。


「……エルシラにプレセアよ、確かに、この銀星面や光聖衣は国王陛下より賜ったもの、気安く触れていい物ではない。が、汚れや糸くずの如きものがついているのなら遠慮せずに取ってくれて構わぬ。私も人故、鏡なくば自分で自分の姿は見えぬ。故に、今のように気付かぬこともあろう。そのようなとき、そのまま放置するほうが陛下に対して失礼というものである。無論、相手にもよるがな」


 ライゼンはエルシラとプレセアを交互に見てそう口にした。


「はっ! 失礼致しましたプレセア殿っ!」

「いえ、こちらこそ迂闊でした、エルシラ殿」

 そうして二人はぎこちない空気のまま、互いの定位置に戻って行った。


 夜・ライゼンの私室――


 そこでは政務の続きを執るライゼンの後ろへエルシラが控えていた。


 常の如くこの部屋でライゼンが執務を執る傍ら、申し訳ないと思いながらもルーティーと夕食を共にとり、本来なら退出する時間を過ぎている現在もまだ、こうして室内でライゼンの護衛をしていた。


「エルシラよ、部屋に戻ってもよいのだぞ?」


「いえ、主様は日に日にこのトウミだけでなく、王国にとっても大きな存在となっておられます。故に、私も今まで以上に主様のお側をお守り致します!」


「うむ。其方の忠勤嬉しく思う。ならば好きにするがよい」


「はっ!」


 そうしてライゼンが筆を持って書簡に何かを認めている後姿を見ながら、いつもなら余程のことがなければ口を開かないエルシラが、つい、といったように口を開いた。


「主様、今何をされているのです?」


「うむ、プレセアが提案した駿馬賞の詳細を考えていたところだ。賞金は如何ほどか、賞品はどうするか、賞状は、そしてこれらは上位何名まで表彰すべきか? それとも何人までという枠を設けず、一定水準を超える結果を出した者全てに与えるべきか……まぁ、そのような所だ」


 エルシラはライゼンより発されたプレセアという言葉に何故かは分からないが苛立ちを覚えた。


「プレセア殿は凄いお方でございますね。プレセア殿が来られてからというもの、主様は水を得た魚のようだと、城内外で評判になっておられます」


 その言葉も少しトゲトゲしいものであった。


「ふむ……そうなのか?」

 ライゼンは筆を置いてエルシラへ向き直った。


「水と魚は切っても切り離せぬ関係でございます。私のような替えの利く一介の武官とは違って――」


「…………」

 ライゼンはエルシラの言葉に答えず、座ったままその金色の瞳をジッと見つめた。


「っ……」

 すると、エルシラはやましいことがあるように下を向いて目を逸らした。


「……エルシラよ、私の前へ来るのだ」

「はっ、はっ……!」


 エルシラは言われたとおりライゼンの目の前まで歩み寄った。


「胸甲を外せ」

「は?」

「胸甲を外すのだ」

「……はっ!」


 ライゼンが目の前に立ったエルシラにそう命じると、エルシラは意図が読めないといったような表情を浮かべながらも胸甲を外し、卓の上に置いた。


 普段は胸甲で見えぬエルシラの大きな胸が白い鎧直垂の下からでもその存在を主張している。


「屈むのだ」

「は、はい?」


 言われるがままにライゼンの目の前に屈んだエルシラを、ライゼンは自身の胸の中へ包むように優しく抱きしめた。

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